綿兎の毛糸と竜騎士隊の若者達

 優しい春の雨が降る日は、農作業はお休みだ。

 午前中、いつものように家畜や騎竜達の世話をした後、綿兎の毛を紡ぐと言うので、作業部屋に見学に来ている。

 そこには、大きな糸車が二台置いてあった。

 壁一面には、シルフ達の手により綺麗にされた綿兎の毛が、ひと抱えほどの袋に詰めてたくさん置かれていた。

「ここで綿兎の毛を、糸車を使って毛糸に紡ぐわけだが、いきなり紡ぐわけじゃない。そこでまず、これを使う」

 ニコスが取り出したのは不思議な道具だ。

「ドラムカーダーって呼んでる。この、尖った針がたくさんついてる丸い筒状のローラー部分に、綿兎の毛を絡ませて、繊維の方向を一定に整えてやるんだよ。それを巻き取ったのをたくさん作ってから毛糸に紡いでいくんだ」

 そう言うと、袋からふわふわの綿兎の毛を取り出し、少しほぐしながら、ドラムカーダーの針に毛を引っ掛けて、横のハンドルを回しながらどんどん巻き取り始めた。

 レイも横に座って、綿兎の毛が無くなったら補充するのを手伝った。

「村で母さんがやっていたのは、大きなブラシみたいなカーダーを手に持って、少しずつカーダーの針に手で羊の毛を引っ掛けてたよ。これだと、一気に沢山作れるから、すごく良いね」

 カーダーは、尖った針がたくさん付いていて危ないからと、触らせてもらえなかったのだ。

「ああ、確かにそれよりはこっちの方が効率は良いな。って事でどんどんかけていくぞ。ちなみに、ここで皆のセーターに使う分を紡いだら、残りは、街のドワーフのギルドに引き取ってもらうのさ」

「そうだよね。これ全部紡ぐのかと思ってびっくりしたよ」

「さすがにこれ全部は、俺でも無理だよ」

 積み上がった袋を見ながら、ニコスがうんざりしたように笑った。



 お昼ご飯の準備の為にニコスが台所に行った後は、タキスが交代してドラムカーダー担当だ。

 お願いして、レイも少しだけ手伝わせてもらった。

「ここに来て、知らなかった事がいっぱい知れたよ。皆物知り。凄いな」

 楽しそうにハンドルを回しながら、レイはそう言って笑っている。

「午後からは、糸車を使って毛糸を紡ぎますよ。私はまだ下手なんで、この作業は憂鬱なんです。ニコスのようには、まだまだ出来ませんね」

 悔しそうにタキスが言うのを聞いて、レイは笑って大きく頷いた。

「頑張って、ニコスを感心させよう」

「そうですね。頑張りましょう」

 笑いあって手を叩きあった。






「タドラ、 例の報告を聞いたか?」

 廊下を歩いていた黒髪の若者は、呼び止められて振り返った。

 その仕草に、後ろで一つに括った長い黒髪が遅れて跳ねる。

「ルーク、ええ聞きましたよ。その件で今からマイリーの所へ行く所です」

 呼びかけたルークも、彼と然程歳の変わらないであろう背の高い若者だ。彼は、焦げ茶色の髪を短く刈り上げている。

「俺も呼ばれてるから行くよ。それにしても、野生の竜の発見とは何十年ぶりだろうな」

 顔を見合わせて一つ頷くと、そのまま並んで歩き始めた。

 彼らが通ると、廊下をすれ違う者たちが皆立ち止まり敬礼する。

 美丈夫が、二人並んで歩いているだけでも目立つのに、更に彼らの着ている軍服は特別製だ。

 白地に金糸と銀糸で細かな刺繍の施された短いマントを羽織り、着ている真っ白な軍服の腕と足の両サイドに、二本の金線が入っている。

 そして、胸元には聖なる柊を抱いた竜の紋章。

 彼らは二人共、王都オルダムを守護する、竜騎士隊の一員なのだ。

「ガンディの話によると、前回発見されたのは百八十六年前だそうですよ」

「さすがは長命の竜人だな、よくご存知だ」

 そんな話をしながら、到着した大きな扉の前で立ち止まる。両端に立っていた兵士が、彼らを見て敬礼した。

 敬礼を返して、扉をノックする。

「ルークとタドラ、入ります」

 返事を聞いて入った広い部屋には、彼らと同じ服装の二人の男性がいた。

 本棚の横に立っている背の高い金髪の若者が、振り返った。彼が竜騎士隊の隊長であり、また、この国の皇太子でもあるアルス皇子。

 その隣に立っている、浅黒い肌の壮年の男性はマイリー副隊長。

 まだ年若い隊長を支える、部隊にとってなくてはならない存在だ。

 部屋に入った二人は、少し離れたところで並んで直立し、敬礼した。

 敬礼を返すと、書類を手にマイリー副隊長が話し始めた。

「ルーク、タドラと共に北西の第八部隊が管轄する第九十六番砦へ行け。報告を聞いたと思うが、野生の竜の存在を見張りの兵が確認した。その目で確認し、出来れば、どの程度の位の竜なのか確認してきてくれ。無理な接触は禁物。もし、ルークの竜のオパールでも確認できなければ、それでいい、無理はするな。これが命令書。以上だ」

「了解しました」

「了解しました」

 二人は、再度直立して敬礼する。



 しばしの沈黙の後、全員同時に吹き出した。

「って事だ。とりあえず、行って確認して来てくれ」

 一気に砕けた口調になって、マイリー副隊長がルークを見る。

「了解です。しかし、未確認ですがかなりの大きさだと書かれてますね」

 ルークが、手渡された命令書をめくりながら、隣に立つタドラにも見せている。

「それでちょっと気になって、今、王宮の書庫を当たらせている。俺の記憶が正しければ、かなり前に、同じく蒼の森で竜の目撃情報が一度だけだが上がっていたはずだ。もし同じ竜なら……下手をすれば老竜だぞ」

「かなり前、ですか?」

 命令書を確認していたタドラが、顔を上げて質問する。

「別の件で書庫を漁っていた時に、流し読みだが、読んだ覚えがある……確か、三百年近く前だった筈だ」

 ルークとタドラは、顔を見合わせて沈黙する。

「ろ、老竜ですか。それは我々には、ちと荷が重いのでは無いかと……」

 恐る恐る、ルークがマイリーに尋ねる。

「だから、無理はするなと言ってる。お前らが行って分からなければそれでいい。少なくとも成竜では無いって事だろ。そうなると、尚の事、扱いは慎重にせねばならん」

「実は、既にシルフ達に、先に調べるように頼んだのだが、あの森は駄目だと、皆、口を揃えて言うばかりで全く動いてくれない。どう言う訳か判らぬが、あの蒼の森とやらは、ただの森では無いらしい。十分注意して行ってくれ」

 アルス皇子が、心配そうに二人を見てそう言った。

「了解しました、十分注意します。何か変だと思ったら、すぐに引き返します。深追いはしません」

「よろしく頼む。既に先行の増援部隊が到着して準備を始めている。そちらの準備が出来次第、現地へ向かってくれ。何かあれば声を飛ばせ。こちらからも何か分かれば声を飛ばす」

「了解」

 再度敬礼して退出する二人を見送り、扉が閉まったのを確認すると、マイリーは深いため息を吐いた。

「どう思いますか? もし、彼らで判らなければ最悪の可能性も有りますね」

「とにかく、シルフ達が行くのを嫌がるなんて、私には、正直全く理由が分からない。こんな事は初めてだ」

 アルス皇子が、首を振って困ったように言う。

「冒険者達の、与太話だと思っておりましたが、一つ気になる話が有ります」

 アルス皇子は、ちらりとマイリーの顔を見て、無言で先を促す。

「北西にある深き森には、太古の長老が棲んでいる、と」

「太古の長老? 何の事だ? そう聞くと、一つしか思い付かないが」

「まさに、それを示しているらしいんですよ、どう思われますか?」

 肩をすくめて笑った。

「あれは、御伽噺……では無いな。そうか、有りえない事では無いのかもしれないな」

 苦笑いしながら、もう一度首を振る。



 彼らは知っている。

 世間では御伽噺として語られている精霊王と仲間達と冒険譚が、本当にあった事だと。

 精霊王の生まれ変わりとされた若者が、仲間達と共に世界を旅して、冥王の配下の者達と戦い撃退し、闇の冥王の生まれ変わりとなった者と、最後には、実際に刃を交えて戦った事を。

 王宮の書庫には、当時の生々しい戦いの記録がいくつも実際に残っているのだ。



「とにかく憶測は禁物だ。まずは報告を待とう。その上で対処を考える。もし若い竜なら、接触して、どういった性格なのかの確認だけでもしておきたい。もし、万が一老竜だとすると……迂闊な接触は禁物だな。行動範囲の把握と、監視の継続。あとは、万が一の事態に備えて、少し部隊の配置を変更するか……」

「妥当なところですね。あと、こちらの判断ですが、一番近いブレンウッドの街の守備隊にも連絡を取りました。蒼の森に、誰か住んでいる者が登録されていないか確認中です」

 マイリーの話に、アルス皇子は顔を上げた。

「そうか。誰か住んでいる人がいれば、何か知っているかも知れないな。まだ連絡はないのか?」

「さすがにまだ何も。こちらも、何か分かれば報告します」

「分かった。じゃあ、この件はこれ以上する事は無いな。それでは、私はご婦人方のご機嫌伺いに行ってくるよ」

 後半は、うんざりしているのを隠しもせず天井を見上げた。

「お疲れ様です。せいぜい愛想を振りまいてきてください」

 笑いながら言うマイリーに、アルス皇子は大きなため息を吐いた。

「他人事だと思って! でもまあ、これも仕事のうちだな。頑張って行って来るよ」

 もう一度大きなため息を一つ吐いて立ち上がると、書類をマイリーに任せて部屋から出て行った。それを見送ってから、マイリーは、机の上に散らかった書類を片付けて、窓の外を見た。

 よく晴れた、長閑な春の空が広がっている。

「さて、この発見は春の嵐となるのか、それとも……」

 見下ろした広場には、二頭の竜と、騎乗の為の鞍が用意されていた。

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