第37話 わがまま

 暴走した少女化魔物ロリータを止めるため、村を離れていた父さん。

 その父さんが予定よりも遥かに早く帰ってきたらしく、何か問題が発生したのかとセトをイリュファに預けて慌てて母さんと共に家を出る。

 すると、村の入り口付近に人だかりができていた。

 その中心で父さんは片膝を突いており――。


「と、父さん!?」

「な……一体何があったのじゃ!?」


 その姿に俺と母さんは驚愕し、その傍に駆け寄った。

 父さんの右腕は全体が凍りつき、それ以外もところどころに氷が付着していた。


「少女化魔物の暴走パラ複合発露エクスコンプレックスか?」

「ああ。予想以上の難物だった。俺以外は全滅だ」

「それ程か……」


 深刻な顔で母さんは呟き、一先ず動揺を振り払うように首を振って再び口を開く。


「ともかく、一度家に戻るとしよう。話はそれからじゃ。こんなところでは体を休めることもできぬ」

「ああ」

「て、手当はいいの?」


 見た感じだと、すぐに何らかの処置をした方がよさそうだが……。


「第六位階、それも最上位に相当する力だ。回復はできない」

「融かすことも?」

「妾達の力ならば時間をかければ不可能ではないかもしれぬが……代償に中の体が酷いことになるじゃろう」

「それなら、このままにしておいた方がいい」


 事前に聞いていた話だと、この凍結は中の時が止まったようになるという話だったか。

 異世界ならではの異常。

 そもそも元の世界の常識で考えれば、凍っているところと凍っていないところの繋ぎ目で既に組織が死んで切断が必要になっているはずだ。

 複合発露を前提とした、元の世界には存在しない法則による現象なのだろう。

 ゲームとかの状態異常(凍結)みたいな感じに考えた方がいいかもしれない。


「しかし、あるじをここまで追い込む少女化魔物か。もはや命を……」


 奪うしかない。そうは言いたくないのか、言葉を途切れさせる母さん。

 同じ少女化魔物として、その選択肢は取りたくないのだろう。


「ああ。俺もそう思って……一度は殺そうとした」

「なっ!? ば、馬鹿なことを言うでない!!」


 父さんの言葉に愕然とし、母さんは瞬間的に激昂して叫ぶ。


「暴走した少女化魔物を殺す場合は、遠距離から狙撃するのがセオリーじゃろう!! お主の力では少女ロリータ残怨コンタミネイトに巻き込まれてしまうではないか!!」


 つまり……父さんは相討ちを狙おうとしていた訳だ。

 それでは、母さんがそんな反応をするのも理解できる。


「それを要請し、実行するまでの間に更に多くの被害が出る。お前やイサク達にまで及んでいたかもしれない。それなら俺一人が犠牲になった方がマシだと考えただけだ」

「こ、この――」

「それは過去形なんだよね?」


 自分の気持ちを分かって無視するような判断に、一層感情的になって大きな声を上げようとした母さんを遮って言う。

 互いを大切に思い合った上での考えの違いで夫婦喧嘩などして欲しくないし、そんな姿は見たくない。何より、今はそんな場合でもないだろう。


「ああ。こうしておめおめと逃げ帰ってきたのは……」


 俺の言葉に同意しつつ、しかし、その理由を口にすることを躊躇う父さん。

 その様子に首を傾げていると、父さんは俺を真っ直ぐに見詰めながら口を開いた。


「既に被害を受けた人々、今正に被害を受けている人々、そして暴走したあの少女化魔物を含めた全てを救える可能性を見つけたからだ」

「全てを救える可能性、じゃと?」


 虚を突かれたように、母さんは戸惑い気味に問う。

 勇者とすら謳われた父さんがこの状態で、ここから全てを覆す方法がある訳がないと。


「イサク、これを見てくれ」

「え――」


 何で俺? と思いつつ、父さんが差し出してきたものを見て一瞬思考が止まる。


「こ、これって!」


 見忘れるはずもない。

 自分で作ったものだ。

 毎日見ている写真風の絵の中にも描かれている。


「俺がサユキに贈った簪……」


 呆然としながら受け取って表面を撫でる。

 雪の結晶を模った意匠と言い、ちょっと拙い形状と言い、世界に一つだけのものだ。


「じゃ、じゃあ、その雪女の少女化魔物って」

「あの時の雪妖精が進化したんだろう。そして、数年彷徨い歩き……」


 その果てにアクエリアル帝国で人間に襲われ、暴走してしまった、ということか。


「それを肌身離さず持ち続けていたことを考えるに、きっとあの子はお前を探し続けていたんだろうな。ずっとずっと」


 純銀製の簪に目を落とす。

 そう、なのか。彼女も俺を想い続けてくれたのか。


「ま、待て! 主よ。まさかとは思うが、イサクに説得をさせるつもりか!?」

「暴走状態の少女化魔物を鎮めるには、その根底にある欲求を満たしてやるしかない」

「馬鹿を言うでない! まともな時ならばともかく、暴走状態では正しくイサクと認識できるかどうか保証などないのじゃぞ! しかも、そのためには顔を合わせるぐらい近づかなければならん! お主でさえその有様だと言うのに、危険じゃ!!」


 捲くし立てる母さん。

 何と言うか、もう本当に母さん・・・って感じだ。

 不謹慎だが、ちょっとだけ心の中で苦笑する。

 思いもよらぬものサユキに贈った簪を見て動揺した心が落ち着く。


「……イサクは、どうしたい?」


 頭突きしそうな程に迫ってくる母さんを押さえながら、俺に問う父さん。

 その答えは簪を見た瞬間から決まっている。


「俺は、サユキにもう一度会いたい。助けたい」

「お前まで何を言う! そうしたい気持ちだけではどうしようもないこともある! 暴走・複合発露を抑え込み、説得するだけの時間を作る術など今のお前にはあるまい!」


 母さんの言うことは、至極もっともだ。

 俺の力、俺が契約している彼女達の力を全て束ねても不可能だろう。

 他の人々と同じように氷漬けにされてしまうだけだ。

 今からでもセオリー通りに暴走・複合発露の範囲外からの遠距離攻撃によって処理するのが最も合理的で、この国、この社会にとってベターな方法だろう。

 それでも嫌だ。

 どうしても、嫌なのだ。

 少女の姿をした存在が、苦しんだまま死んでいくのは。


「分かってる。分かってるよ。俺はまだ弱くて、サユキを一人で助けられない」

「ならば――」

「だから……だから、助けて。父さん、母さん。俺にサユキを助けさせて」


 俺がそう乞うと、母さんは言葉を失ったように口を開けたまま表情を歪めた。


「お願い。父さん、母さん」


 自分の力不足への憤りに拳を硬く握り締め、唇を噛み、頭を下げる。

 どうしようもなく無力な子供のように。

 今生の親に対する無条件の甘えと共に。


「ぐ、ぬ。面と向かって言った初めてのわがままがこれか」


 少しの沈黙の後、ようやく母さんはそれだけ絞り出した。


「だったら、親として叶えてやらないとな」


 それを受け、父さんがやっぱり俺の息子だとでも言うように微笑みながら告げる。


「そ、それは、そうかもしれぬが……」

「勿論、ただ危険に晒したい訳じゃない。最悪の時は俺の命に代えてもイサクとお前は守る。セトを孤児にする訳にはいかないからな」

「しかし、お主は――」

「この腕だ。俺もそう長く生きられないかもしれない。そうなれば、お前も死ぬ。運よくそれは避けられたとしても、仕事を続けていくのは難しいだろう」


 さすがにこの世界の不可思議な法則で今のところは大丈夫でも、状態異常(凍結)が半端な形で続いていけば健康に被害が出るのは見た目で分かる。

 徐々に蝕まれ、命を脅かすのは想像に容易い。


「俺だけの話じゃない。現時点で既に氷の彫像と化している者達を救う可能性もこれしかない。暴走・複合発露の影響を取り去り、少女残怨を避けるには、どうあっても少女化魔物の暴走を鎮める以外にないんだ」


 今この時からサユキを殺しても被害の拡大を防ぐことができるだけで、マイナスはマイナスのままゼロに戻すことはできない。

 だが、暴走を止められれば、ゼロとは言わずとも誰も未来を失うことはないのだ。


「…………くっ、分かった。全く、似た者親子じゃ、お主達は」


 ことは俺達家族のみの問題ではない。

 既に何人もの人間が命を懸けている案件でもある。

 可能性を持つ者は責任ある対応をしなければならない。

 しかし、母さんが最後に決断したのは、前世からの願いである親孝行のためにいい子でいようとし続けてきた俺がわがままを言ったからだろう。


「じゃあ、早速あの子のところに向かうぞ」

「……仕方、あるまい」


 親として俺の気持ちを尊重してくれ、それを叶えるために懸命になってくれる二人。

 そんな今生の大切な両親に感謝しつつ、俺はサユキを想って簪を握り締めた。

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