ブルーの回復とお勉強
「まさか、あの古竜がオルダムまで来るとはな」
「しかもわずか二日で回復したって、実は思っていたより重症では無かったのか?」
ガイの言葉に、キーゼルは振り返った。
「いや。城のシルフによると、竜の主は血を吐いて運び込まれたそうだから、第四段階の後半だろう。それなら二日程度で回復する訳が無い」
「でも、回復して竜の背中に乗って飛んだんだろう?」
無言で肩をすくめるキーゼルを横目で見て、ガイは顔を上げた。
入り組んだ木々の隙間から、オルダムの街が見える。
「とりあえず、しばらくは様子見だな。念の為、城のシルフを増やしておいた」
「なんだよそれ、情報駄々漏れ」
堪えきれずに笑うガイに、真面目にキーゼルが答える。
「漏れたところで、我々以外どこにも出ないのだから問題あるまい」
「城の奴等が同じ意見だと良いんだけどね」
「永遠に知らんでいい事だ。しかし、あの城に古竜が住む事になるなら……今後は考える必要があるな」
「やっぱり、キーゼルでも古竜には敵わないんだ」
「一方的にやられるつもりは無いが、まあ……正面からやり合いたい相手では無いな」
「へえ、キーゼルがそんな事言うのって初めて聞いた。ってか、あの古竜に会った事あるのかよ?」
キーゼルは、無言で首を振って水筒から水を飲んだ。
「以前、一度蒼の泉へ出向いた事があるが、出て来てもらえなかった。シルフの伝言は伝わった様だが、向こうからの反応は一切無かった」
「何を伝えたんだよ」
「我らアルカディアの民達が各地でやっている事だ。しかし逆に言えば、古竜の足元にいても邪魔されなかった事を考えると、まあ認めてはくれているのだろう」
「どっちかって言うと、勝手にやってろ。が近いんじゃ無いか、それ」
「そうかもな。だがそれで充分だ。行くぞ」
彼らがいたのは、オルダムへ続く坂の途中の街道沿いにある森の中だ。しかし、オルダムへは向かわずに、そのまま森沿いにラプトルを走らせ、東のタガルノへ向かっていた。
「何だよ、キーゼルも稼ぎに行くのか?」
からかう様なガイの口調に、キーゼルは鼻で笑う。
「お前と一緒にするな。先日の国境での騒ぎは唐突で妙な部分が多かった。念の為、内情に探りを入れておく。今のこの世界で、一番不安定で危険な国だからな」
「あの国が不安定ってのには、全面的に同意するな。ちょうど良かった。せっかくだから、俺が感じた違和感の正体、キーゼルに確認してもらうよ」
「違和感だと?」
ラプトルを止めて、真顔で振り返ったキーゼルに、ガイが頷く。その顔に、先程までのふざけた顔は無かった。
「なんて言ったら良いのか分からないけど、とにかくあの国はおかしい。足元がざわついてる感じがして、ずっと気持ち悪かったんだ。ファンラーゼンに入った途端に無くなったから、やっぱり、あの国が原因なのは確実だと思う」
「成る程。気を付けて色々と見てみる事にしよう」
頷いて前を見る。
「よろしく!」
キーゼルの背にかけた言葉の軽さとは裏腹に、ガイの表情は真剣そのものだった。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
翌朝、いつもの様に起こしてくれたシルフに礼を言い、自分で着替えたレイは、タキスと交代で洗面所で顔を洗ってから、部屋に来てくれたガンディと三人で、用意された朝食を食べた。
昨日、竜騎士達が帰り際に、明日も来てくれると言っていたので、レイは嬉しくて仕方がなかった。
「今日は誰が来てくれるんだろうね」
カナエ草のお茶を飲みながら無邪気に喜ぶレイを見て、タキスはちょっと考えて言っておく事にした。
「レイ、竜騎士の皆様もお忙しいんですから、あまり無理を言ってはいけませんよ」
頷いたレイは、タキスを見て笑った。
「実は昨日、ちゃんとお別れするときに言ったよ。お城でのお仕事が忙しかったら、僕は大丈夫だからお仕事して下さいって」
「それで、なんて言われたんですか?」
ガンディも面白そうに、隣で聞いている。
「ここへ来るのも仕事のうちだから気にするなって、ロベリオとタドラに言われた!」
それを聞いた二人は、堪える暇もなく吹き出した。
「あいつらは全く……でもまあ、正しい答えだな」
笑いながら、ガンディがタキスの肩を叩いた。
「あいつらの言う通り。今のお前達は、竜騎士達にとって、いや、この国にとって最優先事項だからな。妙な遠慮はするな」
「お戯れを……」
困った様にガンディを見たが、彼の目は笑っていなかった。
「そのうち、嫌でも何か言って来るじゃろうから、それまでは好きに遊ばせてやれ」
「それまでは、ですか……」
「陛下は、誰かを後見人に立てる方向でお考えだ。人選は難航するだろうがな」
「今の貴族院の勢力関係が全く分かりませんので、何とも言えませんが……師匠はどうお考えですか?」
タキスの質問に、ガンディは顔をしかめた。
「誰を後ろ盾にするにせよ、政治と全く無関係というわけにはいかん。難しいな」
「政治と無関係で……ある程度の権力を持っている? 確かに、難しいですね」
「宗教関係者だと、また別の問題が出るからな」
「ああ確かに、貴族院とは違う派閥争いが酷いですからね。五十年経っても何も変わってませんね」
「少なくとも二百年前もそうだったぞ」
顔を見合わせて苦笑いする。
『おはようレイ、良い天気だな』
その時、レイの肩に現れたシルフが、ブルーの声で話し出した。
『今からそっちへ行くぞ。すっかり霊鱗も元に戻って、体力も完全回復だ』
レイの嬉しそうな声と、窓の外に大きな影が出来たのは同時だった。
「おはようブルー!」
お茶を飲んだレイが立ち上がり、駆け寄った執事よりも早く、勝手に庭に出る扉を開けて駆け出して行く。二人も立ち上がってそれに続いた。
朝日を浴びて、手入れされた緑の芝生の庭に立つブルーの姿は、見慣れた筈のレイも、思わず見とれるほどに美しかった。
大きな鱗は朝日を浴びて、あらゆる青の宝石をかき集めたかの様に煌めいている。毛先がわずかに水色の白の鬣も、先日の砂埃にまみれてうす汚れていた時とは違って、今は輝くほどの白さを保っている。
「綺麗……良かった。ブルーも元気になったんだね」
差し出された大きな鼻先に抱きついてキスをした。
先日の、くたびれて薄汚れ、明らかに弱って見えたブルーの姿は、レイにとっては衝撃だったのだ。
ましてや、その原因が自分を助けるためだったなんて。
込み上げる愛しさと哀しさで胸がいっぱいになって、どうして良いか分からなくなったレイは、無言で力一杯抱きついた。
分かっていると言わんばかりに低い音で喉を鳴らしてくれる気遣いが嬉しくて、目の前の額に何度もキスをした。
「おやおや、朝からお熱いですな」
からかう様な声と共に、竜達が降りて来た。
「おはようございます!」
抱きついた腕はそのままに、顔を上げたレイは大きな声で挨拶をした。
「おはよう。ラピスも元気になった様だな」
今日の顔ぶれは、ヴィゴとロベリオ、それからユージンの三人だ。
「おはようございます。午後からは殿下とマイリーも来るって言ってたよ」
あの二人が来ると言う事は、何らかの決定か、或いは相談があるのだろう。
タキスは頷きつつも不安を感じていた。
竜騎士達三人は、中には入らずブルーの側に立ち、その大きな身体を無言で見上げている。
「これは何と美しい……」
感極まった様なヴィゴの呟きに、二人も隣で頷いている。
「青の宝石を全部集めて、身体中に散りばめたみたいだ」
「すごいや、それに見て。身体の張りも、この前とは全然違うよ」
ひたすら感心する三人に、ブルーは喉を鳴らした。
「そんなに褒めても何も出んぞ」
そう言いつつも満更でもなさそうな様子に、レイが吹き出す。
「良かった、いつものブルーに戻ってくれて。せっかく王都にいるんだから、格好良いブルーを見てもらいたいもん。どの竜もすごく素敵だけど、ブルーが一番!」
そう言って胸元に飛びついた。
「ラピスよ、王宮の革職人達が其方のための鞍と手綱を作りたいと言っておるのだが、構わないだろうか」
ヴィゴの言葉に、ブルーは鳴らしていた喉を止めた。
「手綱と鞍?」
「ええそうです。竜騎士となるのに、さすがに鞍無しのまま乗るのは、まずいですからな」
「分かった。具体的には何をするのだ?」
ブルーの答えにホッとした様に頷くと、ヴィゴは近寄ってブルーの身体にそっと触れた。
「貴方は大きいですからな。念の為、サイズの確認をしたいそうです。良ければ職人達を午後からここに来させますので、身体に触ることをお許しください」
「好きにすれば良い」
「ありがとうございます。良い物を贈らせていただきましょう。それにしても美しい」
見上げた背中の鱗は、どれも形は整っていて大きく、光輝いていた。
「話はそれくらいにして、まずは中で涼まれよ」
確かに、外は日差しがきつく暑い。ガンディの声に頷くと、それぞれ中に入って行った。
第二部隊の兵士達が、水の入った桶を手押し車に積んでそれぞれの竜に運んで来た。
「今日は何をするの?」
入れてもらったカナエ草のお茶を飲みながら、レイが嬉しそうに尋ねると、三人はにっこり笑った。
「今日はお勉強だぞ」
「マイリーから頼まれてな。お前の学力を知りたいそうだから、今日の午後は試験をするぞ」
「試験?」
学校や寺子屋に行った事の無いレイは、試験を知らなかった。
顔を見合わせた三人は、何となく事情を察知して頷き合う。
「時間を決めて、紙に書かれた問題を読んで、その答えを指定された場所に書くんだよ。時間が終わればそこまで。書かれた答えが間違っていないか見て、正解だったら何点って採点するんだ。当然、点数は高い方が良い。分かった?」
「えっと、書かれた問題を解けば良いんだね」
ロベリオの説明に納得して頷いた。
ヴィゴは、持って来ていた袋から、まず何枚もの紙と数冊の分厚い本を取り出してタキスの前に置いた。
「これはガンディから頼まれて、貴方に渡す様に言われますた。ここにいる間は好きに読んでいただいて構わないそうです。紙やペンは用意しますので、好きなだけお使いください」
それは、最近書かれた新しい医学書や、ここ数十年分の白の塔の医療関係の報告書だった。タキスにとっては、欲しくてたまらない知識の宝庫だ。
「師匠! よろしいのですか?」
振り返ったタキスに、ガンディは当然のことだと言わんばかりに頷いた。
「まずは必要最低限の書物と書類だ。レイの容体が落ち着いたら、白の塔の書庫を解放してやるから、好きなだけ読むと良い」
「ありがとうございます!」
渡された本を抱きしめて、嬉しそうにタキスが声を上げた。
「本を読んでいいの? 良いなあ、僕も読みたい!」
レイの言葉に、ガンディは考える。
「それなら殿下に頼んでやろう。其方は城の書庫を見るといい。あそこなら其方が読める本も沢山あるだろうから、好きな本を好きなだけ読みなさい」
満面の笑みになるレイを見て、ロベリオ達はちょっと意外だった。
「へえ、本を読んだ事があるんだ」
自由開拓民の村から蒼の森の住民達の元へ行った少年に、こう言ってはなんだが、文化的な事に触れる機会はどう考えても無いと思っていたのだ。
そもそも、農民が文字を書けて計算が出来る時点で、普通では無い。
「精霊王の物語が大好きなの。上下巻持ってるよ。版画の挿絵が入ってるの」
自慢気に話すレイに、皆驚きを隠せなかった。
「へえ、すごいね。その本はどこで手に入れたの?」
ユージンが、興味津々で尋ねる。
「ブレンウッドの街の、ドワーフのギルドで貰ったんだよ」
「へ、へえ。貰ったって? そりゃあ豪勢だな。ドワーフのギルド」
ロベリオが呆れたように言ったが、当然だろう。本一冊の値段を考えたら、子供にほいほいあげられるようなものでは無い。ましてや、版画の挿絵が入っているとなると、通常の製本以上の技術が求められる。
「その話は、私も聞いた時に驚いて、同居人のドワーフのギードに確認しましたが、なんでもそれらの本は、ドワーフの若い者達が勉強の為にギルドの指導で作っている製本の練習用の物らしいですよ。ギルドに来た子供達にパズルやクイズを解かせて、出来た子にご褒美としてあげているそうです。なので、まあ出来としては、販売には値しない程度の物なのだとか」
慌ててタキスが解説すると、皆納得したらしく頷いていた。
「僕は、からくり箱を開けて上巻を貰って、それから春に、木の板で出来た組み木を解いて下巻をもらったの」
「え?待って! ドワーフのからくり箱って、もしかして、何処にも開ける蓋の無いあれか?」
ロベリオの叫び声に、全員がレイを見た。
「えっと、同じものかどうかは分からないけど、これくらいで四角い木の箱で中に木札が入ってたよ」
「じゃあ、多分同じだぞ、それ。少し前に王都で大流行したやつだ。開かないのに、何故か中が空洞になってる」
「へえ、あれ、開けたんだ……」
「すっげえなお前。今度持ってくるから、開けてくれよ」
ユージンとロベリオの二人は、すっかり感心している。
「同じかどうかは分かんないけど、見せてくれたらやってみるよ」
照れたように笑って、レイは頭をかいた。
「今年の丸い玉を分解する組み木細工は、バラせたんだけど戻せなかったの」
悔しそうに言うレイに、ガンディがにんまりと笑った。
「それは去年流行った物だな。城のドワーフ達に伝えておいてやろう。恐らく大喜びで届けてくれるぞ」
嬉しそうに笑うレイを見て、タキスも笑った。
どうやら、ここにいる間も、退屈する暇は無さそうだった。
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