【冬の半袖中学生】SFPエッセイ066

 一時期、冬の半袖中学生に住み着かれたことがある。住み着かれた経験のある方はお分かりだろうが、あれは非常に厄介なものである。みんなが同じ体験をしているのかどうか、身近に経験者がいないので調べる方法がない。けれどもGoogleを使って「冬の半袖中学生」で検索すると、最初のうちは頑張っている子供の話や、厳しい校則の話が出てくるが、5ページ目あたりからちらほらと、冬の半袖中学生に住み着かれたという体験談が出てくるようになる。それを読むと、おおむね似たような経験をしているようだ。

 

 経験のない人のために説明しておこう。冬の半袖中学生はある日いきなり現れる。そして断りもなく住み着く。挨拶も何もなしだ。ぼくの場合は中学3年の秋口だった。まだ残暑で暑い時期だったが、そろそろ衣替えのシーズンを迎えようとしていた。ぼくが通っていた中学校は私服でもかまわなかったのだが、それまでぼくは夏はワイシャツに学生服の夏用ズボン、冬は学生服の上下で通していた。ところが9月も終わろうかというその日、冬の半袖中学生が現れたのだ。

 

 その日、自宅でベッドに寝転がっていたぼくの部屋のドアをノックもせずに開けて、冬の半袖中学生が入ってきた。ぼく同様白い半袖ワイシャツに学生ズボンをはいた男子だった。驚いて飛び起きたぼくはベッドの上に上半身を起こした姿勢になってきたが、部屋に踏み込んできた冬の半袖中学生は、ぼくを睨みつけるようにしながらずんずん突き進んできて──今思えばまるでそこにベッドがないかのようにすり抜けて歩いていたように思う──ぼくの体の中にするりと入り、そのままぼくの中に住み着いてしまったのだ。

 

 痛みもなく痒みもなく、これといった肉体的な違和感もなかったが、それは筆舌に尽くしがたく不快な経験だった。単純に中学生男子が一人、自分の中に入ってくるのを目撃してしまい、そしてそれが自分の中に住み着いたことがわかってしまったのだ。気持ちがいいわけがない。ぼくはものすごく嫌な気持ちになった。受け入れるつもりはこれっぽっちもなかったのに、抗議する間もなく、抵抗する術もなく、問答無用に住み着かれてしまったのだ。そんなこと、絶対に認める気がないようなことが、既成事実として起きてしまったのだ。抗議したくても冬の半袖中学生はぼくの中にいて、しかも何を言うでもなく黙ってそこにいるだけなので抗議のしようがない。

 

 それでももちろん、ぼくは抗議した。

「なんやねんおまえ!」

 言い忘れたがぼくは阪神間で生まれ育ったのだ。

「やめろや! 出てけあほボケかす」

 抗議というよりも、正確には混乱してただ悪口を並べたてたと言うべきかもしれない。

 

 しかし冬の半袖中学生はただ黙ってぼくの中でじっとしていた。「何考えとんねんダボ」とか「気色悪いんじゃボケ」とかひとしきり怒りをぶつけたが、何の反応もなく、また、これといって違和感があるわけでもない。そのうち、だんだんあれは夢だったんじゃないかと思い始めるようになった。ベッドで寝転がっていて、実は眠ってしまっていて、起きる直前に変な夢を見て、それが現実だと錯覚して、起きてから混乱しているのではないか、と。

 

 これは妥当な分析と言うべきだろう。常識的だし、超常現象を排除しようとしていて、冷静と言ってもいい。多感で何かと妄想気味の中学3年男子としては上出来だと、今からでもほめてやりたい。ぼくは徐々に落ち着きを取り戻し、部屋で大声で叫んだりわめいたりしたことを恥ずかしく思い、後から家族に何て説明しようかと知恵を絞った。セリフの練習をしていたことにしようと思いつき(このあたりが妄想気味な部分だ。ぼくはこのころ卓球部員であって、演劇とは何の関係もなかった)、どちらかというと一連のドタバタの事後処理について考え始めた。

 

 つまり、なかったことにしようとしたのだ。

 

 でも、それは間違いだった。当時のぼくを知る家族や同級生、そして先生方が記憶されているであろう通り、その年から始まって高校2年生に至るまで実に3回の冬を、ぼくは半袖1枚で過ごすことになるのだ。わかりやすく言えば、まるまる約4年間ずっと上半身は上着も下着もなしの半袖1枚だけで過ごしたのだ。気候の温暖な瀬戸内だからこそできたこととも言えるが、それでも名高い六甲おろしを始め、厳しく寒い日もあった。にもかかわらず、その3回の冬、ぼくはずっと半袖1枚のまま過ごすことになった。

 

 同級生からは、さんざんに文句を言われた。先生方からは「あほか」「風邪引くで」「ええ加減やめとけや」などと言われた。ぼくの身を気遣っているような言葉だが、同級生のコメントはもっと手厳しかった。「小学生かおまえは!」「見てる方が寒いねん。やめろや」「何考えとんねん。そんなに目立ちたいんか?」「おまえガリガリやから見てられへん」などなど。ほとんど怒りをぶつけてきている感じだ。そんなことを言われても、当の本人が半袖1枚でいたいなんてこれっぽっちも思っていないわけだから、反論することもできない。要するに全ては冬の半袖中学生のせいだったのだ。

 

 とはいえ、同級生の気持ちはわかった。ぼくだって身近にやせっぽちの半袖1枚男子がいたら不快だったろう。それに冬の半袖中学生がぼくの中に住み着いた日の、あの嫌あな感じをありありと覚えていた。あの不快な感覚をきっと同級生たちも感じているに違いない。そう思った。

 

 通常、小学生で半袖1枚で頑張っているのは割と美談として語られる。けれど中学生ともなると変わり者だ。ましてや高校生が半袖1枚となると、「どこかおかしい」と見られることになる。いまどきだったら親に虐待を受けているか、友達にいじめをされているか心配されても不思議ではないような異常な光景だ。

 

 そこまで思わないにしても、当時のぼく自身も自分が変わり者だと思われていることを意識しないではいられなかった。なにしろ多感な時期なのだ。自分ではそんなことをしたくないのに不本意にも非常に目立つ──学校だけでなく、通学途中の町の人からも好奇の目で見られる──羽目になり、奇人変人だの頭がおかしいだのピント外れの目立ちたがりだのいろいろなレッテルを貼られ、それは結構つらかった。

 

 でも一方で、そのように自分のポジションができあがってしまった以上は、それを自分のキャラクターに取り込んだ方が楽だと考えるようにもなった。中学3年生まで、目立たないおとなしい控えめな少年だったぼくが、何をやらかすか分からない変な奴という位置付けにシフトしたのは、この期間のせい、言い換えれば冬の半袖中学生のせいだとも言えるし、今から考えると冬の半袖中学生の「おかげ」だったとも言える。

 

 冬の半袖中学生はいきなりいなくなっていた。

 

 いついなくなったのかはわからない。高校3年の秋、肌寒くなったころ、もうぼくは半袖1枚でなくてもいいことに気づいた。寒いから長袖を着、さらには上に服を重ねるという、普通の人にとってはごくごく当たり前のことができるようになり、当惑しながら長袖で学校に行った。何人かの友人が気付いて「今年は半袖やないんか」「ま、受験もあるしな。その方がええで」などと言った。中には「半袖やめたんか。惜しいなあ」とよくわからない感想で残念がってくれる友達もいた。

 

 こうして外見上、ぼくは特に目立つことのない高校生に戻った。でも心の中では激しく混乱していた。何か大きなものが失われたように感じていたのだ。好奇の目にさらされ、それに対して反発し続けた3回の冬の間に、ぼくの中である種の反骨精神が養われたのは間違いなかった。それは経緯からしても状況からしても素直なものではなく、いびつでねじくれたものだった。でもその時、ぼくはすでに、その自分の中の反骨精神をとても大事なものだと見なしていた。だからぼくは、ずっと嫌っていたはずの冬の半袖中学生の不在を惜しみ、彼への感謝すら感じていた。感謝を伝えられなかったことを後悔していた。

 

 冬の半袖中学生が住み着いていた期間の記憶がとてもあいまいなことに気付いたのは、ずいぶん時間が経ってからだった。手垢のついたフレーズで言えばあれは多重人格のような現象だったのかもしれない。冬の半袖中学生は結局ただの一言もしゃべらず、半袖を着続けるということ以外は一切ぼくの行動に影響を与えなかった。人格と呼べるのかどうかもわからない。あれが何だったのか、いまとなってはもう知る術もない。ただ、ぼくがあまり同窓会に顔を出さない理由は察して欲しい。中学3年の冬から高校3年のどこかまで、ぼくには語り合うべき思い出があまりないのだ。

 

(「【冬の半袖中学生】」ordered by 稲葉 良彦-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・高階經啓などとは一切関係ありません。

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