003「こむぎのこだわり」


 大槻との約束の当日である日曜日。

 僕のバイト先である「喫茶クロワッサン」は今日も閑古鳥が鳴いていた。


 カウンター席には誰も座っておらず、二つある四人用テーブル席は、たった二人によって占領されている。

 入口側のテーブルには世捨て人風の常連が座ってボロボロの本を読んでいる。男の顔は大量の体毛におおわれており、見る人に「髭と髪の境界線はどこか」という哲学的な問いを投げかける。彼の顔を見続けていれば、髪と髭を区別することなど愚かしいことだと気づき、言葉で区分けして物事を分かった気になる人間の浅はかさを見つめなおすことができる。


 目の前の灰皿にはいくつかの吸い殻が転がっている。自慢の髭(もしくは髪)を炎上させずにタバコだけに着火するその工程には熟練の技術が詰まっており、職人芸といって何ら差し支えない。


 そして、店奥のもう一つのテーブルにはササキが座って本を読んでいる。ササキはすさまじい読書家である。来店するたびに何冊か本を積み上げ、それを読み終わるまで帰らない。読書家、と言えば聞こえはいいが、完全なる暇人である。


 ササキは尋常でない濫読派である。テーブルに積まれている本は、書店内を目をつぶって歩いて適当に選んでいるとしか思えないラインナップである。小難しい哲学書・思想書の時もあれば、読めば知能指数が低下しそうなタイトルのライトノベルの日もある。新聞も読むし、週刊誌も読む。写真家らしく写真集を見ていることもあれば、レシピ本や時刻表が紛れ込んでいる時もある。


 ちなみに今読んでいるのは『かいけつゾロリ』だった。

 もう、何も言うまい。



「ササキ、今日写真の依頼人が来るぞ」

 

 ササキの空になったコップに水を注ぎながら僕は言った。


「おや、また急だね。案外シュン君は人気者なのかな?」

 

 ササキは読んでいた本を閉じて、僕に顔を向けた。

 ササキの顔は顎が細く、どことなくカマキリを思わせる。おしゃれとは無縁の大きな眼鏡をしているせいで、より顔が細く見える。髪は、中で小鳥でも飼っているかのようなきつい天然パーマだ。


「で、どんな子なんだい? 今度は」

「あー、クラスメイトの女子だ。なんか小動物っぽいな」

「ほほー。また女の子かい? 君も隅におけないねぇ」


 ササキはにやにやと笑う。その笑い方はおっさんぽい。


「そういうんじゃない。ちょっと特殊な依頼だから、お前の方で受けるかどうか判断してくれ」

「ふーん。特殊な依頼ねぇ。まさか、心霊写真を撮れ、なんて言わないよねぇ」


 そう言ってササキはケタケタ笑った。



「心霊写真を撮ってください!!」


 数十分後に「喫茶クロワッサン」にやってきた大槻は、ササキの前に座り、テーブルに手をついてそういった。ちょっと前のめり気味にササキに寄っている。


 さすがにササキも面食らっている様子だった。これは結構レアな表情である。

 そして、隣に立つ僕に話しかけてきた。


「……シュン君。君の学校には変わった子が多いのかな? それとも『類は友を呼ぶ』のかな?」

「うるさい! お前が作ったチラシが悪いんだ。あんなのじゃまともな奴が来るわけないだろ」

 

 僕らの失礼なやり取りも気にせず、大槻は僕らの方を前のめりで見つめている。

 

 ササキは息を吐いて、大槻に向き直った。


「大槻こむぎちゃん、だったかな? どうして心霊写真を撮りたいんだい?」

「文化祭で発行する予定の、オカルト研究部の部誌に掲載したいんです」

「ふーん……」


 大槻はいつも通りの人当たりのよさそうな表情で話している。異様な空間で、異様な風貌のササキに相対しているにも関わらず、普段と変わらない大槻は意外と肝が据わっているのかもしれない。


 大槻の言葉を聞いて、ササキは顎に思案顔になった。


「その部誌っていうのは、どんな形式なんだい?」

「えーっと、いくつかの都市伝説の真相を調べる記事を書きたいなって思ってます」

「真相を調べる……。関係者にインタビューしたり、噂になってる現場の検証をしたりするってことかな?」

「そうです。 それで、現場の写真を撮るときに心霊写真が撮れれば記事にも説得力が出るかなって」

「なるほどねぇ……仕事内容は、まあわかったよ」


 ササキはそういってからしばらく黙った。

 天井を見上げて、考えに耽っている。


「……あの、やっぱり無理でしょうか」


 大槻は少し不安そうにササキを見た。

 ササキの答えは意外なものだった。


「いや、そういう事なら可能だよ。むしろ簡単だ」

「本当ですか?!」


 大槻が身を乗り出す。結構な勢いだったため、テーブルがぐらついた。


「うん。ボクが出るまでもないほどにね」

「どういうことですか?」


 さらに大槻がササキに迫る。メンチを切っている、という表現の方が適切かもしれない距離感だ。少しササキものけぞっている。


「……心霊写真風に撮ってきた写真を編集すればいいんだろう? 今の時代、ちょっと練習すれば誰でも作れるよ」


 それを聞くと、大槻は急に熱を失ったように席に座りなおした。


「……写真を加工するってことですか?」

「そうだね。心霊写真っぽく加工することならできるよ。もちろん、プリクラとか加工アプリみたいな粗雑な加工じゃなくて、プロ仕様の仕上げだよ」


 大槻はその言葉を聞いて露骨に肩を落とした。

 アップダウンの激しい奴だ。


「……できれば本物の心霊写真を撮って欲しいんです」

「……幽霊なんているわけない、なんて野暮なことは言わないよ? でもどうしてそんなに本物にこだわるんだい? こういっちゃなんだけど、高校の部活で作る部誌で、プロの写真家に頼むっていうのはあまりないことだと思うけど」


 ササキの言葉は、傍から聞いている僕には正論に聞こえた。

 商業誌ならともかく、高校の部活、しかも部員一名の小さい団体がやる事じゃない。


 しかし、大槻は譲らなかった。


「本物がいいんです。本物じゃなきゃダメなんです!」


 大槻は強い口調で言った。いつもの軽いノリからは想像もできない芯のある言葉だった。


 僕には疑問だった。大槻はどうしてどうしてこんなに「本物の心霊写真」にこだわるんだろう?それは、彼女が現代オカルト研究部だから、だから、というだけでは説明できないように思えた。


 ササキは冷え切ってしまった目の前のコーヒーに口を付けた。


「……うーん。そこまで言うなら手伝ってあげてもいいかな」

「本当ですか?!」


 大槻がテーブルに両手をついた。思いのほか大きな音が店内に響く。


「うん。いくつか取材地に同行して、現場で写真を撮ればいいんだよね?」

「そうです! ありがとうございます!!」


 大槻の顔はみるみるほころんでいった。目はいつもより大きく見開かれ、頬が少し紅潮している。


「おいササキ。そんな安請け合いしていいのか?」


 見かねて僕が口を出すが、ササキはこともなげに言った。


「うん。撮れるかどうかはわからないけどね」

「そう……か。まあお前の好きにすればいいけど……」


 するとササキは意外そうな顔をして、驚くべきことを口にした。


「何を他人事みたいに。取材には君が行くんだよ」



「……ゑ?」



「だからシュン君、君が心霊写真を撮るんだ」


 ササキがか日本語を話していることはかろうじて理解できたが、内容は全く理解できなかった。もしかすると、妖怪のせいかもしれない。

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