002「蓮見飛鳥は有名人」

 『喫茶クロワッサン』は今日も閑古鳥が鳴いていた。


 雨が降っているせいで、いつもよりも客が少ないように思われる。まあ、雨の日に靴の中を濡らしながらこんな陰気な喫茶店にやってくる客など、やや変わった人間であると言わざるを得ない。


 それなのに今日もいつも通りテーブルの上に大量の本を重ねているササキは、完全に頭がどうかしているに違いない。


 ササキはいつも通り、カマキリのように細い顎、全く似合ってない大きな眼鏡。髪は、もう少し伸びればアフロと形容できそうな、くしゃくしゃの癖毛だ。比較的茶色やクリーム色と地味な色の服を好み、写真を撮る人間とは思えないほどにオシャレの類には無頓着で飾り気のない恰好をしている。


 今日もひたすらに積み上げた本を読みふけっている。ほとんどコイツのためだけにこの喫茶店は開いているのではないかと錯覚することもしばしばある。


 にもかかわらずなぜ店長は店を開けるのだろうか。使ってもいない皿を拭いている店長を見ながら考えてみる。明らかに赤字なのに、どうしてこの店は経営を続けられているのだろうか。店の財務諸表を紐解けば、金融評論家も首をひねる、世にも奇妙なPLやBSが見られるはずだ。



「ササキ、また依頼が来たぞ。喜べ」

「……君の依頼はいつでも急だね。ボクは君が思ってるほど暇じゃないんだよ?」

「僕はお前以上の暇人を知らないよ……で、受けるのか?」

「それは依頼者と、依頼の内容次第だね」



 ササキはこちらも見ずに、本を読みながら返事をした。行儀の悪い奴だ。

 まあ、もう気にしないけど。


 その時、カランカランと入口についた鈴が鳴った。

 控えめに扉を開き、中をのぞき込むように短い黒い髪が見えた。多分、若い男だ。多分、僕と同い年ぐらい。ここの客層を考えるとかなり若い。


 が、年齢よりも印象に残ったのはその男の子の顔だった。男の僕でも思わず目を奪われる美形だ。中性的、といえばいいのだろうか、儚げでありながら凛々しくもある。なんだか見ているこちらが緊張してしまいそうなほど端正な顔立ちだった。


 ……しかし、いくら美形だったとして、雨が降っている今日みたいな日に来る客は、変わったお客である可能性が高い。気を引き締めないといけない。


 ふっと気合を入れ、僕は接客のために笑顔をこしらえ、入り口にあるいていった。


「いらっしゃいませ。お席までご案内します」

「あ、赤坂君。待たせちゃってごめんね?」

「……はい?」


 なんだ? このお客、僕のことを知っている?

 目の前のお客は、にっこり笑いながら話しかけてくる。


「お店、見つけるの手間取っちゃったんだ。ササキさん、だっけ? 写真家さん来てる?」

「???」


 僕はさらに混乱した。

 僕にこんな知り合いいたか? バイト先? 学校? それ以外の場所?


 頭の中で交友関係から同年代の男子をリストアップしてみる。処理には一秒もかからなかった。処理速度の速さは僕が賢いからではなく、候補がほとんどいないからだ。


 ……自分で言っててやや悲しい。


 僕は脳内の検索結果を正直に言うことにした。


「ごめん……。僕、君と会ったことあったっけ?」

「え? あ、そっか今、ウィッグつけてないもんね」


 そういって目の前のお客は、持っていた鞄から金色の髪を取り出し、それを自分の短い髪の上に慣れた手つきでかぶせた。


 おいおい……。こいつは……。


「これで、分かる?」

蓮見はすみ……?!」


 正解、と言って蓮見はすみは笑った。それは、教室で見せてくれた「美少女」の笑顔だった。

 



「と、言うわけで、今回の依頼人だ……」

蓮見飛鳥はすみあすかと言います。よろしくお願いします」


 ササキの前に蓮見を座らせた。蓮見はハスキーな声でササキに挨拶した。今思えば、ちょっと高めの男の子の声だ。


 蓮見飛鳥はすみあすかは女装男子だった。今風に言うと「男の娘」だった。僕はいまだに混乱が収まらない。学校でも指折りの美少女が、男? こんなものすんなりと受け入れられるはずがない。


 僕は混乱し続けていたが、ササキは飄々ひょうひょうとしている。


「ふーん……またかわいい子を連れてきちゃって。蓮見ちゃん……いや、蓮見くん、かな?」

「ササキ……お前はなんでそんなに冷静でいられるんだ?」

「うん? 最近は別に珍しくないよ? 女装した男の子の写真くらい撮ったこともあるし」


 なるほど、そういう事ならある程度納得できる。

 蓮見はササキの言葉に少し落ち込んだように言った


「……わかっちゃいますよね。ウィッグかぶってない所みられちゃったら……」

「うん? まあね。でもここから見てもそれなりに分かるよ」

「……そうですか」


 蓮見はまたさらに落ち込んだ。何に落ち込んでいるかはよくわからなかった。

 僕から見ると、その姿は本当に美少女にしか見えなかった。


「で、依頼っていうのはなんだい?」


 僕の様子を完全に無視して、ササキはすぐに本題に入った。


「あ、はい。私の写真を撮って欲しいんです」

「ふーん。それは、何に使うんだい?」

「……SNSに載せたいんです」


 そういって蓮見は自分のスマホを取り出し、両手を使って目にもとまらぬ速さで画面をいじった。そして、画面が見えるように上向きにスマホを置いた。僕とササキはその画面をのぞき込んだ。


「……『ASUMI』? これが蓮見くんのアカウント名なんだね」


 「蓮見飛鳥」だから「ASUMI」か。まあ芸名みたいなものだろうか。


「ササキ、フォロワー数3万人っていうのは多いのか?」


 僕がそう言うと、蓮見が驚愕の表情を浮かべて言った。


「赤坂君、SNSやってないの!?」


 おお、コイツ声張ると結構低い声出るんだな。

 なんか容姿とアンバランスで面白い。


「ああ、テレビもスマホとか持ってないしな。情報源はもっぱら本や雑誌だ」


 しかも、ササキからのおさがりだ。最新の情報が一週間前とかそんなこともざらにある。


「シュン君は、ほとんど竜宮城りゅうぐうじょう帰りの浦島太郎うらしまたろう状態だからね。この世のことはほとんど知らないかわいそうな子なんだ」


 ササキは僕を馬鹿にするとき、とても生き生きとする。

 蓮見はまさしく「絶句ぜっく」といった様子で、口を半開きにしたまま黙っている。


「まあ、おろかな赤坂君に分かるようにも説明すると、蓮見くんが記事なり写真なりを投稿すると、三万人に通知が行くってことさ」

「ほう。それはすごそうだ」

「実感がわいてないようだね……。例えばこの子がどこかのメーカーの服を着て、その写真をSNSにアップすればその写真は三万人に届くってこと。この子にはそれだけの影響力があるのさ」


 なるほど、そう聞くとすごい宣伝効果だ。

 仮に僕が一軒一軒チラシを配ったって、1000人にもいかないことを考えると、すさまじい数字だった。


「で、どうしてそんな子がボクのところに?」


 ササキの問いかけで、蓮見は意識を取り戻したようだ。姿勢を正してから言った。


「はっ!! そうでした。ちゃんといわなきゃいけませんね……」


 蓮見は指を胸の前で組んで、もじもじした。

 その様子はどこかいじらしく、可愛らしかった。


「……お願いします。お金はいくらでも払います。だから……」


 そこで一度言葉を切り、蓮見は意を決したように言った。


「私を女の子にしてください!!」


「「………は?」」


 さっきよりも低い声、男の声で飛び出した言葉の、音と内容のギャップに、僕もササキもさすがにあっけにとられた。そして言葉の意味をきちんと理解するのに数秒のタイムラグがあった。


 そして、ササキよりも一足早く正気に戻った僕が最初にしたことは、ササキの様子を確かめることではなく、蓮見に言葉の真意をきくことでもなく……


「……もしもし、警察ですか?」

「店長!! やめて!!!」


 混乱した表情で店の受話器をつかんでいる店長を止めることだった。


 やはり、雨の日にこの喫茶店に来るやつはかなり変わった人間ばかりのようだ。

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