【秘密結社コリアンダー】SFPエッセイ073

 さっきから何度も書き始めては止まり、また最初から書き始めては止まり、を繰り返している。この歳になってもなお、あの時の誓いを破ることには抵抗があるのだ。我々は秘密の誓いを立て、その存在を決して人に知らせてはならない、終生、我々だけが秘密結社の存在を知るのだと言い合った。遥か昔に立てた誓いだ。後の二人も(後に一人加えて三人も)もう忘れているかもしれないような誓いだ。それでもぼくはその誓いを破ることに、いまなお大きな抵抗を感じずにいられない。

 

 当時、物知りの小和田君はこの秘密を守る誓いを述べる時に「死が我々を分かつまで」と表現し、ぼくらはそのカッコ良さにしびれたものだった。後になって、小和田君が少し前に従姉妹の結婚式に出席してこの表現を覚えてきたことを知った時にはがっかりしたものだったが、それはまた後の話だ。

 

 ちなみに「秘密結社」という言葉も小和田君が持ち込んだものだった。「秘密結社って、例えばどんなの?」とぼくが聞くと「バカだなあ梨方は。秘密なんだから誰にも知られていないんだよ」と言われた。「じゃあどうして秘密結社があるってわかるのさ」と吉林君が尋ねると小和田君は「それは秘密だから言えない」と言い放った。吉林君もぼくもその秘密感あふれる様子にほとほと感心してしまった。

 

 それから吉林君はやおら声を張り上げ「血判を押そう!」と言った。「ケッパンって何?」とぼくが聞くと「梨方は血判も知らないのか」と言って、昔のローシやキンノーのシシは名前を書いてそこに自分の血でハンコを押したのだと説明してくれた。小和田君もぼくもそのカッコ良さとおどろおどろしさと痛そうな感じに震え上がるほど興奮した。ぼくがまっさらなノートを一冊取り出し、秘密結社専用ノートに決め、それぞれが名前を書き、それからコンパスの針で指先をつついて涙目になりながら小さな赤い点の血判を押した。

 

 ぼくはノートの表紙に〈ひみつけっしゃ〉と書きながら二人に尋ねた。

「〈ひみつけっしゃ〉だけでいいかな? 名前をつけなくても」

「名前か」小和田君はちょっと遠くを睨んで言った。「名前はあるといいな」

「梨方が考えろよ」吉林君が言った。「小和田は秘密結社を考えたし、おれは血判を考えたんだから」

 秘密結社も、血判も二人が考えたわけではない。ぼくは心の中でそう思ったけれど、確かに二人はもうそれぞれ大事な仕事をしていることには違いなかったので、反論するのはやめにした。そしてふと思いついた言葉を口にした。

「いいじゃないか」小和田君は珍しいものを見るようにぼくを見て言った。「それどういう意味だ?」

「思いついたんだ」ぼくは答えた。「ふっと、いま思いついたんだ」

「カッコいい!」吉林君は鼻を膨らませていった。「テレビの戦隊みたいだ!」

 

 このようにして秘密結社コリアンダーは結成されたのだった。

 

 ぼくらは近所の原っぱに秘密基地を作った。秘密基地と言っても、原っぱの隅に立っていた木の根元あたりを秘密基地に決めただけで、特別に小屋をつくったりしたわけではない。根元に大きなウロをみつけてそこに空き缶をしまい、上に落ち葉をかぶせた。空き缶の中には〈ひみつけっしゃコリアンダー〉と表紙に書いたノートをしまい、誰の目にも触れないようにした。

 

 ぼくらは何かを決めるたびにノートに書き込んだ。「コリアンダー三か条」と題されたページには3つどころか全部で17の約束が書き込まれた。「世界のへいわをまもる」に続いて「世界をせいふくする」と書いてあったり、血判まで押して誓いを立てたのに「コリアンダーのことは親にも先生にもいわない」とわざわざ書いてあったり、「好ききらいをなくす」などという秘密結社らしからぬことが書いてあったり、時には「どんな時にもかならずほかのメンバーを助ける」と書いてあったり、3人の筆跡で多種多様なことが書き込まれていた。あるいはいずれ3つに絞り込むつもりだったのかもしれないが、今となってはもうわからない。

 

 なぜそんなに詳しく書けるのかというと、そのノートがいまぼくの手元にあるからだ。そしてこの文章を書き始めた理由はまさにこの17項目に及ぶ「コリアンダー三か条」を目にしたからなのだ。

 

 ノートにはぼくらの活動記録も記されている。すっかり忘れていたこともたくさんあった。ぼくらは小学校の、ふだんは使われていない倉庫のような部屋にこっそり忍び込み、そこを学校での第二秘密基地に指定した。原っぱでは野良猫を手なづけて「放牧」と称した。学校の給食をわざと残して猫たちに食べさせた。ある日、猫が一斉にいなくなってしまってがっかりしたが、後になって近所の人が保健所に連絡したのだと知った。原っぱにあまりにも野良猫が群れるので目立ってしまったのだった。小学校の4年から6年にかけてぼくらは秘密結社コリアンダーに夢中だった。

 

 ある日ぼくが秘密基地に一番乗りして一人でノートに活動記録をつけている時、いきなり後ろから「何してるの?」と声をかけられて仰天した。振り向くとユミだった。幼稚園のころから近所付き合いのある女子で、いまだから白状すると、ぼくは小さい頃から彼女のことが好きだった。もちろん当時はそんなことを言ったこともないし、そういうそぶりを見せたこともないつもりだったが、どうだったかわからない。

 

 絶対にバレてはいけない秘密を知られてしまった動揺と、そこに好きな子と二人きりでいる動揺で、ぼくは舞い上がっていたのだろう。自分でもよくわからないままにユミを秘密結社コリアンダーの4人目のメンバーにすることに決めてしまった。小和田君と吉林君が来るまでにユミもすっかり乗り気になっていた。だから小和田君と吉林君の不満げな反応を見て初めて、ぼくは自分が対応を誤ったことを悟った。

 

 その様子を見てユミは言った。「あ、そう。いいわよ。みんなにバラしちゃうから」。それは言っちゃいけない言葉だ! とぼくは思ったが、意外なことに吉林君は「それなら仕方ないな」と言い、小和田君も「じゃあ4人目のメンバーだ。秘密を守るんだぞ。死が我々を分かつまで」と言った。吉林君とぼくは「死が我々を分かつまで」と復唱した。ユミは面白そうにそれを聞きながら「結婚式みたい」とコメントした。

 

 それが秘密結社コリアンダーの終わりの始まりだった。

 

 ユミは少し後になって「死が二人を分かつまで」という言葉についてぼくに教えてくれ、ぼくはそんなことは知っているというふりをしながら、心の中で失望を覚えていた。あるときユミは秘密基地に妙な匂いのする葉っぱを持ってきて、ぼくらに食べてみろと言った。小和田君は匂いを嗅いで「やめとくよ」と言い、吉林君は「くせー! カメムシのにおいだ!」と叫んだ。ユミはこれがコリアンダーという野菜だと言い、ぼくらはそんなわけはない、コリアンダーというのはぼくらが作った言葉だと言い張ったが、あっさり言い負かされた。小和田君と吉林君がぼくに対して失望するのをひしひしと感じた。

 

 そのうち小和田君は塾が忙しくなり、吉林君は原っぱに捨てられていたラジオや扇風機の解体の方が楽しくなり、二人とも秘密基地に来なくなった。ぼくと二人でいても話すこともないのでユミもだんだん来なくなった。ある日ぼくは空き缶からノートを取り出し、もう二度と秘密基地に行かなくなった。やがて原っぱは整地され、3軒の家が建ち、秘密基地は消滅した。

 

   *

 

 もうお気付きの方もいるかもしれないが、吉林君とは、吉林大、いままさにマスコミで話題になっているアーティストのヨシバヤシヒロシ本人のことだ。彼のオリジナル扇風機の作品群を知らないものはいないだろう。世界をめぐり、あらゆる時代のあらゆるタイプの扇風機を収集し、解体し修理し組み立てる過程であっと驚く改変を加え、どこの国のものでもない、いつの時代のものでもない、いわば異世界の知られざる文明が開発した扇風機を創り上げてしまう。

 

 扇風機収集のためならどんな危険地域にも平気で踏み込んで、その旅のブログが人気を呼び、2冊の本にまでなっている。そしていま吉林君のブログは、中央アジアの砂漠地帯に踏み込んだところで更新が途絶えた。事故にあったのではないか、遭難したのではないか、「世界教国」を名乗る武装勢力に囚われたのではないかなどいろいろ憶測はあるが、現時点では全く消息不明だ。

 

 ついさっき、ぼくはあのノートを広げ、「コリアンダー三か条」を読み、「どんな時にもかならずほかのメンバーを助ける」という項目を読んで、自分でもよくわからないままに声をあげて大泣きしてしまった。それから決意をした。秘密の誓いは破るけれど、ぼくはこの項目を守ろう、と。それから吉林君の家に電話をした。何十年ぶりに、いまは吉林夫人となったユミの声を聞いた。

 

 ユミとぼくが現地に足を運べるかどうかは、これから試してみないとわからない。けれどとにかく試みるつもりだ。同時に、どうかみなさん、吉林君の無事を祈ってください。何かご存知の方はぼく宛にでも、それからこの文章を英訳してくれる小和田君宛にでもいいのでご連絡ください。ぼくらは吉林君を助けるために再び集まることにしました。秘密結社コリアンダーはこの瞬間からもう秘密結社ではなくなってしまうけれども、どうか秘密結社コリアンダーの無事と成功を祈ってください。

 

(「【秘密結社コリアンダー】」ordered by Shiro Kawai-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・日本パクチー党などとは一切関係ありません。

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