013「勤勉な傍観者」

「そう。その事件の被害者は『大槻いなほ』。大槻こむぎちゃんのお姉さんだ」


 ササキの言葉は妙に室内に響いた。僕らと店長以外に誰もいない空間に、ササキの言葉が浮遊しているようだった。


 重苦しい沈黙を破ったのは、枢木だった。


「でも、苗字が同じだけで他人という可能性も……」

「そうだね。でも、これ見てくれる?」


 そう言ってササキは自分が持っている紙袋から週刊誌のコピーを取り出した。週刊誌の記事には事故を起こした老人への糾弾と、遺族へのインタビューが載っていた。そこには大槻こむぎの言葉も書かれていた。


【被害者の妹 大槻こむぎさん(15)】

「まだ、実感がありません。大好きだったお姉ちゃんがいなくなったことがまだ信じられないんです。夜、二段ベッドの上が空なのを感じると、涙が止まらなくなります」大槻さんは涙ながらにそう語り、容疑者への適正な判決を望んだ……



「去年の三月くらい前に起きた事故だから、大槻ちゃんは中学卒業直前かな」

「……同姓同名ってことはないだろうな。珍しい名前だし」


 僕と枢木は再度沈黙した。


 大槻にそんな過去があったとは思えなかった。彼女の普段の明るいふるまいからは全く想像がつかない。


 何を話せばいいのかわからなくなった僕らは、どこかすがるように週刊誌の記事を読み進めた。


 もしかしたら、この救いようのない痛ましい事件を、少しでも前向きな捉え方ができないか。心に広がる黒いもやのような感情を振り払えないか。そんな表現や事実を探していたのかもしれない。


 ササキはその他にも、いくつか週刊誌や新聞のコピーを持ってきていて、僕と枢木は夢中に読み進めた。僕らが記事を読むのを、ササキはコーヒーをすすりながら待っていた。


 読んでいく内に、その事件の全容が分かってきた。


 事件は、高齢者の運転ミスが原因だったようだ。しかし、事故を起こした本人は自動車の誤作動を主張し、自動車メーカーを相手に裁判を起こそうとしているらしい。ドライブレコーダーなどを見ても誤操作なのは間違いない様子なのだが、事故を起こした本人は頑として譲らず、ブレーキの故障を主張し続けているようだ。


 週刊誌も新聞も最初こそ被害者の遺族へのインタビューを行っていたようだが、容疑者の老人の不遜な態度や、今後の高齢者ドライバーの在り方へと論点を移しており、大槻がインタビューを受けている記事は最初の一つしかなかった。


「……どうだい?」


 記事を読むのに一区切りつけた僕らに対して、ササキは問いかける。


「……どうだいって、どういう事だよ」

「感想、だよ。君たちはこの一連の記事を読んで、何を思った?」


 自分の腕に力が入るのを感じた。僕はぽつぽつと言葉を紡いだ。


「……途中から、容疑者の老人の過激な発言ばかりが取り上げられてる。被害者とか、遺族についての話はほとんど出て来ない。まるで……」

 

 報道する価値がなくなったかのように。

 もう用済みかのように。


 それら言葉は、のどから空気だけが出て、声にならなかった。


 音のない僕の言葉をササキはくみとったらしい。軽く頷いてから話始めた。


「目をそらしたくなるくらい痛ましい事件だ。本当に苦しんでいる遺族たちを追うより、悪者を見つけて叩いていた方がいくらか気分は楽だし、この老人は叩くには格好の標的だ。話題の中心が彼に移るのは、ある種当然だね。容疑者の老人も今となっては過去の人なわけだけど」


「そんな……それじゃ、まるで」


 そんな事件はなかったかのようじゃないか。

 被害者などいなかったようじゃないか。

 残された大槻の傷などなかったかのようじゃないか……


 その時、隣からすすり泣く声が聞こえた。見ると、枢木が顔を歪めて涙を流している。


「わたし……大槻さんに、ひどいことを言ったわ。よくある話なんて、みんなに忘れられているなんて……」


 少し紅潮した、けれども真っ白い肌の上を、透明な水滴が通り過ぎる。先ほど自分が大槻に言った事の意味を知り、激しく後悔しているようだ。


「枢木、しかたないだろ。お前は知らなかったんだから……」

「そんなの理由にならないわ。彼女のお姉さんの話を都市伝説だなんて、そんな……」


 しゃくりあげながら、枢木は自分を責めた。

 

 しかし、僕は別のことが気にかかった。


 都市伝説……心霊写真……


「ちょっと待て……。まさか、大槻が都市伝説を探したり、心霊写真を撮りたがったりする理由って……」


 ササキは僕の言葉を聞いてまた頷いた。


「うん。多分、大槻ちゃんは、今は亡きお姉さんを撮ろうとしてるんじゃないかな?」

「マジかよ……」


 オカルトの研究も、都市伝説も、心霊写真も、すべては事故で亡くなった「大槻いなほ」を撮るため?


 耳を疑うような話だ。今時の高校生が、本気で亡くなった人の霊を写真に収めようとするなんて、そんなことがあるのだろうか。


 しかし、そう考えると辻褄があう部分も多い。


 部誌の写真で、プロの写真家に依頼すること。

 本物の心霊写真に妙にこだわること。

 枢木の話を聞いた時、態度が急変したこと。


「……大槻は、本気で死んだ姉の写真を撮ろうとしてるのか」

「多分だけどね」


 大槻が、多くの都市伝説や心霊現象を集めていたのも、本当にそんなことがありうるのか、検証するためだったのかもしれない。


 僕は大きくため息をついた。肩から力が抜けるようだ。

 

 大槻の真相に、僕の脳は若干処理落ち気味だ。

 

「なあ、ササキ。これからどうするつもりだ?」


 僕は、つぶやくように問いかける。

 ササキは平然と言った。


「どうって? 特に何もしないけど?」


 またこいつは……!!


 僕が何か文句を言うより、一瞬早く隣の枢木が声を上げた。

 涙声だが、はっきりと聞き取れる強さがある声だった。


「ここまで分かっていて、なぜ何もしてあげないんですか?!」


 枢木から問われると思っていなかったのか、ササキは一瞬不意を突かれたような顔をしたが、すぐにいつもの調子でへらへらと言った。


「なぜって……逆にボクは何をしてあげればいいのかな?」

「それは……!!」


「事故現場に行って写真を撮る? でっち上げの心霊写真を作る? それは部誌のため? それとも大槻ちゃん自身のため? インパクトがある写真が欲しいの? 素朴な写真が欲しいの?」


「……」

 

 枢木は返事ができないでいる。

 僕も何も言えない。

 

「ボクはあくまでプロの写真家。人よりうまく写真が撮れるだけの技術屋だ。どんな写真が欲しいか定まってもいないのに、余計な手出しはできないね」


 ササキの言葉は正論だ。

 でも、だったらなんで……


「じゃあ、なんで大槻のことを調べたんだよ……」

「どこかで聞いた名前だったからね。気になっただけだよ。分かってスッキリしたからボクとしてはもう満足かな」


 ササキは、僕の質問にもさらりと答える。

 その言い草に、僕の脳が湧きたった。


「調べるだけ調べて終わりか?! お前には大槻を助けてやれる力があるのに、どうしてどうにかしてやろうって思わないんだよ!」


「……シュン君は相変わらず優しいんだねぇ」


 ササキは状況に似合わないにやけ面だ。

 僕の言葉では、こいつの心は絶対に変わらない。そう感じさせる笑みだった。

 

「……僕は優しくないし、優しいは褒め言葉じゃない」


 僕は絞り出すようにそう言った。

 ササキは僕の言葉を聞いて少し口角を上げた。


「最近のカメラみたいに、調ってわけにはいかないんだよ。写真を撮る理由は、自分ではっきりさせなきゃだめなんだ。何のための写真か、それは大槻ちゃん自身が決めないと意味がない。写真家のボクが口を出すことじゃないんだよ。なにせ……」


「写真家ほど無責任な職業はない」のだからね。


 ササキはそう言った。

 再び、店内は静かになり、枢木が鼻をすする音だけが切れ切れに聞こえた。

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