竜の主の存在意義

 タキスは、レイを見つめてゆっくりと頷いてから口を開いた。

「まず、言っておきます。私は貴方を手放す気は有りません。仮に、貴方を私達から奪うような事をされたら……」

「されたら、どうするの?」

「貴方をさらって、何としてもここから逃げますよ。蒼竜様に森を閉じて貰えば、もう誰にも手出し出来ませんからね」

 物騒な事を当然のように笑って言う。

「タキス……タキスって、実は怒らせると怖いよね」

 冗談めかしてレイは言ったが、タキスは笑わなかった。

「私は一度、人間に息子と私の全てを奪われました。結果的には良かったのでしょうが、あの時のあの人間達の行動が正しかったとは、到底思えない。だからもう迷いません。私は私の大切なものを何としても守ります」

 もう一度、大きくなったレイを抱きしめた。

「でも、だからと言って、貴方を私達の元に縛るのは間違っています。私も、ニコスもギードも、一度は人の世界で生き、それぞれに沢山の出逢いと経験を積んで、その結果として森に暮らすようになりました。私はアンブローシアと出逢い、大恋愛の末に皆に祝福されて夫婦になりました。そして、エイベルを授かり彼女を喪いました。貴方が、お母上を亡くして蒼竜様と出逢ったようにね」

 タキスの、レイを見つめる目に涙が浮かぶ。

「貴方があの時に経験した事は、それはそれは辛い事でしたね。でも、まだ貴方の人生は始まったばかりです。この先ずっと森に篭って、私達とだけ暮らしますか?」

「でも……」

「世界は広い。貴方のその目でそれを確かめなさい。知識と技術と経験を積んで、大勢の人と出逢い、別れも経験なさい。それでも森で暮らしたいと思うならそうすれば良い。初めから、経験した事も無い事を否定するような子には、なって欲しく有りません。私の言う事が分かりますか?」



 レイは黙って頷いた。



「でも、じゃあ僕はここで何をすれば良いの?」

「貴方一人ではありませんよ。貴方には、蒼竜様がついています」

 二人は揃って窓を振り返った。ブルーが黙ってこっちを見ている。

「ブルー、僕と一緒にいてくれる?」

 その問いに、ブルーは笑ったように目を細めた。

「言ったはずだ。其方のいるところが我のいる場所だと」

 振り返ったレイに、タキスは頷いてその頬を撫でた。

「この先は、彼らから話を聞いてください。竜の主とは、どう言う存在なのかをね」

 もう一度抱きしめると、タキスは左側の扉まで行ってその扉を開いた。




 廊下には、先程別れたガンディと、三人の背の高い人間の男の人が立っていた。見た事の無い真っ白な軍服を着ている。

 腕と足の両サイドに二本の金線が入っている。その腰には、大小二本の剣。

 そして、胸元には柊を抱いた竜の紋章。

 それは、母さんが聞かせてくれたお話に出て来た、竜騎士様の紋章だ。

「柊と竜の紋章って……」

「紹介しよう、レイルズ殿。竜騎士隊の隊長を務めるアルス皇子、そしてマイリー副隊長、それから隊員のヴィゴだ」

 ガンディの声に、ベッドに座ったまま、レイは呆然と三人を見つめた。

「初めまして、レイルズ君。アルスです」

「よろしく。マイリーです」

「ヴィゴです、よろしく」

 差し出された手を握り返したが、頭の中は真っ白で、何て答えたら良いのか、全く分からなかった。

 無邪気に憧れていた竜騎士様が、いま、目の前で自分に挨拶してくれている。

 我に返って、慌てて自己紹介した。

「えっと、初めまして。レイルズ・グレアムです。あの……」

「まずは座られよ。レイルズ殿もこちらに来られよ」

 ガンディに手招きされて、恐る恐る席に座る。

 タキスが横に座って、テーブルの下で、レイの手に手を重ねてくれた。



「あの、出来れば一緒に話をしたいので、森の家族を呼んでもよろしいですか?」

 タキスの言葉にガンディが頷き、竜騎士達に何か言った。

「どうぞ、呼んでください」

 アルス皇子がそう言うと、机の上にシルフが現れて並んで座った。


『ニコスでございます』

『以前森をお訪ねくださった時にお会いした黒い髪の竜人です』

『どうぞよろしくお願い致します』

『ギードです』

『同じく以前森でお会いしましたドワーフでございます』

『どうぞ良しなに』


 彼らの声で滑らかに話すシルフ達を見て、竜騎士達は声も無い。

「気にするな。あの古竜が呼んでくれておるのだから、別段可笑しくは無かろう」

 アルス皇子が、首を振って小さな声で呟いた。

「これはまた、随分と豪快な先制攻撃だな」

 褐色の肌のマイリー副隊長も、苦笑いして顔を上げた。

「レイルズ君、単刀直入に言おう。我々は、君を竜騎士候補として受け入れるつもりだ。どうだね? ここで竜騎士になる為の訓練を受けてみるかい?」

 驚いてタキスを見た。タキスは真剣な顔で見つめ返してくれた後、しっかりと頷いた。レイも小さく頷く。

「でも、僕に出来ますか? 僕は自由開拓民の村の出身で、家族は、森にいる三人だけです。えっと、竜騎士様になる訓練って、そもそも何をするの?」

 少なくとも、最初に否定の言葉が出なかった事に、三人は安堵した。

 そして、ここからが本番だ。彼に理解してもらわなければならない。竜の主の存在意義を。




「貴方は、あの古竜の主です。そもそも、竜の主とはどう言うものか分かりますか?」

 マイリーが、代表して口を開いた。

「えっと……」

 初めてブルーと出会った時の事を思い出した。

「僕がブルーから聞いたのは、人の言葉で言うなら……婚姻の誓いが一番近いんだって聞きました。共にあり、支え合う魂の伴侶だって……」

「ある意味、間違ってはいませんね。確かにそれが分かりやすく言えば一番近いでしょう。ですが、人同士の夫婦と違うのは、関係が自分達だけの事では無いと言う事ですね」

 意味が分からない。

 不安になってタキスを見ると、彼は笑って背中を撫でて教えてくれた。

「精霊竜には、当然、その竜と共棲する精霊達がいます。ましてや蒼竜様は最強の古竜。精霊達の数も桁違いです。と言う事は、精霊魔法の威力も桁違いだと言う事です。ここまでは分かりますね?」

 タキスの説明に頷いて、闇の眼と戦った時の事を思い出す。

 あの時の、ブルーが放った青い雷の威力は凄まじかった。あれを、もし人に放ったとしたらどうなるだろう。思わず背筋に震えが走った。

 タキスの後を継いで、マイリーが説明を続けた。

「その力を、精霊竜だけが持っているのなら問題ありません。この国で産まれて育てられた精霊竜達は、きちんと管理された環境で、人の手により世話をされていますからね。ですが、あの古竜のように、人の世話を受けていない精霊竜の場合、少し事情が異なります」

「何が違うの?」

「その話の前に、知識として知っておいてもらわなければならない話があります。いにしえの誓約、この言葉を聞いた事はありますか?」

 マイリーの問いに、レイは頷いた。

「えっと、精霊王のお話にも出て来ますよね。古の誓約により貴方に味方する、って言って幻獣が味方になる……」

「よく出来ました。物語の中では、冥王が目覚めた時、精霊王もまた目覚め、全ての幻獣と精霊達は精霊王に味方せよ。こんな感じの説明で話の中に登場します」

 レイの大好きなお話だ。嬉しそうに頷く彼に、マイリーは驚くべき事を告げる。

「そもそも、精霊王の物語は、実際にあった事です。勿論、様々な脚色がなされて今の物語として残っているのですが、あれは実際にあった事です」

 これが、ただの人から話されたのなら、何を冗談をと笑い飛ばすだろう。しかし、ここにいる誰一人笑わなかった。

「真実? 本当に冥王が目覚めたの? そして、精霊王が戦ったの?」

 頷いたマイリーは、話を続けた。

「物語で語られる古の誓約は、ほんの一部に過ぎません。元は、精霊王の物語よりもさらに遥か昔、我が国さえもまだ無かった時代に当時の人の王と精霊王との間で交わされた、正に、正真正銘の人と精霊の始まりの誓約です」



 タキスはレイの手を握りしめた。これを聞いたらもう後戻りは出来ない。

 レイもまた、そのタキスの手をしっかりと握り返した。



「竜の背山脈の遥か北。決して入ってはならぬ場所がある。竜の背山脈を越えてはならぬ。その場所は神聖にして侵すべからず。聖なる結界を守りし精霊竜を遣わす。彼らと共にあれ。彼らがそこにいる限り。聖なる結界は守られる」

 アルス皇子が語るその言葉は、静まり返った部屋に響いた。

「我らは守る。この世界を、我らを要石かなめいしとして守る。神聖なる我らの精霊王に永遠の誓いと忠誠を」

 窓の外から、ブルーが静かな声でそう続けた。



「やはり、貴方もそうなのですね」

 アルス皇子が、顔を上げてブルーを見る。

「其方の竜が、この国の要石であるように、我もまた、要石の定めを背負う身。人の子よ、正き道を進むが良い。人がそうである限り、我もまた共にあろう」



 話がよく分からなくて困っていると、幾人ものシルフが現れて、レイの肩や頭に乗った。

 彼女達は、先を争うようにレイの頬や頭に何度もキスをした。


『大好き大好き』

『このままでいて』

『大好き大好き』


「ありがとう。僕も大好きだよ」

 近くのシルフにキスを返す。肩には火の守役の火蜥蜴まで現れた。

「あ、久しぶりだね。そう言えば、暑くなってからあんまり遊んで無かったね」

 笑って顎を掻いてやると、嬉しそうな火蜥蜴はその指に頭を擦り付けた。

 容易く火蜥蜴に触れるレイを、竜騎士達とガンディが見つめていた。

「それらを理解した上で、竜の主である貴方には、その精霊達を制御する知識と力が求められます。その古竜程であれば……まあ、話は別かも知れませんがね」

 苦笑いするマイリーの言葉をブルーは鼻で笑った。

「人の世界は色々と面倒だな。要は、竜の主の成すべき事は、己が守るべきものを惑う事なくしっかりと見定めよ。それだけだ」

「そう言われると、返す言葉も有りません。確かに面倒は多い。なれど、守るべきものは見えております」

「この国の安寧。そして、共にある精霊竜と精霊達が、穏やかで自由である事。それだけです」

 アルス皇子の言葉に、マイリーが続ける。

 満足したようにブルーは目を細めた。

「我が森で眠っていた間に、少しは人の子も成長したようだな。少なくとも我を鎖で繋ごうとする者は、もういないようだな」

 その言葉に、三人の竜騎士は、弾かれたように顔を上げてブルーを見た。

「今、何と言われた? 貴方を鎖で繋ごうとした?」

「如何にも、前の主を亡くした直後、次は自分を主に選べと寄って集って喚き散らした。無視していたら更に騒ぎ立て、挙げ句の果てに呪をかけた鎖を出して来た。さすがにそれは我慢出来なかった…」

 三人は立ち上がると、ブルーのいる窓辺に駆け寄り一斉に膝をつき頭を下げた。

「愚かな先祖の犯した行為に、心からの謝罪を。愚かな我ら人間を見捨てずにいて下さった、寛大なお心に感謝します」

 黙って跪いた三人を見ていたが、そっとアルス皇子の肩に鼻先を寄せた。

「確かに詫びは受けた。もう良い、立たれよ。其方達は、確かに信頼に値する人間であるようだ」

 その言葉に、そこにいた全員が笑顔になった。



「しかし、レイルズ殿は森でやり残してある事が有るそうじゃぞ」

 笑って言ったガンディの言葉に、マイリーがレイを見た。 

「えっと、畑仕事が残ってるの。たくさん種を蒔いたから、秋の収穫の時期まで手入れしないと……」

 竜騎士様に畑仕事の説明をするなんて、自分は何をしているのだろう。

「畑仕事……」

「うん、確かに大事だな」

 笑ったアルス皇子が、ブルーに提案した。

「一旦、彼を森へ帰らせる事も可能ですが、念の為、我らのシルフを供につける事が条件です。如何ですか?」

 その提案に、ブルーは頷いた。

「良かろう。森に張った封鎖の術を解いておく故、其方達、竜の主は森への出入りを許す」

「話はまとまったようですね。彼が森へ戻っている間に、我らは受け入れ態勢を整えましょう。準備が出来次第、彼をこちらに。ですが、森の貴方達と縁を切らせるつもりはありません。どうぞ、今後も家族として自由に会って頂けます。必要なら、街での住居も用意します」

 アルス皇子の提案に、タキス達は呆気にとられた。

 まさに今から、それを提案して受け入れてもらおうと必死で考えていたのに。

「よ、よろしいのですか? それは余りに、我らに都合が良すぎます」

「せめてもの我らからの謝罪と感謝の印です。それに、エイベル様のお父上との縁を我らが拒否するとでも?」

 笑って差し伸べられたその手を、タキスは笑って握り返した。

「ありがとうございます。生きていれば……こんな日も来るのですね」

 傍のレイを見て、タキスはまた泣き出してしまった。

 笑って横から抱きしめるレイとタキスを、皆も笑顔で見つめていた。

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