計算問題と光の精霊
お茶の後、まずは計算問題の勉強をする事にした。
レイに用意された算術盤は、今まで使っていたものよりも少し大きめで、とても使いやすそうだ。何度か弾いて嬉しそうに顔を上げる。
「時間はどうやって計るの?」
不思議そうに尋ねるレイの目の前に、ガラスで作られた見た事も無い物が置かれた。
「これは砂時計と言って、ガラスの筒の中に細かい砂が入っているんだ。ほら、こうやってひっくり返すと、真ん中の細い部分を通して砂が落ちるのが見えるだろう?」
ヴィゴがそう言って実際に砂時計をひっくり返した。サラサラと細くなった部分から砂が落ちるのを、レイは呆気にとられて見ていた。
「すごい! 綺麗だね」
目を輝かせる無邪気さに苦笑いして、一旦砂を戻す。
「これが全部落ちるまでに答えを書くんだ」
そう言って、砂時計を自分の前まで下げると、今度は一枚の問題用紙をレイの目の前に置いた。
「まずは試しに一枚、やってみようか」
そう言って、問題用紙を見せて、指で問題の書かれた部分を指差す。
「ここに書かれている問題を解いて、その後ろにあるここに答えを書く。分かりますね」
頷いたレイが、算術盤を持ち直すのを見て、ヴィゴは砂時計をひっくり返した。
「それでは始め」
パチパチと、指先で算術盤の球を弾く音が響く。
ユージンとロベリオは、レイが真剣な顔で問題を解いているのを少し離れて黙って見ていた。
「へえ、ちゃんと算術盤を使えてるよな」
「そうだね。大したもんだ」
小さな声で囁きあっていると、もう最初の計算の終わったレイが答えをペンで書き、次の問題に進んでいた。
自分で言っていたように、四桁の足し算と引き算はちゃんと出来ている。
しかし、後半の三桁から五桁までが混ざった問題になると、一気に手が遅くなった。
「えっと……ここで繰り上がって、えっと……」
ブツブツ呟きながら必死で解いたが、途中で時間切れになってしまった。
「はい、そこ迄」
無情なヴィゴの声に、レイは悲鳴を上げた。
「ええ、まだ最後の問題まで解けてないのに!」
「時間配分も試験を受ける時には考えないとな」
試験問題を取り上げて、ヴィゴが笑う。
「うう、悔しい。全部出来なかった」
その場で採点するヴィゴを、皆無言で見ていた。
「ほお、前半は全部正解だ。こことここが間違ってるな」
桁の混じった後半の問題はやはり難しかったらしく、二問の間違いがあった。
「それでも大したもんだ。基礎は十分出来てるな。これなら、午後からの試験も何とかなるだろう」
感心するヴィゴを見て照れたように笑ったレイは、返してもらった紙を目の前に置くと、間違った問題をもう一度やり始めた。
驚く竜騎士達を尻目に、同じ問題を解いてはまた解き始めた。三回解いてようやく手を止めた。
「タキス、間違ってたところがちゃんと分かった!」
笑顔で計算問題を指差す。頷いたタキスは、隣に座ってもう一度解いてみせるレイの手元を見つめていた。
「そう、それで正解です。じゃあ、出来なかったこっちの問題もやってみましょうか」
頷いたレイは、黙々と解き始める。
「間違った問題だけ解き直すなんて、ちゃんと勉強の仕方が分かってる」
「ヴィゴ、計算問題は何とかなりそうですね。じゃあ、文章問題をやらせてみますか?」
ユージンの声に、ヴィゴは頷いて別の問題用紙を取り出した。
「正解! やった!」
何度もやり直して、無事に全問正解を出したレイは嬉しそうに顔を上げてタキスと手を叩き合っている。
「計算問題は大丈夫なようだな。次は文章問題だ」
また目の前に別の問題用紙が置かれた。
「そして、こっちが回答用紙。ここに番号が振ってあるから、問題を読んで、答えをここに書く。場所を間違えると答えが合っていても不正解になるから間違わぬようにな」
驚いて回答用紙を手にする。
「番号……これですか?」
「そう、答えはここに書く」
「やってみます。でもこれって……」
「まあ、まずはやってみなさい。意味が分からなければ、質問は聞くぞ」
頷いたレイが問題用紙を手にした。
「それでは始め」
タキスは少し離れて座っている。
「計算問題以外はやらせたことがないので、文章問題をきちんと理解して解けるか、ちょっと不安ですね」
レイは問題を真剣に読んでいたが、ふと顔を上げてタキスの顔を見る。
「レイ、質問はこちらに」
隣に座るヴィゴを手で示した。
「えっと、答えはどうやって書くんですか?」
問題は、五人がそれぞれ持っている籠に混ざって入っている果物の総合計と、それぞれの種類別の合計を答える問題だ。
計算自体は全く難しくはないが、文章で書かれた籠の中身をきちんと理解しないと解けない。
「答えは、ここに総合計、こちらにそれぞれ何が何個という風に答えるんだ」
どうやら、初めて見る回答用紙の番号の意味がよく分かっていないようだ。
「レイルズ。大きな番号が、この文章の答えの場所。丸で囲んである番号が、それぞれの質問の答えだよ」
横から、ユージンが問題を指差して回答用紙の場所をそれぞれに指し示してやる。
「あ、そう言う事か! 分かりました!」
大きく頷いたレイが、サラサラと答えを書いていく。
理解した後は早かった。何とか時間内に最後の問題まで解くことが出来た。
「はい、そこ迄だ」
回答用紙を手にしたヴィゴが、驚いた顔をする。答え合わせの結果は、見事全問正解だった。
「やった! 全問正解!」
満面の笑みで、タキスと手を打ち合わせる。
「これは見事だな。おお、そろそろ昼食の時間だな。それでは一旦休憩だな」
立ち上がったヴィゴに、皆続いた。
「良かったですねレイ。全問正解が出たので、また帰ったらご褒美がありますよ」
その声に、ヴィゴが振り返った。
「全問正解が出ると、ご褒美があるんですか?」
「だって、その方がやる気も出るでしょ?」
笑うタキスに、ヴィゴは頷いた。
「確かに。ご褒美には何を?」
「大したものではありませんよ。おやつが少し豪華になったり、お休みをもらえたり、街へ買い出しに出た時に好きな物を買ってもらえたりするくらいですよ」
「良いなそれ! 俺もご褒美欲しい!」
笑うロベリオに、振り返ったヴィゴがにんまりと笑う。
「一対一で俺から一本取れたら、何でも好きなものをやるって言ってなかったか?」
「もうちょっと、出来そうな事にしてください!」
ユージンと二人で、同時に同じ事を叫ぶ。
「今、出来ない事を目標にするから良いんだろうが。俺は打ち込んでくれる日を楽しみにしてるんだけどな」
「くそっ、いつか絶対一本取ってやる!」
ロベリオの叫びに、ヴィゴは嬉しそうに笑った。
「期待してるぞ」
昨日の圧倒的な強さを思い出して、レイはヴィゴを見つめた。
「ん、どうした?」
視線に気づいたヴィゴが、レイを見た。
「すごいや。僕もいつかヴィゴみたいになれるかな」
「おお、期待してるぞ」
嬉しそうに背中を叩かれて、レイは笑った。いつか本当に勝てるようになるんだと、密かに心に誓っていた。
「はい。頑張りますから、いっぱい教えてください」
振り返ったロベリオとユージンも、笑って拳を差し出してレイとぶつけ合った。
「絶対勝とうな!」
それぞれに顔を見合わせて、笑い合った。
昼食は、庭の日陰に机を出して皆で賑やかに食べた。
庭の竜達も、主達が食べているのを嬉しそうに眺めていた。
真ん中に出された移動式の焼き台で、肉や野菜を焼いて食べられるようになっている。
大きな肉の塊を焼いて、削ぎ落とすようにして切ってくれる。見たこともない焼き方に、レイの目は釘付けだった。
「しっかり食べなされ。野菜もな」
ガンディが、切り分けた大きな肉の塊をレイに取ってくれる。
「レイルズ、このパンに挟んで食べると美味いぞ」
ロベリオが取ってくれた平たい大きなパンに、肉と野菜をまとめて挟む。
大きな口で齧り付き、満面の笑顔になる。
「美味しい!」
隣ではロベリオも同じようにして噛り付いている。
「この食べ方が美味いんだよ。行儀悪いけど、野外でなら許される食べ方だからね」
笑ってまた齧る。二つも食べたらお腹はいっぱいになった。
「ご馳走様。もうお腹いっぱいです」
手早く片付けてくれる使用人達を見て、タキスにこっそり話しかけた。
「楽で良いけど、なんだか申し訳ないね」
「そうですね。森では、自分達で片付けるのが当たり前でしたからね」
ニコスの言っていた意味がよく分かった。しかし、何でもやってもらえるのが当たり前になるのは、果たして良い事なんだろうか。
不意に、不安になったレイだった。
食後のお茶を飲んで、レイはガンディの診察を受けるために一旦部屋へ戻った。
「問題無し。食欲もすっかり戻ったようじゃな。よしよし、この調子で頑張りましょうな」
渡された丸薬を飲んでから、一緒に庭に戻った。
「レイルズ、やって見せてよ!」
振り返ったロベリオが手招きしている。
「何があるの?」
ロベリオが持っているのを見て歓声をあげた。
それは、色は違うが見覚えのあるあのからくり箱だった。
「あ、僕がやったのより大きいね」
手渡された箱を見て笑った。
「どうやるんだよ!ほら早く!」
椅子に座ると、両側をロベリオとユージンが挟んで座った。
「えっとね、確かこの辺に……あ、これだ」
大きさは違うが、同じような筋を見つけて横にずらす。
「そしたら、今度はこっちを動かすの。ここを押して今度はまたこっち」
何度か繰り返して、ずれた部分が階段状に動いていく。
「あれ?これで開くはずなんだけど……」
順に動いていたのに、急に動かなくなってしまった。
「ここまでは、皆出来たんだよ!」
ユージンの声に、レイも困ってしまった。
「僕が開けた時は、これで開いたんだけどな……」
どうやら答えを知っているらしいヴィゴとガンディは、面白そうにこっちを見ている。
無言になったレイは、じっくりと開きかけた箱を観察する。
「こっちに動かして、ここを動かす……それなら、ここかな?」
動きを考えてみたが、出来る事はそう多くはない。一番有り得そうな出っ張った部分を、逆側に押し戻してみる。
「あ、動いた!ほら、これで開いたよ」
中には、一枚の金貨が入っていた。
「えっと、金貨が入ってたよ」
「……すっげえなお前」
「すごい、こんなに簡単に開けるの初めて見た」
二人が呆気にとられている。
「えっと、これはどうしたら良いの?」
手にした金貨を机に置いて、開いた箱をせっせと元に戻す。
「お見事。これは其方の取り分じゃ」
金貨を手に取ったガンディが、それをレイに渡してくれる。
「でも、こんな大金、もらえません」
首を振るレイに、ガンディは笑った。
「都会では色々と必要じゃからな。そう言わず、貰えるものは貰っておきなされ」
「師匠……」
「気にするな。しかし見事に開いたな。ならばこっちはどうじゃ?」
次に手渡されたのは、ブレンウッドの街で出来なかった組み木に似た、四角い形の物だった。
頷いて挑戦するレイと、横から口と手を出して騒ぐ二人を、大人組は笑いながら飽きもせずに眺めていた。
「バラせたけど、やっぱり組めない!」
「駄目だ。難しすぎるぞこれ……」
「絶対無理! これ考えた人の頭の中どうなってるんだよ」
机の上は、バラされた木片が散らばっているが、組み立ては全く進んでいない。
それぞれに唸って上を見上げる。
「あ、時間切れだ。隊長とマイリーが来たぞ」
ロベリオの声に振り返ると、よく晴れた空に真っ赤な竜と白い竜が飛んでくるところだった。
「アメジストって、遠くから見ると白く見えるね」
レイの声に、ユージンが答えて立ち上がった。
「まあそうだね。でも大きさや翼の形が違うから間違う事はないし、並ぶと明らかに色は違うよ」
「でも確かに、ここから見たら白に見えるな」
ロベリオもそう言って立ち上がった。
慌ててレイも立ち上がる。
庭に二頭の竜が並んで降りてくるのを、うっとりと眺めていた。
「綺麗だね。竜って、どうしてこんなに綺麗なんだろうね」
思わず呟くと、両隣の二人も、大きく頷いた。
「そうだよね。本当にどの子も綺麗だ」
「何度見ても、見慣れるって事が無いよな」
ユージンとロベリオも、そう呟いた。
竜の背から降りて来た二人の為に、机の上は片付けられて新しい冷たいお茶が用意された。
「さすがに暑いな。冷たいお茶が美味しいよ」
二人とも、注がれたお茶を一気に飲み干す。
「それで、勉強はどんな感じだ?」
座り直したマイリーに、ヴィゴが答える。
「算術盤を使った計算問題と、文章問題をやらせてみたが上々の出来だ。とりあえず、落ち着いたら一度試験をやってみよう」
相談を始めた二人を見て、レイは不安になった。
「あの問題、またやるの?」
ユージンが頷いて教えてくれた。
「計算問題だけじゃなくて、他の科目もやるから、教科によっては分からないのもあるだろうね」
「確かに、歴史は無理だろう」
「精霊魔法は?」
突然聞かれて、レイは答える。
「えっと勉強中です」
「系統立てて教えて貰ってる?」
「系統?」
ユージンの質問の意味が分からない。
「そうだよな。普通なら絶対に実戦形式で習うだろうから、これも無理かもな」
「ああ、それは教えてませんから無理だと思います」
その呟きに、後ろからタキスが答えた。
「やっぱりそうですよね。現場でははっきり言って意味のない事だし」
「意味がないとまでは言いませんが、ある程度全体を理解してから教えようと思っていたので、まだ全く手付かずですね」
意味が分からず不思議そうに見ているレイの横で、タキスとユージンとロベリオは、なにやら魔法談義を始めてしまった。
その時、振り返ったマイリーが声をかけた。
「ロベリオ、タキス殿は光の精霊魔法の変化の術を使われるそうだ。お前、この際だから教えてもらえよ」
「ええ! それは凄い! お願いします。是非ご教授ください!」
叫んだロベリオの肩の上に、光の精霊が二人現れた。
「あ、光の精霊だね。こんにちは」
笑ってそう言ったレイの言葉に、その場は静まり返った。
ゆっくりと振り返ったロベリオが、自分の肩に座った光の精霊を指差して恐る恐る尋ねる。
「レイルズ。お前……こいつが見えるのか?」
「うん。もちろん見えるよ」
簡単に答えたレイに、竜騎士達とガンディは言葉も無く、レイルズを見つめていたのだった。
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