第22話

「一つ、お願いがあります」

「それは貴方がミラージュに加担してると認めたと判断していい?」


 しばらくの間口を閉ざしていた火輪が発した問いに頷いて答える。


『阿頼耶』

『はい。ご主人様』


 阿頼耶の声が聞こえ終わるや否や、激しい急ブレーキの音と共に進行方向に向けて強い慣性がかかった。咄嗟に周囲にあるものを掴んで何とか体を固定する。

 そして、トラックは完全に停止した。

 阿頼耶が電子的に制御を奪い、自動ブレーキを作動させたのだろう。

 拓真も美穂も驚いた様子ではあったが、怪我はないようだった。二人とは対照的に涼しい表情のままの火輪が、その瞬間に駆け寄って二人を支えていたためだ。


「な、何?」


 美穂の言葉とほぼ同時に後部の扉が開かれ、その場にいた全員の視線がそこへ向く。


「連示君!」


 と、そう叫びながら末那が駆け込んできて、その勢いのままに抱き着いてきた。

 そのまま胸に頬擦りするように顔を埋めてくる。


「お、一昨日のファントム!?」


 一瞬呆然とその光景を眺めていた拓真と美穂は、すぐにそのことに気づくと警戒するように距離を取った。対して火輪は二人を守るように一歩前に出る。


「大丈夫ですよ。末那は貴方達に危害を加えたりはしません」


 次いで後ろのドアから阿頼耶が飛び込んできた。

 それから彼女は連示を己の体で隠すように火輪の前に立ちはだかった。


「ミラージュ、まで。どうして、ここが?」

「電子戦で、ある意味データそのものである私達に人間が勝てる道理がありません。人間に作られた機械でも無理でしょうね」


 阿頼耶が火輪を一瞥しながら言うと、火輪は微妙な変化ながら悔しそうな表情を浮かべて目を僅かに逸らした。


「データそのもの? 一体、どういうことだ?」

「それについては後程。今は別の話の途中だったはずです」


 拓真は全く納得がいっていないようだったが、連示と末那に視線を向け直した。


「……それで、君の望みは何なんだ?」

「一時的にこの区域の全アミクスをシャットダウンさせることです」

「ば、馬鹿な! 一体何のために!?」


 連示の言葉に拓真は顔色を変えて叫んだ。そんな彼の問いに冷静に答える。


「ファントムを特定するためです」

『……成程。シャットダウンがかからないアミクスがファントム、という訳ですね。身動きが取れなくなる状況を彼等が甘んじて受けるとは思えませんし』


 脳裏で阿頼耶が納得の声を上げる。菴摩羅を見つけ出す方法はこれしかない。

 しかし、全てのアミクスを同時に停止させれば、丁度その時に記憶や人格の共有を行っていた人々に何かしら被害が出てしまう可能性がある。

 たとえアミクスが全ての社会活動を行っていようとも、皆が皆同じリズムで生活を送っている訳ではないのだから。

 それでは阿頼耶には制限がかかり、実行不可能だ。


「ファントム、だと?」


 その単語を聞いた瞬間、軽く頭に血が上っていた風だった拓真の表情は、特別処理班班長としての冷静なものに変わった。


「どういうことだ?」

「阿頼耶」

「はい、ご主人様。では、皆さん。先程の疑問の答えも含めて説明します」


 阿頼耶は一昨日対峙したファントムのことに始まり、そもそもファントムがどういう存在なのか、そして幻影人格とミラージュのことに至るまで簡潔ながら分かり易く語った。

 その過程で拓真からプロトタイプのアミクスについて質問され、その返答に関連して阿頼耶はLORの目的と現状についても彼等に伝えた。


「何て言うか、唖然だねえ。まさかアミクスにこんなバックグラウンドがあったとは。もし間違って上に報告でもしたら、あたし達が逆に消されそうな雰囲気びんびんだし」


 美穂の言葉は拓真の気持ちも代弁しているようで、二人は複雑な表情で考え込むようにして俯いてしまった。


「まさか、俺達の与り知らないところでファントムが暗躍していたとはな。考えが甘かった。と言うよりは、ファントムを侮っていたようだ」

「それは、仕方がない。大体にして得られる情報が少な過ぎる。私達はただ異常が発生したから、それに対処してきただけ。原因まで深く追求することはできなかった」


 ネットワーク異常からしかファントムの発生を知ることができない上、ファントムとはそういうものだという安易な断定があったのだろう。

 それではある程度の理性を持つファントムからは容易く身を隠されてしまう。


「雅人。どう思う?」

『俺達がやることに変わりはない。人々に危害を加えるアミクスがそこにいるのなら、排除するだけのことだ』


 運転席からスピーカーを通して初めて聞こえてきた彼の声は非常に低く、凄味のようなものがあった。そのおかげか、その発言には重みが感じられる。


「そう、だな。色々と判断材料は増えたが、当面の行動方針を変える必要はなさそうだ」

「でもでも、班長。この末那ちゃんみたいな例もある訳だし、一概にファントムを駆逐してそれで終わりって訳にもいかなくなるんじゃないですか?」

「それは、そうかもしれない。ファントムの発生件数がさらに増えるのなら、そういう事例も出てくるだろう。それはそれで処理の仕方を新たに考える必要がある」

「いや、あの、それはまた今度の機会にお願いします。今はあの菴摩羅とかいうファントムを含め、街に潜んでいるかもしれない他のファントムについて考えないと」


 連示の言葉に拓真と美穂は真剣な表情を見せて頷いた。

 未知のファントムが隠れている可能性があるという事実に危機感を抱くのは皆同じだ。


「雅人。とりあえず、第六班詰所へ向かってくれ」


 拓真の言葉に応えて、それまで道の脇で停車していた車がゆっくりと走り出す。


「それで、さっき言ったことなんですけど」

「全アミクスのシャットダウンか。確かにそれをすれば隠れたファントムを炙り出すことも可能かもしれないが、しかし……」


 リスクが大きい、と拓真は呟いた。

 区域内の住民に事前の告知できれば楽なのだが、そんなことをすれば確実にCEカンパニーやLORの横槍が入るだろう。菴摩羅にも気づかれる。それでは駄目だ。

 全てのアミクスをシャットダウンしようとするならば、どうあってもそのリスクは避けられないのだ。


「それは分かります。けど、彼は、いや、もしかしたら彼らは今も機会を窺って着々と何かの準備を行っているのかもしれません。それが完了してからでは遅いんです。いや、姿を見せたことから考えると、既に準備は終わっているのかもしれない。早く対応しないと人々にどれだけの被害が出るか分からない」


 それ以外の方法でファントムを見抜こうとするなら、全てのアミクスを集めて一体一体頭の中を確認していくしかない。

 それでは余りに時間がかかってしまうし、ファントムが大人しくされるがままになっているとは考えられない。下手をすれば、別の地区へと逃亡されてしまう可能性だってある。これはここで決着させなければならない問題だ。

 逆に一度それを行ってしまえば、これから発生するファントムと他の地区から流入してくるアミクスにだけ注意を払えばよくなる訳だ。

 やはり、人体への影響だけが唯一にして最大の問題なのだ。


「あのう」


 そのまま話が膠着してしまう前に、おずおずと末那が手を挙げた。


「どうした? 末那」

「その、ね。アミクスをシャットダウンする前にその全情報を一旦預かって、こっちで所有者と共有させたりできないのかな、って思って」


 自信なさそうにそう言う末那に皆の視線が集まり、彼女は怯えたように身を縮こめて体を寄せてきた。


「それは無理だ。アミクスの全情報は莫大なデータ量となる。それが何体もとなれば、第六班が使用できるコンピューターでは容量が足りないし、何よりそれらを同時に処理できるだけの能力はない」

「そう、ですか。……ごめんね、連示君。わたし、役に立てなくて」


 落ち込んだように俯いてしまった末那を励まそうと、その頭をぽんぽんと軽く叩くようにしながら撫でる。


「なら、それを部分的に、丁度共有作業中にあるアミクスだけをピックアップして、その日に共有する予定の記憶のみをコピー、シャットダウンと同時に中断させた部分から所有者に記憶を与える。それならどうですか?」

「不可能だ。作業の進行状況と与えるべき記憶を正確に判断し、しかも作業中にあるアミクス全てに対して同時に行うことは、ただ全ての記憶を預かるより遥かに難しい。と言うよりも全く無理な話だ」

「外部からだとね、記憶の共有がどの段階まで行われてるか判断できないの。数値で表せるようなものじゃないからね」


 それはそうだ。外部から記憶の全てを正確に操れるのであれば、アミクスが部分的に破壊されたことによって起こる精神的なショックの原因、誰かに壊される瞬間の記憶、傷つけられた体の感覚のみを取り除くことすらもできるはずだ。


「美穂さん。共有作業中にあるアミクスの特定は可能ですよね?」


 他に何かいい案はないか、と連示が眉間にしわを寄せて考え込んでいると、阿頼耶がその手を連示の手に重ねながらそう尋ねた。


「え? う、うん。まあ、それぐらいは、ね。お姉さん達特別処理班もサポートセンターの一部だから。一応、共有作業中に不具合が起きた場合、即座に対処するために監視してるの。現在だと……余り作業中にあるアミクスはいないかな」


 美穂の言葉に外の様子を映し出すモニターに目を向けると、空が茜色に染まっていた。

 夕刻。睡眠中にある人の数を時間での推移でグラフにすれば、この時間帯は谷の辺りを示すはずだ。割合で言えば、多くても数パーセントに過ぎない。

 しかし、その数字に騙されてはいけない。

 明確な人数に直せば、この地域でも数千、数万のレベルだ。


「それでもあたし達が自由にできるコンピューターじゃ処理能力が全然足りないけど」

「いえ、その特定が可能なら大丈夫です。私が、いえ、私達がその処理を行いますから」

「え、阿頼耶ちゃんが? そんな、できるの?」

「はい。幻影人格が操るアミクス以外であれば、私達はその疑似思考を読み取れます。その機能を利用しつつ、私達ミラージュが生まれる場所、情報に満ちた海、疑似集合無意識と呼ばれるそこを介して全世界のコンピューターに働きかけ、分散コンピューティングのような形で処理すれば可能だと思います。この時間帯であれば、十二分に」


 つまりネットワークに繋がっている全てのコンピューターの処理能力を少しずつ利用して、一台だけでは実行不可能な処理を行う、ということのようだ。

 昔、そういった方法で新薬開発のための分子解析を行ったという話も聞く。


「んー、なら、いけるかな。ねえ、班長」

「確かに。……だが、それ程の能力、正直人間にとって脅威になるようにも感じるな」


 拓真はまだ警戒しているようで、阿頼耶に厳しい視線を送った。

 確かに能力だけを見れば、悪用した場合の被害は恐ろしいものとなるだろう。

 しかし、それは人類の長い歴史の中で現れてきた技術のほとんどに言えることだ。


「先程も言いましたが、私達は人間との共存を強く望んでいます。が、こればかりは証拠として提示できるものはないので、信用して頂くしかありません」


 拓真の目を強く見据えながら、阿頼耶は続ける。


「ですが、ファントムは私達と同等以上の力を持つ可能性を有し、かつ彼等の大部分は人間に敵意を持っていることは理解していて下さい」

「そう、だな。何よりもまず、ファントムによる被害を防がなければならない」

「はい。それでは早速――」


 阿頼耶は言葉をそこで切って、その顔を連示へと向けた。


「どうした?」

「本当に、間が悪いです。ご主人様、ファントム、らしきものが発生しました。……前回と同じく、電子の揺らぎではなくネットワーク異常による感知です」


 となると、ファントムではなく単に操られたアミクスに過ぎない可能性もある。とは言え、放置する訳にもいかない。


「分かった。人格交換を」


 連示は静かに目を閉じ、そして再び開いた。その時には既に視界は阿頼耶のものとなっており、その中に表示されたウインドウで異常なアミクスの位置を確認する。

 割り出された最短コースを見る限り、車で行くよりも狭い路地を走った方が早そうだ。


「車をとめて下さい」

「あ、ああ。雅人」


 車のスピードが減ぜられる間に後方の扉に近づき、完全に停車した瞬間に開け放つ。即座に連示は荷台から飛び降りて、そのまま目的の場所へ向けて駆け出した。

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