ウイッチレコード

秋夜 海月

【01】 ある魔女の物語

第1話 プロローグ

雲一つない夜空には、たくさんの星が瞬き、手が届きそうな程の大きな丸い月が昇っている。それは、穏やかな夜だった。明るく闇夜を照らす月の煌々たる光を一身に浴び、草原には一夜限りの白い花が咲き乱れていた。甘く鼻孔をつくその花の香りが、この幻想的な風景をより現実から遠ざける。まるでここがこの世だという事を忘れてしまいそうになる。そんな絵画のような花畑の中には、一組の男女の姿があった。


柔らかそうな淡い金髪が腰まで伸ばされた美しい碧眼の少女。そして、彼女と対峙して少し離れて立つ黒髪の眉目秀麗な青年。意志の強そうな彼の瞳は、澄んだ海のような青色の中に、まるで虹のような複数の色が輝いている不思議な色をしていた。そのせいか、彼の瞳に見つめられると全てが見透かされていそうな、そんな錯覚にさえ陥る。だが、そんな青年がふいに表情を固くした。


彼は、少女が発した言葉を一瞬理解出来なかった。だが少女は、そんな彼に同じ言葉を少し身を乗り出して繰り返す。青年は、思わず片足を引いてしまった。視線が宙を彷徨う。そんな自分を落ち着かせるように、小さく震える右手を無意識に上げると胸元の服を強く掴んだ。そして、視線を彼女から外すと絞り出すように言葉を口にする。




「申し訳ありません。俺にはッ・・・私には、お答えする事が出来ませんッ」




少女の瞳が大きく見開かれる。彼女にとって、それは思ってもみない答えだった。彼を見つめたまま小さく頭をふる。




― 信じられない ―




少女にとって、目の前の青年の行動も言葉も何もかもが受け入れられない光景だった。




「どうしてッ・・・何故なのッ!?」




そう彼女が叫んだ瞬間、青年は俯くと胸元を掴む右手に更に左手を重ね、ギュッと両の目を強く閉じた。そして、掠れそうなほど小さな声で謝罪の言葉をもう一度零すと、彼女に背を向け走り去った。


思わず伸ばした少女の腕は、何も掴めない。咄嗟に声をあげて彼の名を呼ぶ。だが、青年の背も呼び止めた声も闇夜にただただ溶けてゆくだけだった。


ゆったりと一面の花達が左右に揺れ動く。取り残された少女の隣を優しく風が通りすぎてゆく。しかし、少女は、青年が去った何もない宙を見つめたまま呆然と立ち尽くしているだけだった。







グラスブルク王国、王都ロスメルタの西町カルディナ。その外れの森の入り口付近には、一軒の不思議な家が建っていた。遠目から見ると家から大きな木が生えているように見えるのだが、近づくと大きな木の根元が家に絡みついており、埋まるように建っていることが分かる。その家の入口には、『薬屋』の看板が掲げられている。


少し近寄り難く感じるその家の扉の向うは、まるで温室庭園のような空間が広がっていた。色とりどりの花が咲き乱れ、大小様々な鉢植えには見た事もない草や木が生えており、天井からも色んな植物や木の実が吊り下げれている。


そして、店の奥には半円型の大きめのカウンターがあるのだが、その周辺には沢山の瓶が置かれ、ガラスの管でフラスコやビーカーに複雑に繋げられている。それらの中の液体や熱せられた鍋がまるで音楽を奏でるようにコポコポと音をたてていた。


そんなカウンターの中には、大きな書見台に分厚いノートを広げ、書きなぐられたようなメモ用紙と薬草を持ち、唸る少女ブロッサムの姿があった。




「あー・・・、何で課題が唯一ない春休みに、家帰ってきて薬学の書類纏めなきゃなんないんだよ、ったく・・・」




大きく溜息をつくと、握っていた薬草を机の上に戻し困ったように後ろ頭をかく。紫暗の瞳に腰まで伸ばされた薄い桃色の髪。身長は、150センチ半ば程だが少し高めのヒールを履いている。ショルダーオフのトップスにショートパンツといったラフな格好だ。


彼女は、手に持ったままのメモ用紙と周辺の台の上に置かれた薬草に視線を交互に移している。すると、カウンターの右前に置かれた大きなテーブルの横にあるソファーから声がする。ふと、そちらに目をやれば、そこに横たわる闇色の髪の褐色の青年がひょっこりと顔をあげていた。




「おい、サム。昼飯にしよーぜ、腹減った!」

「ルディ、まだお昼まで1時間もあるじゃないか」




ブロッサムは、店内に設置してある大きな振り子時計をチラリと横目で確認すると、そんなルディに視線を向け大きく息を吐いた。そして、かけている丸い眼鏡を少し押し上げる。


すると、店の奥から分厚い書籍を数冊抱えた長い銀髪の美人が丁度やってきた。かなり重そうなそれらを苦も無く運んできた彼女の耳には、二人の会話が入っていたようで、彼女はそんな彼に呆れたように口を開いく。




「そうよ。そんなに暇なら森にでも行って、何か獲ってきたら?」

「はぁ?ンなの普通に買い物行った方が森行くより近ぇーだろうが、キアラ。じゃ、遊べよ、サム!」




ルディは、不機嫌そうにキアラに言うと、バッと身を起こす。そして、どこか期待したような目でブロッサムを見やる。だが、彼女はそんな彼に肩を竦めてみせた。




「見ての通り、今手が離せないんだよ。ああ、もぅ!!この薬草と同じの、どこやった!?」




ブロッサムは、似たような薬草が並ぶ台の上のそれらに視線を戻すと、少し苛立たしげに声を荒げた。空いている手でガシガシと頭を掻きむしる。久々に帰ってきたはずの実家で、彼女はこのような作業をもう二日も連続して行っていた。さすがに、同じような見た目の薬草と解読しにくいメモを見ながら、朝から晩までこんな事を続けていれば声をあげたくもなるいというものだ。


しかし、そんな彼女に救いの声は以外に近い所から現れた。キアラと同じように奥から更に姿を現した壮年の男。黒髪をオールバックにした落ち着いた雰囲気で、ピシりとした白いシャツに黒いズボンを着こなし、肩から長身に見合うだけの長めの黒いマントを羽織っている。


彼は、持っていた盆の上から温かな湯気と少し甘い香りを漂わせるお茶の入ったティーカップを彼女の近くの台にそっと置く。そして、視界の端にとらえていたメモの薬草を台の上から素早く見つけ出し、手にとると彼女に差し出した。




「これじゃないのか?アイツは、相変わらず片付けるのが苦手だからな」

「それだ、それそれ♪ありがとう、リナ❤︎ついでに、お茶もありがとね!」

「どういたしまして」




パッと顔を輝かせてブロッサムは、リナルドから薬草を受け取るとさっそくノートにメモの内容を清書していく。そして、自分の為にわざわざ淹れてくれたお茶の礼も忘れずに口にした。そんな彼女に、リナルドは優し気に瞳を細めると微笑を零す。そんな折、店の扉の鈴が鳴く。



カランカラン



店内に居た一同の視線が扉に集まる。普段ならその音を聞けば、誰ともなしに客への挨拶を口にする。だが、店内に入ってきた客に似つかわしくない一同に思わず言葉が出て来なかった。




「失礼する。ブロッサム・シューラ・アストライオス殿はおられるか?」




ドカドカと足音を響かせて入ってきた集団の先頭に居た黒髪の青い色の不思議な瞳の美青年が、カウンターの前でピタリと止まるとそう口を開いた。ブロッサムは、思わず隣に立っていたリナルドと無言で視線を交わす。


青年を筆頭に、開け放たれたままの扉の向こう側にまで見える全員までもが、同じ紋章が描かれた同じ型の銀色の甲冑に身を包んでいる。ただ、先頭の青年と、その隣に立つ彼よりも頭一つ分ほど背の高い茶髪の好青年だけが真紅のマントを羽織っていた。

リナルドは、そんな彼らの態度と胸の紋章に不機嫌そうに眉根を寄せる。




「不躾だな。国王軍がこんなしがない薬屋に何用だ?」




だが、黒髪の青年は、その問には答えなかった。彼は、瞳を険しくすると口調を少し強めた。




「ブロッサム・シューラ・アストライオス殿は、どこにおられる?」




その言葉に、リナルドの眉間に皺が寄る。ブロッサムは、リナルドから発せられる静かな怒気の空気を感じとり、小さく肩をビクつかせた。チラリと横目で一瞬彼の様子を確認してから、青年に視線を戻し小さく手をあげる。




「それなら、私だけど・・・?ホント、騎士様が一体何の用?しかも、こんな部下引き連れてさ」




不思議そうに小首を傾げる彼女を見やり騎士達が小さくどよめき出す。そんな彼らの心内を代弁するかのように、黒髪の青年は、ブロッサムを見やり驚いた声を上げた。




「君が!?まだ、子供じゃないか・・・」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ!!君だって、見た所、私とそんな年変わらないだろう!?」




ブロッサムは、小さく額に青筋を浮かべると声を荒げた。だが、青年は、そんな彼女を訝しむ。




「本当に君がブロッサム・シューラ・アストライオスなのか?」




ブロッサムの額には、更に青筋が何本か刻まれる。カウンターにダンッと両手を付くと身を乗り出して口を開く。




「何度もフルネームで呼ばないでくれる?てゆーか、嘘ついてなんのメリットが私にあるってゆーんだよッ・・・あ!」


「「「?」」」




途中まで不機嫌に言葉を紡いでいたブロッサムだったが唐突に声をあげた。そんな彼女を一同が不思議そうに見やる。彼女は、身を引くと小さく咳払いをした。そして、また小さく手をあげると落ち着いた声で台詞を続ける。




「すみません、私、ブロッサム・シューラ・アストライオスじゃないです」




ピタリと店内の空気が止まる。彼女の明らかな手の平を返した発言に騎士達が思わず立ちすくむ。長ったのか一瞬だったのか、その場に居た者達でさえ、その止まった時間の感覚が理解できなかった。しかし、そんな中、黒髪の青年だけが呆れたように長く大きな息を吐くとポツリと悟った様子で呟いた。




「そうか。彼女を城まで丁重にお連れしろ!」


「「「はっ!」」」




それだけ言うと黒髪の青年は、踵を返しさっさと店を後にした。彼の命令に、止まっていた騎士達が敬礼と共に機敏に動き出す。ワラワラとカウンター内に入ってきた騎士達に両腕を捕らえられ、ブロッサムは軽々と持ち上げられて連行されてゆく。




「ちょ、ちょっと!?なんで!!違うって言っただろう!!」




彼女の悲痛な声が店内へと響く。ブロッサムを捕らえた一同は、彼女を担ぎげあっさりと扉を出ていった。挨拶はなかったが、最後に扉を後にした茶髪の好青年が中の三人に小さく視線を向けた後、パタリと扉を閉じて出ていった。そんな様を、リナルドもキアラもルディもただただ呆然と見やっているだけだった。

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