008「悪趣味」


「先輩、天海あまみ御言みことは生まれつきのろう者、耳が聞こえない写真家なんだよ」


 ササキはそういった。妙に誇らしげな、自分の新しいおもちゃを誰かに自慢する子供のような声が耳に残った。


『今日、大塚君来てる?』


 天海あまみさんはいつの間にかホワイトボードの文字を書き換えて、僕に見せた。疑問を投げかけるように小首をかしげている。「私、質問してますよ」という事がとてもはっきり分かる顔だった。


「ああ、店長ですね。来てますよ……って、そうか、聞こえないのか」


 大塚とは店長の本名である。誰も呼ばないので、常連客でも知っている人は数少ない。


 僕は身振り手振りで、店長が来ている事を伝えようとしたが、ちょうどそのタイミングで店長がカウンターの中から出てきた。


「お、御言みことさんじゃねえか! 懐かしいな! あいたかったぜ!!」


 店長は天海あまみさんを見るなり、心底嬉しそうに腕を開いた。天海あまみさんもそれを見て、目を見開き、口を嬉しそうに開けた。これまた「私、喜んでる!」とはっきり分かるような表情だった。


 二人はそのまま激しめのハグをした。アメリカンスタイルな挨拶だった。


「て、店長? 天海あまみさんとはどういう関係なんです?」

「ん? 俺の先輩だよ。で、昔の常連客だ。最近は忙しくてあんまりこれなくなっちまってるけど、たまにこうやって顔見せに来てくれるんだよ」


 天海あまみさんも何故か嬉しそうに頷いている。

 どうやら、割とゆっくりはっきりしゃべる店長の口の動きを読み取っているらしい。詳しくは分かっていないだろうが喋っていることのニュアンスは伝わっているようだ。


「あんまり来てくれないから、忘れられちゃったのかと思いましたよ!」


『大塚君みたいな“誰かさん”と違って素直でかわいい後輩を忘れたりしないよ~』


 天海あまみさんはそう書いて、嬉しそうにボードを店長に見せた。その後、じとーっとした目でササキを横目に見ながらボードをササキの方に傾けた。表情の切り替えが激しい。


「そういってもらえると嬉しいですよ!」


『あ、年賀状ありがとうね!! 毎年毎年ちゃんとくれるなんて大塚君はほんとにいい後輩だよー! “誰かさん”と違って』


 天海あまみさんはまたそう書いて、店長の肩をバシバシ叩きながら嬉しそうにボードを見せた。そしてまた僻みっぽい目でササキを見ながら、ボードをちらっと見せつけた。


「……だってよ『誰かさん』」

「……うるさいよ。シュン君」


 僕のセリフにまともな返答すらできなくなっている。ササキも天海あまみさんが相手だとたじたじらしい。


『学生時代は『せんぱいせんぱい~♡』って可愛かったのにな~。あーやだやだ。斜に構えた中年なんて、秘密結社から電話かかってくるフリする中学生ぐらい痛々しいよ?』


 凄い速さで書いているにも関わらず、勢いでササキを煽っていく天海あまみさん。例えも嫌に具体的かつ攻撃力が高い。何というか、人をいじる嗅覚に長けた人らしい。


 というか、ササキそんなキャラだったのか。今と違いすぎる。


 あいつのセリフに♡なんて、本年度のミスマッチ・オブザイヤーノミネート間違いなしの気が触れた組み合わせだ。


 ササキはそれを見て、にやにやと笑った。が、笑みにはいつもの余裕が感じられない。


「やめてくださいよ……昔の話ですから」

『あーあー。あの時は、『あなたに会うためにこの大学に来ました!』とか、殊勝なこと言ってたのになー』

「いいましたかね……そんなこと……」


 ササキがそんな正統派ラブコメみたいなセリフを言うところなんてかけらも想像できない。来年度のミスマッチ・オブザイヤーの前借りをする必要がある。異例の事態に選評委員も頭を悩ますことだろう。


『『先輩の足ならいくらでも舐めます!!』とも言ってたじゃん!』

「えぇぇぇぇえええ!?」


 さすがに僕も声を上げてしまった。


 究極の殿堂入りワードが飛び出してしまった。おそらくこれ以上のミスマッチが現れることは金輪際ないだろう。突発的に始まったミスマッチ・オブザイヤーは、これをもって廃止せざるを得ない。短い間だが、賞のために尽力した脳内審査員たちに敬意を表したい。


 ていうか「先輩の足ならいくらでも舐めます!!」って。普通にセクハラ、というか性犯罪の領域じゃないか。明らかに大学の先輩後輩の間柄の会話ではない。


 ササキもこれには苦笑いだ。顔が引きつっている。


「捏造ですよ……先輩も大分お年を召したようですね」

『ん? 今、私の歳のこと言った? 殴ろうか? 言葉を越えた拳のコンバセーションしようか?』


 天海あまみさんはそう書いて、暗い迫力のある作り笑顔を作り、拳を握った。細い腕ながら、握られた拳はどこか威圧感がある。


 ササキのささやかな反撃も無下にされ、ササキは無抵抗アピールするように両手を上げた。何かをあきらめたような虚ろな目をしている。



 天海あまみさんにいいように振り回されてうろたえるササキを見ていると、心が洗われるようだ。他人の、特に僕を日ごろから貶めてきたササキがおろおろする姿はとても痛快で、ずっとストレスにさらされてきた僕のハートも今日ばかりは喜び勇んで小気味よいビートを刻んでいる。


「ここでバイトしてきてよかった……」

「シュン……お前大分ササキに毒されたな……」


 店長が不吉なことをつぶやいたが、気にしないことにした。



 閑話休題。



「で、今日のご用件は?」


 天海あまみさんは、一つため息をついて、真剣な顔になってからボードに文字を書き、ササキに見せた。本当に表情が豊かな人だ。


『分かってるくせに。いい加減、意地張ってないで私の事務所に帰っておいで』


 ササキはボードを一瞬だけ見た。そして……


「お断りします。何度も伝えたはずです」


 そう、断言した。声はそう大きくないが、聞こえない天海あまみさんにも伝わるように大きく口をあけて、はっきりと発音した。


 僕はその様子を見て、「どういうことだ?」とササキに問いかけようとした。しかし、天海あまみさんもササキも真剣そのものといった表情だ。二人の間には緊張感が漂っていて、おいそれと口出しできる雰囲気ではなかった。



『どうして? 理由ぐらいは聞きたいんだけど』

「ボクは、写真家としてやってはいけないことをしました。ですから先輩と一緒に仕事をすることはできません」

『私はもう許してるよ? 気にしてない』

「ボクが気にするんです……それに、今は別の仕事がありますので」

「?」


 どうやら最後の言葉だけうまく伝わらなったらしい。天海あまみさんは眉間に皺をよせ、少し首をひねった。ササキは机にあった紙ナプキンに「別の仕事」と書き、天海あまみさんに渡した。が、さらに眉間の皺は深くなった。


『別の仕事ってなに? どういうこと?』

「それは……」


 そういって言葉を切ったササキはいきなり僕の肩をつかんで自分の方に引っ張り込んだ。急だったので、僕は態勢を崩して倒れるようにササキの横に座った。


「このシュン君が持ってくる依頼です。彼の友人や関係者の依頼を受けているのです」


 僕の肩に手を置きながら、ササキはそう言った。あまりの急展開に僕は何も言えなかった。


 天海あまみさんはまた、眉間に皺を寄せて首をひねる。今度は「伝わったが何を言っているか分からない」ようだ。


『……なにそれ。そんなこと?』

「そんなことです。現在一件依頼を受けています。有名インフルエンサーのASUMIの撮影依頼です」


 よくわからないが、ササキは、僕らが持ってくる依頼を言い訳にして天海あまみさんの申し出を断ろうとしているらしい。しゃあしゃあと蓮見のネームバリューまで利用している。


 天海あまみさんは不審げな視線を僕に向けた。

 そりゃそうだ。一介の高校生がプロの写真家のマネージャーなんて誰がどう考えたっておかしい。そこを指摘されたらササキは言い逃れができないように思う。逃げの一手としては悪手だろう。


 天海あまみさんはじっと僕の顔をじっと見た。本当に吸い込まれるような美人だ。僕はどうも居心地が悪く、まっすぐ天海あまみさんの顔を見る事ができなかった。


 30秒ほどだろうか。しばらく僕の顔を見ていた天海あまみさんは、何かに気が付いたように驚きの表情を浮かべた。そして、深く、哀しいため息をついた。


『この子は、彼らの?』

「……そうです」


 ササキの言葉を聞いて、天海あまみさんは僕から視線を外した。


 僕から目をそらす直前、一瞬僕の目に映った天海あまみさんは哀れむような、辛そうな顔をしていた。


『……わかった。とにかく訳ありってことなんだね』

「そうです」

『じゃあ仕方ないね。どういうつもりか知らないけど、止めないよ。踏ん切りがついたらまた連絡して?』

「……わかりました」


 ササキの言葉に、不満ながらも納得したように天海あまみさんは頷いた。

 そして、今度は柔らかく、いつくしむような表情に変わって僕の方を向いた。


『シュン君、だったね。やり取り見てたから分かると思うけど、私はこの子の先輩なの。これ、私の連絡先だから何か困ったことがあったら、私に連絡して?』


 天海あまみさんはそう書いたボードに、自分の名刺をつけて差し出した。


「あ、ありがとうございます」

『なんの! 後輩の世話をするのも先輩の仕事だからさ!!』


 ボードを見せながら、また天海あまみさんは柔らかく笑った。何というか、見ているだけで安心できるような。一切の敵意や、裏面を感じない笑顔だった。


 その笑顔に当てられ、僕は思春期丸出しのカクカクとした定型文の挨拶を返すのが精一杯だった。



 話を終えると、天海あまみさんはすぐに荷物を持って立ち上がった。別の仕事に向かうそうだ。


『じゃあまたね。大塚君、またくるよ~』

「はい、お待ちしてますよ」


 天海あまみさんはニコニコしながら扉の前で店長に軽く手を振った。

 店長も嬉しそうだ。二人はずいぶんいい関係らしい。


『シュン君も、あいつになんか言われたらすぐ頼ってね!』


 奥の席に座っているササキを指さしながら、天海あまみさんは笑った。

 僕はそれに、つとめて軽い調子でこう返した。



「ええ、ササキが何か言ったら伝えますよ」



 その瞬間。



 天海あまみさんの表情は急変した。

 目を見開き、僕に問いかけるようにゆっくりと口を開いた。


「さ」「さ」「き」?


 はっきりと一音ずつ分けて口を動かす。


 聞こえなかったのだろうか? 僕は頷いた。



「っ!!!」



 僕の顎が下がるか下がらないかのうちに、ボードに文字を書きつけ、天海あまみさんは奥に座るササキのところまで勢いよく詰め寄った。


 そして、ボードをササキの前のテーブルにたたきつけ、そのままボードを置いて店から出ていった。


 一瞬だけ見えたその表情は、形容できない荒々しい感情があふれていた。

 

 しばし茫然とした後、ササキの席に戻る。


 ササキは既に読書に戻っていたが、天海あまみさんが来る前同様、ほとんど読めていないようだった。


 テーブルの上でそのままになっていたホワイトボードには、たった一言だけ書かれている。



『悪趣味』



 僕には言葉の意味が分からなかった。

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