【脱水】SFPエッセイ053

 だらだらと長い坂道を登っていた。真夏さながらの陽気でじりじり灼けつく日差しを遮る日陰もなく、路面からは眩しい照り返しと、調理中の鉄板上でも歩くような熱気が立ち昇る。乳母車の中では長男がおとなしく寝ている。寝ている? 覗き込むと顔が真っ赤で、浅く、せわしくなく、はっはっと息をしている。頬に触れると燃えるように熱い。と、見る間に顔色が青白くなり、全身がぐったりとし、呼吸が細くなる。しまった。暑さにやられたのだ。飲み物を与えねばと探すがどうしたわけかあるはずの場所に見つからない。日差しを気にせず抱き上げてやるべきか、乳母車のシェードの中に置いたままにすべきか判断に迷う。ふと見ると乳母車は空っぽだ。息子はもういない。いなくなってしまったのだ。頭の中にそんな想念が湧く。わっと叫んで目をさます。

 

 何度も繰り返し見る夢だ。場所や乳母車の色などは違うが、ほぼ同じ夢を繰り返し見てきた。目覚めると決まって喉がカラカラに渇いていて汗もかけないほどの脱水状態にある。そういう体調の時に見る夢らしい。汗が引いて体表が冷え始めた身体で洗面所に行き、うがいをし、口をすすぎ、コップ一杯の水を飲む。後にはスポーツドリンクを枕元に常備して飲むようになった。

 

 初めてこの夢を見た記憶は幼少の頃に遡る。自分自身がまだ小学生の頃でも、夢の中ではすでに赤ん坊を持つ父親だった。目覚めた後、大人で親でもある自分への違和感も恐怖心の原因だったように思う。十代の頃には自分が大人で親であることには慣れていたが、やはり恐怖心は消えなかった。年が離れた弟の身に何か起こるのではないかと恐れていた。その頃は年に何度も同じ夢を見た。

 

 成人してからは頻度こそ減ったが、それでも忘れた頃にまた現れる。二十代半ばで結婚し、妻が妊娠した時に、またこの夢を見て心底ぞっとした。長男が生まれ、次男が生まれ、それぞれ乳母車を使っている時期には数が減ったがやはり何度か見た。実際には夢の中のようなことは起きなかった。真夏に長い坂道を乳母車を押していくようなことがなかったわけではないが、あの悪夢ほどひどいことにはならなかった。用心していたせいもあるだろう。夢のおかげと言えなくもない。

 

 これも夢のおかげなのかどうかはわからないが、救急救命士という職業を選んだのも悪夢の事態を回避する役に立った。実際に危険な状態の傷病者と数多く接してきて、すべき処置を身につけていたし、そもそもそんな事態にならないよう適切に準備することができた。いまや二人の息子たちも成人し、社会に出てそれぞれに結婚し子を授かって、夢の中の「長男」を思わせる男の子や女の子を連れ回している。その子達を相手にあの悪夢を再現する恐れもまずない。なぜならいまや私は自分の足で立つことができずもっぱら車椅子で移動しているからだ。乳母車を押すことは、残念だができない。不自由を抱えるのは不幸なことだが、ことあの悪夢から解放されことに限って言えば、幸せだとさえ言っていいかもしれない。

 

 にもかかわらず、同じ夢を繰り返し見る。今朝も久しぶりにこの夢を見た。今朝の夢で自分は現役の救命救急士で、脱水というのは言葉通りに水分が失われているだけでなく電解質も失われているわけだから単なる水や茶だけではなく、適切にイオンの配合された液を輸液せねばならない、などとせわしなく考えていた。

 

 この夢は一体何なのだろう? 何度も考えた。なに、本当は大したことではなく、自分の身体が脱水状態にあることをただ単に知らせてくれているだけなのだろう。上にも書いたように。ただ、なぜこのようなモチーフの夢なのかはわからない。初めてそういう夢を見た頃に、ひょっとしたら実際にそういうぐったりした赤ちゃんを見たことがあったのかもしれない。あるいは、と時折考える。これは前世の記憶のようなものなのだろうか。さもなければ「そうであったかもしれないもう一つ別な人生」がパラレルワールドの境界線を越えて漏れ出しているのだろうか。そんな非現実的な想像をしてしまう。

 

 とある作家が、小説というのは「そうであったかもしれない別な人生、別な世界を立ち上げる営みだ」と書いていた。巷には太平洋戦争の書き直しや、第三次世界大戦や、近隣国との紛争や、原発事故や、それやこれやをかきまぜたテロなどを描いた小説が溢れている。これは何を意味しているのか。現実の世界とは異なる「ありえた世界」「ありうる世界」がどうなるのかをシミュレーションしているのだろうか。それとも「今のままではこうなる」と警告しているのだろうか。そしてそんな架空世界の話を多くの人が手に取って精読しているのはどういうことだろうか。そこにどんな「脱水」の症状を見いだしているのだろうか。

 

 だとしたら、この現実世界が直面している「脱水」とは何だろう? それは別な世界のできごとであって、現実世界とは関係ないと油断していていいものだろうか。それとも、いますぐスポーツドリンクを口にすべきものなのだろうか。スポーツドリンクの準備は間に合っているのだろうか。

 

(「【脱水】」ordered by 阿藤 智恵-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・永遠の◯などとは一切関係ありません。

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