第21話
「到着です」
着いた場所は二度目となる姫子の家の庭。
今日は近くにいなかったのか、姫子の出迎えはない。
その代わりに数日世話になった時によく見かけた妙齢の女中が、目を真っ赤にして現れた。目が真っ赤というのは何も涙目になっているとか、疲労などで充血しているとかではない。
単に突然の訪問者に警戒して、符号呪法の待機状態で瞳を赤く染めているのだ。
つまり彼女は直接攻撃型の符号呪法の使用者ということになる訳だ。と、悠長に考えている場合ではなかった。
「うわっ、ちょ、ま、待って下さい」
慌てて両手を突き出し、執行猶予を懇願する。
彼女は少しの間訝しげに佳撫を睨みつけていたが、すぐ警戒を解いてくれたようだった。そして、警戒したことに必要以上に恐縮して頭をペコペコと下げながら、姫子が今道場にいることを教えてくれた。
どうも徹の方はすぐに分かったらしいが、佳撫の服装がいつもの和装ではなかったために、得体の知れない人物に見えてしまったらしい。
「道場、ということは、血戦で戦う誰かを鍛えているんでしょうか」
佳撫が首を傾げるが、レオンの治癒力という裏技のような力を利用しない限り、一日や二日ではそうそう能力は向上しないだろう。
勿論、それは初期状態が徹のように酷い場合の話であり、ある程度の実力者であれば、一日の創意工夫によって技の幅を広くすることも可能なのかもしれないが。
多少慣れて尚、荘厳さが損なわれない日本庭園風の庭を通り抜け、流されるままに過ごしていた道場に至る。
いわゆる武術は心技体を鍛えるものだが、あの時の鍛錬では勝手に体と技は鍛えられていたが、心の方は全く成長していなかった。
それを思い返して、徹は再度自分の愚かさ加減に心の中で自嘲してしまった。
「あ、姫子さん」
佳撫の言葉に意識を再び外に向け、姫子の姿を確認する。
彼女は道場の前でいつかの純白の道着を着て、タオルで汗を拭っていた。
黒く艶のあるポニーテールがそれに合わせて僅かに揺れている。
「貴方達……」
佳撫の声に気づいて、姫子はどうにも気まずそうに呟いた。
「何を、しているんですか?」
道場の中からは何の音も聞こえず、彼女以外の人の気配は一切感じられない。
そのことに佳撫は困惑しているようだ。
「貴方達こそ、何をしているの?」
誤魔化すように質問で返す姫子の様子に徹もまた違和感を抱いた。
しかし、思えば、あの情けない敗戦で気を失って以来、彼女とは会っていない。
そのため、何となく気まずくて徹からは話しかけようがなかった。
「さっさと元の世界に帰りなさい。……貴方は弱いんだから」
佳撫の問いに答えないままに一方的に告げて、逃げるように道場に入ろうとする姫子の様子から、彼女の意図を察してしまう。
そも、別世界の役立たずに頼っている時点で、彼女が取れる選択肢などほとんどないのだから。
「ゆ、雪村さん」
気まずさを振り払って慌てて呼び止める。
すると、姫子は道場の直前で立ち止まってくれた。
「その……」
しかし、彼女の背中を前に、それ以上のことは徹にはできなかった。
彼女を問い詰めようにも、何をどう尋ねるべきか全く分からない。
「ごめん。……それと佳撫、貴方もおじさんとあっちの世界に行きなさい」
姫子は振り返らず、ただ申し訳なさそうにそう呟いた。
「え? それってどういう――」
佳撫の言葉を遮るように彼女は再度歩き出し、今度こそ足早に道場に入ってその扉を完全に閉め切ってしまった。
同時に中からは鍵がかけられる音が聞こえてきた。
「……レオン」
『お前の考えている通りだろう。姫子は自分が戦うつもりだ』
「そ、そんな!」
レオンの結論に佳撫が驚愕したように叫び、その真偽を確かめようとしてか道場へと駆け出そうとする。
『待て。お前はそれでどうするつもりだ? またこいつに戦わせるつもりか?』
「それ、は……」
言葉に詰まって立ち止まる佳撫。
そんな彼女にレオンが呆れたように嘆息する。
『お前も相変わらず弱いな。世の中必ずしも両者を選べず、二者択一となることがほとんどだと言うのに。どちらも捨てられずにいれば、時として全てを失うことにもなりかねないんだぞ?』
そうレオンに厳しく言われ、佳撫はしゅんとしたように項垂れてしまった。
彼の言うことは全くもっともだと理解はしているのだろう。納得はできずとも。
「……一旦、帰ろう」
「で、でも、兄様――」
「ここにいても雪村さんの邪魔になるだけだ。この場で俺達にできることはない」
徹は佳撫の頭に手を置いて、諭すように言った。
少しの間彼女は俯いていて、顔を上げても納得がいっていない様子だったが、それでも静かに頷いてくれた。
そして、一緒に世界間移動を行う所定の場所に向かう。
「レオン。雪村さんは負ける戦いにも挑めるんだな」
『ああ。そういう強さを彼女は持っている。だからこそ、この世界の徹とは気が合ったのだろう。だが、この場合はむしろ弱さなのかもしれないな。自分は死んで責任を取ったつもりになり、しかし、事後処理は知らん顔、だからな』
それでも確実に負ける戦いに向かえるのは、一つの強さでもある。
それが弱さに由来しているものだとしても。
『弱さは強さ、強さは弱さ。強いから勝つのではなく、勝ったから勝手に強いと思われるだけなのかもしれない。まあ、そこに正否との因果関係などありはしないだろうがな。強いから正しい訳でもなく、しかし、弱さを身勝手に正当化していい訳でもない。ただ、今回の姫子の場合は恐らく間違った強さ、あるいは弱さだ』
「……どうすれば、いいんでしょうか」
『考えるな。今回のことは、佳撫では分不相応だ。お前の考える幕ではない』
レオンの厳しい言葉に尚のこと落ち込んでしまった佳撫は弱々しく、縋るように徹の手を握ってきた。
「そして、ここは俺が考える幕、か」
『そうだな。少なくとも、佳撫よりは相応しい』
捨てるか、捨てないか。目の前にある選択肢は佳撫とほぼ同じ。
しかし、敵たる異常復号体と化した優司と対峙したことがあるのは徹の方だ。
捨てず、もう一度戦うことを決めたとして戦うのもまた徹。
選択の責を負うべきなのは、妹ではなく兄の方だろう。
今日、この時まで考え続けてきた策を思い返す。
この世界、森羅の知識、特に符号呪法という力の仕組み、そして、先日の優司との戦い、敗北の記憶から導き出した可能性、未だ不確か過ぎるその策を。
「佳撫、レオン。あっちに戻ったら、符号呪法の使い方を教えてくれ」
『系統呪法で武器を作ったところで、あの優司には打ち消されるだけだぞ』
「それでも頼む。一つ考えがあるんだ」
『そうか。無駄だと思うがな』
「無駄かどうかはやってみて判断するさ。それにその時はその時だ。俺の策が優司に通用しそうもなければ、俺は雪村さんを見捨てる」
「兄様っ!?」
佳撫が驚いたように顔を見上げてきた。
「お前が選び切れないなら、俺が選ぶ。選択の責は俺が負う。それが兄の務めだと思うから。佳撫はそれで後悔する必要はない。何なら俺を責めてもいいから」
「に、兄様……」
『……里佳殿の説教が多少効いたようだな』
「大分な。ただ母さんの言う通り、捨て切るためにもギリギリまで考える。今考えている策が駄目だったとしても即座に諦めはしない。血戦の直前まで考え尽くす」
友人と呼ぶには早過ぎるだろうが、一度剣を交えた仲の姫子をどうにかして助けたいと思う程度には、ちっぽけなプライドのようなものはある。
だが、現状では所詮単に思うだけだ。彼女やこの世界の徹とは違い、徹は負ける勝負はしない主義なのだから。何よりも本質として弱いのだから。
それでもその勝負が勝てる勝負ならば戦いに向かえる程度の、誰もが持つ当たり前の意思はあるのだ。そんな状況で見捨てる程の意味の分からない薄情さはない。
その意思を完全に諦めさせるため、あるいは発揮させるため。
見捨てるため、そして見捨てないために。
徹は血戦までの時間を全てそのことにだけ費やすことを決めた。
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