第32話 セイレーンの少女化魔物

「ああ。来たか」


 家に戻ると、待ち侘びた、という感じで父さんが客間の前にいた。

 傍にはセトがいる。

 あの襲撃の恐怖が抜けていないのか、父さんにひっついている。

 そんな彼のこともあり、さすがに村を離れるのは不安だということで、父さんはしばらくの間は村の外での仕事を控えて農作業に専念することになっていた。

 俺が複合発露エクスコンプレックスを使えることも周知の事実となったし、折角だから暇があれば本格的に鍛えて貰いたいところだ。

 っと、いきなり話が逸れた。意識を本題に戻して口を開く。


「父さん、あの子が目を覚ましたって」


 俺の言葉に頷いた父さん。

 しかし、何とも困ったような顔をしている。


「どうしたの?」


 何故そんな反応なのか軽く首を傾げながら尋ねる。


「いや、何と言うか、俺にも母さんにも話をしてくれないんだ」

「話をしてくれない?」

「ああ……まあ、仕方がない部分もあるけどな。狂化隷属の矢によって操られていたんだ。もっと怯えて暴れ回っても不思議じゃない」


 ああ。そうか。そりゃそうだ。

 同じ人間だったとしても、そんな目に遭えば人間不信になりかねない。

 別の種族であり、同族意識などないだろう少女化魔物ロリータならば尚更だ。


「……父さん、俺が話してみてもいい?」

「勿論。そのために呼んだんだ。ただ、危険があるかもしれないから俺達も――」

「いえ。お二人の前で口を噤んでいるということは、ジャスター様やファイム様が同席されますと話をして貰えない可能性もあります。私とリクルがお傍にいますので、ここは一先ずイサク様にお任せを」


 両親がいると率直な話ができないなあ、とかいう俺の思いを汲んだ訳ではないだろうが、イリュファが諸々の事情を知る者だけの面会へと持っていこうとする。

 少々強引な感もあるが、既に実際に拒絶されている父さん達からすれば、それなりに説得力のある理屈だろう。

 イリュファのこじつけではなく、本当に二人はいない方がいいのかもしれないし。

 その辺、父さん達も一理あると思ったようで――。


「そう、だな。今の彼女は暴走していない。イリュファの複合発露があれば安全は確保できるだろう。そのイリュファと少女契約ロリータコントラクトを結んで、イサクも同じ力を使えるようになった訳だしな」


 父さんは同意を示しながら言うと、セトや母さんと共に客間の扉の前からどいた。


「それでも油断はするなよ、イサク」

「うん」


 忠告に頷き、そうしてからイリュファやリクルと一緒に客間に入る。

 その少女化魔物は、畳に敷かれた布団の上で半身を起こした状態で座っていた。

 風属性であることを示す緑色の髪と瞳は爽やかな印象を受けるが、今は残念ながら不機嫌そうな表情が打ち消している。

 セミショート+セミロングのサイドポニーという感じの髪型に勝気な感じの目は、本来快活でサッパリとした女の子なのだろうと予想させるが……。


 そんな刺々しい様子の彼女は俺の顔を見るや否や、一転して気まずげに目を逸らした。


「えっと――」

「……聞き耳を立てている行儀の悪い方がいらっしゃいますので、とりあえず音が漏れないように致します。風の根源に我は希う。『振動』『抑制』の概念を伴い、第三の力を示せ。〈大気〉之〈防振〉」


 少女の反応の意味を俺が問う前に、イリュファが念を入れて祈念魔法で防音を施す。

 微妙にタイミングが噛み合わず、何とも居心地の悪い沈黙が降りてしまう。

 と、とりあえず仕切り直そう。


「ええと、体は大丈夫?」

「……ええ」


 簡潔な答え。一応は口は開いてくれるようだが、話が続かない。


「ちなみに、貴方の傷ついた体を癒やしたのは私です。祈念魔法で貧血になりそうなぐらいに血肉を消費して」


 わざとらしく恩を着せるようにイリュファが言う。

 良心を刺激して言葉を引き出そうという魂胆のようだ。


「そして、貴方の暴走を止めたのはこの方と隣の少女化魔物です。つまり、私達は貴方の命の恩人とも言えます」

「わ、分かってるわよ。ぼんやりとだけど、貴方達のことは覚えてるから。……た、助けてくれて、ありがとう」


 果たして、その少女は一層決まりが悪そうにしながら言った。

 狂化隷属の矢で操られていた時のこと。微妙に記憶があるのか。

 何にせよ、ちゃんとお礼を言ってくれる辺り、悪い子ではないのは間違いない。


「とりあえず、名前と種族を教えてくれるかな?」

「……フェリトよ。セイレーンの少女化魔物」


 何で子供の癖に迷子の子供に聞くような言い方をするの? と言いたげな不審そうな表情を浮かべながらも、一応は答えてくれるフェリト。

 根っこの人のよさが滲み出ている。愛想は今一ないが、そこは状況が状況だ。

 正直、俺からすると印象がいい。

 初めてガチンコで戦った相手だからというのも少しあるかもしれない。


「そっか。よろしく、フェリト。俺はイサク。イサク・ファイム・ヨスキ。こっちがイリュファで、こっちがリクルだ」

「よろしくお願いします」

「です」

「………………よろしく」


 イリュファがわざわざ命の恩人であることを持ち出したからか、あるいは、その辺を薄らと覚えているからか、結構喋ってくれるな。助かる。


「……一つ聞いていい?」

「ん? どうぞ」

「姉さんは、無事なの?」

「君と同じセイレーンの少女化魔物のことか?」


 多分あの子のことだろうとフェリトの問いに質問を返すと、彼女は首を縦に振った。


「私を隷属させた人間の言葉を思い出すと、姉さんも捕まって無理矢理戦わされてたはずなの。姉さんは無事なの? 教えて」

「多分、戦況が不利になったら逃げ出すように指示されてたんだと思う。空間転移みたいな複合発露を持つ少女化魔物と一緒に消えて、そこから先は分からない」

「………………そう」


 身内が行方不明。その事実に、思い詰めたように俯くフェリト。

 兄さんの時の母さんのようになってしまうのではないかと一瞬懸念するが……。


「貴方はこれからどうするつもりですか?」

「決まってるわ。姉さんを、探し出して助ける」


 フェリトは理不尽への怒りで心を奮い立たせるようにハッキリと告げる。

 そもそも兄さんの時は第一報が死亡だったから一緒くたにはできないか。


「どうやって?」

「それは…………」


 イリュファに問われ、返答に窮するフェリト。

 闇雲に探してどうなるものでもない。

 一人では、暴走したままだろう姉を救うことなどできないだろう。


「誰か人に協力を仰ぎますか?」

「……人間は、嫌いよ」


 フェリトは不愉快そうに眉をひそめる。

 少女化魔物にとっては最悪と言っていい思想に染まった人間に操られていたのだ。

 そうなるのも当然だ。


「け、けど、姉さんを助けるためなら……くっ」


 そう言いながら彼女は心底辛そうに続ける。

 心が拒絶しているという感じのようだ。

 父さんや母さんと話をしなかったのはこのせいか。

 母さんは少女化魔物だが、人間と契約をしている時点でアウトなのだろう。


「あのう。ご主人様とお話しするのは大丈夫なんです?」


 と、それまで黙っていたリクルが小首を傾げて不思議そうに問う。


「人間は嫌い。だけど私は、命の恩人まで嫌悪するような恥知らずじゃないつもりよ」


 対してちょっとムッとしたように返すフェリト。

 やっぱり律義というか、割と真面目な子だ。

 とは言え、心の話。そう簡単に切り分けられるものではないはずだが……。

 あるいは、暴走状態という感情の箍が外れた時に俺達を認識したが故に、トラウマよりも深い部分に位置に入り込むことができたのかもしれない。

 あんな状態でも盛大に涙も流してたしな。

 いずれにせよ、俺達といる分には苦痛を感じないと言うのなら――。


「だったら、取引しないか」

「取引?」

「ああ。俺にフェリトの力を貸して欲しい。代わりに俺達は君のお姉さんを助け出すのを手伝う。どうだ?」

「少女契約したいってこと?」


 フェリトの問いかけに頷く。

 性格には好感が持てる。能力も申し分ない。

 可能なら仲間になって欲しいところだ。

 彼女の答えを待つ。

 それから少しの沈黙を経て、やがて決心がついたようにフェリトが口を開く。


「分かった。けど、取引だって言うなら私達は対等よ。家来にはならないわよ?」

「ああ。構わないさ」

「…………さっきから思ってたけど、貴方、何なの? 話し方と言い、見た目との齟齬が大きくて変な感じがするんだけど」


 彼女以外ここにいるのは事情を知る者のみ。加えて人間不信気味の彼女を前に演技はNGだろうと素の感じで対応していたら、また不審がられてしまった。

 まあ、これから仲間になって同じ困難に立ち向かうのなら、その辺りのことは早々に知っておいた方がいいだろう。


「一応、救世の転生者ってことになってる。ただ、戦ったから分かってると思うけど、まだまだ発展途上でそう名乗るのもはばかられる程に弱い。君の助けが必要なんだ」

「救世の、転生者……?」


 少しの驚きと共にその言葉を繰り返したフェリトに頷く。

 しかし、その名に過度な期待をされても困る。少なくとも今は。


「名ばかりだよ。君の姉さんを助けるのだって、どれだけ時間がかかるか分からないぐらいだ。手がかりもないし。……もう一度その辺のことも踏まえて答えてくれるか?」


 あくまでも発展途上の初心者であることを強調しつつ、再度確認を取る。

 すると――。


「答えはさっき言ったわ。撤回はしない。救世の転生者ならトラブルにも縁がありそうだし、他の人よりも姉さんに辿り着ける可能性が高いかもって思っただけよ」


 彼女はちょっと不機嫌そうに言い、更に続けた。


「時間がかかるってのも理解してる。けど、何年かかってもいい。諦めないでくれさえすれば。……勿論、早いに越したことはないけど」


 急く気持ちに耐えるように眉間を寄せながら言うフェリト。

 人の目があると冷静でいられるタイプなのだろう。


「暴走状態にある姉さんの力は有用で珍しいし、命を奪われる危険は低いだろうから」

「そう、なのか?」


 推測の言い方をしつつも確信しているような彼女の口調に首を傾げて尋ねる。

 有用なのは分かるが、下手に乱用すれば敵対者に殺される可能性もあるだろうに。


「先の戦いでは言いませんでしたが、実のところ暴走状態には複合発露の強化とは別に恐ろしい特性があるのです」

「恐ろしい特性?」


 俺の言外の疑問に察したように説明を始めたイリュファに問う。


「通常、祈念魔法にせよ、複合発露にせよ、使用者が維持しなければ効果は消えます。血肉を消費すれば物体を残すことは可能ですが……」

「暴走状態の少女化魔物を殺すと、殺した人間やその周囲に複合発露の効果が永続的に残るのよ。姉さんの場合なら、複合発露の弱体化と祈念魔法の無効化ね」

「死をきっかけに己の血肉全てを消費して周囲の観測状況を汚染する。そのように推測されています。これを少女ロリータ残怨コンタミネイトまたは単純に残怨コンタミネイトと呼びます」


 イリュファとフェリト。

 二人が交互して口にした内容に愕然とし、一瞬固まる。


「ちょ、イリュファ! そういうことは先に言ってくれよ!」


 あのギリギリの戦いの中、もし彼女を殺していたらどうするつもりだったんだ。


「イサク様であれば、この子を救おうとすると確信しておりましたので」


 それはそうだけども。

 全く卑怯だな。

 そんなことを言われたら、それ以上怒れないじゃないか。


「…………そう。知らないで戦って、それでも私の命を諦めずに助けてくれたの」


 と、フェリトが目を閉じて小さな微笑みの滲んだ声色で呟く。


「貴方なら、いいかもね。本当に」


 どうやら彼女にとって琴線に触れる部分があったようだ。

 好感度が上がったのか、表情が寄り柔らかくなる。

 それから彼女は自ら手を差し出してきて――。


「改めて、これからよろしく、イサク」

「……ああ。よろしく、フェリト」


 その手を握り、握り返された温かさを少し意識しながら言葉を返す。

 この温もりだけで、彼女を命懸けで救った価値があるというものだ。


 そして、その後すぐに俺はフェリトと少女契約を結び……俺達は、新たな仲間を得たのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る