第11話_零番街から見る景色

 タワーはこの街で最も高い建物だ。高層階の廊下はガラス張りとなっている場所も多く、街を一望することが出来る。ただ、それを好んで見下ろしている者は少ない。夜ですら街の明かりはスモッグに覆われ曖昧で、明るい時間は石と鉄で出来た味気ない街並みが広がるばかり。緑の一つも見付けられないこの景色に、感動を覚える者は皆無だろう。

 それでも、イルムガルドは一人、廊下半ばで足を止め、街を見つめていた。

「何か面白いものが見えるかい、イルムガルド」

 声に応じて、イルムガルドがのんびりと視線を向ける。声を掛けてきたのは、柔和な男性だった。笑みを浮かべる目尻に少しの皺が入っており、優しそうな印象を強めている。後ろには新人と思しき若い女性が一人控えており、彼女も柔らかい笑みをイルムガルドに向けていた。

「面白いもの、じゃないけど、あそこは何番街だろうと思って」

「どれだい?」

 歩み寄ってきた男性に、指先でイルムガルドが示したのは、五番街より西に広がる灰色の建物群だ。居住区にあるものと比べ、随分と大きな建物が立ち並んでいる。

「ああ、あそこはナンバリングされない場所だよ。工場地帯なんだ。強いていうならAからEの区画名がある。例えばAの区画、五番街に最も近い区画にはパルプ工場などがあってね、そこでは紙を作っているんだよ」

「へえ」

 表情はいつもと大きく変わらないながらも、イルムガルドが返した声は確かに関心を示す。職員の男性は少し嬉しそうに目を細めていたが、イルムガルドは彼の表情に気付いていない。

「あそこには五番街から入るの?」

「いいや、列車じゃなければあの地区は立ち入れないようになっているんだ。子供が迷い込んでは危ないからね。ほら、今走っているだろう、あれに乗るんだよ」

 列車が地区へと入って行くのを、少し身を乗り出すようにイルムガルドが見つめている。街をくまなく探検していた際、近くを走っていた列車はイルムガルドも何度か目にしていたが、何処へ向かうのかを知らずに見ていた時とは何か感じ方が違うのかもしれない。興味深そうに、それが灰色の建物の奥へ消えていくのを見つめていた。

「他にも何か気になることはあるかい?」

「あー、スラム街の方の」

 イルムガルドが次に指差したのは、タワーから離れた場所にある赤茶色の建物が目立つ地域だ。自由に歩けるイルムガルドでも、司令からは入り込まないようにと制限されている場所、九番街から十二番街。タワーから見下ろせば、スラム街は存外広い。しかしイルムガルドが興味を示したのは、スラム街そのものではなかった。

「横からずっと遠くに伸びてる、あの線路は何処へ向かうの?」

 街からは、もう一つの列車が出ていた。イルムガルドが示した通り、それはスラム街の端を通り、更に遠くへと続いている。その到着地点が、イルムガルドがいくら見つめていても分からない。遠くに建物らしき塊が見えているが、その正体は見つめるだけでは分かりようもなかった。

「あれは、研究施設へ向かうものなんだ」

「研究施設?」

「以前はあらゆる工業製品の研究開発を行っていたんだけれど、今は専ら戦争に用いる兵器開発の為に使われているね」

 戦争が激化していくほどに、以前のような用途では使用されなくなっていく。人々の生活を豊かにするべく建てられたものであったのに、それを効率的に壊す武器を作っているのだから皮肉なものだ。イルムガルドはあまり興味を見せなかったものの、彼女が呟いた言葉は、聞いた二人を凍りつかせた。

「ふうん、兵器ってわたし達だけじゃないんだね」

 ハッとした様子でイルムガルドを振り返った男性。その後ろに控えたままの女性も、息を呑んでいる。イルムガルドは二人の反応に不思議そうに首を傾けた。

「……君達は、兵器ではないよ。どうしてそう思ったんだい」

「街の人がそう言ってたから」

「そうか……いや、そう言う者も居るかもしれないけど、僕はそう思わないし、僕らの司令も、そんな風に思ってないよ」

 その言葉はイルムガルドにはどの程度響いたのだろうか。彼女は無感動に一つ頷いただけで、表情を変えなかった。

「本当は君達を、戦わせたくないんだ。……なのに、何もしてあげられない大人で、すまない、イルムガルド」

 肩を落とし、視線をも落としている男性を、イルムガルドがじっと見つめる。その瞳には感情らしい色は何も浮かんでいない。彼の気持ちを理解した上で受け止めるつもりが無いのかもしれないし、もしくは、イルムガルドには少しもその気持ちが理解出来ないのかもしれない。イルムガルドが何も語らないから、それは誰にも推し量れない。控える女性が心配そうに「先輩」と声を掛けたのに応じ、男性は少し慌てた様子で顔を上げた。

「いや、こんなことを言われても困ってしまうよな、ごめんよ、忘れてくれ」

 イルムガルドはその言葉にも特に答えることはなく、ふいと視線を逸らし、また外の景色を眺める。彼女の横顔を見つめ、男性は少し寂しそうに眉を下げた。

「何か困っていることや、足りないものは無いかい?」

 彼の言葉に、イルムガルドは振り向いたけれど、投げ掛けられた質問には答えなかった。片眉を上げ、少し長めに息を吐く様子は困っているようでもあるが、彼女の感情はどの場合も汲み取りが難しい。

「いつもみんな、そうやって聞くね」

「此処で過ごす君達に、少しでも、……満たされた生活を送ってほしいんだよ」

 困っているのはむしろ、イルムガルドへそれを問い掛ける者達だったのかもしれない。彼女は問われる度に思い付くことを口にしており、周りは出来うる限りでそれに応えている。しかし、イルムガルドの動かない表情も、自ら主張をしない様子も、あまりに従順である対応も、周りには彼女が満たされていないように見えるのだ。慰めになるものは何か無いだろうか。イルムガルドを知る誰もが考え巡らせているが、彼女はどうやらあまりそれを理解していない。

「うーん、思い付かない。また、考えとく」

「そうか」

 男性は寂しげに眉を下げるけれど、不意に背後を振り返ったイルムガルドはそれを見付けなかった。壁に掛けられた時計を見つめ、そして、再び窓の向こうへと指先を向けた。

「教えてくれて、ありがとう」

 抑揚も無く告げられた言葉が、感謝を述べていると気付くのには少しの時間が要る。男性は一瞬目を丸め、正しくその事を受け止めてから、嬉しそうに微笑んだ。

「ああ、何か知りたかったらいつでも声を掛けてくれ」

 イルムガルドは軽く手を上げて応えると、足早にその場を立ち去る。彼らから離れたかったわけではない。ただ、招集された時間が差し迫っていただけだ。


「――おっそいよ、イルムガルド」

 到着した彼女を出迎えたのは不機嫌そうなフラヴィの声だった。イルムガルドは声の主へと視線を向けたけれど、のんびりと瞬きをするだけ。言葉を返す様子は無い。

「いや、時間ちょうどでしょ。気にしないでいいよ~、イル」

 フラヴィの隣に座っていたレベッカは、フラヴィの小さな肩を引き寄せると、イルムガルドへ笑顔を向けた。しかし無遠慮に腕に引き込まれたフラヴィは、不満そうにレベッカを見上げている。

「レベッカはイルムガルドに甘いんだよ。こいつは新人なんだから一番早くに来るべきだろ。どうして僕らがイルムガルドを待っていなきゃいけないのさ」

「そうかなぁ? でもアタシ、別にフラヴィに厳しくないでしょ。妬かないでよ」

「や、妬、ハァ!? 誰がそんな話をしてるんだ!」

 二人掛けのソファの上でフラヴィ達がじゃれている様子も、イルムガルドは無感動にただぼんやりと見つめている。ウーシンは三人の様子をそれぞれ見た後で、ゆっくりと重苦しい溜息を吐いた。

「もういいから、始めてくれ、司令」

「はは、そうだな。フラヴィ達もそれくらいにしろ。ほら、イルムガルド、お前もこちらに座れ」

 デイヴィッドに呼ばれ、ようやくイルムガルドは皆の傍へと歩み寄る。立ち止まっていたことも、眺めていたことも、呼び掛けに応じたことも、全ての行動の中に彼女の思考は浮かび上がらない。それぞれがそれぞれの思いでそんなイルムガルドを見つめているが、誰も何かを指摘しようという様子は無かった。

「この四人で出た任務は計二回。たった二回だが、互いの能力を知るには充分だったろうと思う。少し内容を振り返りつつ、今後について話す為に来てもらった」

 イルムガルドを除く三人は以前からも同じチームとして行動している為、今更互いの能力について新しく知ることなどは無いが、三人はイルムガルドを知らなかったし、またイルムガルドも三人のことを知らなかった。互い、というのはその双方のことを指している。

 振り返りで司令が特に評価をしたのは、二回目の遠征で彼らが咄嗟にとった連携についてだった。地上の三人を狙う機体があればイルムガルドは優先して落としていたし、イルムガルドを狙う機体が旋回するタイミングに合わせてウーシンがそれを落としたケースもある。

「切り返すタイミングが一番狙い易かっただけだ! 見えもしないイルムガルドを守るわけがあるか!」

「イルが何処に居るかホントに全然分かんなかったね。戦闘機が落ちてきたら、あそこに居たんだ~って感じだったよ」

 ウーシンは評価に対して不満そうに声を上げたが、レベッカは楽しそうに笑っている。実際、当時は笑える状況にはなかったのだろうが、無事に終えられた今、わざわざあの時の不安や緊張感まで一緒に思い返すつもりは無いらしい。

「偶然であれ、上手く連携をしたことも無事に終えられた要因だろうと思う。今後は互いの能力も意識し、可能であれば連携していってくれ」

 その言葉に、誰一人として素直には頷かなかった。不満という意味よりも、具体的にどうすべきか明確なビジョンが浮かばなかったのかもしれない。なお、座ったまま微動だにせず目を閉じているイルムガルドについては、話を聞いているかの判断すら出来ない。しかし司令がそれを指摘しない為、残り三人は何も言わない。

「次に、他のチームについてだが……」

「はい、それについては自分から説明致します」

 デイヴィッドの後ろに控えていた職員はそう言うと、姿勢を正して手元の資料へ目を落とした。彼が語るには、『奇跡の子』の他のチームについては戦況が悪いところが増えているとのことだった。遠征先となっている地名や作戦内容を告げられてもぴんと来なかったのか、あまり表情を変えずに聞いていた彼らだったが、六名の負傷者が出ている話になった瞬間、イルムガルドを除く三人は顔を顰めた。

「新たな『重傷者』は出ていないが、満足に戦える状態では無くなっていっている、ということだな。今後、彼らの支援として出動する可能性もある。まだ明確な予定はないが、心に留めておいてくれ」

 その後、各人の訓練やヘルスケア、装備の調整についてのスケジュール確認を終えると、ミーティングは終了した。ずっと何も言わずに目を閉じていたイルムガルドは、解散を告げられると直ぐに立ち上がり皆に背を向けたが、デイヴィッドはやんわりとそれを呼び止めた。

「特に困っていることや、足りないものは無いか?」

 つい先程全く同じ問いをイルムガルドが受けたことなど、デイヴィッドは知らない。彼女が目を細めた意味を正確には把握しない。ただ、イルムガルドはその回答に、同じ言葉を使わなかった。

「……お酒、たばこ」

 彼女は男性から問われてからずっと、もしかすれば答えを考えていたのかもしれない。しかしそれは、当然、手放しで喜べる回答では無い。目を丸めたデイヴィッドの横で、レベッカがわなわなと震えていた。

「こらぁ! イル、何処でそんな悪いこと覚えたの!?」

 立ち上がって叱り付けるレベッカに、イルムガルドは驚く様子も無い。ある程度は反応を予想していたのだろうか。レベッカから顔を逸らして、つまらなそうにしている。しかしその瞬間、デイヴィッドが大きな声で笑い出した。

「はあ!? 司令、笑い事じゃないんだけど!」

 レベッカの怒りの矛先がデイヴィッドへと向かうが、彼は堪え切れない様子で肩を震わせていて直ぐに声が出せないようだ。その後、声が出せるまで落ち着いても、デイヴィッドはレベッカではなくイルムガルドの方を向いた。

「ああ、イルムガルド、すまないがどちらも法律で禁止されていて許可は出来ない。だが、酒については色々風味を似せたノンアルコールの飲み物が出ている。お前はどんな酒が好きなんだ?」

 叱り付けるどころか注意をする様子も無く柔らかな笑みを浮かべるデイヴィッドに対し、レベッカは今にも噛み付きそうな顔をしている。彼はそんなレベッカを手で制す仕草をしながら首を傾け、イルムガルドに回答を促した。

「ビール、うーん、ワイン、あー、ウイスキー」

 レベッカが怒っていることにはいくらイルムガルドであれ気付いているだろうに、悪びれることなくのんびりと答えている。それに対してやはりデイヴィッドが楽しそうに肩を震わせて笑い、改めてレベッカが睨み付けた。

「司令」

「ふふ、まあ、そう怒るなよ。そうだな、ビールはノンアルコールのものが色々出ている。もしかしたらお前の口に合うものもあるかもしれないぞ。あとはそうだな、ワインとは風味は変わるが、キンダープンシュを飲んだことはあるか?」

 イルムガルドにとっては聞き慣れない音なのだろう。首を傾け、少し沈黙してから、首を振った。

「この時期なら、ゼロ番街のスーパーに置いているだろう、試してみるといい。俺のオススメだ」

 デイヴィッドの言葉にイルムガルドは素直に首を縦に振る。相変わらずの従順な態度だが、あまりに従順であるからこそ周りの者は幾らかの不安を抱く。

「頼むから、隠れて飲んだりしないでくれよ」

「そんなことしても、検査で出るでしょ」

「まあ、そうだな」

 実際、奇跡の子らは検査が多い。それは彼らが『悪さ』をしないように見張る為では無く、健康維持の為だ。身体に異変が無いかどうかを定期的に、そして頻繁に確認される。遠征の前後は特に細かな検査が入る。それが『悪さ』に対しては実質抜き打ち検査のようなもので、イルムガルドはそれを指摘した。彼女にその認識があるのであれば、下手なことはしないだろう。そう認識したデイヴィッドは、まだ隣から睨んでいるレベッカにお伺いを立てる様子無く、イルムガルドをその場から解放してやった。レベッカは、イルムガルドが部屋を出ていくまで、それを止めることは無かったが、不満を飲み込む様子もまた無かった。

「ちょっと、司令。ちゃんと注意しなきゃいけないでしょ」

「あの子の住んでいた場所の治安はお世辞にも良いと言えたものじゃなかった。違法薬物が出回っていなかっただけマシだと思えるくらいにはな。酒と煙草の味くらい、あの子が知っていても不思議では無い」

「そういう問題じゃないよ。……大体、笑うのはおかしいでしょ」

 レベッカの指摘は尤もなことだ。あの時デイヴィッドがあまりに楽しそう笑ったことが余計にレベッカの反感を買っていた。しかしデイヴィッドは目を細め、再び肩を震わせた。そして大きく首を振る。まるで自分の行いは何もおかしなことでは無いと訴えるように。

「いや、笑わずにはいられなかった。あまりにも嬉しくてな」

「はあ?」

 当然、レベッカは顔を顰める。その場に居たウーシンとフラヴィは表情にはあまり出さないものの、何処か落ち着かない様子でレベッカを窺っていた。彼等はこの話題には露ほども興味が無かったのだろうが、それでも立ち去ることなく居残っていた。それは今、ぴりぴりと怒りを露わにしているレベッカが、間違っても司令に殴り掛かることが無いように見張っているのだ。レベッカが暴走した場合、同じく奇跡の子である二人が止めるしかないのだから。ただ、緊張感なく笑っているデイヴィッドが、何処までそんな二人の心情に気付いているのかは定かではない。目を細めた彼は、言葉通りに、嬉しそうな色を瞳に乗せていた。

「あの子は、『何も要らない』と言った」

 瞬間、レベッカの怒りの表情が和らぐ。怪訝な表情は見せたものの、彼が言わんとしているものの正体を、微かに掴み取ってしまったのだろう。

 デイヴィッドがこの街へとイルムガルドを誘い、彼女がそれに応じた時。デイヴィッドや職員達は彼女に『欲しいもの』を聞いた。何が必要で、何が欲しいかを、色んな角度で問い掛けた。

「何もかもに興味を失くしたような瞳で、『生きていられたらそれでいい』としか言わなかった」

 飢えて死ななければいい。凍えて死ななければいい。衣食住以外に何一つ必要ない。彼女はそれだけしか求めなかった。もしかしたらそれすらまともに用意されなかったとしても、もう、イルムガルドは拒む気も無かったのかもしれない。彼女のその回答を知る者は、彼女からほんの少しでも何か『欲しいもの』を聞き出そうと躍起になっていた。

「それがどうだ、酒に、煙草だぞ? あの子が、生きる為に必要でない嗜好品を挙げたんだ。……レベッカには悪いが、むしろ褒めてやりたかったくらいでな。立場上、用意してやれないのが悔しいよ」

 先日与えたマットレスやゴーグルは、彼女が欲しいと願ったものではなく、ほんの少し困っていることを漏らした彼女に強引に与えたものでしかない。デイヴィッドからすれば、『酒と煙草』という答えは確かに褒められた嗜好ではなくとも、成果だった。デイヴィッドが職員へ、先程イルムガルドへ勧めたもの以外にも何か代替となるものがあれば確認するようにと告げている。そんな対応に、フラヴィは呆れたように溜息を零した。

「あいつに一番甘いのは、レベッカじゃなくて司令だったってことだね」


 一方、話題の渦中であるイルムガルドは、直ぐその足でタワーの外へと出て行く。残してきた彼らが自分の話をしているかどうかなど、想像もしていない、もしくは幾らも興味が無い。つい最近この街へ来たばかりとは思えない程の迷いの無い足取りでゼロ番街を歩いた後、いつも通りにイルムガルドは六番街へと向かった。

「いらっしゃい、……今日は何を持ってきたの?」

 迎えてくれたアシュリーに目尻を下げて微笑みながら、イルムガルドは手に持っていた包みを胸元まで上げて、中からワインボトルのような形状をしたものを取り出した。ラベルにはお洒落な字体でキンダープンシュと記載されている。

「これ飲んだことある? 一緒に飲もうと思って」

「あら、ふふ、良いわね。この季節にぴったり」

 アシュリーは嬉しそうに微笑んでそう言った。どうやら、彼女は飲んだことがあるらしい。「温めて飲むと美味しいのよ」と告げるアシュリーに、イルムガルドが目をきらきらとさせる。そんな様子を愛おしそうに見つめながら、アシュリーは一歩、彼女へと身を寄せた。

「じゃあ、どっちが先かしら」

「ん?」

「私と、キンダープンシュ」

 少しだけ意地悪な顔をしながらそう言ったアシュリーは、言葉の半ばで一瞬、ベッドの方へと目をやった。その仕草で、意味を理解したイルムガルドも、楽しそうに笑みを深めている。

「どっちもアシュリーでしょ、だってアシュリーと飲む為に持ってきたんだから。うーん、悩むなぁ」

 キンダープンシュを味わうだけであれば、購入後、自室に籠って飲んでしまえば良かった。温めるという文化を知らなかったにせよ、紅茶と違ってそのままコップに注いで飲むことが出来るものだからだ。アシュリーと二人でキンダープンシュを飲む時間、または、いつものようにベッドで過ごす時間。どちらも求めているのは形の違う『アシュリーとの時間』である、と意味する彼女の言葉に、アシュリーは降参するように首を振った。

「相変わらず上手ね」

 イルムガルドは首を傾け微笑むばかりで、何も答えない。こんな言葉さえ、きっとイルムガルドは言われ慣れているのだろう。少なくとも、アシュリーにはそう見える。それを、不満だと言える立場でもなければ、強く不満を抱けるはずもない。イルムガルドが日頃から扱うこんな『甘い言葉』に、吸い寄せられた身であることを、彼女はよく理解をしていた。

 キンダープンシュを胸に抱いたままのイルムガルドの首に両腕を回して、アシュリーは構わずその身体を引き寄せる。イルムガルドはその行動を楽しそうに見つめ、何も言わずに身体を寄せた。アシュリーは軽く彼女に口付けてから、首を傾ける。

「――なら、どっちから楽しみましょうか?」

 イルムガルドはくすくすと笑うと、答えを言葉で返すことなく、アシュリーの身体を片腕で引き寄せ、その唇へ深く口付けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る