三 誰も代用品にはなれない

第16話

 それが雪村の一族が大多数を占める対策委員会の決定だった。

 表向きは今回の血戦において死者が出なかった功績を考慮して。実質はこの半端な結果に終わった責任を取らせるため。そして、面倒事を押しつけるためか。

 県令たる父、龍之介は県として全力を挙げて対応すべきと主張したが、その他多数に表向きの名目と共に裏で強硬に反対されたらしく、何も言えずにいるようだ。

 県令も県のトップとは言え決して独裁者の如く独断で全てを決定などできず、議会は民主主義の名を騙る腐った議員による多数決なのだから。

 しかし、どうして、と思う。

 何故、このような決定が下されてしまったのか。

 次の血戦は街の興亡を賭けた戦いになると言うのに。

 もし、この件を使って後継者争いから姫子を脱落させようと考えているのであれば、それは愚かとしか言いようがない。

 生まれによる地位に胡坐をかき、堕落し、保身のために真っ当な判断能力をも失っているのだ。


「でも……それだけじゃない、か」


 それ以上に、こうなってしまった何よりの原因は温度差だろう。

 実際に異常復号体としての真の姿を、その脅威を間近で体感したか否かだ。

 何しろ、優司の言を信じるなら、あの力は二度目の血戦、あの十五名の復号師が全滅した戦いにおいて初めて使用されたものだ。

 姫子と徹、レオン以外にそれを知る者はあの世にしかいない。

 だからこそ、街が滅ぶことなど決してないと思っているのだ。

 街の戦力は大分低下したとは言え、それでも数百を超える復号師達全てを束ねてぶつければ高々一体に負けるはずがない、と考えているに違いない。


 こんな思考は今更だ。そう今更そんな分析をしたところで何の意味もない。

 何にせよ、今現在姫子が持っている選択肢の中で最も合理的なものは、いや、姫子の人脈ではその程度しか選択肢がないのだが、それは二日間徹底的にあの徹を鍛え上げて再度優司と戦わせるというものだった。

 だが、姫子はもはや彼に戦わせようと思うことはできなかった。

 何故なら、自分の判断はどこまでも間違っていたのだから。

 あの時、絶体絶命の瞬間、見苦しく取り乱した彼を見て姫子は理解した。

 彼は決定的に自分の知る徹ではないのだ、と。


 彼はあくまでも代用品に過ぎない。

 そう血戦前の一騎打ちで頭では理解していたはずなのに、それでも勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に傷ついて。愚かしいことこの上ないと思うが。

 彼は弱い。どうしようもなく。

 だと言うのに、姫子は徹と同じ強さを心の奥底では彼に求めてしまい、脅し、レオンを手に森羅の徹よりも遥かに強大な相手と戦わせた。

 構造的にはそこらの一般市民を引っ張ってきて、周囲の人々を殺されたくなければ死んでこい、と言ったようなものだ。これでは非道もいいところではないか。

 そもそも、これは森羅の問題なのに別世界の人間に頼るなど言語道断だ。彼には最初から戦う義務も義理もなかったのだ。ならば、もはや自分が――。


「姫子さん」


 縁側で項垂れていたところに声をかけられ、顔を上げる。

 そこにいたのは佳撫だった。

 安堵と、同時に怒りがその表情から見て取れる。

 レオンが人化して連れ帰った徹を枝葉の世界に送り、レオンから命に別状はないという判断を受けたため一旦戻ってきたのだろう。


「話はレオンから全て聞きました。姫子さんは、三日後に兄様をまた戦わせる気なんですか? 兄様は死んだ兄様とは違う、あくまでも別人なんですよ!?」


 佳撫の泣き腫らした目とその言葉に、思わず忘れようとしていた苛立ちが思い出されてしまう。

 街の門で待っていた彼女は、傷ついた徹を見た瞬間、顔を青ざめて酷く取り乱していた。縋りついて何度も何度も、兄様、と呼んでいた。


「兄様兄様ってべったりだった貴方に言われたくないわ。別人なんでしょ? 貴方がそんなだから、私も無用な期待をしたんじゃない」


 酷い責任転嫁だと自分でも思う。だが、彼女の態度のために自分自身の間違えから目を背けた面もどこかにはあったはずだ。


「わたしは、最初からずっと兄様を死んだ兄様とは別人として見ています」

「なら、何で兄様なんて――」

「別人であろうと、遺伝子的には確かに兄様はわたしの兄です。それを兄として扱って何が悪いんですか?」

「そんな、血が繋がっていれば、それで即家族って訳じゃないでしょ!?」


 半分だけだが血が繋がっている異母兄弟は数多くいるが、彼等を家族だなどとは思っていない。思えない。

 後継者争いの敵としか自分を見ていない者達のことなど。


「そう、ですね。血の繋がりよりも心の繋がりこそが家族に必要なものだと思います。心の繋がりがあれば、血縁は問題ではなくなることもありますから」


 佳撫は自分自身に言い聞かせるように語った。

 心の繋がりこそが真に大事なのだ、と。


「でも、血の繋がりを理由にして心の繋がりを結ぼうとしてもいいはずです。何より兄様にはこの世界を歩むために繋がりが必要だったはずですから」


 彼女のその言葉で姫子はようやく分かった。佳撫は最初からそう思って、そのように行動していたのだ、と。だが、姫子にはそう見えなかった。

 本心というものは言葉にされない限り、心で感じ取らなければならないものだ。

 だからこそ、本気で感じ取ろうとしない者は永遠にその想いに至れず、このような勘違いをしてしまうのだ。


「……姫子さん。兄様は、とても強かった、ですよね?」


 それは死んだ徹のことだろう。姫子は頷いた。


「でも、それは強くあらなければならなかったんじゃないでしょうか」


 何が言いたいのかよく分からず、姫子は黙って佳撫の次の言葉を待った。


「人間、誰しもその度合いは違っても、強い部分と弱い部分を持っていると思います。わたしなんて、弱い部分がほとんどだと思いますけど」

「それは……そう、ね」


 姫子は自分を省みて同意した。徹の死で崩れてしまう程に、自分は脆く弱かった。


「それは兄様もそうだったと思います。でも、その能力の高さから周囲から大きな期待をかけられ、しかも、その全てに応えることができたから、弱さを誰にも見せられなかったんです。唯一安らげるはずの家でも、わたしが弱かったから……」


 佳撫は悔いるように俯いた。


「兄様が死んで知りました。自分がどれだけ兄様に頼り切りだったかを」


 佳撫を生むと同時に母親が死んでしまったため、色々と紆余曲折はあったようだが、結局のところ彼女の世話は徹に一任されていたと聞く。


「別世界の兄様に会って、確信しました。あの兄様の弱さは、わたしが見ることができなかった兄様の弱さだとも言えますから」


 たとえ別人だとしても。いや、別人だからこそ見えてきたもの、なのだろう。

 姫子は何となく色々なことに気持ちの整理がついたような気がして、一つ深く息を吐いた。


「さっきの、血の繋がりと心の繋がりの話。あっちの徹にもしてあげるといいわ」


 多分、彼には必要になるはずだ。

 あの戦いの前にした会話のせいで、もしかしたら自分がした勘違いを押しつけてしまったかもしれないから。


「は、はあ」


 そう思って力なく呟いた姫子の言葉に佳撫は訝しげな表情を浮かべた。が、すぐに気を取り直したように強い瞳を向けてくる。


「それよりも最初の話ですけど――」

「徹を戦わせたりはしないわ。それは私が何とかするから、心配しないで佳撫は徹のところにでも行っていなさい」

「で、ですけど……」


 ならば、一体どうするのか。佳撫の目はそう尋ねていた。


「大丈夫よ。今回の戦いで敵の全貌とその弱点が分かったから。今度はレオンの力を使わなくても、戦えるはず」


 勿論、それは嘘だった。

 全貌と弱点の話は全て嘘とは言えないが、それを元にした策を実行できるような者は誰もいないのだ。恐らく、死んだ徹でも不可能だ。

 この嘘を佳撫につくことは、本気で街のことを考えるなら、そして、県令の娘としては許されないことかもしれない。

 実際のところ、確実に負けるとしてもあの優司と僅かなりとも勝負できそうな者は、あの徹しかいないだろうから。


 しかし、三日後の戦いで優司を倒すか彼の気が変わらなければ街は滅びの危機に瀕する訳だが、今の徹がその策に従って戦っても勝てる見込みは極めて少ない上、敗北した場合に優司の機嫌を取ることも不可能だ。

 総合的に見て、徹に戦わせても街を救える可能性は零に近い。

 そうでなくとも、もはや彼を巻き込むことなどできない。

 精々、自分が精一杯戦って、戦いながら殺される前に惨めに縋るしかない。

 むしろその方が危機を先延ばしにできる可能性は高い。

 佳撫の視線はそのままで、彼女が具体的な対策を問うている気がしたが、姫子はそれには答えずに彼女から視線を逸らして目を閉じた。

 これ以上言うべきことは何もない、と彼女に伝わるように。


「……失礼、します」


 しばらくの間、佳撫の気配は傍にあったが、果たして姫子の意図は伝わったようで、彼女はその言葉と共に再び別世界に移動したようだった。


「ごめんね、二人共」


 姫子は薄目でそれを確認してから、抜けるような夏空を見上げて小さく呟いた。

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