【高階導関数】SFPエッセイ061

 えー、毎度たくさんのお運びをいただきまして誠にありがたいのでございます。いつものことながらおかしな話をせっせとさせていただくのでございます。と申しましても、ご覧の通りこれは高座ではございません。エッセイたらいうもんです。わかりまっか、エッセイて?

 

「師匠、エッセイをひとつさらさらっと書いてくれまへんか」

「はあ。それはよろしおますが、どの辺がええですか。手の届かんあたりでっか」

「ちゃいまんねん。背中掻いてくれとかいう話やおまへんねん」

「ほんなら何でんねん。犬かきみたいなもんでっか」

 

 てなもんで、何のこっちゃさっぱり全然わかってませんでしてん。ズイヒツや言われてもそんなん食べたことおまへんし、ちゃうちゃう食べもんやない、日記みたいに思うたこと書いたらええんやと言われてやっと作文をせいと言われてることがわかりまして。せやけど日記も書いたことあらへんし、子供の頃から作文は苦手でどうしたもんかさっぱりわかりません。それであれこれ考えて高座で話してる感じをそのまま文字にしたらええんちゃうか、いうわけでこんな風に書いとります。みなさんのお顔が見えないので、大層やりにくおますけど、まあお付き合いいただければありがたいんでございます。

 

 何を書いたらええんでっかと尋ねたら、いつもまくら話で話している師匠の名前のことをはどうでっかと。なるほど、思いました。お初お目にかかります方もおられると思いますんで、改めて名乗らせていただきますが、あたしは高階亭導関数(タカシナテイ ドウカンスウ)と申します。タカシナテイなんて聞いたことないで、いう方もおられると思います。実はうちの流派は亭号というのがございません。

 

 たいていの噺家のみなさんは三遊亭ですとか古今亭ですとか亭号というものを持ってはって流派ごとに同じ亭号を名乗ることになってます。「亭」の字はつかなくても、林家とか桂とか言わはるんも亭号でんな。うちの流派は、ふだんの苗字に亭の字をつけて亭号としてしまいます。だもんで、師匠筋が誰なんか名前を見ただけではわかりません。わかりませんけど、落語家らしゅうない、苗字に亭の字をつけただけの亭号やったら、たいていうちの一門ということになります。

 

 突然ですけど高階(コウカイ)導関数(ドウカンスウ)て、聞いたことありますか? これ、高座やとなかなか伝わらんのですが、文字やとわかりやすうて、ええですな。そっくりでしょ、あたしの名前と? 高階導関数いうのはですね、簡単に説明すると、関数y=f(x)のn階導関数、言い換えたら第n次導関数のことで、これは「f(x)の導関数f ' (x)の導関数 f'' (x) の導関数の……」てな具合に、f(x)をn回微分して得られる関数のことなんですな。

 

 ポッカーーーーーーーーーーーーーン。

 

 でしょ? 読んでるみなさんがポッカーンてしてはるのが、ようわかります。高座でもたいていこの話をするとみなさんの表情が変わります。「このおっさん、何語喋ってんねん」いう感じになる人がいてます。「え? わからへん。いま何か聞こえたけど一言も理解でけへん」て焦りはる人がいてます。「どこが簡単やねん!」て怒らはる人もいてます。ほんで総じて客席全体がポッカーンてなりますわな。わかります。あたしもさっぱりわかりまへんねん。この言葉だけ呪文みたいに覚えてますけど、何のこっちゃさっぱりですわ。

 

 実はうちの師匠がね、数学者なんですわ。噺家でもあるけど数学もやってはる。現役で先生をしてはる。おまけに口が悪い。アホ、ボケ、カス、タコは日常茶飯事、それぞれ比較級最上級みたいなんがありまして。アホンダラはみなさんよくご承知のもの、ボケサクいうんはボケとヌケサクが合わさったんでしょうな、男にチンカス女にマンカスは説明不要、重量級のカスにはウンウンオクチウムガス、これは説明を聞いたけど、ようわかりませんでした。タコが度を過ぎると大ダコ、タコなことを繰り返すと連ダコなんていうのは大喜利みたいな話で。

 

 あと、何でも「ド」をつけますな。ドアホはよう聞きますが、ドボケ、ドカス、ドタコゆうんはうちの師匠くらいしか言わんのとちゃいまっか。あたしの名前の導関数も、元はと言えばドカスからきてますねん。

「ドカス! おまえはなんぼ説明してもわからへん。細(こまこ)うに細うに教えても、その細いところを知りたがる。微分しても微分してもし足りひん。そうや。n次導関数や。おまえの名前を見たときから何かに似てる思てたけど高階導関数や。それがおまえの名前や」

てなもんで決められました。

 

 弟子への命名は数学用語が多いです。これでうちの一門はわかります。岩崎亭同時分布兄さんはものすごいドジな人でドージブンプ、名字が奈良というばかりに屁っこき扱いされた奈良亭閉集合、兄弟漫才師の石原亭オイラー・テイラーはよう似てはって区別がつかんで間違うから、てな具合です。オイラーの定理とテイラーの定理いうのがあるらしいですが、さっぱわかりまへん。スーパーマリオブラザーズのルイージにめっちゃ似てるいう理由で名前がついたのが森本亭累次極限。たまたまテレビに映った誘拐犯に似てるからついたんが、河原亭有界数列。みんな数学用語です。どんどんややこしなってます。シンプルな名前は惚れた女にしかつけへんそうで。おかみさんのことをイチいうて呼んでるのも、おまえが一番やいう意味やとか何やとか。

 

 この春、妹弟子が入ってきましてね。これがもうわざとやってるんちゃうかってくらいのポンコツで。何を教えても覚えへん。どんだけ言うても右の耳から左の耳に抜けてきます。落語だけ、ちゃいますで。使いにやったら道に迷う。帰ってきたら頼んでないもんを買うてくる。用を忘れて手ぶらで帰ってくる。ひどいときは財布を無くしてくる。雑巾掛けでは障子に穴を開ける。水の入ったバケツを置きっぱなしで師匠が足突っ込んで大騒ぎ。おかみさんの手伝いで台所に入ると大事な皿をみんな割る。なんやあいつは、えらい大変なんが来たな。わたしら兄弟子はハラハラしながら楽しみにしてまして。あいつが通ったあとは何も残らへん。イナゴの大群か絨毯爆撃かブラックホールか、師匠、どんなむつかしい数学用語の名前つけるんやろうってね。

 

 ほんなら今朝ですわ。師匠が「レイ、レイ」って呼んでますねん、妹弟子のことを。「なんやその可愛らしい名前は?」思って聞いたら「いくら教えても何も変わらん。足しても増えへん。掛けてもダメ。試しに引いても変わらへん。せやけど割ったら大変や。先祖代々の家宝の皿をワヤにしてもうて大損害。割ったときだけ無限大。せやからあいつは零や。数字のゼロや」

 

 とまあ嬉しそうに教えてくれました。おかみさんには聞かされへん、難儀な話です。

 

(「【高階導関数】」ordered by Hiroshi Yamamoto-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・落語団体などとは一切関係ありません。

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