夕食と書斎
皆の拍手を受けて、もう一度壁登りを披露したレイだったが、地面に降り立った時に少しふらついた。
「あれ?」
咄嗟に倒れそうになって何とか踏ん張ったが、駆け寄ったロベリオとユージンに両側から支えられた。
「大丈夫か?」
「ありがとう。ちょっと疲れたかな」
誤魔化すように笑ったが、一気に汗が吹き出てきた。髪の毛の先や顎から地面に汗が滴って息も切れている。
「ガンディ、また様子が変だよ」
ユージンの声に頷いたガンディが駆け寄り、石の椅子に座らせたレイの様子を見る。タキスも隣で心配そうにその様子を見ていた。
「汗が、すごい、や」
息も少し切れているが、普段ならこの程度ではこんなに汗をかかない。
「問題無いが、今日はもう運動は終いじゃ」
ガンディにそう言われて背中を叩かれて、レイは悔しそうに頷いた。
まだまだもっとやりたかったが、確かに疲れている。汗のかき方も普段よりも酷いから、これも聞いていた竜熱症の後遺症の一つなのだろう。
「レイルズ、これを飲んで」
隣に座ったユージンが、執事が持って来てくれたカナエ草のお茶と丸薬を飲ませてくれた。
「ありがとうございます」
お礼を言ってグラスを受け取り、二杯目は自分で飲んだ。グラスを戻しながら改めて自分の姿を見て、服の色が変わるほどの汗に我ながら笑ってしまった。
一旦部屋へ戻り、まずタキスと交代で湯を使った。
念の為、湯を使う時に確認したが、特に打ち身なども無く、外で思いっきり体を動かせて少し気分はスッキリしていた。
身支度を整えると、タキスと一緒に食事の時に使っている広い部屋に戻り、少しの休憩の後、皆で一緒に食事をした。
初めて、夕食でナイフとフォークがテーブルに並べられていた。
「レイルズ、今はマナーは気にしなくて良いから、好きに食べて良いよ」
アルス皇子にそう言われて、レイは頷いた。
今日の夕食は、骨つき肉と茹でた夏野菜の盛り合わせ、他にも冷たいスープや見た事のない野菜もあった。
順番に出てくるそれらを、レイはいつものようにナイフとフォークを使って上手に食べた。
時々見た事の無いものが出た時は、手を止めて質問したりもしたが、特に遅れることも無く、皆と一緒に食べ終わった。
「驚いた。その歳で骨つき肉をちゃんと食べられるってすごいよ」
「これもニコスに教わったの?」
「そうだよ。最初は全然出来なかったけど、何度か教えてもらって上手く出来るようになったの」
感心する彼らの前に、デザートが置かれる。
甘く煮た桃やベリーを刻んでシロップに漬け、綺麗に硝子の器に盛り合わせてある。
「あ、このクリームってパンケーキについてたのと同じのだね」
嬉しそうなレイがそう言って、クリームと一緒に桃をすくって口に入れた。
思わず顔がほころぶ美味しさだった。
「冷たくて美味しいです」
お茶を出してくれた執事にそう言うと、彼はレイを見て少し笑ってくれた。
「お気に召しましたか、料理長に伝えておきます。どうぞごゆっくり」
一礼して下がった彼を見て、ロベリオとユージンが驚いている。
「どうしたの?」
不思議そうにレイが尋ねると、二人は顔を見合わせて笑った。
「あの堅物が笑ったぞ!」
「俺も初めて見た!」
「グラントリーは、レイルズの事を気に入ったみたいだな」
ヴィゴの声に二人も頷いた。
「良かったなレイルズ。あの堅物に気に入られるなんて、そうは無いぞ」
「これなら、何とかやっていけそうだ」
安心したように頷く彼らを見て、レイは不思議になった。
「えっと、執事さんってグラントリーさんって名前なの?」
「ああそうだ。彼は王宮の執事達の中でも厳しいので有名でな。特に新入りには厳しいんだよ。逆に言えば、彼が認めてくれる人物は間違いなく礼儀正しくて素晴らしい人物だって事。良かったなレイルズ。それなりの人物だって認めてもらえたようだぞ」
デザートを頂きながら、レイはタキスを見た。
「厳しいの? 執事さんは。最初から優しかったよね?」
「そうですね。私も特に厳しい事は言われませんでしたよ?」
顔を見合わせて首を傾げる二人を見て、皆、何と無く分かった。
彼らには嫌味が無いのだ。
無駄に自分達を卑下する事も無ければ、逆に、他の者達を妬む事もしない。常にそうある事がどれほど難しいか知っている身からすれば、彼らの自然体は尊敬に値した。
「成る程な。さすがは宮廷一の鑑識眼の持ち主と言われる彼だな」
「説得する為の安心材料が、一つ増えたな」
ヴィゴとマイリー、それにアルス皇子とガンディは、デザートのお代わりを入れてもらって喜んでいるレイを見ていた。
「グラントリー、そう言えばここにも書斎があったな。どうだろうか、レイルズでも読めそうな本はあるかい?」
デザートを片付けていた執事に、アルス皇子が尋ねる。顔を上げた執事は、少し考えて答えた。
「数は多くありませんが、殿下も読まれた児童書や小説などもございます。書斎をお使いになられますか?」
頷いたアルス皇子は、ロベリオとユージンにレイに書斎で本を見せてやるように頼んだ。
「分かりました。じゃあレイルズ、見に行ってみようよ」
立ち上がった二人に、レイが喜んでついて行く。あとを追おうとしたタキスに、マイリーが目配せして止めた。
どうやら、大人達だけで話がしたいらしい。
恐らく、この為に彼らがここに来ていた事を、タキスは思い出した。
執事の案内で連れていかれた書斎は、大きな壁一面を本が埋め尽くしていた。
部屋の真ん中の、大きなテーブルに置かれたいくつものランプに火が灯されて、部屋の中が一気に明るくなる。
本棚の枠に付いた金具にもランプが取り付けられた。
それから執事は、何箇所かの本棚の硝子の嵌められた大きな扉を開けて回った。
「この辺りが、お読みになるのに良い本があるかと思います。お読みになった本は、こちらの箱に入れておいて下さい。何かありましたら、そちらのベルでお呼びください。どうぞごゆっくり」
一礼して部屋を出て、静かに扉が閉められる。
レイは口を開けて、背の高い本棚を見上げていた。
「凄いね。こんなに本が沢山あるの初めて見た。えっと、あの上の方の本はどうやって取るの?」
背の高くなったレイでも、絶対に届かない位置まで本で埋め尽くされた大きな本棚を見上げた。
「これを使うんだよ」
本棚の端にあったのは、大きな階段だ。梯子と違い、箱型になっていて階段の横には手摺りまで付いている。
ロベリオが下に付けられた取っ手を引くと、静かな音を立てて階段が動いた。
「これは、本棚の前に置いて使う、高い位置の本を取る為の移動式の階段だよ。大きな書庫や書斎には、だいたい置いてあるね」
綺麗に磨かれた木目が輝いている。
よく見ると、手摺りには細かな模様が彫られているし、階段には綺麗な絨毯が敷かれていた。
「これで驚いてたら、城の図書館を見たら腰を抜かすぞ」
ロベリオの言葉にユージンも頷いた。
「確かにそうだよね。何度見てもあれは本当に凄い。それこそ、世界中のありとあらゆる本があるよね」
「あそこに無い本は無い、なんて言われるくらいだからな」
驚くレイに、二人は笑った。
「楽しみにしてて。本好きには天国みたいな場所だよ」
ユージンの言葉に、レイは大きく頷いた。
「それじゃあ、レイルズはどんな本が読みたい?」
「えっと、精霊王のお話は知ってるけど、他にはどんな本があるの?」
二人は、顔を見合わせて考え、ロベリオが提案した。
「じゃあ、レイルズはここに座って待っててくれよ。二人でまずはお勧めの本を何冊か持って来てあげるから、気に入ったのがあれば読んでみれば良い」
「あ、良いねそれ。じゃあ僕は図鑑関係を探すよ」
「そうか、じゃあ俺は……精霊王のお話が好きならあの辺りだな」
二人は頷き合うと、それぞれ本棚を探し始めた。
レイは座ってその様子を眺めていた。
「これは、植物図鑑と動物図鑑、それから幻獣図鑑。どれも綺麗な挿絵が沢山入っているから、見ているだけでも楽しいよ」
ユージンが分厚い本を何冊も取り出して持って来てくれた。
「こっちは、俺のお勧めの冒険小説。嘘つき男爵の大冒険。それから、幻獣に育てられた子供が騎士になるお話。幻獣少年。こっちは、虹の橋を探しに世界を旅する子供達の話、虹を探して」
ロベリオも、そう言って数冊の本を出してくれた。
どの本も、綺麗な革の表紙で、文字は金箔で押されている。
「懐かしい! 嘘つき男爵」
ユージンが嬉しそうに笑うと、そのうちの一冊の本を手に取った。
「面白いの?」
図鑑を手にしていたレイが顔を上げて聞くと、二人は大きく頷いた。
「絶対男の子は読むべき一冊だぞ! 俺、これを読んだ次の日には冒険に出る準備をこっそり始めたよ」
「窓から出るのが、正式な冒険の始まりなんだよね」
「そうそう。俺は本気で窓から出ようとして、父上に張り倒された」
「その武勇伝は聞いたことある!」
顔を見合わせて笑う二人を見て、この本は、後で絶対読もうと決めた。
でもまずは、この図鑑からだ。
「幻獣図鑑か。竜も載ってるぞ」
分厚い表紙を開き、机に置く。ゆっくりとページをめくるたびに、描かれた様々な美しい幻獣達にため息が漏れた。
「あ、ケットシーだ」
開いたページに載っていたのは、ケットシーだ。毛の色は少し違うが、大体こんな感じだった。
それを見て思い出したのは、春に出逢ったあのケットシーの親子の事だった。
「ケットシーって言えば、精霊王のお話にも出てくるよな」
「子供を助けてもらったケットシーの母親が、一行を匿うお話だね」
「あれを読むたびに、ケットシーのお腹に潜り込む夢を見たよ」
レイが開いたページを見たロベリオとユージンが、楽しそうに話してるのを聞いて、レイは嬉しくなった。
「僕もおんなじ事思ってた!」
その言葉に、皆笑った。
「あれは絶対思うよな。考えただけで幸せになるよ」
「ふかふかのお腹に潜り込んで寝たら、あったかいだろうね」
レイもうっとりしながら笑った。
「でも、実際のケットシーって獰猛なんだろ? さすがに実現するのは無理だろうな」
残念そうなロベリオの言葉に、レイは考えた。
「優しそうなお母さんだったけどね。でも、僕を見て最初は怒ったから、確かに獰猛なのかも……」
呆気にとられてこっちを見る二人分の視線を受けて、困ってしまったレイは小さく呟いた。
「あれ……これも、言っちゃいけない事だったのかな……?」
執事に案内されて部屋を出て行く三人を見送った大人達は、応接室に場所を変えた。
別の執事が、ワゴンに乗せた酒や氷、グラスやおつまみなどを用意していなくなるまで、誰も口を開かなかった。
立ち上がったマイリーとヴィゴが、人数分の酒と氷を手早くグラスに入れた。
「どうぞ。まずは乾杯しましょう」
手渡されたグラスを手に、タキスも立ち上がる。
「レイルズの無事の回復と我らの出会いに、精霊王に感謝と祝福を」
「精霊王に感謝と祝福を」
アルス皇子の声に、皆で答えてグラスを上げ、立ったまま一気に飲み干した。
新たな酒が注がれて、それぞれ席についた。
「そう畏まらんで良い。酒を用意したのはその為じゃ。遠慮なく話してくれて構わんからな」
そんな事を言われても、改めてここにいる顔ぶれを見て、タキスは怖じけずにはいられなかった。
「改めて言うのも何ですが、どうぞこれからもよろしくお願いします。我々は、この出会いに本当に感謝しています」
アルス皇子の改まった言葉に、タキスも居住まいを正した。
「こちらこそ、本当に、本当に感謝しております。あの子をお助け頂きありがとうございました」
グラスを置いて、深々と頭を下げた。
「どうぞ顔を上げてください。同じ竜の主として、当然の事をしたまでです」
顔を上げたタキスに、笑ったマイリーが新たな酒を注いだ。
「それから、保護者である貴方に、今現在の報告をしたくて参りました」
ヴィゴの言葉に、タキスは頷いた。
「レイルズの後見人の件ですが、最適な人物を思いつきました。交渉はこれからですが、話がまとまれば、彼との面会を含めて動きがあると思いますので、その際には貴方にも同席して頂きます」
「それは勿論ですが、一体それはどなたですか?」
当然のタキスの疑問に、アルス皇子がにっこり笑って答えた。
「私の母上です」
軽く言われたその言葉は、タキスの頭に入ってきても、言葉の意味を理解するのに相当の時間を必要としたのだった。
「殿下の、お母上……?」
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