天空の喰人祭
あきたけ
プロローグ
小鳥のさえずりが聞こえる。花壇に咲いている花たちの匂いがする。暖かく、やさしい春風が吹いている。その風は、目の前の少女の髪の毛をふわりと揺らす。
少女は六歳か七歳くらいで、華奢な体つきをしていた。とくに病弱という訳ではなかったが、色は白かった。その白い頬を微かに赤くしながら、
「ねえ……私、将来はキミのお嫁さんになりたいな」
彼女は少し恥ずかしそうな表情を浮かべて、ませた声色になりながら、そう言った。
その言葉を受け、少年は笑みを浮かべる。
胸の奥から、温かい感情が湧き上がる。
「……うん。分かった。約束だよ」
「……ありがと」
少女は微笑んだ。
幻想の世界に生きるような、そんな可愛らしい少女を見つめて、少年の心はさらに温かくなった。少年には、少女の心の重要な部分を今、自分が占めているのだという幸福感があった。いつまでもこの柔らかで純情な幸福を感じ続けていたいと思った。
「キミが、お嫁さんになってくれたら、きっと僕の世界はより一層、色を増すんだろうなあ」
「ねえ、色を増すって、どういう感覚なの? だって、色は見えているんでしょ?」
首をかしげて、少女はそう尋ねた。色と色との間に存在する、漠然とした感情について、少女は知りたいようだった。その深い瞳に向かって、少年は囁いた。
「世界が色を増す、っていうのはね、どんな色を見ていても、嬉しい気持ちになるっていうことなんだよ。僕が空を見ていても、本を読んでいても、ご飯を食べていても、キミという存在から発せられた鮮やかな世界が、色を伝って僕の心の内側に入り込むっていうことなんだよ」
少年は少し息を切らしながら、少女に向かってそう言った。
いかに少女が住むこの世界が美しいか、真剣に伝えたかった。
「物知りなんだね、嬉しい」
少女は微笑んだ。天使のようなその表情は、神話の世界にのみ存在しうるような、そんな現実離れした感情を、少年の心の内に呼び起こした。
「ねえ、手……繋いでいい?」
と、少女が言った。
「もちろんさ」
と、少年が言った。
小さく幼い二つの手が、交わった。お互いが温かさを感じた、
その時だった。
「あ、なにかが、いる」
突然、少女はそう言って空を見上げた。
少年も、つられて上を見ようとした途中で、空からものすごい悲鳴が聞こえた。喘ぐような女性の声だった。一瞬ひるんだが、少年はバッっと勢いよく空を見上げた。
そこには巨大な顔があった。それが上空に浮かんでいる。
トテモ若く、トテモ美しい女性の顔で、色は白く、服は着ていなかった。
少年は生まれて初めて、母以外の女性の裸を見てしまった。だが今、見ているそれは果たして人間と呼べたものか疑わしく、その目と口から大量に血液を流し、顔には苦悶の表情を浮かべていた。
巨大で艶めかしい手足をビクビクと痙攣させ、パクパクと口を動かしながら、喘ぎ声を発している。その声とともに、血液とよだれが混じった泡が、口から溢れ出し、地面に降り注がれた。
太ももをバタバタと痙攣させている。その都度、股の間から大量の鮮血があり、少年と少女に降り注いだ。血の臭いは鉄ではなく、海で嗅ぐような潮の臭いと、魚たちが死に腐ったような鮮烈な臭いがした。
「…………なに、あれ」
少女は恐怖に取りつかれたような声で、そう少年にすがった。
少女が自分に抱き着いてきたのを、少年は感じた。
体の震えと、小さな温もりから、少女が想像を絶する恐怖を感じているのだと痛烈に感じ取った。
そうして少年自身もまた、遥か上空に浮かぶ巨大な女の裸体を見て、全身が凍りつき、頭のヒューズが飛ぶような恐怖を感じていた。
女の痙攣はまだ止まらない。降り注ぐ鮮血が、少女の服を汚した。
「ねえ、怖い!」
血まみれになった少女は、その血をぬぐおうと、服を少年にこすりつけた。しかし何度こすっても血が落ちるということは無かった。
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