第5話

(たった一つの才能を拠りどころにした愚か者、か)


 侮蔑を多分に含んだアナレスの声色と表情に彼の確固たる信念を感じつつ、戒厳はその言葉を心の中で繰り返した。

 今現在、北海道を支配しているのは、テラに存在する三つの国の内の一つ。理術と物量による強大な軍事力を誇り、最大の領土を持つレクトゥスと呼ばれる国だ。

 かの国の民は特に理術の才に富み、それを以って人間を定義としていると聞く。

 その理術を簡単に説明するなら「意思を以って世界に干渉し、様々な物理現象を引き起こす能力」というところか。

 ものによっては、こちらの世界の技術では再現不可能な事象をも生じさせることができるらしい。

 話によると理術を行使する者たる理術師の内、特に才能に優れた者一人の戦力は地球の航空師団を軽く凌駕するとのことだ。

 何故なら最新鋭戦闘機に勝る速度と、減速なしに直角に曲がれる小回りを生身で実現する上、既存の兵器を遥かに凌駕する攻撃力と防御力を単独で有するからだ。

 レクトゥスにはそのレベルの理術師が当たり前のように存在すると考えていい。


(そんな奴らに復讐しようとするには、こちらの世界の力は余りに脆弱過ぎる。だから、俺もあの日貴方の手を取ったことを後悔はしませんよ、アナレス)


 少しの間研究所の扉に視線を向け、それから振り返って行くべき道を見据える。


「さて、行こうか、サクラ」

「……はい。お兄様」


 どこか元気なく頷くサクラの頭をもう一度撫でてから、戒厳は彼女と共に近くに駐車されていた四輪駆動仕様の乗用車に乗り込んだ。

 戒厳が助手席で、サクラが運転席だ。

 既に遠隔操作でエンジンを始動してあったため、内部は暖房が効いていて暖かい。


「では、出発します」


 戒厳がシートベルトをして落ち着いたのを見計らい、サクラが車を発進させる。

 小柄な彼女の体に合わせて運転席はカスタマイズされているため、操縦にぎこちなさはない。安心して、動き出した景色に視線を投げかける。

 津軽海峡に近い田舎の道を走っているため、だけでなく、ほとんどの人が北海道に近いこの地域から逃げ出しているため人間の姿は見られない。

 元々古い住宅が疎らにあっただけで冬は白の多かった風景は、疎開によって人の手が入らなくなったことで尚のこと白の面積を増している。

 遠くにはいかにも日本の山間部という感じの冬景色が広がっていた。

 そんな光景からサクラに視線を戻すと、彼女は冴えない表情を浮かべながら機械的にハンドルを操っていた。


「サクラ、どうしたんだ? お前にそんな顔をされると俺が悲しくなる」

「……心配、なんです」


 そうサクラに言葉をかけると彼女は絞り出すように答え、そのまま続ける。


「敵地に潜入して、戦力を削る。誰が見ても危険な作戦ですから」

「だが、復讐するためには……家族の仇を取るにはそれしかない。それとも、サクラは奴を許すのか?」

「そんなことっ!」


 戒厳の問いに声を荒げた彼女の横顔には、確かな怒りと憎しみが見て取れた。


「それは、サクラだって、できるものなら自分の手で――」

「……済まない。今のは愚問だったな」


 愛らしい彼女からは考えられないような激情に彩られた声。

 そこに宿る憎悪の感情の強さは、戒厳のそれと遜色なかった。

 誰かを憎み続けることは辛く難しいことだと言われることがある。

 しかし、それは何に由来する憎しみかによって異なるに違いない。

 特に、大事な存在を奪われたことによる憎悪は、その限りではないはずだ。

 それは過去の幸せを思い出す度に、未来にあるはずだった幸せの可能性に思いを馳せる度に、そして現在、日常の中のふとした瞬間にその人が存在しないことを実感してしまった時に際限なく膨らんでいくものなのだと思う。


「ですけど、サクラはお兄様が大切です。お兄様の無事と天秤にかけるのは……」


 言いながら、サクラは落ち込んだように顔を曇らせる。


「自分の体を実験に提供もせず、挙句全部お兄様に押しつけて結局何もしていないサクラが言うのは道理に合わないと思いますけど」

「そんなことはいいんだよ。そもそも、アナレスに拾って貰わなければ俺は死んでいたんだから。それに、サクラ。お前は俺の何だ?」

「サクラは……お兄様の妹です」


 やや躊躇いがちに言うサクラに大きく頷いてやる。


「そうだ。そして、妹は兄を頼っていいんだ。何なら苦しいことを全部押しつけても構わない。兄妹というものはそういうものだ」


 少なくとも戒厳にとっての兄弟姉妹観はそれだった。

 両親に「先に生まれた者は後に生まれた者を守るもの」という教育を施された上に、生前の姉が正にそれを実践する、弟にダダ甘な人だったおかげだ。

 そして、それ故に彼女は弟を守ろうとして柱の下敷きになって死んでいった。

 苦しみつつも最後の最後まで戒厳ともう一人の弟の身を案じながら。


「お前が危険な目に遭う方が俺は困る。俺だってお前のことを大切に想っているんだ。だから、奴が生きている限り、俺達の心に安らぎがないのなら、道徳的に悪だろうと俺がそれを成し遂げて見せる」

「お兄様……」


 サクラは瞳を潤ませ、それから右手をハンドルに残して左手で目元を拭った。


「お前が待っていてくれるなら、俺は何があろうと帰ってくるから。心配するな」

「……はい。待ちます。サクラは何があろうともお兄様を。ですから、必ず生きて帰ってきて下さい」

「ああ。約束する」


 力強く答えると、サクラはようやく柔らかく微笑んで頷いてくれた。


「ところで――」


 そんな彼女の表情に満足し、少しわざとらしく話題の転換を宣言する。

 大切な妹に真正直に大切だと告げるのも、中々に恥ずかしいものだ。


「はい?」

「サクラは……十五歳だったよな?」

「そうですけど、それが何か?」

「今更だけど、車、運転していいのか?」


 そう尋ねると、サクラは先程までとは打って変わって悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「オートマチックですから」

「いや、その理屈はおかしい」


 確かに走らせるのは簡単だろうけども。


「冗談です。まず、サクラの国では十五歳から免許が取れますし、その免許は日本でも有効です。運転技術の点も心配なさらなくて大丈夫ですよ」

「そうか。そう言えばそっちにも、自動車はあるんだったな」

「はい。サクラ達には理術の才能はほとんどありませんでしたから、そういった技術を発達させるしかなかったんです」


 あの日の光の柱を生み出した理術という力。

 アナレスによると一応それなりに科学的な理屈はつけられているらしいが、実に魔法的な印象を受ける力だ。


(魔法のある世界では機械文明の発展は遅いと聞くけど……)


 そう考えつつ、機械仕かけの右手を動かす。

 特段、理学療法などは受けなかったが、その動きは生身の左手と遜色ない。

 実際は人工皮膚で外見も偽装できるのだが、その場合は定期的なメンテナンスが必要となるため、それが無理な敵地へ向かう今は金属の外装がむき出しの状態だ。

 両足も同じ状態にあるが、目に見えて機械と分かるそれらだけでなく、戒厳の体内には様々な装置が埋め込まれている。

 それらは全てテラ側の最先端技術が惜しげもなく使われており、プロトタイプというよりはチャンピオンデータを取るためのワンオフという感じだった。

 完全にコスト度外視の過剰性能の気がある部位もちらほらある。


(その上、この腕、感覚まであるもんな)


 この義肢を見ても分かるように、サクラの祖国、アシハラと名乗る国はこの世界に勝るとも劣らない科学技術の水準にある。

 それどころか理術を体系化し、それを応用した理術工学が発達した結果、先端技術においては地球の技術を凌駕していると言っていい。

 逆に、当然と言うべきか、理術を一欠片も使用していない技術に関しては地球の方が優れているのだが。


「発端は才能がなかったから、か」


 繰り返した戒厳にサクラが深く頷く。

 アシハラの人間が理術でできることは精々、手を使わずにペンを転がせるとか、マッチを擦らずにリンに火を点けられるとか、その程度のものだと言う話だ。


「アシハラは元々、理術の才能で人間の優劣、価値を決めるレクトゥスから逃げ出した人達が作った国なんです。そして、そうした価値観へのルサンチマンを原動力に、科学技術という理術とは異質な力を見出したんだと思います」


 特に、今は。

 物量と才能にものを言わせた戦いをするレクトゥスに対抗する必要があるのだ。

 生まれ持った才能の差を埋め、数的不利を覆すためには工夫するしか道はない。

 であれば、機械文明が発達するのは必然というものだろう。

 ちなみにテラに存在する三国の内の残る一つ、ヘルシャフトと呼ばれる国はレクトゥス程ではないが理術の才能はそれなりに有しているらしい。

 ただし、こちらは才能に胡坐をかかず、理術を特殊な形で進歩させていると聞く。

 特に集団使用による特異な効果を持たせた理術は脅威で、それによってレクトゥスに対抗しているそうだ。

 かの国のアシハラに対するスタンスは、敵の敵は味方という感じらしい。

 しかし、評価が全て伝聞なのを見ても分かる通り、ヘルシャフトとの交流は少なく、正確な内情は謎に包まれているのが実情だ。


「ですから、アシハラは理術を人間の定義とはしませんし、サクラもそんなものが人間を決定するなんて思いません。……負け惜しみに聞こえるかもしれませんけど」


 彼女はそう言うが、それが単なる負け惜しみでないことは、今尚レクトゥスと拮抗し、十年の間冷戦に近い状態を保っていることが既に証明しているだろう。


「そんなアシハラも、どこかで理術を全く使えない地球の人達を見下しているのかもしれません。自国の人間でプロトタイプの実験をせず、態々お兄様を……」


 サクラはハンドルを握る手に力を込めながら視線を下げた。


「もしかしたら最初から、レクトゥスの侵略を把握しながら被害者を実験に用いるために黙殺し、アナレス様をこちらに送り込んでおいたのかも、しれません」


 あの場にアナレスがいた理由。

 その答えとしては、サクラのその推測はアナレスの言葉以上に妥当かもしれない。


「それは……俺には分からない。けど、だからと言ってアシハラが全面的に介入していれば俺の家族や他の人々を救えたのかと言えば甚だ疑問だし、何よりサクラが悲しむ必要なんてない」

「……テラでは、理術を扱えない人のことを亜人と呼んでいました。アシハラの人間もその才能のなさから亜人と呼ばれたことがあります。そのサクラ達が、この世界の人々を見下すなんて、あっていいはずがありません。まして、実験の道具にするなんて」

「サクラ……」


 戒厳は助手席から手を伸ばして、表情を曇らせるサクラの頬に触れた。


「サクラがそう言ってくれるだけでいいさ」


 言っては悪いが、都合のいい人間を利用した人体実験なんて有り触れた話だ。

 それこそ戦時中ともなれば世界中で頻繁に行われていたことだし、あの日以前の現代日本であっても完全にないと言い切ることは不可能だろう。

 工夫は非力な人類にとっての救いだが、時としてそれが人類のために個々人を犠牲にする可能性を持つことは認識しておかなければならないことだろう。


「それに、そうだとしてもレクトゥス程じゃない」


 サクラの言葉通り、レクトゥスは地球の人々を亜人、人ではないが人に近い何かであると蔑んでいる。彼等が亜人に抱く感情は、人が害獣辺りに抱くそれよりも遥かに侮蔑的なものに違いない。

 そうでなければ、無抵抗な人々をあのように無惨に殺せるはずがない。


「何より、このアシハラのおかげで、世界にまだこの地球の国が確かな形で存続できているんだからな」

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