訓練と降誕祭の終わり

 昼食の後、午後からはギードの家の訓練所で屈伸運動を中心に、身体全体を解す方法を教わった。

「特に、今のお主は訓練を始めたばかりで、まだ筋肉がバランス良く付いとらんからな。準備運動を含めて、しっかり身体を解してやるのは大事な事だぞ」

「そうですよ。きちんと準備運動をするのは怪我の防止でもありますからね」

 ニコスとギードの二人に言われて、何度も頷いた。



 その後、かなりの時間を屈伸運動に費やしていて気が付いた。あれほど痛かった身体の痛みがやわらいできているのだ。

「凄いや、あんなに身体が痛かったのに、もうあんまり痛くないよ」

 立ち上がって伸びをしながら、両手を広げて二人を見る。

「ほお、さすがに回復も早いな。なら、組手でもしてみるか?」

 立ち上がったギードが、軽く腰を落として構えてみせる。

 喜んで前に立つと、同じ様に教えられた通りに腰を落として構える。



「よし、かかってこい!」

 ギードの大声に、腰を落とした体勢のまま突進する。払われる事は計算済みだ。

 そのまま勢いよく転がって距離を取ると、立ち上がってもう一度構える。

 思ったよりも身体が動く事が嬉しかった。

「もう一度!」

 今度は一気に動かず、横に少しずつ移動しながらよく相手を観察する。

 しかし、どう見てもギードに隙は無い。

 ちらりと横を見ると、ニコスが後ろで笑って構えている。レイの視線に気付いて頷いた。

 ニコスが言いたい事が、不思議と分かった。

 視線を戻してギードを見ると、構えた手を取りに行く。

 予想通り、受けてくれた。

 右手を両手で持って、懐に入ろうとするが、当然止められる。構わずそのまま横にずれて、組んだ手を捻って逆手に持って行く。そうはさせまいと、ギードが後ろを向いて手を解こうとした時、目の前にニコスの手が出て、反対の左手を取取った。咄嗟にギードがその左手を振り払う。

 しかしその瞬間、レイがガラ空きになった右手を取って懐に入り、勢いよく投げ飛ばす!

 ……筈だったのだが、これは、レイにはまだかなり無理な作戦だった様だ。

 レイとギードでは、体重差が倍以上ある。そんな相手を投げるには、かなりの技術がいるのだ。

 残念ながら、あまりの重さに投げかけたが叶わず、そのまま倒れ込み、結果として二人に押し潰されてしまった。



「うぎゃっ!」

 潰されたカエルのようなレイの悲鳴が、訓練所に響き渡る。

「……すまん。大丈夫か?」

「だ、大丈夫かレイ」

 慌てた二人が、同時に起き上がる。

「もうダメ。なんか、色々潰れた……」

 笑いを堪えたレイが、仰向けになり転がったまま答える。

「ギード重すぎ。こんなの投げるなんて……絶対に無理だよ」



 その言葉に、三人同時に吹き出した。



「大丈夫なようだな。しかし、相手を選べるとは限らんからな」

「そうですよ。それに、格闘訓練の醍醐味は、自分より大きな相手を投げ飛ばせる事ですからね」

「悔しい! 絶対いつか投げてやる!」

 腹筋だけで起き上がり、そのまま横に転がって立ち上がる。

「しかし、大したもんだ。まだまだ技術は不足しとるが、ニコスの動きを理解しとったぞ。あれは先に打ち合わせをしとったのか?」

 先ほどの動きを反芻しながら、ギードが振り返って真顔でニコスに尋ねる。

「いえ、打ち合わせ無しでその場で対応しましたよ。本当にこの子の反射神経は大したものです。これは将来が楽しみだな」

 嬉しそうにニコスが言って、レイの頭を撫でる。

「ねえ、筋肉をつけるには、どうすれば良いの?」

 細く見えるニコスだが、袖を上げて剥き出しになった腕は、しっかり筋肉がついて膨らんでいる。ギードの太い腕はもはや別格だ。

 細い自分の腕が悔しくて、ギードの腕を見ながら聞いてみる。

「こんな身体は簡単に作れるものでは無いからな。冬の間に教えてやるから、頑張ってしっかり鍛えなされ」

「そうだな。背も伸びてる事だし、冬の間は無理な運動よりも、まずは筋肉を鍛えて身体を作った方が良さそうだ」

 二人に言われて、何度も頷く。

「うん! 頑張るから教えてください! よろしくお願いします!」

 満面の笑みで答える素直さに、二人も嬉しそうに笑って頷いた。




 降誕祭の後半も、夜は明かりを灯して眠る前のお祈りが長いくらいで、特に日常に大きな変化は無い。

 いつものように、家畜や騎竜達の世話をして、午後からは、ギードの用意してくれた鉄の塊を持ち上げたり、腹筋や背筋を鍛える訓練をしたり、広い訓練所を端まで力一杯走るなど、基礎体力作りと筋力アップの為の訓練が続いた。



 そして、降誕祭の最後の日の夜。

 ツリーに吊るしてあった精霊王への手紙を火蜥蜴が吐いてくれた火で燃やし、その灰を雪の上に散らした。大喜びで、シルフ達が綺麗に撒き散らしてくれた。

 きっと、精霊王に届くだろう。




 その日の夜の食事は、豪華な骨つき肉が用意されていて、ニコスに横についてもらってナイフとフォークで綺麗に食べる方法を一から教わった。

「よし、かなり上手く出来ましたね。また作ってあげますから、今度は一人でやってみてください」

 切り分けた肉を、嬉しそうに食べるレイに笑って、ニコスも自分の分を食べ始めた。

 食事の後、いつもならお茶だけなのだが、今夜は特別なお菓子が出ると聞き楽しみにしていたのだ。

「はいどうぞ」

 ニコスが持って来たお皿を見て、レイは歓声をあげた。タキスとギードも、目を見張っている。

 お皿の上には、真っ白な雪のような丸いお菓子が乗っていた。そして、その上には、母さんの作ったキリルの砂糖漬けがぐるりと一周、ミントの葉と共に綺麗に飾られている。

 真っ白な雪のようなものは、どうやら以前パンケーキを食べた時に上に乗っていた、あのふわふわの甘いクリームのようだ。

 真っ白なクリームの上に、砂糖漬けの赤と、ミントの葉の緑、余りの美しさに無言で見惚れた。

「さあ、切りますよ」

 ニコスが大きなナイフを持って来たので、思わず声をあげた。

「え! 切っちゃうの?」

「だって、切らないと食べられないぞ?」

 笑いながら言われて、納得する。

「そうだけど……もうちょっと見ていたいよ」

 目の前の真っ白なケーキが、本物の宝物のように見えた。キリルの砂糖漬けは、赤い宝石のようだ。

 お皿を回して、気がすむまで眺める。三人は笑って待っていてくれた。

「ごめんなさい。切ってください」

 ニコスを見て言うと、彼は笑って頷いた。

「それでは切りますよ」

 もう一度そう言うと、ナイフでまずは半分に切る。中はふわふわの蜂蜜色の生地で、何層にも分かれていて、間には真っ赤なキリルのジャムが塗られていた。

 半分は明日に残すのだと言って、片方の半分を四つに切り分けた。

 一番大きな一片を小皿に取って、レイの前に置いてくれた。更に、横にキリルの砂糖漬けと綺麗に切られたリンゴが盛り合わされる。

「すごい! こんな綺麗なお菓子は初めて見るよ!王様のお菓子みたいだ」

 嬉しくて嬉しくて、目の前が霞む。

 母さんの砂糖漬けが、まさかこんなに綺麗なお菓子になるなんて、考えてもみなかった。

「さあ召し上がれ」

 三人にはお茶が入れられ、レイには、温めたミルクに蜂蜜を入れたものが出される。

 精霊王への感謝の祈りの後、砂糖漬けとクリームをフォークで取って口に入れた。蕩けるような美味しさに、言葉が出ない。

 夢中になって食べた。

 食べながら、涙が溢れて止まらなかった。

 泣きながら食べる彼を見て、三人は、黙って背中や頭を撫でてくれた。



 ようやく涙が止まり、照れ臭くなって、黙って残りのケーキを食べた。

「これは本当に美味しいケーキでしたね。砂糖漬けが、こんなに美味しいとは驚きです」

 タキスがお茶を飲みながら、感動を隠さずそう言った。

「全くだわい。これほど美味いお菓子を食ったのは、ワシも生まれて初めてだ」

 ギードも、お茶を飲みながらしみじみと言う。

「俺も驚きました。お母上が作られた砂糖漬けは本当に素晴らしい。王都の貴族の館でもないと、食べられない程ですよ」

 半分ほど残った砂糖漬けの瓶を見ながら、ニコスも感心している。

「えっとね、この砂糖漬けは、去年初めて作った物なの。その年に新しく村に来た行商人が、質の良い砂糖を扱ってたから、ちょっと無理してお砂糖を追加で買ったんだよ。それで、母さんが皆に教えて作ったの。すごく高値で買ってもらえたって、皆が喜んでたよ」

 去年、砂糖を売ってくれた行商人が、冬の初めに改めて来た時に、砂糖漬けをすごい高値で買ってくれたことを思い出した。

「そうでしたか。もしかしたらお母上は、何処かの貴族の館で働いていた事があったのかもしれませんね」

「そっか、その時に覚えたのかな?」

 残ったミルクを飲もうとした時、不意にあの一つ眼が言った言葉を思い出した。



『お前が出来たせいで、母は将来を約束された神殿を追い出され、父は国を追われ、哀れにのたれ死んだ事も知らぬ癖に』



 思わず咄嗟に、ぎゅっと目を閉じて耳を両手で塞ぐ。

 三人が驚いているが、気にする余裕は無かった。

「信じない! そんなの嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ……」

 胸が苦しくなって目の前が暗くなる。息ができなくて耳鳴りがして気が遠くなった。



 気がつくと、タキスに抱きしめられていた。



「……何が嘘なんですか?」

 抱きしめたまま優しい声で聞かれたが、答えることが出来ない。

 答えようとすると、胸が苦しくて息がつまる。

 ニコスとギードも横に来て、何度も何度も背中や腕を撫でてくれている。

 少し目を開けると、いつもより見える天井が遠い。

 自分が床に倒れている事に、その時初めて気が付いた。

 どうやら床に倒れた状態で、タキスに抱きしめられているらしい。

 もう一度目を閉じて、大きく息を吸ってタキスの胸に縋り付いた。

「彼奴に言われたの……僕が出来たせいで、母さんは将来を約束された神殿を……追い出されたんだって、父さんは国を追われて……哀れにのたれ死んだって」

 三人が息を飲む。タキスが力一杯抱きしめてくれた。

「あんな奴の言うことを信じるんですか?彼奴は、私達の事だって悪く言ったのでしょう?」

 涙がまた溢れ出して止まらなくなった。

「だって、だって、僕……あの時、夢で聞いたんだよ。母さんが、確かに父さんに言ったんだ。貴方となら、どこへでも行けるって」

「それは……」

 目を見張って口籠ったタキスが、ため息を一つ吐いて抱きしめていた手を解き、レイの顔を両手で挟んで無理に上げさせ、正面から顔を見てこう言った。

「それは、愛し合っている二人なら誰でも一度は言う台詞ですよ。貴方となら何処へでも行ける、なんてね。私とアンブローシアの馴れ初めを一から話しましょうか?」

「それって……」

「ええ、私の亡くなった妻の名です。エイベルの母ですよ」

「聞きたい!」

 目を輝かせて起き上がる。タキスは苦笑いして、立ち上がった。

「恋愛話は、貴方がもう少し大人になってからですね」

 そう言うと、タキスは額にキスして晴れ晴れと笑った。

 はぐらかされて膨れる少年に、大人たちは顔を見合わせて安堵のため息を吐き笑いあった。

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