【ファイターサンドマンのお友達】SFPエッセイ098

 おかあさんはあなたたちの奴隷ではありません。

 

 ぼくが子どもの頃、ある日、母が宣言した。それはファイターサンドマンが消息を絶ってから半年ほどの頃のことだ。その頃ぼくはファイターサンドマンのお友達と知り合い、両親には──とりわけ父には──気づかれないようにしていた。だから母が改まった調子で話し出した時、最初はそのことで叱られるのかと思った。でもそうではなかった。

 

 あなたたちが家にいる時に、決まった時間にご飯が出てくるのは、おかあさんが、そうしようと決めているから出てくるのです。おかあさんが、そうしないと決めたら食事はありません。お弁当もそうです。おかあさんがあなたたちのお弁当を作ると決めているからあるのです。作らないと決めたらお弁当はありません。掃除もそうです。洗濯も。ゴミ出しも。新聞を取りに行くのも。買い物も。朝起こすのも。

 

 ぼくはまだ何を言われているかわからなかったけれど、敬語でゆっくり丁寧にしゃべる母の言葉を聞いて、母が激怒していることを悟った。

 

 何時に起こしてほしい、何時に朝ごはんを食べたいと言うのは自由ですが、おかあさんはその通りに実行できると思い込まないでください。おかあさんはその時間、同時にたくさんのことをしています。洗濯を始め、朝ごはんの支度をし、お弁当の用意をしています。そのどれも仕事でしているのではありません。おかあさんがそうすると決めているからしているのです。そうする義務はないけれど、その方があなたたちが1日を快適に過ごせると思うからしているのです。その全てをやめてもいいのです。それでもいいですか?

 

 いいわけがない。でも、よくないですと答えられる雰囲気でもなかった。だからあわあわするばかりで口もきけなかった。

 

 何時に起こしてほしい、何時までに朝ごはんを準備してほしいと思うなら、おかあさんがそうやりやすいようにする工夫をしなさい。メモを書くのでもいい、お願いするのでもいい。本当ならおかあさんに起こされずに自分で起きればいいのです。おかあさんはそうしています。毎朝同じ時間に起きています。あなたもそうすればいいのです。

 

 だってぼくは自分では起きられないんだもん。いつもならそう言っていたかもしれないけれど、その時は言えなかった。

 

 朝起きたらおかあさんのところにきて、何時にご飯を食べて何時に出かけるねと念を押せばいいのです。前の晩に言いっ放しにしたことを覚えていてもらおうというのは虫が良すぎるというものです。あなたは人にものをお願いしている立場なのです。お弁当にあれを入れるな、これを入れるな、前と味が違った、ご飯の量が多すぎると不満なら、自分でつくればいいのです。違いますか? ファイターサンドマンのお友達はどうしていますか?

 

 ぼくは返事が出来なかった。母は重ねて聞いた。

 

 ファイターサンドマンのお友達はどうしていますか?

 自分で、つくっている。絞り出すように言うとぼくは泣き出してしまった。父の前でファイターサンドマンのお友達のことを言うなんてずるい、と考えながら。けれど母は容赦しなかった。あなたはゴミをゴミ置場に持っていくことができないのですか?

 おい、と父がかすれた声で言った。母はきっと父を睨みつけ、父は黙った。

 ゴミを捨てに行けますか、行けませんか?

 行けます。ぼくはしゃくりあげながら答えた。

 新聞を取りに行けますか、行けませんか?

 行けます。

 洗濯機の使い方を知っていますか?

 知っています。

 掃除機の……。

 そのへんは、また父が口を挟んだ。おとうさんがやるよ、だから……。

 だまって! 母がぴしり、と言った。わたしはタクヤに聞いているんです。

 父は喋りかけの顔のまま固まってしまった。

 知っています、ぼくは母に聞かれる前に答えた。そして考え始めた。ファイターサンドマンのお友達ならこういうときにどうするだろうか。

 

 するとたちどころにわかった。ファイターサンドマンのお友達なら気づくはずだと。母はぼくに言って聞かせる振りをして本当は父に向かって言っているのだ。そこでファイターサンドマンのお友達が登場して、よくわかったなと言った。ぼくが教えなくても自分で考えられるじゃないか。ううん。ぼくは君ならどう考えるかを考えたんだ。それでもさ、とファイターサンドマンとお友達は言った、それを考えたのは君だ、おれが教えたんじゃない、君が考えたんだ。さあ、その調子だ。考えてごらん。おかあさんは自分で決めていろんなことをやっている。君はどうする。

 

 父が、また口を開いた。じゃあ、新聞とゴミはおとうさんが代わりにやってやるからタクヤは……。

 ちがうよ! とぼくは言った。しゃべるたびに誰かに遮られる父が気の毒でもあったけど、父が決定的に間違えているのがわかったのでそれ以上しゃべらせるわけにいかなかった。ぼくがやる。ぼくが自分で決めてやる。

 新聞とゴミをか? と父は口ごもりながら言った。じゃあおとうさんは何をやればいい?

 まだわかってないな、とファイターサンドマンのお友達が言った。わからせてやれ。

 

 ぼくはぼくのやることを自分で決めてやる。だからおとうさんも自分でやることを自分で決めて。おかあさんの代わりにやるんじゃなくて、ぼくの代わりに「やってやる」んでもなくて。おとうさんが自分がやることを自分で決めて。ぼくはサッカーの後の洗濯と部屋の掃除をする。朝起きられるかやってみる。起きたら、朝練のある日とない日の出かける時間をもっと早く言う。おかあさんの代わりじゃなくてぼくのことだからぼくがやる。おとうさんは?

 

 え? あ? ああ。あ?

 ほら、助け舟を出してやれ、とファイターサンドマンのお友達が言った。

 助け舟……ぼくは考えた。

 どうして新聞を取りに行くの? ぼくは父に尋ねた。

 どうして? それはいつも新聞を読むのはおとうさんだから。

 どうしてゴミを出すの?

 駅に向かう途中にゴミの収集場所があるから。

 ほらね。おかあさんの代わりじゃないよね。

 むう。

 

 そこまで聞くと母は頷き、よろしくお願いしますと言った。それから、ああ、なんてことだろう、母はファイターサンドマンのお友達に向かって微笑んだのだ。ファイターサンドマンが父に消されてしまってから、ぼくはファイターサンドマンのお友達のことを父に隠していた。母にはこっそり教えていたけれど、大人には見えないんだと思っていた。でも母には見えていたんだ!

 

 と、当時のぼくは思った。

 

 今は違う。今ならもう少し違う説明ができることを知っている。ファイターサンドマンのお友達はぼくの中にいて、母はその時ぼくに向かって微笑んだのだろうと。あれから何年も経って、ぼくはお友達の方だけでなく、ファイターサンドマンその人がまだ消えていなかったことを知ることになるし、今はその両者を呼び出すことができるようになっているからだ。

 

 小さい子どもの頃、架空の「友達」をつくった人は少なくないはずだ。けれどその「友達」と大人になるまで付き合う人は滅多にいない。いたとしても、病的な幻覚と見なされてしまう。けれど、ぼくは知っている。他の人には見えない、自分だけのパートナーとして上手に付き合うことができれば、生涯の友を得られることを。

 

 彼らには、今もアドバイスを求めることができる。たいていはぼく自身が追い詰められた時に。社会通念から外れた乱暴なことばかり言うファイターサンドマンは、ぼくのフラストレーションを吹き飛ばしてくれるし、知的で穏やかなファイターサンドマンのお友達は、ぶつかった壁をクールに回避する手助けをしてくれる。

 

 マンガやアニメを見ていると、主人公が異世界のキャラクターとコンビになる設定の作品が──それは未来から来た猫型ロボットだったり、宇宙人だったり、死神だったり、妖怪だったり、変形した右手だったりするが──いつの時代にも見られるが、それはきっとぼくにとってのファイターサンドマンとその友達の同類なのだろう。

 

 みなさんは子どもの頃、どんな「友達」がいましたか? うまくすれば、その「友達」はいまもあなたを助けてくれるかもしれませんよ。

 

(「【ファイターサンドマンのお友達】」ordered by 山口 三重子-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・多重人格などとは一切関係ありません。

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