しずチョコろなく寧々に散るらむ

旋風次郎

第1話 プロローグは風と共に

平成××年弥生月下旬某日、京都市内の夜。

今宵も京都タワーの灯りがひっそりと街を見下ろしていた。

そんな古都の夜の街でしょぼしょぼと杯を酌み交わしている一組の輩同士。

何やら愚痴をこぼしている男と、それを慰めている男のようだ。

そんな二人の様子からご覧頂こう。


それは儚い恋だった。

尾関陽平は儚い恋に破れ、打ちひしがれ、寒い早春の日々を過ごしていた。

「もうアカンかもしれん。もう何にもする気が起きひん。」

「どないしたんやヨーヘイ先生。ははーん、また余計な恋をして、またまた恋に破れたな。どうせまたあそこの店のおねいちゃんやろ?だからアカンって言うたやん。」

「うう、当たってるから何も言い返せされへんのが悔しい。せやけど、今度こそ上手くいくと思ったんやけどなあ。」

陽平の友人であるヒデこと米谷秀哉とは、高校時代からの長い付き合いである。すでに三十の坂を半分登り終えた二人は、まだ共に独身であった。

二人とも縁がなかったわけではない。陽平にも三十少し前に結婚のチャンスはあった。しかし、いわゆる元カノと一夜を過ごしてしまったのがばれてしまったために破談となった。

秀哉も同様にチャンスはあった。しかし、彼の風俗通いがばれてしまったために、これも破談と相成ったのである。

それぞれ理由は違えども、女性に対してのブレーキが相当緩い二人であることは間違いなかった。

「そやからキャバの女の子は恋愛の対象にしたらアカンて言うたやろ。なんでいつも本気になるんかな。」

「オイラはね、惚れやすいんよ。せやから本気になってまうねやん。」

「単にエッチがしたいだけやったんやろ?」

「違うで、本気で彼女が好きやったんやで。デートかて二回もしたし、次に会う約束もしてたのに。」

職場が近い二人は、ややもすると仕事帰りに待ち合わせて、赤いちょうちんが垂れ下がっている店の暖簾をくぐるのである。

今宵はどうしても愚痴りたくて、陽平から秀哉に声をかけていた。

「ええようにあしらわれてるのをもっと早く気付かんと。デートって言うたって、食事を奢らされただけやろ?ベッドインしたわけやないやろ?」

「別にそんなエッチなこと望んでへんかったし。それに食事言うたかて、そんな高級なもんをご馳走したわけやない。いつかて彼女は控えめやったし、次のボクの誕生日にはちゃんとお祝いしてくれるって言うてたし。」

慰めて欲しかったのか、酔いが回る前からクダを巻く陽平。秀哉はそれを言い聞かせるように肩を叩き、酌をしながら諌める。

「それがな、彼女たちの常套手段なんやねん。口約束を破られたことなんか気にしてたら、オレかていくつあったか数え切れへんで。それよりや、陽平は普通の恋をした方がええと思うで。どっかにエエ子おらんの?」

「ヘタなんやな、女の子と仲良くなるん。」

「そんなことはないやろう。お店の女の子とは仲ようやってたやんか。」

「どうせ貢がされてただけやってことやろ?」

そう言うと陽平はおもむろにポケットから小さな箱を取り出した。

「なんなんそれ?」

「リエちゃんにプレゼントしようと思って買っておいたペンダント。」

「あははは、今どきの女の子がペンダントなんかもらって喜ぶんか?バッグとか指輪やないとアカンのとちゃうん?」

「ヒデはどんだけ贅沢な女の子と付き合って来たんや。ボクが気に入る女の子はみんな普通の女の子やねん。さっきも言うたやろ。」

「せやけど今どきペンダントなんか、時代遅れもええとこやで。どれ、ちょっと見せてみいな。」

秀哉は陽平の手から小箱を奪い取ろうとするが、そうはさせじとポッケに戻す。

「ええねん、キミなんかに査定してもらわんでも。またこのペンダントが似合う女の子に会うまで大事に取っとくわ。」

「また、あの店のか?」


あの店―――。

秀哉と陽平が話している「あの店」とは、昨年の冬、ふとしたことから足を踏み入れたセクシーキャバクラのことである。店の名前は『ナイトドール』といって秀哉には馴染みの店で、彼にはジュンというお気に入りの女の子がいて、たまに遊びに行くのである。

秀哉が通っていた一年ほど前は陽平には彼女がいたので、できるだけ夜の店への進撃は控えていたのだが、半年ほど前に陽平が不幸にも当時の彼女に振られたとき、秀哉が誘った慰め会の夜、やや強引に連れられて店の扉をくぐってしまったのがきっかけである。

それ以降、なまじ嵌ると深く溺れるタイプの陽平にもお気に入りの女の子ができたために、あっという間に恋に落ちてしまったのである。

ところがある日突然、お気に入りの女の子は店を辞めてしまい、陽平はまたしても恋に破れる形となっているのである。


「しばらくあの店には行きたない。行ってもリエのことを思い出すだけやん。」

「そんなことは行って見んとわからへんで。またドキッとするような子が見つかるかもしれんで。それでも深入りはせん様にな。また同じテツを踏むことになるだけやし。」

秀哉は焼き鳥の串をほおばりながら、完全な上から目線で陽平に忠告している。

「そんなな、エエ子がワンサカおるわけやないやろ?」

「せやけどな、この間、ヨーヘイ好みのおっぱいがおっきな子が入ったって噂やで。」

「もう少しブランクをもらえんか。ホンマに真剣やったんやから。」

煽るようにしてジョッキを空にした陽平は、店員におかわりを注文すると、天井のある一点を見つめるようにぼおっとし始めた。

「あーアカン、重症やな。しばらくはそうやって酒に頼るしかないな。」

「はああ。」

陽平のため息は、今宵も深く店の奥に漂い始める。

「慰めてやりたいところやけど、ジュンちゃんに今日は行くって約束してあるから、オレは行って来るで。おまいさんはもうしばらくここで溜息とおしゃべりしとき。唐揚は置いてってやるから。」

そう言うと、秀哉は上着を持って立ち上がった。

「新しい女の子の様子も見て来たるから、明日、楽しみにしとき。」

陽平は秀哉の言葉も耳に入らぬかのように、虚空の一点を眺めていた。

「ほらほら、新しいジョッキが来たで。これだけ空けたら、今日はもう帰りや。」

秀哉はここまでの勘定を払い終わると、颯爽と店を出て行った。


一人残された陽平は、ケータイを取り出して、リエにメールを打ち始める。

店に通っている間、女の子たちは馴染みの客とメールで連絡をやり取りしていた。しかし、店を辞めると同時に連絡が取れなくなることが常であった。

陽平もわかってはいるが、それでもメールを送るのである。

「リエちゃん、キミにプレゼントしようと思ってたペンダント。いつかキミに渡せるその日まで、ボクの机の引き出しにしまっておくからね。」

送信ボタンを押して、唐揚をほおばり、ビールを注ぎこむ。

数秒後、ケータイのメロディが流れた。

一瞬、返事が返ってきたと思い、喜び勇んでメールを覗いた途端、陽平は闇の底へ突き落とされた。今までは、返事が帰ってこないだけの音信不通だったが、今度はアドレスが完全に削除されたとみえて、不達メールとして帰ってきたのである。もはや陽平がメールを送ることさえ拒否されてしまったのだ。

その悲しみはビールの煽り具合で表現された。手元にあるジョッキを一気に空にすると、再びお変わりを注文したが、次のビールが運ばれて来るまでにポッケの中の小箱はくしゃくしゃに握りつぶされていた。

「やっぱりオイラもその辺の客と同じやったってことか。」

自分に言い聞かせるように言い放ち、後は呼吸を整える。

陽平とてすでに三十路を超えたいい大人である。これ以上醜態を晒すことがモラルに反していることも心得ている。

どんよりと重くのしかかる沈んだ気持ちを酒で軽くすることなどできず、うつむき加減のままで今宵はアパートへと帰ることになるのであった。

ふと見上げると、晩春の風が冷たく街路樹を揺らしていた。



あれから一週間も経ったころ、陽平は一人で飲んでいた。

会社の近くにある赤ちょうちんの店で『かば屋』という名前の店である。先日秀哉と飲んでいたのもこの店だった。店の名前の由来は知らないが、マスターの経歴に関係があるらしい。店の様相は飾り気のない壁紙、音もなく流れているテレビ、立ち上るタバコの煙、そんな風景が昭和の雰囲気を醸し出していた。

この日も未だに溜息だけが大きく陽平の肩を揺らしていた。その様子を見ていたマスターが陽平の背中を叩いた。

「どないしたんや。この間からやけに溜息ばっかりやないか。」

マスターは原田雄三といって、六十に手が届いたかどうかという年齢。馴染み客からは兄貴分として慕われている。

「マスターは失恋した後はスパッと諦めきれるタイプですか?オイラはね、一ヶ月ぐらいは引きずるんです。目の前から彼女の姿が消えないんです。」

「おまいさん、いくつになったんや。まるで中学生やんか。今どきの高校生ですら、そんなに長く引きずっとらんで。」

「今の若い子みたいにドライになれないんですよ。それぐらい本気やったんやから。」

「本気かどうかは別として、ええ大人なんやから、いつまでも伏せってんと、次のことを考えや。女なんか一杯いるやんか。ましてやおまいさんはそれほど醜男ってほどでもないやろ。きっとまた、新しい恋がすぐにも見つかるって。」

マスターは無責任な慰めをするしかないが、言ってることは間違っていない。

「それよりも今日は一人か?」

「ヤツと一緒に飲んでも、オイラが愚痴っぽくなるだけですから。ヤツのドライなところは羨ましい限りですけどね。」

「どないや。ウチのバイトを紹介してやろか。」

「エッちゃんでしょ。普段から普通に会話してますよ。」

バイトの女の子はエリカちゃんといって、京都市内の大学に通うアルバイトの女の子。ポニーテールがよく似合う可愛い女の子だった。しかしながら、彼女はスレンダーであり、陽平のタイプではなく、彼女との会話は客と店員の間で交わされるであろう普通の会話にとどまっていた。

「おまいさんらがどんな店に行ってたのか知らんが、思い切って違う店にでも行ってみたらええねん。どの店に行ったって同じやと思うけどな。それよりもちゃんとした彼女をちゃんと探した方がエエかもよ。」

マスターはそれだけ言うと厨房の奥へと消えて去り、陽平にはどんよりとした重い空気だけが残された。今宵も炙りたらことぬる燗をちびりながら、ただ時間が流れるのを見送くるしかなかった。

そんな折、ふと店内を流れているテレビを見上げると、陽平が若かりし頃に流行っていたドラマのリプレイシーンが流れていた。そして、その役者が言い放ったセリフこそが陽平の印象に強く残っていたセリフだった。

『踏ん切りをつけるためにあの場所へ戻るんだ。』

確かに見覚えのあるシーンだった。当時の記憶が蘇る。まだ陽平が大学生だった頃、学生同士の恋愛劇を描いたトレンディドラマだった。陽平が好きな女優が出演していたこともあり、深く記憶に残っていた。

先のセリフを言ったのは陽平が好きな女優ではなかったが、ドラマの中で失恋した男が立ち直るきっかけを掴むために、その友人が言い放つセリフだった。

「あの場所へ戻れか。せやけど、戻ってどうなるってもんでもないやんな。」

ぼそっとつぶやいては見たものの、その後のドラマのストーリーがどうなったかをうろ覚えにしか記憶にない陽平にとっては、その役者のそのセリフを言う一幕だけが唯一記憶に残っている場面だったのである。

「確かあの場所って図書館やったよな。そんでもって受付の女の子と恋に落ちるんやな。そんな都合のエエ話、ドラマやからあり得るねんな。」

愚痴はこぼすものの、気になり始めているのも事実だった。

「まあ気晴らしに、新しいおっぱいの大きな子を見に行ってみるかな。」

マスターなら「またその店かい」って言うだろう。でも秀哉なら「行った方がエエよ」って言うに違いない。

手元の徳利が空になるタイミングで席を立つ陽平。そして何かを思い詰めた様に店を出た。マスターには「どこ行くん」と聞かれたが、「ちょっと」とだけ言い訳して扉を開いた。

表通りには、まだまだ冷たい早春の風が吹いていた。

陽平が向かう店へ誘うように背中を後押ししながら。



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