3. 憧れていた魔法少女だ

「説明して!」


 お気に入りのぬいぐるみと小物で飾り立てた少女趣味の自室に戻り、ベッドにスーツケースを放り投げた万結羅は、イヌのぬいぐるみを両手でわしっと掴み、得たいの知れないモノに詰め寄った。紐がスマートフォンの重みで軋むがそんなことすらどうでもいい。

 たった今出くわしたこと、ありとあらゆるものが、未知すぎる。

 まさに今絞め殺されんとしているイヌは、表情を変えず冷静に言った(口はモゴモゴ動いていた)。


「別にそう難しい話ではない。お前がレイシーから銀の靴を受け継いだ。それをいち早く嗅ぎ付けた奴等が、銀の靴を奪おうとお前を襲いはじめた。それだけだ」

「全然わかんないってば!」


 仮に銀の靴が凄いものだとして。“靴を受け継いだ”のはつい昨晩の話だというのに、何故あの女の人はもうそれを“嗅ぎ付けた”のか。それでもって何故交渉もなにもなく奪おうと襲ってきたのか。

 どうして平和的解決を試みない。そりゃ、おばあちゃんから貰ったものなので、即座に「はい、あげます」とはいかないけれど。実際に盗られたら悲しいけれど、いきなり暴力に頼るんじゃなくて、せめて騙すことから始めてみても良いと思う万結羅はおかしいのだろうか。


 ……まあ、その辺りはさておいて。そろそろ本気で今の状況を把握しなければいけない気がする。

 万結羅は昂る気を必死で沈めてそっと携帯を床に置き、その前に腕を組んで正座した。


「……まず、あなたはなんなの?」

「私はマーレイ」


 体勢を整え、おすわりしたイヌは得意気に胸を張る。


「レイシーから聴いているだろうが、お前の使い魔だ」

「使い魔……」


 うーん、と唸りながら万結羅は部屋の隅の本棚に目をやった。あそこにはあらゆる少女漫画がしまわれている。中には魔法少女ものも含まれていた。

 漫画やアニメでは、魔法少女にはマスコットキャラがいるものだ。猫だったり、熊みたいなものだったり、宇宙からの侵略者だったり、その他色々可愛いのがいるのだが、あれみたいなものだと思って良いのだろうか。

 なお胸を張っている姿を見ると、やっぱそれかも、という気がしてくる。


「守護獣トトの末裔でな、代々お前の祖母の家系に仕えていた」


 得意気にマーレイは続ける。

 あの主人公ドロシーの足元でちょろちょろしている癒し要素トトが“守護獣”とか、突っ込みたいところはいろいろとあるが、


「なんていうか、まるでおばあちゃんは本当に魔女で、私もそれに関係あるっていう風に聴こえるんだけど……」

「解っているじゃないか」

「意味わかんない!」


 理解しているくせにその発言の方が解らん、と冷静に返す使い魔であるらしいぬいぐるみ。そうだけど、でもそうじゃない。


「なんで突然私が魔女なんて話になるの! だいたい、どうして使い魔がぬいぐるみなのよ!」


 魔法少女ものもそうだとか、そういう突っ込みはなしだ。あれは少女の心を獲得するための演出。現実ではない。

 ああ、だが、魔女とか真剣に言っている時点で、果たしてこれは現実だろうか。いっそ夢であれ。


「これは仮の姿だ。本来の姿では、お前についていけないからな」

「だからって、その声でそのフォルムはないでしょう! しかも無駄にイケボとかっ」


 オジサマボイスなので、好みではないが。万結羅は、敵の中ボスおじさまキャラよりも、ヒロインが恋するヒーローの方が好きなのだ。

 ――って、いやいや、好みとかどーでもいいから!

 問題はそこじゃない。


「私には、あれだけレイシーの手解きを受けておきながら、現状をまるで飲み込めていないお前の方が不思議だ」

「手解き?」


 万結羅は眉を顰めた。祖母レイシーに教えて貰ったことはいくつかあるが、お菓子作りとか、編み物とか、お花の育て方とか、そういったものばかりで、オカルトめいたものはなにもなかったはずだ。それは母方の祖母も同じで、違うのは『魔女ごっこ』くらいで……。

 ――それか。


「……あれってごっこ遊びじゃなかったんだ」

「その年齢になって、祖母との間でそんな遊びをするとでも?」


 ぐ、と言葉を詰まらせる。それは万結羅自身思っていたことではあった。


「でも、魔法って感じじゃなかったし」

「本格的な魔術は、成長期を終えた頃からするものだからな。精神が未熟なうちは、浮かれて良からぬ事に使いかねん。ある程度世間というものを知った年齢からと決まっている」


 だから、万結羅が中学を卒業するまで待っていたのだという。十五歳くらいの、成長期が終わったくらいの年齢がその年齢であるらしい。


「へー……」


 なんかまたそれらしい設定が出てきたなー、と思いながら内容を咀嚼して、ふと首を傾げた。


「つまり、私はこれから魔法を習うってこと?」


 マーレイは首肯した。


「これからお前は度々レイシーの家に行くことになるだろうな。本当は住み込みの方が良いんだが、お前の生活もあるから、とレイシーは強制しなかった」


 まあ、それは、と万結羅も頷く。祖母との生活も言われてみれば魅力的だが、言われるまでは想像なんてしていなかった。高校進学だって、はじめから地元の進学校だけ考えていた。そういうものだと思っていたからだ。


「だから、もとはレイシーの使い魔だった私が、お前の使い魔となったのだ。レイシーに会えぬうちは、私が簡単な魔術の使い方の手解きをしよう。具体的には、その銀の靴の使い方だな」


 万結羅は、ちらり、と傍らの銀の靴に視線を向けた。ほんの一瞬とはいえ、外履きして汚れてしまった銀の靴だが、誰かに狙われているものだし、なによりそのまま玄関に置いておくと母の追及が面倒臭そうだと思ったので、部屋に持ち込んだのだ。


「お前は銀の靴の所有者だ。こうして周囲から狙われるようになった今、早急にこの靴を使いこなしてもらう必要がある」

「狙われる」

「銀の靴は強い力を秘めた魔法道具だ。魔術師はこぞって欲しがることだろう。追っ手はあれだけではあるまい」


 魔法使いは実力主義だから、強奪とかはわりと当たり前のことで、魔法使いの間では厳しく罰せられることもそうないのだという。


「戦う力も身に付けねばならんな」

「戦うって……私、ただの“もうすぐ高校生”なんだけど」


 運動神経は良い方だが、武術の類いは習ったことがない。思春期やさぐれはしなかったので、喧嘩も当然したことがない。至って平凡暢気に過ごしてきたというのに、戦うなんてできるはずもないのに。


「関係あるまい」

「あるよ!」


 温室育ちを戦場に放り出すようなことをしているというのに、何故関係ないと言えるのか。


「ふあぁ……なんでこんなことに……」


 正座をしたままへなへなと力が抜ける。横座りになって、絨毯に手をついてうちひしがれた。万結羅が望むのは、なんの変哲もない平穏な高校生活である。部活に青春して、恋なんかしちゃって、ちょっとふわふわ~があれば、それで充分だったのに。

 魔法少女とか、一見ふわふわ、実際ハラハラなエッセンスがここで加わるとか、全く望んでいない。熨斗つけて返したい。

 ――誰に? おばあちゃんに?

 それはできない。絶対に悲しむ。

 ますます身体が地に伏せる。


「長い間憧れていた魔法少女だ。そう悪くはあるまい?」

「なんで知ってんのよ!」


 頬が熱くなる。そりゃ、小学生向けアニメは今でも観てるけど。さすがに『将来の夢は魔法少女』は卒業して随分になるというのに。


「レイシーの使い魔だったと言ったろう。あれに張り付いていれば、お前のことも自ずと知れる」


 そういえば、〝ごっこ遊び〟のことも知っていたんだっけ。


「あれは漫画だからいいんだよぉ……」


 現実に体験して実感した。フィクションはフィクションであってこそ。完全他人事だから、どんな物語も面白いのだ。


「いくら嘆いたところで逃げられはしないから、先の話をするが」


 逃げられないのか。もはや突っ込みする気にも身を起こす気にもなれなかった。


「さっきも言ったが、これから戦いは避けられん。そのための準備をする必要がある。今求めているのは、身を守る術だ。いわゆる防具が必要となる」


 それからマーレイは立ち上がり、羽根もないのに、ふわり、と浮き上がった。このぬいぐるみが喋る以外にはじめて、魔法の生き物らしい姿を見せた瞬間である。

 しかし、ストラップの紐の先は携帯についたまま。何処かへ飛んでいこうとするのはいいが、先に進めず空中でじたばたする羽目になっていた。根元は首輪に繋がっているので、首根っこ掴まれて引き戻されている仔犬のようだ。可愛……くはない。中身はおっさんである。

 仕方がないので、ストラップを携帯から外してやった。首輪にカニカンがついて、それが紐の部分と繋がっていたので、簡単に取り外しできるのだ。


 自由になったマーレイは、すいーっとベッドのほうまで飛んでいくと、万結羅の手伝いなしにスーツケースを開いた。魔法の力か、と驚いている間に、中身を漁る。

 そして引っ張り出してきたのは、いったいいつの間に入れたのか、万結羅の知らない綺麗な香水ビンだった。


「レイシーから薬を預かってきた。これを衣服に振りかけると、守りの魔術を付与することができる。これを使うための戦闘服を選んでほしい」


 戦闘服。選べってことは、一着だけなのか。


「って言われたって……」


 あんな女の人が来る度に着替えさせる気か、とかそういうことは脇に置いておいて、万結羅は自分の記憶を浚った。


「戦うから、動きやすい服装……? ……ジャージ?」


 そういえば、中学で使っていたジャージがまだ残っている。三年間使い続けたものだが、万結羅は体育会系ではなかったので、わりときちんとした状態で残っているのだ。

 そこで銀の靴を思い出す。


「ねえ、これから戦うときって、銀の靴を履くことになるの?」

「ああ。今のお前には必要だ」

「いやいや駄目だ、やっぱナシ」


 パタパタ、と顔の前で手を振る。青虫のように全身緑色になるダサいジャージとお洒落な銀の靴が似合うはずもない。

 じゃあ、他になにがあるんだろう。ソフトテニスやってたときのユニフォーム? ジャージよりは可愛いが、銀の靴との相性は問題外。私服はガーリーでもカジュアルなものばかりだ。やはりハイヒールは似合わない。あと思いつくのはドレスだが、それは動きやすさとはかけ離れている。そもそも、そんなもの持っていない。


「どうだ? なにか良いものは――」

「今考えているから待って!」


 考えに割り込んだイヌを鋭い声で遮る。

 これは非常に重要な問題だ。銀の靴に合う、動きやすい衣装。機能を重視すれば見た目が損なわれ、見た目を重視すれば機能が損なわれる。その微妙な加減を如何様にするのか。まさに、着る者のセンスを問われているわけだ。

 ――ダサい格好をするなんて絶対に嫌だ。

 力の抜けていた身体に気合いが入る。万結羅はすく、と立ち上がると、タンスの中の服を、夏物冬物問わず引っ張り出した。

 十五歳。高校入学を前に、他人の目が気になるお年頃。

 万結羅は真剣にこの課題に取り組みはじめた。

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