兵舎の部屋とレイの従卒

「レイルズはこの部屋を使って。タキスは、向かいの部屋を用意したのでそちらへどうぞ」

 タドラの声に、レイは返事をする事が出来なかった。

 案内された大きな建物の三階にある部屋は、森の石のお家のレイの部屋よりもさらに大きくて広かった。

 高い天井と大きな窓、窓の横の壁には大きなソファが置かれている。その隣には、レイが入っても余裕がありそうな箪笥と引き出しが並んでいる。部屋の真ん中にあるのは木目の美しい大きな机と椅子。

 案内された部屋にはベッドが無く、廊下に続く扉以外にも左右の壁に扉が付いている。

「ベッドはそっち、向こうの部屋は洗面所と手洗いになってる。あ、お風呂もあるよ」

 広い部屋の端に置かれた大きな衝立の後ろには、驚くほど大きなベッドが置いてあった。ベッドの横にも小さな机と椅子が置いてある。

「あの、此処が僕が泊まる部屋?」

 恐る恐る聞いてみると、当然の様に頷かれた。

「そうだよ。ええと、気に入らなければ別の部屋を用意してもらうけど?」

 慌てて首を振ってタキスを振り返った。しかし、彼も呆気にとられた様に広い部屋を見渡している。

「こっちの兵舎には客間が無いからね。申し訳ないんだけど、取り敢えず此処を使ってくれるかい?」

「はい、分かりました!」

 とにかく、何でも良いから大きく頷く。

「此処に当面の着替えが入ってる。洗濯物は風呂場の横に置いてある籠に入れておけば、係りの者が綺麗にしてくれるからね」

 箪笥の横の引き出しを指差しながら、ロベリオが教えてくれた。

「ああラスティ、ご苦労様」

 タドラの声に振り返ると、第二部隊の兵士が一人、先程王妃様との面会の時に着ていた軍服を持って来てくれていた。

 彼は手早く服を壁に取り付けられたハンガーに掛け、剣帯をその横の棚に片付けて振り返った。

「こちらのおいでの間のお世話をさせて頂きます。ラスティと申します。よろしくお願いします、レイルズ様」

 ルーク達とさほど歳の変わらないであろう大人に深々と頭を下げられて、レイは驚きのあまり固まってしまった。



 誰が誰のお世話をするって?

 一体何の事?



 意味が分からず、思わず側にいたロベリオにしがみついてしまった。

「レイルズ、彼はラスティ。第二部隊の竜騎士隊専属の後方支援部隊所属の従卒じゅうそつだよ」

「後方支援部隊の従卒?」

「そう。要するに、俺達の日常生活を中心に面倒見てくれる、とっても有難い存在だ。大事にしろよ。正直言って俺なんか、彼らがいなかったら部屋の中が散らかり放題の足の踏み場が無い無法地帯になる自信があるぞ」

「そんな事、自信を持って断言しないで下さい」

 呆れ声のラスティは、レイを見てにっこりと笑った。

「古竜の主のお世話をさせていただけるとは光栄です。何なりと、お申し付けください」

「彼らは執事としての訓練も受けてるから、分からない事は何でも彼に聞くと良いぞ」

 もう驚きのあまり声も出ない。近くにあった椅子に座ったが、眠気は何処かに飛んで行ってしまった。



「ラスティ、ちょっと良いか」

 ルークが小さな声でラスティを呼んで少し離れる。顔を寄せて小さな声で話し始めた。

「普段から、大勢の使用人に囲まれてる貴族出身のロベリオ達と違って、恐らくレイルズは、人に自分の面倒を見てもらった事なんて無いと思うから、彼との距離感に気をつけてやって。俺も初めて此処に来た時に……知らない人が部屋にいて、自分の面倒見てくれるっていきなり言われて、本気で面食らったんだよ。もう慣れたけど、正直言って、最初の頃は着替えてる自分の裸を見られるのも嫌だったよ」



 スラム街の出身のルークは、成人年齢になると同時に何も分からないままにいきなりここに連れてこられて、翌日の竜との面会でパティと出会い、結果として竜騎士になったのだ。

 当時の事を知る先輩達から、その頃の彼の様子を聞いた事がある。

 とにかく人に世話されるのを嫌がり、何でも自分でしようとして、彼の世話係はとても苦労したそうだ。

 そしてとにかく粗野で乱暴。特に行儀作法は最悪だったそうだ。

 しかし、周りの者達にあたり散らす様な素振りは一切見せず、分からない事は何でも遠慮無く聞き、学ぼうとする姿勢は抜群だった。そして一度聞いた事は忘れない。そんな彼に、初めは戸惑っていた後方支援部隊の者達も、親身になって世話するようになっていったそうだ。

 半年後の王宮での正式なお披露目の時には、生まれた時からの貴族の青年かと見紛うばかりの、立派な竜騎士見習いの若者がそこにいた。

 臆する事なく紹介される貴族達と堂々と顔合わせをし、終始笑顔で過ごしたのだ。

 わずか半年の間にどれほどの努力でそれを身に付けたのか。以来、王宮では彼をスラム出身だと表立って蔑む者はいなくなった。

 それを見た女性陣の多くが感心して、彼の後援会をその日のうちに結成した事は、社交界では有名な話だ。



「まあ、レイルズは当時の俺よりはかなり優秀みたいだから、大丈夫だとは思うけど。一応気をつけてやって」

 苦笑いするルークに、ラスティは大きく頷いた。

「畏まりました。充分配慮致します。他に、何か気をつけておく事はありますか?」

「ここ数日の彼の様子を聞く限り、素直な良い子だよ。あんな体格だけど中身はまだまだ子供だから子供扱いで大丈夫だと思うぞ。あ、俺と同じで甘党らしい」

 にっこり笑って、世話をするのに有力な情報をくれた。

「それは良い事を聞きました、ありがとうございます」

「頼りにしてるよ。何かあれば遠慮無く言ってくれて良いから」

 ラスティの背を叩いて振り返ると、ロベリオがレイの気を逸らす為に引き出しを開けて用意された服を引っ張り出して見せている真っ最中だった。

「こっちが部屋で着る服、寝る時はこれな。どれでも好きなのを着るといいぞ。そう言えば、明日の予定って、結局どうなったんだ?」

 ロベリオの声に、ソファに座っていたユージンとタキスが首を傾げる

「さっきヴィゴが、まだ明日の予定が決まって無いって言ってたよ」

「ええ、そう言われてましたね」

「じゃあ、明日は何をして遊ぶかな?」

 ロベリオの言葉に、レイが嬉しそうに笑った。

「なんでも良い! お城を見てるだけでも、一日過ごせそうだよ」

 そう言いながらレイが見ている大きな窓の外には、篝火に照らされた城の塔がいくつも見えていた。




 今いる竜騎士隊の兵舎と本部のある建物は、そのまま竜騎士隊本部とか、本部と呼ばれている。

 竜達が降りる場所でもある城との間にある広い庭は、一面に芝生が手入れされていてとても綺麗だ。

 先程通った渡り廊下から見る城は、丁度真横から見る形になるが、確かに一見の価値はある景色だった。

「でも、さすがに外は出歩けないしな。じゃあ、明日は訓練所で手合わせでもするか?」

「うん! それが良い!お願いします!」

 とにかく一日中知らない事だらけで、身体は緊張してかちかちだったのだ。運動して体を解せるならそれが一番嬉しい。

「良いな、お前ら。俺も早くレイルズと遊びたい」

 拗ねたようなルークの口調に、皆苦笑いしている。

「まだ駄目だって言われてるんだろ。これから幾らでも遊べるんだから、無理は禁物だぞ」

「分かってるよそんなの。まだ殆ど握力は戻ってないから手合わせなんて無理なんだけどさ。でも、お前らばっかり狡い」

「あ、じゃあ……夜更かし再び?」

 小さな声でロベリオが言い、ユージンが吹き出した。それを聞いたタドラとルークは、目を輝かせて手を挙げた。

「はい! 参加するぞ、それ!」

「僕も僕も!」

「良いだろ? レイルズ」

「うん! お願いします!」

 満面の笑みのレイが、ルークの右腕に抱きついた。

「そうと決まれば、まずは湯を使って着替えてこよう。ああ、タキスはどうしますか?」

 タドラの声に、タキスは笑いながら首を振った。

「子供の夜更かしに保護者が同席するのはいけませんね。私は明日の朝、皆さんを叩き起こしに行く大役を仰せつかりましょう」

「そのお役目、私もお供致しましょう」

 ラスティが満面の笑みでそう言ったのを聞いて、竜騎士達が堪える間も無く吹き出した。

「話が分かる保護者って最高!」

「よし、それじゃあ着替えてくるよ。お前も今のうちに湯を使っておけよな」

 ロベリオの言葉に、レイは元気な声で返事をした。




 廊下で待っていた城から派遣された執事が、タキスに付き添って部屋に入るのを見送ってから、四人は一旦、各自の部屋に身支度を整えに戻った。

 レイも、用意されていた一人用とは思えない豪華な浴室で、精霊達が沸かしてくれた湯を使って汗を流した。

 ラスティは気を使ってくれたのか、湯から上がってすぐは側に来ず、レイが自分で下着を身に付けてから面倒を見てくれた。

「少しずつ、世話される事にも慣れていきましょうね。されて嫌な事があれば、遠慮無く仰ってください」

「ありがとうございます。えっと、ラスティさん……」

「敬称は不要です。私の事は、ラスティとお呼び下さい」

 ゆったりとした、肌触りの良い夜着に着替えて部屋に戻った。




 机の横に置かれたワゴンには、簡易のコンロが設置されて、大きなやかんが湯気を立てている。

 広くて大きな机の上には、大きなポットと人数分のカップとお茶の用意。瓶に入った蜂蜜もたっぷりと用意されている。大きなガラスの水差しに入った冷たいカナエ草のお茶とグラス。その隣のお皿には、マフィンや殻付きのクルミ、果物も山盛りに置かれていた。後ろに並んだ瓶の中身は、ビスケットやクラッカーだ。ジャムの瓶もある。

 更に、いつの間にかソファが増えている。

「このソファは、背もたれを倒していただくと簡易のベッドになります。ご自由にお使いください」

 流石に五人は一緒にベッドで寝られないだろうと、密かに心配していたレイは、ラスティを振り返って嬉しそうに笑った。

「すごい! ありがとうございます。僕、夜更かしって、この前初めてしたんだよ」

「楽しかったですか?」

「うん! すごく楽しかった!」

 笑顔で答えたが、そのあと妙な顔になった。

「どうしましたか?」

「えっと、先に謝っておきます。お部屋を散らかしてたらごめんなさい」

 頭を下げて申し訳無さそうに謝る彼を見て、ラスティは、吹き出すのを止められなかった。

「この建物を壊しでもしない限り、大抵の事は何とかなりますからご心配無く。どうぞ、遠慮無く遊んでくれて良いんですよ」

「ありがとう」

 顔を上げたレイの笑顔は本当に幸せそうで、ラスティもつられて笑顔になった。



 その時、夜着に着替えた四人が枕を抱えて入って来た。

「それでは私も休ませて頂きます。どうぞごゆっくり」

 一礼して、隣の続きになった部屋に下がるラスティを全員で見送った。

 扉が閉まった後、ルークとタドラが扉の前で何かしている。

「何してるの?」

 不思議に思って見に行ってみると、二人の肩にシルフが座っていた。

「大声出して他の人に迷惑かけるといけないだろ。だから、この部屋に結界を張ってるんだ」

「結界って?」

 初めて聞く言葉にレイが質問すると、二人が教えてくれた。

「結界は、文字通り指定した場所を魔力で包み込んで閉じてしまう魔法だよ。この部屋全体に結界を張ったから物音は漏れない、これで遠慮無く騒げるぞ」

 目を輝かせたレイに、枕を抱えたルークが笑った。

「それじゃあ、枕戦争開始!」

 ルークの号令で、ロベリオ達が手にした枕で隣を殴る。

 悲鳴を上げたレイは、自分のベッドに走って枕に抱きついた。後を追っかけてきたロベリオとユージンに飛び乗られて、悲鳴を上げて枕で殴る。衝立が音を立てて倒れるのが見えたが、誰も気にしなかった。

 毛布を被せられて上から枕が飛んでくる。笑いながら転がって、毛布の隙間から床に逃げる。毛布に巻き込まれたユージンの背中に、手元にあった毛布の端を持って上に飛び乗った。その端っこを掴んで反対側と結ぶ。

「ちょっと待って、何してるんだよ」

 異変を察知したユージンが悲鳴を上げて暴れる。レイが何をしようとしているのか気づいたロベリオが、素早く足元の端を持ってレイの持っている端っこと合わせてこれも手早く結んだ。その間彼の足は、毛布の中で暴れるユージンを押さえつけている。

「せえの!」

 結び目を持った二人が声を揃えて毛布を持ち上げる。

 蓑虫のように毛布でぐるぐる巻きになったユージンが床に転がるのと、それを見たタドラとルークが大笑いするのは同時だった。

 笑いながら駆け寄った四人が、一斉にユージンをくすぐる。

「やめて! ごめんなさい!」

 蓑虫がモゴモゴと転がって暴れるのを見て、全員が堪えきれずに大爆笑になった。

「何するんだよもう、お前は天才か!」

 ようやく蓑虫から人間に戻ったユージンが、笑いながらレイに抱きつく。

「次はお前だ!」

 そう叫んで、一斉に全員がレイに覆い被さる。

 レイは、悲鳴を上げながら手にした枕を思いっきり振り回した。



 毛布と枕が乱れ飛ぶ部屋の中はもう大変な事になってるのだが、机の上とワゴンは、シルフ達が守っているので、全く被害を受けていない。

 息を切らせた五人の悪ガキが休憩しに来るまで、シルフ達は楽しそうに、カップの縁に座って暴れる彼らを見ていたのだった。

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