第7話
「あー、本題に戻すけど、俺がすべきことは北海道奪還のサポート、なんだよな?」
「は、はい、そうです。えっと、お兄様にはアシハラの本隊が北海道全域に地球とテラを繋ぐゲートを安全に作り出すための下準備をして頂くことになります」
取り繕うように一気に捲し立てたサクラは、そこで限界が来たのか深呼吸した。
それで大分落ち着いたのか、そこからは普段通りの落ち着いた口調で続ける。
「期間は一週間。詳細な任務は、ゲート作成の障害となりそうな高位の理術師を排除し、レグナの生成工場を無力化すること、です」
見るからに重要そうな任務にもかかわらず、理術の存在を知らなかった世界の人間に要の仕事を与えるなど普通に考えればあり得ない。
しかし、今回ばかりは異世界侵略のごたごたにつけ込んでの作戦だったため、時間的な制約でそうせざるを得なかったらしい。
戒厳のデータを基にした制式仕様の完成は、まだまだ先なので仕方がないことだ。
それはともかく――。
「その理術師の中に、あいつがいるんだな?」
冷静に話しているつもりだったが、少し言葉が上ずってしまった。
彼のことを考えると、どす黒い感情がどうしようもなく胸の奥を渦巻く。
「はい。フォルテ・サエクルム。現在はあの地域の総督という地位についているそうです。その彼こそが一ヶ月前お兄様から家族と平穏を奪い、十年前サクラのお父様を殺した男です」
その名を口にした瞬間、サクラの目は憎悪を湛え、その口調もどこまでも冷たくなっていく。それはやはり普段の彼女とは一線を画す苛烈な表情だった。
サクラの父親は十年前の戦争に技術職の理術師として参加し、命を落とした。
そのすぐ後に心労が重なったためか母親も病に倒れ、亡くなってしまったらしい。
サクラは幼い頃のことながら衰弱していく母親の痛々しい姿は鮮明に覚えているそうで、故に十年蓄積したそのフォルテへの憎しみは計り知れないものがあった。
「サクラとお兄様の家族の仇。あの男に生きる資格なんて、ありません。でも――」
そこまで断言しながらも、どこか躊躇うように視線を下げるサクラ。まだ兄の身の安全と復讐の間で天秤が揺らいでいるらしい。
「サクラ。さっきも言っただろう? 妹は兄を頼っていい、と」
十年もの間積もりに積もった感情と同じだけの愛情を抱いてくれている大切な妹だからこそ、そんな彼女の心を苛むものは全て取り払ってやりたい。
「お兄様。サクラはお兄様を頼ってもよろしいですか?」
「当たり前だ」
そもそもサクラのことがなかったとしても、やるべきことは変わらない。
ただ、それをなす決意とその行為の責を負う覚悟が増すだけのことだ。
「俺達の家族の仇。俺が必ず討つからな」
「……はい。お兄様」
戒厳の強い言葉にサクラが神妙に頷く。
ようやく彼女の中の天秤は完全に、戒厳に復讐を託す方に傾いたようだった。
「それにしても――」
あちらに上陸する前に気疲れする話ばかりをしていても仕方がないので、ここらで再び話題を変えようと戒厳は視線を外にやった。
「人気がないにも程があるな」
車線の広さから考えて国道かそれに準ずる大きな道路を走っているはずだが、この車以外に車はなく、やはり人の姿は影も形もない。
「そもそも、ここは軍の関係者以外は立ち入り禁止ですからね」
「そ、そうだったのか?」
単に過疎が限界を超えただけかと思っていたのだが。
「日本海沿岸部にはアシハラの軍事基地が建設されていますから。レクトゥスからの攻撃に備えるために。北海道に近い地域の人々は自分から進んで避難したみたいですけど、中には強制的に立ち退かされた人もいたようですね」
「まあ、こっちの科学じゃ理術には太刀打ちできない以上、仕方がないと言えば仕方がないことだけどな……」
この世界の軍隊では、レクトゥスの軍に打撃を与えられなかったと聞く。
結局、アシハラのような奇特な国の庇護下に入るしか、地球側は国を維持することなどできはしなかったのだ。
即ち、現状本州以下の日本の平和は、全て他国の力によって守られたものに過ぎないのだ。よくよく考えると、それは昔と余り変わらない気もしなくもないが。
「しかし、よく反発がなかったな」
「戦時下、ということで無理を通したのでしょうけど、立ち退いた方々も立ち退いた方々で命には代えられないと思ったんじゃないでしょうか」
実際に北海道を奪われている現状で、そういった防衛設備は必要ないだのと喚き出す楽天家も今更いないだろう。しかし――。
「……無理を通した、か」
戦争というのは実に都合のいい大義名分だ。
実際、これを根拠に他国の人間を殺す指示を正当化しているのだから。
国も、それをなす当人も。
そして戦争に負けない限り、加えて余程残虐な真似でもしない限りは、その罪が罰せられることはないのだ。
(罰することができるのは自身の良心か法を無視した復讐者だけ、か。何にせよ、正直、全てが終わった後は日常に戻ってもいいと言われても想像がつかないな)
日常。そう言えば地元の幼馴染や高校の同級生達は、と考えかけて戒厳はその思考を意識的に止めた。
少なくとも、あの日あの北海道にいた者は戒厳以外誰も生きていないはずだ。
もしかしたら旅行などであの地を離れていた者は生きている可能性もあるが、どちらにせよ、もう二度と会うことはないに違いない。
そうやって一瞬だけ心の内に生じた日常への懐かしさは全て、それを奪った者への憎しみへと変わるだけだ。
しかし、今は無理矢理その感情に蓋をして、戒厳は視線を前に向ける。
(何を思うにせよ、何を始めるにせよ、全てはあの男に復讐を果たしてからだ)
「お兄様?」
微妙な感情の動きに気づいてか、サクラが心配そうに尋ねてくる。
「何でもないよ」
前方を注意しつつも時折目線だけを向けてくる妹に、軽く手を振って誤魔化して話を打ち切ることにする。丁度海も見えてきたし、頃合いだろう。
「それより、そろそろか?」
「あ、はい。もう間もなくです」
サクラの言葉通り、それから程なくして人気のない港に到着した。
道路が空いていた上に信号はあってないような状態で走ってきたためか、移動時間は随分と短かった。
近くには立派な軍港もあるにはあるのだが、任務自体はともかくプロトタイプがどんな人物かは軍の中でも機密性がそれなりに高い情報らしく、そのせいでこのような寂れた場所から出航することになったのだった。
「では、これから北海道に向かいます」
速やかに船に乗り換え、サクラの操舵で津軽海峡を渡っていく。
船は金持ちが持っているような立派なクルーザーだったが、実際に一番金がかかっているのは内装などではなく武装だ。
分かり易いところでは中近距離用に機関銃、遠距離用に狙撃銃が甲板に鎮座している。後は理術師に対抗するための様々な装備が詰め込まれているらしい。
その一つが思念波の観測機器だ。
海上で遭遇する敵は必ず飛行している訳で、即ち常に理術を使用して高い強度の思念波を垂れ流している状態にある。
そのため、敵が現れれば即座にこれで把握できるのだ。
(そして、もう一つ――)
理術師に対抗するための絶対的な兵器が搭載されている。戒厳の体にも組み込まれた最強の盾にして、使い方次第で最強の矛ともなり得る力が。
実際、この船の総合的な戦力はそれなりのものと聞いている。
「理術師の一人や二人なら、無傷で落とせるだけの装備がありますよ」とは、身動きの取りにくい海上で襲撃を受けることを危惧した戒厳に対するサクラの言葉だ。
とは言え、結局は全て杞憂で、苫小牧に到着するまで何ごともなかったのだが。
「着いたか」
かくして無事北海道に降り立ったのだが、久し振りの故郷はひたすら寒かった。
青森から着てきた膝下丈の紺色のダッフルコートと、防寒と機械の腕を隠すために船の中ではめた黒革の手袋だけでは少々厳しいものがある。
北海道で育った戒厳だったが、しばらく本州に住んだことで耐性がなくなってしまったようだった。勿論、海の近くで余計に気温が低いのもあるだろうが。
それ以上に無駄に寂れた漁港が、精神的に薄ら寒さを強めている気がする。
特に持ち主を失い、船着き場に並んだ漁船は物悲しい気配を醸し出していた。
この北海道が既に日本のものではないことを象徴しているかのようだ。
「お兄様……」
その光景を前に不安がぶり返したのか、しがみつくように抱き着いてきたサクラが縋るように見上げてくる。
彼女は今から一旦本州に戻り、その後、北海道奪還の本作戦に合わせて戒厳を回収しに来ることになっている。
これからの一週間は彼女と連絡を取ることはできても、直接顔を合わせることはできない。
「必ず、生きて帰ってきて下さいね?」
「ああ。分かっている」
心細そうにしているサクラを抱き締めるように背中に腕を回しながら、そのまま彼女の後頭部をその手で優しく撫で、しっかりと彼女の瞳を見詰めて答える。
「約束、ですよ? サクラはお兄様を、家族をもう失いたく、ありません」
そして、潤んだ上目遣いを向けてくるサクラの真っ直ぐな愛情に満ちた言葉に、戒厳は同じだけの真剣さを込めて口を開いた。
「約束する。俺は大切な妹を悲しませるような真似はしない」
「お兄様……はい」
サクラは静かに頷くと、感触を覚え込もうとするように強く頬を胸に埋めてきた。
「よしよし」
そんな彼女に応えて一度力強く抱き締めつつ、背中を軽く摩ってやる。
(俺を本当に兄と、家族と思ってくれるなら、家族を失う苦しみをサクラに二度と味あわせる訳にはいかない。だから、復讐を果たして、生きて、帰ってくる)
戒厳はあの日のお経験から家族を失う悲しみを、その身を以って知っていた。
それがどれだけ辛いものなのかも理解していた。
しかし、その決意にある大き過ぎる矛盾から目を逸らしていることには、まだ気づくことができなかった。
「じゃあ、行ってくるよ、サクラ」
サクラの体をゆっくりと離し、彼女の頭に手を乗せて告げる。名残惜しい気持ちを仇への復讐心で断ち切り、長く日常を過ごしてきた街を目指すために。
「はい、お兄様。行ってらっしゃいませ」
そうしてサクラの言葉に深く頷くと、戒厳は彼女の視線を背に受けつつ、故郷の大地を踏み締めて歩き出したのだった。
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