第77話 子供の喧嘩

 レギオの複合発露エクスコンプレックスによって生成された炎の槍が直撃した教室の壁。

 そこは何ごともなかったかのように無傷で、攻撃の痕跡は微塵もない。

 その様子を見て、俺はホウゲツ学園に関する一つの噂を思い出した。

 校舎自体が第六位階の祈望之器ディザイアードであり、如何なる攻撃でも破壊できないという噂を。

 これがその証明になるかは微妙なところではある。が、少なくとも母親から受け継いだだけの複合発露、第五位階低位の攻撃ではビクともしないらしい。

 損傷していたら後でしれっと直しておこうか、と思っていたが、手間が省けた。


「ラクラちゃん、大丈夫?」

「う、うん」


 そんなレギオの感情的な攻撃によって静まった教室の中、ラクラちゃんに問うセトの声が実際よりも大きく響く。

 迫る火の槍からセトによって救い出された彼女は、一先ず五体無事なようだ。

 怪我らしい怪我もないし、服が焦げたりもしていない。


 つまり、まだ物理的な被害は発生していないということになる。実質的に。

 ラクラちゃんやクラスメイト達への侮辱はあったが、まだ取り返しはつく。

 売り言葉に買い言葉でラクラちゃんもきつい反撃をしていたし。

 俺から見れば、レギオは未熟で憐れな心の弱い子供でしかない。

 まあ、俺も聖人君子ではないので身勝手な言動にはイラッとするけども。

 それはそれとして、可能ならば更生に導いてやりたいところだ。


 ただ、それも適切に事態が収束してこそ。

 状況的には部外者の俺が手を出すと、話が拗れる可能性が大きい。

 幼さ故の過ちとして処理できるかは、全て我が弟の手腕にかかっていると言える。

 勿論、許すか許さないかも彼ら次第だし、当人の改心もまた必要不可欠だが。

 いずれにせよ、誰かが致命的な傷を負っては、そんな議論も難しくなってしまう。


「……離れてて」


 そうこう考えていると、セトがやや強く言ってラクラちゃんの背中を軽く押す。

 厳しい視線を眼前のレギオへと向け、彼の一挙手一投足を注視しながら。


「セ、セト君、ボク……」


 対するラクラちゃんは、未だにクラスメイトから攻撃された事実を受け止め切れていないらしい。戸惑った様子を見せている。


「いいから」


 それでもセトが言うと、彼女はコクリと頷いて素直に従った。

 割と気が強い女の子だが、動揺が大きく反発する程の冷静さはないようだ。

 それに加えて、一定の友好関係を築いていたおかげということもあるだろう。

 入学式の日の食事会をきっかけに、クラスでは話す頻度も多かったようだから。


「セト・ヨスキッ!」


 そんな二人の様子を前に、尚も感情を爆発させて弟の名を口にするレギオ。

 どうやら弟も目の敵にしているようだが……。


「気取りやがって。祈念魔法が少し使えるからっていい気になるなよ!」


 続く彼の言いがかり染みた言葉に成程と思う。


 入学から一週間そこそこ。まだ祈念魔法の実習も片手で数えられる回数しか行われていないが、それでもクラスの誰もがセト達の実力には一目置いている。

 初日に、十二歳としては異次元の制御力を見せつけたからだ。

 数年分のアドバンテージがあるのだから当たり前と言えば当たり前だし、幼少期からみっちり教え込んだ俺達からすれば、まだまだ甘い部分もあるが……。


 相手の実力を把握するのにも一定の力量がいると言う。

 まして、その辺の背景も知らないレギオでは納得できるはずもない。


「ヨスキ村の人間なら、自分の複合発露を見せてみろ! 俺の複合発露の方が……俺の方が強いことを証明してやる!」


 そして彼は更に感情のままに叫びながら、再びその手に炎を生み出す。

 入学式の日の教室での発言や今の言葉からすると、フレギウス王国においてもヨスキ村の名とその実態はよく知られているらしい。

 そこで生まれる子供は少女化魔物ロリータの子であり、複合発露を持つことも。

 …………あるいは、父親が騙されたことに薄々気づいているようであるレギオにとっては、ヨスキ村の子供こそが最大のコンプレックスとなっているのかもしれない。


「悪いけど、断るよ」


 そんなレギオの命令口調の言葉に、小さく首を横に振って静かに返すセト。

 可愛らしい中性的な顔立ちがキリッとしている。

 幼さが程々に薄まっていて、我が弟ながら格好がいい。

 世が世ならモテモテ間違いなしだ。

 だからと言う訳ではないだろうが――。


「何だと!? このまま焼かれたいかっ!?」


 対するレギオはセトの返答に苛立ちを強め、生み出した炎を激しくさせる。


「シモン先生やラクラちゃんが言った通り、僕達はまだ祈念魔法をしっかりと学ぶべきだし、複合発露は喧嘩なんかで使うべきじゃないよ」


 そんな彼の脅しに怯えることなく、セトは真正面から冷静に告げる。

 気になる女の子の前だから強がっているという感じでもない。

 複合発露を使わずとも、この状況をどうにかできるという自信が見て取れる。

 本当に成長したものだ。さすがは俺の弟。

 ……っと。今は呑気に兄馬鹿なことを考えている状況じゃなかったな。


「だったら、嫌でも使わざるを得ないようにしてやる!」


 レギオはそう言い放つと、右手に束ねた炎をセトへと解き放つ。

 先程はクラスメイトに撃つということで、多少なり加減してはいたのだろう。

 本当は当てるつもりもなく、脅かそうとしていただけだったのかもしれない。

 だが、今正に空中を翔ける火の槍には強い害意が滲んでいる。

 速度も比べものにならない程に速い。


「俺の力は強いんだ!!」


 それだけではなく彼は、今度は二つ三つと炎を増やし、即座にセトへと投げつける。

 どうやら完全な大言壮語という訳ではないらしく、制御自体は完璧だ。

 それらは弟を取り囲み、その動きを封じ込めんと衛星の如く空間を素早く飛び回る。

 並の子供ならばパニックに陥ってしまっても無理もない状況だ。


「さあ、早く複合発露を使え! 使って、無様に俺に敗北しろ!!」

「嫌だ。複合発露は使わない。けど、負けもしない」


 しかし、セトは淡々と拒絶の意を示すのみ。

 旋回する炎も一切意に介していない。


「ぐっ、本当に当てるからな!!」


 そんなセトの冷ややかな態度にレギオはどこか気圧されたようになりながらも、それを振り払うように叫んだ。もはや引くに引けない状態になっているようだ。

 そして、牽制を続け、セトに複合発露を使わせようとしていた彼の様子が変わる。

 破れかぶれになったかのように目が据わり、右手を指揮者のように動かす。

 正にその次の瞬間、セトへと三本の火の槍が正面から殺到した。


「え……セ、セト君?」


 それらは、避けようとする素振りもなかったセトを貫き、その様を目の当たりにしたラクラちゃんが呆然としたような声を上げる。

 十二歳の彼女からすれば、ショッキングな光景だったかもしれない。

 しかし俺は、その光景を、教室の壁に背中を預けたまま視界の端で捉えていた。

 成長したとは言え、まだまだ甘いな、と小さく嘆息しながら。

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