アルカディアの民と癒しの術

 ニコスの呟きに、男は笑って首を振った。

「またずいぶんと懐かしい呼び名だ。久し振りに聞いたよ」

 ニコスが口を開こうとするのを手を上げて止めると、黙ってもう一度首を振った。

「ただの祭り見物に来た暇人ひまじんだよ、気にするな。それじゃあ、坊やは確かにお返ししたからな。もう目を離すんじゃ無いぞ。坊や、この時期は人出がいつもとは桁違いだぞ。勝手な行動はくれぐれも慎むように。良いな」

 もう一度、レイの頭を撫でながらそう言うと、堪え切れないように笑った。

「しかし面白い取り合わせだな。ドワーフと竜人、術で姿を変えた人間の子供、それから……暇人」

「誰が暇人だ」

 呆れたような声がして、男の頭を叩く者がいた。

「おおキーゼル、もう用事は済んだのか?」

 現れた背の高い男もまた、彼とほぼ同じ黒衣、黒い革の胸当てを身につけ、腰には大小二本の剣を装備していた。

「すまんな。こいつの戯言ざれごとは気にせんでくれ。まだ若木なので言葉の真の意味を知らぬ」

「おいおい。俺が若いって……自分を基準に考えるな」

 キーゼルと呼ばれた男は、大きなため息を吐き、今度は遠慮なく拳を彼の頭に落とした。

「痛っ! 何するんだよこの乱暴者。助けて坊や、キーゼルが俺の事を虐めるよ」

 笑いながらレイの後ろに隠れる。まあ、残念ながら実際には全く隠れられてはいなかったが。

 レイも笑いながら、彼を隠すように手を広げて羽ばたくように動かした。

「何をやっとるんだお前は。全く、勝手な行動ばかり取りおって。祭り見物は終わりだ、蒼の森へ行くぞ」

「ええ! 祭りが終わるまでいるんじゃなかったのかよ」

 不満げに口を尖らせる彼の耳元に顔を寄せて、小さな声でこう言った。

「蒼の森の大老のところにご挨拶に行くぞ」

 しかし、すぐ近くにいたレイの耳には、残念ながらその言葉は聞こえていた。

「森の大爺の所に行くの? よろしくね」

 咄嗟にニコスが後ろから手を伸ばしてレイの口を塞いだが、残念ながら間に合わなかった。

 呆気にとられた男達の視線を浴びて、レイは思わず口を噤む。どうやら、これは言ってはいけない事だったようだ。

「し、失礼します……」

 レイを抱えるようにしてその場から立ち去ろうとしたニコスだったが、キーゼルに止められた。

「待たれよ。今の言葉、どう言う意味だ?」

「子供の戯言でございます、どうかお気になさらず……」

 振り返ってそう言ったが、視線はキーゼルを睨んだままだ。お互いの為にもこれ以上関わるな。視線でそう伝える。

 その時、ギードが前へ出てキーゼルの側に行き、何かを耳打ちした。

 キーゼルが目を見開いてレイを見る。それから視線をギードに戻すと、ゆっくりとギードは頷いた。

「成る程失礼した。ガイ、行くぞ」

「え? おい、ちょっと待てよ」

 振り返りもせずに、さっさと歩き出したキーゼルの後を、慌てて追った。

「じゃあな、坊や。またどっかで会えたら遊ぼうぜ」

 そう言って、振り返って笑いながら手を振ると、そのままあっという間に人混みの中に消えてしまった。



「えっと、今のって……」

 ニコスがレイの目の前にしゃがんで眼線を合わせる。

「レイ、森の大爺の事は迂闊に他の人に話してはいけないんだよ。すみません。言っておくべきだったな」

「どうして?」

 不思議そうに尋ねるレイの肩を叩いて、ニコスは立ち上がった。

「この話は、また今度ゆっくりしよう。さて、買い物は、後は何があったかな?」

 ギードは、引いていたポリーの手綱をニコスに渡すとにっこり笑った。

「解決したようじゃな。じゃあ、わしはもう一軒寄る所があるで、ちょいと行ってくるわい」

 そう言って、ギードもあっという間に通りを抜けて行ってしまった。

「レイ、俺達も行こう、後は果物をもう少し買わないとな」

「えっと……うん、分かった」

 レイも、気を取り直してニコスの後に続いた。




「それで、迷子の女の子は、無事にお母さんと再会出来たのか?」

 ニコスが、歩きながらこの騒ぎの原因になった女の子の事を聞いてみると、レイはちょっと躊躇った後、寂しそうに笑って頷いた。

「うん、銅像のところで見つけたの。お母さんに抱っこしてもらってたよ。でも……怒られてた」

「それは良かったな。でもレイ、今度から迷子の子を見つけたら、近くのお店の人に言うと良いんだぞ。そうしたら、ちゃんとお店の人が警備兵を呼んでくれて親を探してくれるから」

「そうなの? 分かった、もしまた迷子を見つけたら次はそうするね」

 なんだか元気が無いレイを見て、ニコスは立ち止まった。

「レイ、ちょっとお腹が空いたからおやつにしようか」

 丁度目の前に、いくつかの食べ物屋の屋台が出ている。

「この前来た時に食べた、揚げたお芋が美味しかったよ」

 嬉しそうにレイが言うのを聞いて、ニコスは思い出した。

「ああ、それならあそこかな。もっと甘いのもあるぞ」

 一軒の店の前で立ち止まる。

「いらっしゃい。どれも揚げたてだよ」

「そっちの白いのと赤いの、それから……その甘い密のかかってるのもお願いします」

 ニコスがお金を払い、紙のように薄く削った木で包んだ品物をまとめて籠に入れて貰う。慌てて横からレイが受け取った。

「そっちの椅子で食べてくれていいぞ」

 店主が示す店の横には、小さな机と椅子が設置してある。

「じゃあ、使わせてもらいますね」

 レイから籠を受け取ったニコスが、ポリーの手綱を引いて机に向かった。

「さて、食べるとするか」

 机に籠を置くと、包みを順に開けていく。

「これが、いつも食べてるじゃが芋だよ。この赤いのは、甘い芋をそのまま素揚げにしたもの。俺はこれが好きだな。こっちはその素揚げした芋に、更に甘い蜜をからませてある。レイはきっとこれが気にいると思うぞ」

 それぞれの芋には、小さな楊枝が刺さっていて、そのまま食べられるようになっていた。

「じゃあ、お勧めの甘いのをもらうね」

 一口食べて、目を見開く。満面の笑みで、もう一つ口に入れた。

「おじさん。これとっても美味しいね!」

 しっかり飲み込んでから振り返って、大きな声で店主に話しかけた。

「気に入ってくれたかい坊や。その蜜は、秘伝の味付けなんだぞ」

 振り返った店主が嬉しそうにそう言うと、ちょっと焦げた芋を追加で持って来てくれた。

 美味しいと喜ぶレイのその声を聞いて、何人かの通行人が足を止めて買って行った。

 初めて食べる美味しいおやつを、レイは夢中になって食べた。ニコスはどれも少し食べただけで、後は全部レイが食べるのを嬉しそうに見ていた。

 水筒の水を飲んでから、店主に礼を言って籠を返した。

「さて、行こうか」

 立ち上がったニコスに水筒を返しながら、レイはさっきの黒衣の男の人がしていたのを思い出した。

「あのね、さっきのあの男の人にお水をもらったんだけど、凄かったんだよ。蓋のところに水の精霊ウインディーネを入れておいて、水が減ったら蓋をして振るんだって、そうしたら水が満杯まで出てくるの」

「そんな事……まあ、彼らなら容易いんだろうな」

「それって、簡単にやってたけど、やっぱりすごい事だよね。ずっと精霊が中にいてくれるんなんて事、出来るの?」

 ニコスはちょっと考えて答えてくれた。

「まあ、普通は無理だな。一度だけなら頼めばやってくれるだろうけど、直ぐにいなくなるよ……ま、アルカディアの民には簡単な事なんだろうよ」

「さっきも言ってたけど、アルカディアの民って何? 僕、初めて聞いたよ。それにマクロビアンって言葉も初めて聞いたよ」

「それは……宿に帰ったら、ゆっくり話してあげるから、ちょっと待ってな」

 道を歩きながら出来る話では無い。ニコスが笑ってそう言うと、レイは納得したのか頷いて周りを見た。

「あ、果物売ってるお店がいっぱいあるよ。どこで買うの?」

「こら、急に走るんじゃない。転ぶぞ」

 お店のある通りに向かって走って行くレイの背中に、ニコスは笑いながら声を掛けた。

 どうやら、甘い物で機嫌は無事に戻ったらしかった。






 その頃、東の国境の砦には、王都オルダムから派遣された第四部隊が到着していた。

 彼らの主な役目は、国境に張り巡らした結界の修復と、負傷した兵士たちの治療だ。

 国境に近いピケの街の駐屯地に運ばれた負傷兵達も、すでに別の第四部隊の兵士達が治療に当たっている。

 精霊魔法を使える彼らの中には、治療の術の心得のある者も大勢いる。

 しかし、治療の術とは言っても、一瞬で怪我が治るような事は無い。あくまでも補助する事が出来る程度なので、外傷の場合、痛みを軽くしたり、出血を一時的に抑える程度だ。

 それでも、それがあるだけでどれ程助かる者がいるか、皆、身を以て知っていた。



 砦で養生するルークも、その恩恵に預かる一人だった。



 竜騎士である彼には薬がほぼ効かない為、かなり強い痛み止めでもほとんど効かない。その為、腕の激痛にずっと悩まされていた。

 皆の手前大丈夫だと強がってはいたが、実は痛みでほとんど眠る事が出来ず、三日目には、明らかに疲れ切って誰が見ても分かる程に弱っていた。

「ナディア! 待ってたよ、すぐルークの所に行ってやって!」

 砦に到着した彼女を見て、駆け寄ったタドラが思わず叫ぶ。彼女は、竜騎士隊付きの医療兵の一人だ。

「ルーク様はどちらに?」

 彼女がタドラの声に応えて乗っていたラプトルから飛び降りる。頷いた上官に背を叩かれ敬礼すると、装備を持ったままタドラの後を追った。

 小走りに案内された部屋に入ると、そこにはすっかり弱ったルークがベッドに横になっていた。

「……ナディア?」

 目を開けたルークが、小さな声で彼女の名前を呼ぶ。

「遅くなりました。直ぐに処置しますので、楽にしていてください」

 装備を足元に置くと、ルークの左腕に自分の右手を当てる。



 しばらくすると、彼女の掌が次第に熱を帯び始める。



 ルークが身震いして、ゆっくりと大きく深呼吸をした。

「痛みが楽になってきたよ。本当にナディアの術はすごいな」

 しかし、彼女は厳しい顔のまま手を離さない。

 施術を行う彼女には分かっていた。強がって平静を装っている彼が、どれほどの痛みにずっと耐え続けているのかを。

 彼女の掌には、癒しの術を跳ね返すような強い反動がずっと来ている。これは、彼の痛みが殆ど引いていないことを示しているのだ。

 具体的に何かが目に見える訳では無いが、彼女はこの反動を、治療を施す際の一つの目安にしていた。

 全く引かないこれ程の反動は、彼女にも久しぶりの事だ。

「ルーク様、少しでも痛みが和らぐようにしますから、どうかその間だけでもお休みになってください」

 彼女には、それしか言えなかった。

 その後、気絶するように眠ってしまったルークの側で、彼女は交代の医療兵が来てくれるまで、ずっと施術を続けていた。

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