第16話 祈望之器

「ひいい! ご、ご主人様、助け――」

「余所見をしない!!」


 家の庭。イリュファが作った影の世界の中。

 リクルの悲鳴が響く。

 あれから数日経ったが、相変わらず複合発露エクスコンプレックスが発動する気配はなく、今日もまたイリュファによる扱きを受けていた。

 一先ず祈念魔法の学習。それから一定の体術。

 あるいは、極限状態にまで追い込めば複合発露が発動するかもしれないという期待もあって、昭和時代の地獄の特訓の如き様相を呈している。

 俺の時とは違い、体に覚えさせていくスタイルだ。


 いつものアベルさん宅の影ではなく家の庭で行っているのは、先日イリュファが俺に祈念魔法(第一位階)を教えていることが公然の事実となり、母さんからそういうことは家の近くでやるようにとお達しが出たからだ。

 まあ、最近の俺は、それとはまた別の特訓を受けている訳だけども。


「イサク様も、集中して下さい!」

「わ、分かってる」


 同じ影の世界の中。

 リクルが扱かれている横で、俺はイリュファが作った人型の影と戦っていた。

 祈念魔法なしで。

 刀のような、というか、刀そのものを手に。

 体格に合わせて脇差のように短いけども。


「なあ、イリュファ。疑問なんだけど、武器での戦いって意味あるのか? 既に何日かやっておいて何だけどさ」


 まだまだ初級編という感じで緩く襲ってくる影を、最初に教わった型を強く意識しつつゆっくりと切り裂きながら尋ねる。


「祈念魔法で強化した体は、同等以上の位階の攻撃じゃないと貫けないんだろ?」


 戦闘中に第四位階で武器を作れば、まあ、多少は意味もあるかもしれないが。

 しかし、複合発露で身体強化されでもしたら効果はない。

 俺でさえ複合発露〈擬竜転身デミドラゴナイズ〉を使用すれば、容易く防げるだろう。


「徒手空拳での戦い方なら、俺の受け継いだ複合発露的に必須だと思うけどさ。それとも、武器を作る複合発露、みたいなのもあるのか?」

「あることにはあります。かなり希少ですが」


 そうか。……なら、一応は無価値とは言えないか。

 これから先、どんな少女化魔物と出会うか分からないのだから。


「しかし、それとは別の理由もあります」

「理由?」

「はい。この世界には人間の願望が実現するシステムがあり、人間の感情や思考が世界に影響を与えます。そして、その世界というものの中には当然、武器も含まれます」

「ってことは、つまり」


 何となく察してイリュファを見ると彼女は頷いた。


「伝説や神話に謳われる武器や道具。それらに対する憧憬、信仰の蓄積により同等の特殊な力を宿すに至った道具が存在し、それを祈望之器ディザイアードと呼びます」

「祈望之器……」

「これにもまた位階が存在し、ものによってはアーク複合発露エクスコンプレックスにも対抗できる程です」


 つまり、第六位階相当の力を持つ武器がこの世に存在する、ということか。

 憧憬や信仰の蓄積と言うからには、きっと元の世界で言うなればエクスカリバー級に有名な武器に違いない。


「まあ、真・複合発露を打ち破れるレベルのそれは、国宝級の希少さですが」


 それはそうだろう。

 そんな武器がホイホイ存在したら複合発露とは何だったのかとなる。


「理解はした。けど、それならそれで刀じゃない方がいいんじゃないか? 武器の扱いを学ぶなら。多分神話上の武器に紐づけされた祈望之器なら剣か槍がほとんどだろ」


 できればリーチの長い槍がいいのだが。


「救世の転生者たるイサク様には、いずれ然るべき機関から過去五人の転生者達が使用した第六位階相当の祈望之器を借り受けることになります。その形状が刀なのです」


 成程。確実に手にできるものに照準を合わせている訳か。


「勿論、念のため、他の武器についても一通りお教え致しますが」

「分かった。そういうことなら、引き続き頼む」

「任せて下さい」


 こちらを向いてニコリと微笑むイリュファ。

 実に可愛らしいメイドさんだ。しかし――。


「ひゃわああああっ!! 鬼、悪魔っ!! ですううっ!!」


 そんな顔のままリクルを扱き続けているのは、ギャップが凄い。


「イサク様のためであれば、私は鬼にでも悪魔にでもなります」

「ひいい、ひいいいっ!」

「ほ、程々にしてやれよー」

「見捨てないで下さいいいいいっ!!」


 少し可哀想だが、彼女の今後を思えば力をつけておいて損はない。

 心を鬼にして、助けを求める声をスルーする。

 先達として後進を導くには、甘やかすだけではいけないのだ。

 そう言い訳し、俺は貰った短い刀を構えて人の形の影に改めて挑み始めた。

 イリュファとリクルのかけ合いをBGMにしながら。


「何度も同じ間違いをしない!」

「うぅ、酷いです。虐待ですううっ!!」


 初日からあんなノリなのに、涙目でそう言い続けながらもリクルは逃げ出さない。

 イリュファも引くぐらい厳しくしているが、それ程悪くは思っていないようだ。


「って、あれ? どうしましたですか?」


 そんなさ中。唐突にイリュファが扱きをやめ、リクルが困惑した声を出す。

 一体どうしたのかと二人を見ると、イリュファは家の方を振り返っていた。


「どうしたんだ?」

「……ファイム様がまた倒れられたようです」

「はあっ!?」


 その内容に思わず声を大きくしてしまった俺に非はないはずだ。

 微妙に呆れたような嘆息の仕方を見る限り、さすがに今回は命に関わるような事態ではないのだろうが……。


「と、とにかく母さんのところに」


 まずは状況を確認しなければ始まらない。

 急いで影の世界から出て、縁側から家に駆け込む。


「こちらです」


 イリュファに先導され、台所に入ると――。


「母さん!?」


 夕食の準備をしていた恰好のまま、床に倒れ込む母さんの姿が視界に入った。

 前回よりは緊急性はないはずという推測はあっても、冷静ではいられない。

 しっかりと今生の母親として認識したから尚のこと。


「母さん! 母さん!!」


 傍に駆け寄って呼びかける。

 すると、母さんは「む、う」と呻き声を上げながら何とか起き上がった。

 それだけでも比較的症状が軽いのは分かるが……。


「母さん、大丈夫?」


 蒼白な顔に不安を強めながら問う。


「イサクか。すまぬ。心配をかけてしまったようじゃな」


 意識はハッキリしているようだが、浮かべた笑顔は無理をしているように見える。

 それでも、どことなく嬉しそうなのが分からない。


「じゃが、妾は大丈夫じゃ。これは喜ばしいことなのじゃからな」

「そうですよ、イサク様。慌て過ぎです」

「いや、でも」

「お兄様になられるのですから、しっかりして下さい」

「…………………………は? 今何て?」


 想定外の言葉を耳にし、不安が吹っ飛ぶが代わりに思考が止まる。

 お兄様になられる? 一体どういうこと?


「そうじゃ。イサクよ。弟ができるのじゃ。喜んでくれ」

「え、えっと、つまり?」

「ご懐妊です。家族が増えますよ。よかったですね、イサク様」

「え、ええええええええええええええええ!?」


 改めて直球の表現で教えてくれたイリュファの言葉に、俺は驚きの余り先程よりも遥かに大きな声で叫んでしまった。

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