【身土不二】SFPエッセイ055

 不健康な食習慣を見直し、田舎に引っ越して生活を根本からやり直そうかと考えている。そのきっかけとなったのが、この「身土不二」という言葉だ。

 

 「身土不二(しんどふじ)」はマクロビオティックがきっかけで広まったのでご存知の方も多いだろう。身体(身)と環境(土)は別々のものではない、切り離せるものではない(不二)というところから、その土地のもの、その季節にあるものを食べるのが身体を健康に保つためにいい、というような考え方である。

 

 この言葉はもともと仏教用語で「身土不二(しんどふに)」と読んだ。その場合、「身」とは過去世で行なった善行や悪行の報いとして受ける心身をさすそうで、ちょっと壮大な話になってしまう。「土」の方は、そういう「身」のよりどころとして与えられた環境のことをさす。前世に遡る話になると、今何を食べたらいいとかいう話では済まなくなってしまう。そこでマクロビオティック向けに解釈を変えて読み方も変えたのが「身土不二(しんどふじ)」というわけだ。

 

 なんでこんな話を始めたかというと、仏教用語、マクロビオティックそれぞれの「身」が個人的にはどちらも面白いからだ。仏教用語の「身」は、もって生まれた身体や心は前世に原因があるとしている。因果応報みたいな話だから、解釈を間違えると困ったことになる。例えばぼくのように生まれつき身体にある種の問題を抱えている人間が、何かの罰を受けているような話になると、ただでも苦労している上に、差別まで加わってしまう。

 

 だからこれは他人がとやかくいう話ではない。本人の問題なのだ。生まれつき不具合を抱える者が、今世ではどうすることもできない条件として、不公平と嘆いても仕方のないこととして、受容して先に進むための処世訓のようなものだと考えた方がいい。

 

 仏教用語の「身」を今世に限った話に置き換えるとまた興味深い。これまでやってきたこと、してきたことで身体はできていると解釈できる。食に限れば、食べてきたもので身体は構成されているということになる。英語のことわざの“What you eat is what you are.”というのと同じだ。

 

 さて。前世の報いであるにしろ、今世に口にしてきたものにしろ、どちらの「身土不二」もぼくには納得がいく。そのようにして生まれてきたぼくに与えられた環境とは、多くの人間が暮らす世の中だ。それこそが、ぼくにとってのよりどころだ。ぼくには他の人間が必要なのだ。他の人間がそばにいて生きる糧を与えてくれるのだから。

 

 若かった時分、食事の仕方は洗練からはほど遠かった。今から考えると、どうしてあんな面倒なことを、と我ながら呆れてしまう。力任せに獲物を狩り、調理もせずにかぶりつき、食いちぎり、貪り食ったものだった。狩りそのものも危険だったし、食べ残しを片付けるのも厄介だった。万一食べ残しが見つかろうものなら大騒ぎになった。

 

 あの頃は何度も失敗を重ねたものだ。いくつかの土地では住み続けることができなくなり逃げ出したこともある。人口の少ない村では一人でも行方不明になると村人が総出で捜索をする。そしてさんざんに食い散らかされた遺体が見つかると、それが野生生物の食べたものではないことがすぐにわかってしまう。他所者が疑われるのは自然な成り行きだ。こちらが狩られかねなくなる。

 

 失敗を通じて学び、小さな集落は避けるようになった。また、こういう食生活を続けている限り、外見上ほとんど歳をとらないことに気づき、一つの場所に長く留まることもやめた。人口が多くて、人の出入りの激しい、大きな町を選ぶようになった。とは言っても、現代の町に比べるとまだまだ規模は小さかったので、狩りの対象は他所の土地から商いに訪れている者や、町の周辺に住んでいる、人付き合いの苦手な者に限った。狩場も町から離れた街道沿いを選んだ。怪しまれないように町なかで暮らし、必要な時だけ町外れに向かった。

 

 やがて、血液さえ飲めばいいということがわかり(笑ってしまうのだが、肉は食べなくてもいいと気づくのに数世紀もかかった)、必ずしも命を奪わなくてもいいと気づいた。そのあたりから狩りの対象が女性に絞り込まれた。身体に密着して口づけをしても怪しまれないためだ。金さえ払えば少々変わったことをしても文句を言わないので娼婦や男娼を相手にすることもあったが、なにしろ金がかかるのでいつもというわけにはいかなかった。こうして力に頼る時代は終わりを告げ、女性を口説き落とす技に磨きをかける日々が始まった。

 

 時代が進むにつれ町はますます大規模になり、ぼくには住み良い世の中になってきた。性的嗜好も多様化し、性的な職業でなくても、首を絞められ失神させられるのが好きだとか、刃物で切りつけられるのが好きとかいう一般人があまり苦労せずに見つかるようになった。万一のことがあっても、大都市では隣に住んでいる人がいなくなっても誰も追求しない。とてもいい環境だ。

 

 そういうわけで、ぼくはいつも、その土地のもの、その季節のものを口にしている(幸いなことに人間は季節を問わず、ふんだんに手に入る)。まさに「身土不二」を実行していると言える。ただ、最近よく思うのは、大都市に暮らし、まわりの干渉を受けない人間は、その土地の者ではない場合が多い。厳密に言うと「その土地のものを口にしている」とは言えないかもしれないということだ。

 

 また都市生活者の血液の中には薬や化学物質がまざっているらしく、血を飲んだ後に体調を崩すこともある。そろそろぼくも食習慣を見直すべき時が来たのかもしれない。人工的なものに囲まれた都市生活を捨て、自然な食べ物を口にして、薬に頼らず健康的に暮らしている人を求めて田舎に引っ越すべきかもしれない。おすすめの土地があったらぜひ教えて欲しい。

(「【身土不二】」ordered by 阿久津 東眞-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・食養術などとは一切関係ありません。

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