第6話

 説明には余り慣れていないのか、どこかたどたどしく、しかし、丁寧に懸命に語り出した佳撫の言葉にしっかりと耳を傾ける。

 恐らく、それは彼女達にとっては当たり前のこと過ぎて、これまで態々一から誰かに教える機会などなかったために違いない。


「それは森羅万象に組み込まれた符号を読み解き、自らの性質を鍵として復号し、様々な現象を引き起こす力です」


 そこで息を吸って間を取り、更に彼女は続ける。


「符号呪法は系統呪法と固有呪法の二つに分けられます。前者は外界の物質の符号を読み解いて発動するもの。後者は本人にしか読み解けない自分自身の体に組み込まれた符号によって発動するものです。必然的に符号呪法で他人に直接干渉することはできません」

『これは約二〇〇〇年前、後に醒者と呼ばれる者がもたらしたとされる力だ。こちらの暦は西の暦で西暦だそうだが、あちらではこれを基準に覚醒の醒に暦で醒暦としている。ちなみに醒暦はこちらと同じ太陽暦だが、現在は醒暦一九九九年だ』


 レオンの補足が入り、佳撫はむっとしたように腕輪を睨んだ。


『まあ、とにかく論より証拠だ。先の剣を頭の中で思い描け』

「あ、ああ」


 言われた通りに脳裏にあの両刃の片手剣をイメージしてみる。と、腕輪が眩い程の青い輝きを発し、右手にはイメージ通りのメタルブルーに輝く剣が生じた。


「兄様の瞳も、とても澄んだ青色ですね」


 軽く頬に触れながら、控え目に目を覗き込んでくる佳撫。


「ひ、瞳?」


 さわさわとした感触がくすぐったくて、それに加えて目の前にある余りに無防備な彼女の顔に何とも恥ずかしくなって声が裏返ってしまう。

 その羞恥が伝播したのか佳撫もはにかむようにしながら、懐からシンプルな手鏡を取り出すと、どうぞ、と徹の顔を映した。

 確かに彼女の言う通り、両方の瞳が違和感のない自然な青色で染まっている。


「わたしが符号呪法を使用した時も瞳が緑色になっていましたよね?」

「あ、ああ、そう言えば。綺麗だったな」


 徹は鏡から佳撫に視線を移し、あの時の瞳の色を思い起こして彼女の目に重ねながら、そう素直に評した。

 途端、佳撫は、はぅ、と妙な声を出して頬を激しく紅潮させた。


「あ、ありがとう、ございます。兄様」


 その口調には嬉しさの色が滲み出ていたが、しかし、それよりも恥ずかしさが勝っているようで、彼女は視線を逸らして俯いてしまった。


「えと、そ、その、全てが解明されている訳ではないのでこれは仮説ですが、符号は視覚を通して認識する観念的な情報なので、符号呪法を発動する際にはそれを認識するためのフィルターが目にかかると考えられています。その証拠なのかは分かりませんが、瞳がその人の系統に沿った色に染まるようです」


 佳撫は自分の感情を誤魔化すように早口で続けた。


「瞳の色は様々なものが確認されていますが、基本的には赤、青、緑です。赤は攻撃、青は補助、緑は特殊と大雑把に分類されています」

「他の色は?」

「その、何分他の色は事例が余りに少ないので、法則性も全く判明していないんです。でも、特殊な色を持った人は歴史上の偉人に多かったみたいですよ。特に符号呪法を森羅にもたらした醒者は、その瞳が光色とでも言うしかない色に染まっていたそうです。そして、伝説によれば、醒者は万象を自由自在に復号したとか」


 早口のため、そこまで息継ぎが少なくて酸素が足りなくなったのか、佳撫はそこで大きく深呼吸をした。

 それに合わせて彼女の慎ましやかな胸が緩やかに上下する。


「わたしの力は御覧になった通り、空間を、世界を接続する力です。系統呪法では周囲の物質を扉に変換し、その物質と存在的、意味的に近いものがある場所で、かつ人間が活動できる環境があれば、どこにでも移動できます。逆に言えば、そういう物質がなければ何もできませんけど。それに好き勝手に移動していい訳でもなくて、基本的に自宅に帰る時しか使ってはいけないことになっているので」


 実際はほとんど役立たずです、と佳撫は決まりが悪そうに続けた。


「固有呪法としては、今回初めて使用したんですけど、自分自身を鍵として数多ある並行世界から一つを選び取り、そこに繋がる扉を開くことができます。ただ、世界の選択は一度限りのようですが」


 つまりは、一本しかないマスターキーが使用した瞬間に折れてしまったような状態、というところか。開いた扉は開いたままだが、他の扉が正当な手段で開かれることは永久にない、と。


「そして、兄様の力の系統は武器生成です。系統呪法では周囲の物質を素材に武器を、兄様の場合は剣を作ることができ、固有呪法では意思ある剣レゾルツィオン、略してレオンを作り出すことができました」


 佳撫は徹の右腕、レオンが変化した剣を見詰めながら静かに言った。

 その視線には、怒りとも悲しみとも取れる感情が込められているように感じる。


「そうは言っても、それはこの俺の力じゃないだろ? 何でそれを俺が使えるんだ? そもそも、こっちの世界には符号呪法なんてものはないし……」


 しかし、現に使えて、と言える程に使いこなせている訳ではなく、レオンが言った通り使われただけなのかもしれないが、それでも力が発動していたのは事実だ。

 今も剣が発現しているのだから。


「わたしもはっきりとしたことは分かりません。ただ、森羅の空気、とでも言えばいいんでしょうか、それに触れることで世界の見え方が変わり、他の世界の人間も符号呪法を使用できるようになると思われます。元の世界に戻っても、です」


 成程、と呟きながら、生成されたままになっている剣を見る。

 さすがにいつまでも刃物を出したままというのは気が引けるな、と徹が思った瞬間、その片手剣は淡く青い光を放って腕輪に戻った。


「まあ、そこまでは分かった。けど、森羅の俺じゃないこの世界の俺がレオンを使えるのはどうしてだ? 固有呪法はその名の通り固有なんだろ?」

「はい。ですが、レオンを生み出すまでが森羅の兄様に固有の力なんです。研究でそうした力の使用については遺伝子の一致で可能と明らかになっています。ですので、本来的には固有の力ではあるんですけど、例外的に兄様は使用可能なんです」


 つまり作り出すのは本人以外には不可能だが、使用するだけなら双子や別の世界の同一人物でも可能ということか。

 成程、徹に双子がいない以上は普通なら不可能だったはずで、固有と言っても間違いではない。


『故に、代用品だ』

「レオン!」


 冷たく言い放つレオンを咎めるように佳撫が声を荒げた。


『佳撫。お前は元からこの話に乗り気ではなく、現在では手段が目的になっているように見えるが、米沢県令の娘たる姫子や俺が何のためにこんなことをしているのか、忘れた訳ではないだろう? 現実を見ろ』

「そ、それ、は……」


 レオンの言葉に一瞬だけ佳撫は徹へと視線を向け、それから酷く気まずそうに俯いて言葉を詰まらせてしまった。


「手段が、目的に?」


 よく意味が分からないまま佳撫に尋ねると、彼女は縋るように手に触れてきた。


「わたしは……最初から兄様に会いたかっただけです。でも、それが兄様を危険な目に遭わせることに繋がるなら、諦めるつもりでした。それなのに――」


 苦虫を噛み潰したような表情で弱々しく話す佳撫の様子に、徹は思わず彼女の手を握り締めた。

 同時に、彼女にそんな顔をさせたレオンに怒りを覚えて腕輪を睨みつける。

 だが、レオンは一切意に介した様子もなく、鼻を鳴らしたような音を発した。


『説明を続ける』


 そして簡潔に、有無を言わせない口調で続ける。


『俺は森羅の徹によって生み出された存在だが、独立した意思を持ち、俺が有する性質のおかげで、奴が死んでもこうしてあることができる。しかし、所詮は武器として生み出されたものに過ぎないため、使用者がいなければ全ての力を発揮できない。現状では、多少腕の立つ剣士程度のものだ』

「……その腕の立つ剣士様が使用者を必要とするのか?」


 思った以上に腹が立っていたらしく、知らず皮肉のような言葉を発する。

 しかし、やはりレオンは全く気にした風もなく答えた。


『ハッキリ言って、お前程度ではこの俺を使いこなすことなどできはしないだろうが、それでも俺が単独で戦うよりは遥かにマシだ。先のように俺がお前の体を操ってさえも、な』


 そのせいで徹の体は限界を軽く上回り、筋断裂すら起こしている状態なのだが。

 さすがにこれについては勝手だと思ったが、徹は言葉にしなかった。

 それを言えば、どうせまた軟弱者と嘲られるだけだろう。

 恐らく森羅側の徹は、それにも耐えることができていたに違いないから。


「そんなにまでして何故、俺が必要なんだ?」


 ようやく核心を尋ねる。

 平凡を望んでいる自分が、このような常識外の不可思議体験をしなければならない理由を。


『森羅で遭遇したアニマを覚えているな?』


 当然、この短時間で忘れられる訳もなく、徹は即座に首を縦に振った。

 命の危険を即座に忘却できる神経の図太さなど生憎と持ち合わせていない。


『あれらは佳撫が言った通り、人間の様々な想念、特に怒りや憎しみといった負の感情を鍵として自然物が復号された結果生じる存在だ。不特定多数の人間の想念、それぞれの符号呪法の特性が混じり合った結果、あんなものになるとされている』


 森羅を訪れた瞬間に襲ってきたアニマの姿を思い描く。

 それは簡単に言えば、人の形を取った自然物。

 人間の想念が発生の原因であれば、その形状にも納得がいく。


『まあ、それはいい。それがどうしようもない脅威であれば、あの世界では文明など築き上げられないからな。問題はここからだ』


 一呼吸置いてから、レオンは続ける。


『つまり、想念の集積で符号呪法は異常な力を発するということだ。そして、それだけの想念の集積は、何も不特定多数の想念を足し合わせずとも、容易く起こり得ることだ。果てしなく強く純粋な想念を持つ個人、ということもあり得るからな』


 確かにそれはレオンの言う通りだ。

 例えば、復讐者。その憎悪と殺意は並の人間のそれを束ねて敵うものではない。

 例えば、殉教者。その信仰は並の人間が寄り集まっても届くものではない。

 一般の人々とて理不尽を受ければ怒りを、大切なものを喪失すれば悲しみを抱く。

 その強さは瑣末な事象を前にして生じる突発的なもの、日常的なそれらを集めたところで及ぶものではないはずだ。


『そして、その個人こそが最たる脅威なのだ。強過ぎる想念によって固有呪法が異常に発動し、使用者を取り込んで異形の存在と化す。その想念のみを行動原理とした、な。それを異常復号体と呼ぶ。その力の強大さはアニマの比ではない。それだけに、強い想念に見合うだけの強力な固有呪法を備えていなければならないが』


 手を握られる感覚を受け、徹は佳撫に視線を向けた。

 彼女はその存在を酷く恐れているようだった。縋るように身を寄せ、もう一方の手もまた徹の手に添えられている。

 恐らく、森羅ではその異常復号体とやらは畏怖の対象となっているのだろう。

 いや、それだけではなさそうだ。その表情を見た限りでは。


『森羅の徹を殺したのは正にそれだ。そして、異常復号体と化したのは、奴の幼馴染、早坂優司だった』

「な、何だって!?」


 徹は絶句してしまった。早坂優司はこちらの世界でも幼馴染。しかも、徹にとっては第一の友人、正に親友と言っていい存在だったからだ。

 雪村姫子程突き抜けている訳ではないが文武両道を体現し、外見も上々。

 徹が何とか彼に対抗できるとすれば、精々学業ぐらい。

 性格は基本的に真面目で落ち着いているが、別に頭が固い訳でもない。

 友人であることを誇りに思えるような、実に尊敬できる男だ。


「そ、そんな、馬鹿な」


 だから、その人となりを思うと信じられなくて、徹は思わず佳撫の顔を見た。


「本当の、ことです」


 そこにあったのは兄を殺された怒りや憎しみではなく、どうしようもない程に深い悲しみだった。

 その呟きと共に手を握る力が微妙に強められ、それで悟ってしまう。

 それが事実だということを。

 森羅の徹とも幼馴染の関係にあるということは、佳撫が優司と面識があっても全く不思議ではない。

 知人に、それも兄妹共々ある程度親しくしていたであろう相手に兄を殺された者の感情は、とても推し量れるものではなかった。


『お前と違って森羅の徹は極まっていた。学業に優れ、既に戦闘力においてもそこらの大人など足元にも及ばない程だった。優司もまた並の大人を軽く上回る程の実力者ではあったが、徹程ではなかった。故に奴は常に二番手。それが許せなかったのだろう。徹に勝つという一念で暴走を引き起こし……それに従って徹を殺した』

「あの、優司が……」


 その程度のことで他者を妬むなど考えられない。徹はそう思った。

 しかし、この世界では自分が取るに取らない存在だから何事もない、という可能性もない訳ではない。

 そんな思考が脳裏に浮かび、徹は慌てて首を振った。

 たとえ同じ状況になろうとも、この世界の優司はそんなことにはならないはずだ。

 世界が異なれば、環境や歩んできた道が違えば、たちえ遺伝子的に同一人物であっても、その本質は全く変わってくるはずだから。


『それ以来街から姿を消した奴は、近くの森に潜み、毎週徹を殺した日曜日に合わせて一騎打ちを行っている』

「一騎、打ち?」

『そう。奴は徹以上の強さを求めて異常復号体となり、徹亡き今、もはや純粋に強さしか求めていない。故に奴は復号師の、これはアニマの脅威から人々を守る者のことだが、その中から最も優れた一人と立ち合うことを望み、それが果たせない場合は県民を虐殺すると告げてきた』


 レオンは忌々しそうに、底冷えするような口調で続ける。


『徹が死んでから既に一ヶ月。その間四度の、正確には三度だが一騎打ちが行われた。一度目は、奴の望み通り当時街で最強の呼び声が高かった復号師が自ら立って戦った。恐らく、相当の自信あってのことだろうがな』


 僅かに言葉を切るレオン。しかし、既に結果は言葉の中で明らかだ。


『徹はまだ若く、学生に過ぎなかったが、あの時点で既に最強クラスの実力があった。急襲されたとは言え、それが容易く殺されたというのに、一対一で勝てるはずもない』


 故に一瞬で惨殺された、とレオンはつけ加えた。


「い、一対一が駄目なら、多人数で袋叩きにすればいいじゃないか。相手は、相手はもう……人間じゃなくなっているんだろ?」


 優司であることを考えずに、ただ冷静に対処を考えると自ずとその考えに至る。


『そうだ。彼の敗北で過信を打ち砕かれた復号師達もそう考え、その方法が採用された。十名の実力者が選ばれ、さらに五名を伏兵として戦いを挑んだ。だが、奴はそれすらも容易く打ち破り、見せしめに県民を十五名、惨殺した。その余りの凄惨さから、県民は奴との戦いを血戦などと呼ぶようになった』

「そんな……」


 化物。正にそう呼ぶ以外ないような凶状。

 やはり自分の知る優司とは重ならない。

 だと言うのに、徹はその大きな被害とは別のところで、よく分からない恐怖を感じていた。

 身近な者が些細なことで狂気に囚われてしまう。そんな事態も現実には起こり得ると突きつけられているような、嫌な感覚だ。

 知らず佳撫と繋いだままだった手に力を込め、彼女に握り返される。


『二度目の血戦における敗北によって、街の戦力が大幅に低下してしまったため、一先ずこの問題は先送りすることになった』

「そ、それだと何の解決にもならないじゃないか。しかも、毎週一騎打ちの相手をする奴が必要なんだろ?」

『そうだな。しかし、現状では対処の仕様がない。故に現在では終身刑に処せられた囚人の中から無作為に選んで戦わせている。これに勝てば無罪放免だ、としてな』


 それはまた、もし森羅に人権団体のようなものがあれば、確実に何か言われてしまいそうな話だ。

 が、一般市民の命と天秤にかけられると、小市民の心情としてはやむなし、という結論になってしまうかもしれない。


『ちなみに森羅では終身刑が最も重い罪となる。死刑はない。こちらの世界のように人があぶれる程に人口が多い訳ではない以上、罪人も労働力としてはそれなりに価値があるからな。故にそれを捨てるような真似も続けてはいられない』


 ようやく話が見えてきた。いや、本当は最初から何となく理解はしていた。

 ただ、逃避できる可能性が少なくなり、その理解から逃げられなくなっただけのことだ。


「俺に、お前を手に、優司と戦えと?」

『その通りだ』


 予想通り過ぎるレオンの簡潔な返答に首が垂れてしまう。


「そんな……無理だ。お前の言う通り、俺は弱い、から」


 この日本という国であらゆる庇護の下でぬるま湯に浸かって生きている者、それも波風のない人生を第一に望む正に軟弱な者に、そんなことができる訳がない。

 命を懸けて自分よりも明らかに強大な敵と戦うなど。

 こう言うと非情に、同時に情けなく思われるかもしれないが、そもそも別の世界の人間のために命を懸ける義務も義理もないではないか。

 確実に勝つことができる保証がある訳でもないのに。

 負ける勝負はしない。それが父の死以来の人生における徹の座右の銘なのだ。

 波風なく生きていくための。だから、答えは決まっていた。そう。答えは――。


『それは許さない』


 拒否を言葉にしようとして、しかし、レオンに先に制せられる。


「許さ、ない? 何を言って――」

『俺は俺自身の矜持のために奴を倒すことを望み、あの県令の娘は何より県の先行きのためにそうせねばならないと信じている。故に、もしお前が断れば、俺はこの世界の人間を殺す。血戦にて死んだ復号師十六名、県民十五名、囚人二名、そしてこれから奴に殺される分だけ殺す』

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