第25話

 一体どういうことなのか、と連示は阿頼耶に視線を向ける。


「恐らく、菴摩羅によるクラッキングを受けていたんでしょう」

「その通りだ。が、火輪が持つ強固なセキュリティを破るとは……」

「いえ、むしろよく持っている、と言うべきでしょう。幻影人格によるそれに耐えていたんですから。前にも言いましたけど、データそのものである私達幻影人格を前に人間が作り出したセキュリティは余りに脆弱ですからね」


 阿頼耶は静かに火輪に近づいてその頭を優しく撫でた。


「幻影人格が持つ自己進化型のセキュリティシステムを模したものをインストールしておきます。これで菴摩羅のアクセスを受けつけないはずです」


 それから阿頼耶が拘束具を引き千切った。

 すると、火輪は苦痛の完全に消えた、しかし、まだどこか虚ろな表情で阿頼耶を見詰めながらも、しっかりと自らの足でその場に立った。


「大丈夫、ですか?」

「……一応、礼は言っとく。ありがと」


 それは素っ気ない言葉だったが、拓真と美穂の驚く表情を見るに、彼女の中では最大限の感謝だったようだ。

 火輪はそんな二人の反応を気にも留めていないように軽く頭を振って、それから以前に見たままの冷たい表情で口を開いた。


「どうやら、阿頼耶の言う通り、ファントムのクラッキングを受けてたよう。新たに構築されたセキュリティシステムによれば、私も知らない内に視覚や聴覚を共有されてたみたい。比較的優先度が低い部分だったから、今まで気づかなかった」

「ってことは、あの時あたし達がした会話はファントムに筒抜けだった、ってこと?」


 美穂の問いに火輪は苦虫を噛み潰したような渋い表情で頷いた。


「私だけじゃなく、多分陽光もクラッキングを受けてたはず。あの時、力の差を理解していながら阿頼耶に攻撃したのは、陽光の意思じゃなかった。陽光は私よりも人格が弱かったから……」


 必然的にセキュリティも脆かったようだ。


「その陽光は?」

「ああ。陽光は君にやられた傷が存外に酷くて修理に出している」

「そ、そうですか。それはすみません」


 さすがに申し訳なく思って頭を下げるが、拓真は、いや、と首を振った。


「むしろ助かったのかもしれない。恐らく、陽光では火輪のように自分を制御できなかっただろう。そうなれば、俺達の身に危険が及んでいたはずだ」

「陽光も誰かを傷つけたりせずに済んでよかったと思うはず。だから、連示が気にする必要はない」


 火輪にもフォローされ、連示は彼女に向かって、ありがとう、と言った。


「べ、別に、感謝される程のことは言ってないから」


 火輪は戸惑ったように目を逸らした。他人の感謝に慣れていないようだ。


「ともかく今はファントムをどうにかしなければならないな」

「その通りです。そのためにも、まずはここに車を向かわせて下さい」


 阿頼耶はモニター前の端末を操作し、画面に表示された地図のある地点を示した。


「ここに菴摩羅が、少なくとも、ショックイメージを送信したファントムがいます。幾重かカムフラージュされていましたが、逆探知できました。……と言うよりは、させられたと言うべきかもしれませんが」

「どういうことだ?」


 阿頼耶は画面を指していた手を下げ、拓真へと体を向けた。その表情は非常に険しい。


「幻影人格であれば、もっと高度な偽装を行えます。同じ幻影人格にも容易には破れないような。ですが、これは丁度人間や通常のアミクスには探知不可能で、しかし、幻影人格なら可能なレベルのものが使われています」

「挑戦、か。ミラージュに対するファントムの」


 火輪や陽光がクラッキングを受けていたのなら、ミラージュがどこにいて誰がその体を繰って戦っているのかも分かっていたはずだ。

 連示を排除しても他の主に変えられれば同じなので大きな意味はないが、阿頼耶を直接的に急襲してもよかったはずだ。

 しかし、結局それはなく、この状況に至った。彼等は阿頼耶の全力の抵抗を完璧に抑え込んだ上でその目的を果たすつもりなのだろう。


「恐らくは」


 同意する阿頼耶の口調からは珍しく強く、明確な怒りが感じ取れた。

 人間との共存を望む彼女達ミラージュにとって、今回の事件は決して許すことができないものに違いない。


「雅人。阿頼耶が指示した場所に向かってくれ」


 拓真の呼びかけに応えるようにトラックが動き出し、その場にいた全員が備えつけられていた椅子に座る。

 張り詰めた空気に誰もが自然と無言になる中、トラックはひたすらに無人の道路を走り続けていた。

 モニターに映された外の光景は、ライトに照らされていても尚、いや、半端に照らされているからこそ、逆にそこには闇だけが存在していると主張するかのような静けさが視覚的に感じられる。住宅街のど真ん中でありながら、昔の田舎道を夜に走っているかのような酷く不気味な光景だった。


「被害はどうなっているんですか?」


 その不気味さがこれから行く先に待つ不吉な何かを暗示しているように見えて、連示はモニターから視線を逸らして沈黙を破った。


「サポートセンターの連中が対応しているが、甚大だ。……中には完全に発狂してしまった者もいるらしい。そうでなくとも、PTSDになるのは避けられないだろう。正直、モニターに映し出したショックイメージは、俺も思い出したくない」

「一体、どんな――」

「それは聞かない方がいいと思うよ。って言っても、口で完全に説明できるような類のものでもないけどね」


 顔をしかめて口を噤んでしまった拓真の代わりに美穂が答え、そのまま続けた。

 いつもの気軽さは鳴りをひそめ、口調からは怒気が感じられる。


「実際に体験した人は、想像しかできないけど、スプラッタームービーの残酷なシーンや生理的嫌悪感を受けるような映像だけを集めて凝縮したものを一瞬で無理矢理頭に叩きつけられたように感じたんじゃないかな」

「そんな……」


 それはきっと、美穂の説明から受ける程度の印象よりも遥かに酷くおぞましいものだったはずだ。そんなものを送り込まれたら、普通の人間なら心が容易く破壊されてしまうだろう。それを避けるには心を一時的にでも停止させて逃避するしかない。

 これがアミクスに依存し、堕落した人間の罪に対して与えられた罰なのだとしても、余りにも惨過ぎる。しかも、その罰は神から受けたものではなく、ファントムによってもたらされた不当なものではないか。

 連示は今更ながら、突然のことで戸惑いや不安の方が強かった気持ちが怒りの感情で塗り潰されていくのを感じていた。


「見えてきました」


 阿頼耶の言葉に憤怒を冷静さで包み込むようにしながら、モニターに視線を移す。

 そこには夜空すらも光で染め上げようとしているかのような眩い光を放つ施設が映し出されていた。アミクスのパーツを製作する無人の工場だ。

 その大分手前でトラックが停車し、モニター越しにその様子を窺う。


「入口にアミクスが二体立っていますね。しかし、ネットワーク異常は感じません。簡易のAIで制御された門番というところでしょうか」


 工場の入口がズームアップされた映像には、確かに二体のアミクスがアサルトライフルのようなものを抱えて立っている姿があった。その表情はコミュニケーションモードにないアミクスに輪をかけて無機質で、仮面のようだった。

 阿頼耶が推測したように、ただ単に与えられた指令を忠実に守るだけの人格なき人形なのだろう。


「この施設の中心部にショックイメージを送信したアミクスが存在します。ですが、敷地内に何体の敵がいるのかは私にも分かりません。工場内部の機械全てが敵、と考えた方がいいでしょう」

「どうやって侵入する?」

「どの位置から入っても、相手が相手ですから容易く感知されるでしょう。隠密行動ができないのであれば、正面突破最短ルートが最善だと思います。一分一秒でも早く全ての元凶に辿り着き、排除すべきでしょうから」

「分かった。なら、火輪と共に行ってくれ。これでも何体ものファントムと戦ってきたアミクスだ。足手まといにはならないはずだ」


 火輪は足手まといという言葉に軽くむっとしたような表情を見せながらも、連示の前に来て右手を差し出してきた。


「あくまでも私は援護だけ。精々働いて」

「ああ。頑張るよ」


 連示がその手を握ると、火輪は本当に微かな笑みを見せた。

 阿頼耶の手とは違い、機械らしい冷たさが感じられる手だったが、それでも彼女の表情には一般のアミクスにはない独特の温かみがあるような気がする。


「あ、あの、なら、わたしも一緒に行かせて下さい!」


 おずおずと手を挙げながら、しかし、必死な様子で言った末那に皆の視線が集まる。それでも彼女は以前のようにそれに怯まず、瞳に強い意思を見せていた。


「わたしもファントムの端くれ。少しは役に立つはずだから」

「い、いや、末那、危険だ。お前はここで待って――」

「そんな、連示君だって危険だよ」

「それは……俺は、単に阿頼耶の体を使うだけだから」

「でも、だからって、危険がない訳じゃないでしょ?」


 末那は阿頼耶へと視線を向けて問いを続けた。


「阿頼耶、言ったよね? 人格交換は破壊された時の精神的なショックが大き過ぎたことが問題だった、って。今まではアミクスの枠を出た敵はいなかったからよかったけど、今回ばかりは何が起こるか分からないんだよ? 最悪の場合、連示君も……」


 彼女の言葉に、連示は自分自身にも危険が降りかかる可能性があることを再認識させられた。これまで対峙してきた相手が性能的に劣っていて容易く倒すことができたため、どこかその認識が薄れていたかもしれない。

 しかし、それでもこの事態を引き起こした存在を放置することはできない。


「だから、わたしが一緒に行って連示君を守るの!」

「…………分かりました」

「阿頼耶!?」

「二宮さん。末那にも銃を渡して下さい」


 阿頼耶は拓真にそう言いながら末那の傍に立ち、その頭に手を置いた。


「銃の扱い方と最低限の体術をインストールしておきます。それである程度戦えるようになるでしょう。でも、自分の安全を優先させて下さいね。末那が傷つけば、ご主人様が悲しむんですから」


 末那は、うん、と頷いて拓真から銃を受け取った。

 火輪の銃と同じ形状のものだ。


「ご主人様。末那も意思のない人形ではないんです。どうしても譲れないものだってあるんです。ですから、末那のご主人様を想う気持ち、分かってあげて下さい」


 そんなことを言われては、連示には何も言い返すことはできなかった。


「それに敵の数や位置を完全に把握できない以上、目の数は多い方がいいですから」

「それは、そうだけど……」

「連示君、絶対に足手まといにはならないから。お願い」


 真剣に真っ直ぐ見上げてくる末那に、連示も折れて一つ深く嘆息した。

 一度決めたら梃子でも動かない頑固さは、幼馴染として昔から嫌と言う程知っている。


「絶対に、死ぬな。いいな?」

「うん。約束する。連示君もね?」


 末那が小指を差し出してきたので、連示は気恥ずかしさを感じながらもしっかりと小指を絡めてから指を切った。末那はその小指に大事そうに左手を添えていた。


「阿頼耶」

「はい、ご主人様。人格交換を行います」


 いつも通り視覚が移り変わり、阿頼耶の体の感覚が自らの感覚と一致する。


「念のため、お前達が工場に突入したら、俺達はこの場から離れる。いいな?」


 拓真に対して阿頼耶の体で頷く。アミクス相手にトラックで籠城戦などできる訳もないのだから、当然の判断だ。


「あたし達は火輪ちゃんの目を通してできる限りのサポートをするから、頑張ってね」

「はい。お願いします。……行こう。末那、火輪」


 頷いて応えてくれた二人と共に連示は後部の扉を開けて、暗闇と異様なまでに強い光が混在している外に出た。

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