第78話 小競り合いの顛末

 当然ながら俺は、弟の危機をぼんやりと見過ごす兄であるつもりはない。

 そんな男は兄失格にも程がある。

 俺が手を出さなかったのは、無論その必要がない確信があったからに他ならない。

 そう判断したタイミングは少し遡る。

 丁度、レギオが己の身勝手なもの言いは棚に上げ、ラクラちゃんに思いっ切り煽り返されたことに腹を立てて複合発露エクスコンプレックスを発動させた直後。


「命の根源に我はこいねがう。『認識』『欺瞞』の概念を伴い、第四の力を示せ。〈救世〉之〈夢幻〉」


 セトが口の中でそう呟くように、祈念詠唱を口にしていた瞬間だ。

 その効果は拡張祈念詠唱からも分かる通り、対象の認識を欺くもの。

 今回の場合は周囲の観測者全てに幻を見せ、現実を偽るために使われている。

 即ち――。


「え……セ、セト君?」


 呆然とするラクラちゃんの目に映ったもの。レギオの複合発露によって作り出された火を束ねた槍がセトを貫く光景は、全くの嘘偽りでしかない。

 セトを評してまだまだ甘いと呟いたのは、その辺りが理由だ。

 敵を欺くには味方からとは言え、友人にそんな顔をさせるものじゃない。

 形振り構っていられないレベルの相手ならともかく、この場はもう少しスマートに対処して欲しかった。……まあ、十二歳の子供に要求することではないが。


 優れた人間は、かけられる期待も大きくなってしまうもの。

 有名税ならぬ優秀税のようなものだ。


 そして、そんなセトの術中に嵌ったのは、少し離れて二人の様子を見守っていたラクラちゃんのみではなく――。


「ば……馬鹿な奴だ。素直に複合発露を使っていれば、こ、こんなことには……」


 真正面から対峙していたレギオもまた動揺を顕にしていた。

 相変わらず言葉の内容は酷い。

 幻覚とは言え、同級生を殺めておきながら尚も自己弁護とは。

 思わず、やれやれと首を振りながら嘆息してしまう。


 ……それでも、狼狽するだけギリギリ踏みとどまっていると言うこともできる。

 崖っぷちに小指を引っかけているようなものだし、俺のこの評価もあくまで裏側まで見通しているからこそのものに他ならないが。

 教室の壁に引き続き、またも実質的な話ながら傷を負った者はいないのだ。


 むしろ、これ以上セトが火の槍に貫かれて倒れ伏した幻覚を見せ続けると、そちらの方がクラスメイト達に精神的な傷を与えてしまいかねない。

 弟もまたそう考えたようで、呆然とする彼らの前で幻影が突如として霧散する。


「なっ!?」


 それを目の当たりにしたレギオは、全くそうした可能性を想定すらしていなかったのか、更なる動揺を示した。……未熟とも言えるが、まあ、学年相応だろう。

 それから彼は慌てて周囲を見回し出す。

 しかし、セトが解除したのは、分かり易く彼らの眼前にあった自身の幻影のみ。

 本体は未だ欺瞞の中。

 祈念魔法そのものは解いてはいないのだから、偽者すら見抜くことができなかったレギオではセトの姿を探し出すことは不可能だ。


「う、後ろか!?」

「まあ、定番だな。正解でもある。けど……」


 傍から見ると滑稽な動きで振り向くレギオに、若干の同情心を抱きながら呟く。

 当然ながら俺にはセトの姿が見えている。

 常時発動している第四位階の身体強化のおかげで。

 セトが使用した力も第四位階だが、同じ位階ならば前世の知識に裏打ちされた救世の転生者としてのイメージ力を持つ俺の祈念魔法が勝る。

 上位の位階でもなければ、まだまだ俺には通用しない。


「こっちか!?」

「残念だけど、もうそっちにはいない」


 セトは今レギオの背後にいる。今正に振り返った方向ではなく。

 彼が向きを変えても尚、まるで背中に張りついているかのようにセトは相対的な位置を保っている。見ているだけで実力の差は明らかだ。


「いい加減、姿を現せ!!」


 と、小さくない焦燥を顔色に滲ませながら叫ぶレギオ。

 力量を突きつけてやることも大事だが、少々長引かせ過ぎかもしれない。

 いらぬ禍根が残ってしまいそうな気もする。

 まあ、セトはセトで彼に腹が立っていたのだろう。ラクラちゃんのこともあるし。

 十二歳の子供がそこまで達観していたら、人間性も何もない。


「言われなくても。僕はこっちだ」


 段階的に、次は声の欺瞞を解いて後ろから言い、しかし、レギオがそれに応じて振り返った時には脇を擦り抜けて背後に立つセト。

 彼はそのまま、レギオが何かしら反応をする前に背中から襲いかかった。

 膝の裏を蹴って相手の体勢を崩すと共に相手の体に掌で軽く力を加えて転ばせ、そのまま片手で腕を捻り上げながら逆の手で背中を押さえて抑え込む。

 ガッチリ極まっている訳ではないが、不意を突かれて転ばされた時点で少女征服者ロリコン同士の戦いとしては勝負ありと判断して差し支えない。

 その段階で複合発露を無防備に食らっているも同然なのだから。


「祈念魔法をちゃんと勉強しないと、こうやって足をすくわれるんだ。いくら第四位階までしかないからって侮っちゃ駄目だよ」

「う、ぐあっ……」


 これが実例だと体に分からせようとするようにセトは関節に負荷をかけ、それによってレギオが呻き声を上げる。表情が悔しげに歪む。


「先生、早く!」


 と、廊下の方が少し騒がしくなってきた。

 レギオが複合発露を発現した辺りで教師を呼びにいっていた生徒がいたが……どうやら、ようやく教師を連れて戻ってきたようだ。


「レギオ君、何をして――」


 教室のドアを勢いよく開け、中に入ってきたシモン先生は固まる。

 耳にしていた情報と眼前の光景に大きな差があり、状況の把握に少々手間取ってしまったのだろう。一瞬、レギオを抑えつけているセトへと驚いたような視線を向ける。


「自分の複合発露に何ができて何ができないか。弱点は何か。警戒しないといけない祈念魔法はあるのか。常に考え続けないと本当に強くなんてなれない」


 頃合いと見てかセトは静かに諭すように言うと、レギオを解放して立ち上がった。

 対照的に、レギオは体が自由になっても床に伏せたまま奥歯を噛み締める。


「一体、何があったのですか?」


 と、クラス全体を見回す中で俺にも視線を寄越しながら、シモン先生が問いかける。

 対してポツポツと、クラスメイト達から答えが返されていき……。


「成程。一先ずセト君。ラクラさん。レギオ君は職員室に来て下さい」


 彼は大まかな事情を理解したようで、当事者を連れて教室を出ていった。

 ここに残っていても仕方がないので俺も後に続き、職員室までついていく。

 そこでシモン先生が更にそれぞれから話を聞く様子を見守り、その後で各々別の生徒指導室に連れていかれるのを見送った。


 それから緊急に職員会議が開かれることになったようだが、さすがにそちらには入り込めず、また、長引きそうだったので俺は一先ず補導員の仕事に戻ることにした。

 そして放課後。改めて職員室に向かい、シモン先生に会いに行く。


「参観していたのなら、とめて下さってもよかったのでは?」

「子供の喧嘩ですから。一応、怪我人が出ないように注意を払ってはいましたよ? それよりも、セト達の処分はどうなったんですか?」


 本気の抗議という感じではない単なる心労の愚痴のようなものを挨拶代わりにしてくる彼に軽く返し、すぐに本題を問う。

 それを受け、シモン先生は保護者に対するように背筋を正して口を開いた。


「セト君に関しては、ラクラさんを守るために行ったこととは言え必要以上に叩きのめした感もあるので、もう少し巧く解決するように指導しました」


 うん。それは俺も思ったことだ。

 事情を鑑みれば、処罰としても妥当なところだと個人的には思う。


「ラクラちゃんは?」

「彼女に関しては、売り言葉に買い言葉で煽った形になったとは言え正論ですし、言い方に関して気をつけるように軽く注意したぐらいです」


 それもいい。落ち度がないとは言えないが、正論に暴力で返した時点で相手が悪い。

 問題は――。


「ただ、レギオ君に関しては学園長より正式に停学一週間という処分が下されました」


 入学一週間で停学一週間か。

 半ば暴力事件のような案件としては軽過ぎる処分かもしれないが……。


「入学から日が浅いこと。最終的に未遂だったことが考慮されました」


 まあ、そんなところか。

 レギオの攻撃は人間に当たらなかったし……下手したら、あの場ではセトが彼を抑えつけた時のダメージが一番大きいぐらいだろうしな。


「他にも考慮されたことがあるのでは?」


 それはそれとして、ふと気になって尋ねる。

 彼の名字を頭に思い浮かべながら。


「……ええ。彼はフレギウス王国の王族ですからね。あくまで傍流の末端ですが。何とか教育で少女化魔物ロリータに融和的な考えを持って貰えないかと考えている側面もあります」


 わざわざ友好的でない外国からも留学を受け入れている理由は、その辺りか。

 祈念魔法や複合発露のあるこの世界、均衡が崩れ始めたこの時代でも洗脳ではないのは甘い対応かもしれないが、そういうところで良心的なこの国が俺は割と好きだ。

 その雰囲気にほだされて、レギオが改心することを切に願う。

 もし手伝えることがあれば、それとなく手伝おう。


「しかし、セト君達の祈念魔法は恐ろしい練度にありますね。既に制御力だけなら学園有数ではないでしょうか。イサク君が教えたと聞きましたが……」

「ええ。まあ。できのいい子達ですから」


 彼らの実力で俺の力ではないと最後に兄馬鹿なことを言い、何か別の話に続けそうな気配のあるシモン先生の言葉を遮る。

 俺に頼みたいことがあるのかもしれないが、今は別件を優先させて欲しい。

 ヒメ様に約束した噂の調査もしなければならないのだ。

 申し訳ないが、諸々済んでから話を聞かせて貰おう。


「では、失礼します」


 そうして俺は、そそくさと職員室を辞去したのだった。

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