第94話 春の雪と共に

「まず、この学園都市トコハで一番高い建物に行きます」


 後ろに続くシニッドさん達を先導するように補導員事務局から出た俺は、その歩みを止めないまま彼らにそう告げた。

 若干迂遠な物言いになってしまったが、この策の第一段階には高さも不可欠なのでそこを強調しておきたかった。正確には高さと言うか、高い位置からの視点だが。


「……この街で一番高いと言うと」「このホウゲツ学園の時計塔ですね」


 そんな俺の半端な言葉を受け、ウルさんとルーさんが今正に俺達が向かっている先がどこか直接的に明らかにしてくれる。


「ええ。時計塔の天辺に行きます」

「……まさか、そこから視覚を強化して探そうってのか?」


 ウルさんとルーさんに頷いて答えると、今度はシニッドさんが訝しげに問うてきた。

 その程度ならば、誰かしら既に試しているはずだと言いたげだ。

 実際、似たような方法は実行された上で失敗しているに違いない。


「あの手の複合発露エクスコンプレックスは、距離でどうにかなるものじゃないはずだぞ」


 続いて、それが失敗に終わると推測される理由をガイオさんが口にする。

 認識の書き換え。認識操作の類の力は、発動の形が二種類に分けられる。

 一つは直接相手に働きかけるもの。

 これは個別に認識操作を行う分、色々と効果の調整が利く。

 集団の中の特定の人物以外、認識操作を行わないというようなことも可能だ。

 ただし、発動に際しては使用者が対象を認識している必要がある。

 なので、街中にある拠点の隠蔽のように不特定多数を対象とすることはできない。

 だから、捜査の目から逃れるために使用されているだろう形式は二つ目。


「この場合は見たら引っかかるタイプよね」


 タイルさんの言う通り。

 堅苦しく言えば、任意の対象を視界に収めることをトリガーとして、それを見た者全てに認識操作を施すというものだ。

 こちらは自動で不特定多数に一律の効果を与えることができる。

 セトが教室でレギオと対峙した際に使用した認識操作もこれに分類される。

 あの時は、セト自身を見た者(常時第四位階の身体強化を行っている者を除く)が効果に対象であり、その姿を捉えることができなくなっていた。

 それと同様に。少なくとも今回、犯人の拠点に関しては、後者の形で人々の目から逃れているはずだ。


「逆に、俺達が複合発露を使用した状態で視覚を強化して見ると認識の書き換えを認識できずに、異変のある景色を探すこともできねえ。だから厄介なんだ」


 そして、シニッドさんが加えた補足もまた全く以って正しい。

 第六位階の身体強化を使えば、相手の複合発露によって認識を書き換えられることもないが、目に映るのは普通の街並みとなり、異常を見つけることはできなくなる。

 第六位階の身体強化を使わなければ、相手の複合発露によって認識を書き換えられてしまい、異常を異常として認識することができなくなってしまう。

 砂漠の中から針を探すどころの難易度ではない。

 砂に埋もれた砂漠用迷彩のビーズを探すようなものだ。


「それを覆す方法があるって言うのか?」


 困難である理由を挙げていく内に不審が大きくなってしまったのか、ガイオさんが立ち止まって眉をひそめながら尋ねてくる。

 ……論より証拠とは言ったが、さすがに少しは説明しないと収まらないようだ。

 彼にとっては名誉が回復するかどうかの瀬戸際だしな。

 いずれにしても、実行に際して集中を妨げられても困る。


「簡単な話です。正しい認識による情報、書き換えられた認識による情報。どちらか一方で探そうとするから見つけられない。両方を比較すれば、異常は浮き彫りになる」

「……理屈は分かるが、学園長から聞きかじった話じゃ警察や諜報部は公的な地図を片手に一軒一軒確認して、それでも怪しい場所の一つも見つけられなかったらしいぞ」

「そこは犯人が上手だったんでしょう」


 認識を書き換える力だ。

 捜査機関に潜入し、捜査に用いる地図を弄ることも可能だろう。

 あるいは、一般の住居から住人を一時的に追い出し、捜査の手が近づいた時だけ元の状態に戻す、というようなこともできるかもしれない。

 実際がどうかは分からないが、やりようはいくらでもある。

 そして現実に。彼あるいは彼女は、その道のプロの捜査網を掻い潜ってきたのだ


「用意周到かつ狡猾な犯人です。捜査と気づかれない内に、一気呵成に潜伏先を特定しないといけない。そのために、まず正しい情報と誤った認識を同時に得る必要がある」


 そう結論すると共に、まだちょっと離れた位置にある時計塔を見上げる。


「だから、超広域に探知を展開し、それと視覚情報を照合します」


 それから一度シニッドさん達を振り返って言い――。


「ここで少し待っていて下さい。場所を特定できたら、全速力でそこに向かいます」


 更にそう続けると、俺は返事を待たずに全力で跳躍した。

 そうしながら飛行の祈念魔法を使用し、一気に時計塔の天辺へと向かう。

 この都市で最も高い建築物たるそれは上部に四方に向けて時計が設置されており、最上部には時刻を知らせるための鐘が吊るされている。

 人力で揺らして音を鳴らすために人が歩けるように設計されており、かつ学校全体に音を響かせるために外との仕切りがない。

 そのため、物見台のように周囲の景色を見渡すことも可能だ。


「さて、サユキ。始めようか」

「うん!」


 俺が呼びかけると、サユキは嬉しそうに影の中から出てきて隣に並ぶ。

 そんな彼女と手を繋ぎ、アーク複合発露エクスコンプレックスを発動直前の状態まで励起し、それによって種族特性を発現させる。

 雪女の少女化魔物ロリータであるサユキ。

 外見的には大きく変わらない。だが、任意で雪を降らせることができる。

 それも、あの時のサユキのように、触れたものの位置を把握する雪を。

 たとえ麗らかな春の日差しの中であっても。


「おっと、一応曇りにはしておかないとな」


 既に異常気象だが、お天気雨ならぬお天気雪よりかは幾分マシだろう。

 祈念魔法を複合的に使用し、学園都市トコハ全域を雲で覆い隠す。

 同時に二人分の種族特性を重ね合わせ、同調させることで範囲を極限まで拡大する。

 数字で言えば、十数キロ四方。

 はらはらと雪が絶え間なく舞い落ちる。


 祈念魔法は人間原理に基づくもの。

 重ね合わせれば効果が高まると信じ切れば、その通りになる。

 だが逆に、信じ切れなければ、効果は乏しくなる。

 実のところ風等を利用した探知の祈念魔法でも、ある程度は周辺の把握が可能だ。

 しかし、さすがに風だと数十から数百メートルが関の山だ。

 偏に、俺の風に対するイメージの問題で。

 勿論、それでもこの世界の常識からすれば破格ではあるのだが。

 閑話休題。


「よし。大体、できあがってきたな」


 雪を降らしてものの数十秒で、学園都市トコハの全体図が頭の中に形作られていく。

 暴走したサユキのように猛吹雪にすれば、同じ時間で詳細な形状まで把握できるだろうが、さすがに街を混乱に陥れる訳にはいかない。

 何より、今回は大まかな配置だけで構わない。


「さて――」


 そして雪を維持したまま、目視で街を確認していく。頭の中の全体図を参照しつつ。

 まだまだ高層建築が少ないことに加え、ホウゲツ学園自体少々小高い丘に建てられているため、この時計塔の天辺からなら十分都市全体を見渡せる。

 まずは一通り全体を見回そう。

 勿論、流し見るのではなく、丁寧に集中して。


「………………ん?」


 やがて、視線を動かす過程で妙な違和感が生じ、そこを拡大するように注視する。

 すると、目に映っているものと、雪の探知から逆算して脳裏に作り上げた光景との間に明らかな齟齬があった。見れば見る程、気持ちが悪くなる。

 だが、間違いない。ここだ。


「……見つけた」


 富裕層が住まう地区の一角。とある家と家の間。

 それなりに大きな屋敷があるはずなのに、視界には映らない。

 なのに、見た目だけなら何ら違和感がない。

 間違いなく、認識が歪まされている。

 これが認識の書き換えか。位階的に当然と言えば当然なのだろうが、常時第四位階の身体強化を施している自分にも当たり前のように通用する事実に少しだけ動揺する。


 やや乱れた気持ちのまま隣のサユキを見ると、彼女も確認できたのか深く頷いた。

 そんな彼女の姿で心を落ち着かせ、俺もまた頷きを返し――。


「行こう」

「うん!」


 それからサユキと手を繋いだまま、時計塔を飛び降りた。

 途中、サユキをお姫様抱っこの形で抱きかかえると共に祈念魔法を使用し、シニッドさん達の前に素早く静かに着地する。


「皆さん! 拠点と思しき屋敷の位置を特定できました。行きましょう!」


 それと同時に、確信があると彼らに伝わるように強く呼びかけた。


「わ、分かった」

「おう」


 若干戸惑い気味のガイオとは対照的に、シニッドさんの方は俺の説明と眼前の現象から諸々納得したのか落ち着いた様子で応じ、静かに気合いを入れ直す。

 その辺りはS級とEX級の差というところか。

 いや、俺が抱きかかえたままでいるサユキを、ガイオさんは初めて見たからかもしれないけれども。

 何にせよ、ガイオさんも戦闘となれば、S級に相応しい働きをしてくれるはずだ。

 早く彼が活躍できるだろう場所へと向かおう。

 犯人の確保もまた、早ければ早い程いい。


「では、ついてきて下さい!」


 そうして俺達は、季節外れの雪が降り注ぐ中、犯人が活動拠点としていると思しき屋敷へと走り出したのだった。

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