第6話
「幻影人格? 幻影……ファントム!?」
数日前に紀一郎から聞いた噂話を思い出して、まさか目の前にいるのは暴走したアミクスなのか、と身構える。
「それを、どこで?」
驚いたように目を開く阿頼耶。
その様子はどうにも無防備で、紀一郎から聞いたそれの印象とはかけ離れている。
「友人から少し。噂になってるとか」
「……成程。安心して下さい、ご主人様。私はファントムではありません。私達はご主人様を、人間を決して襲ったりしませんから」
連示が険しい顔で睨みつけているにもかかわらず柔らかい笑顔を見せる阿頼耶に、警戒心が多少は薄れる。
が、たとえ襲われないにしても眼前に立つアミクスが得体の知れない存在であることだけは揺るがない事実だ。
「それとCEカンパニーの名前を使ったのはカムフラージュです。ご主人様に早く会いたかったので利用しちゃいました」
ばつが悪そうに阿頼耶は小さく笑う。その笑顔に悪意は欠片も感じられなかった。
「……一体、どういうことなんだ?」
もう少しだけ警戒を解いて呟くように問う。
「あ、それは、これから説明します」
阿頼耶はこほんと一つ咳払いをして表情を引き締めた。
「っと、その前に、この話は他言無用でお願いします」
その真剣な口調に連示は少し訝りながらも、とりあえず頷いて続きを促した。
「私は広大なネットワーク上にある人間に関する莫大な情報、その中でも特に人間の良識に関する情報を核として人間を模した人格の一つです」
「それが幻影人格なのか?」
「いえ、私達はその一部分に過ぎません。幻影人格には他にも人間の本能に関する情報を核とした人格も存在します。そして、それが恐らく先程の話に出たファントムの噂の原因だと思われます」
「ファントムの?」
「はい。そうです」
「…………続けてくれ」
ファントムなど単なる都市伝説以外の何物でもないだろうと余り興味を持っていなかったが、思わぬ形でその正体らしきものが語られ始め、連示は阿頼耶の言葉に集中した。
「本能を核とした人格は私達とは異なり、それらがアミクスの人格として行動するには少々不安定です。そのため、実際に作動しているアミクスの人格と一体になって幻影人格として完成します。便宜上区別して私達もこれをファントムと呼ぶことにしています」
「あー、つまり本能だけではアミクスの緻密な制御を正しく行えないから、元々あった人格を利用する、ってことか?」
「恐らくそうだと思われます。アミクスの人格が持つ理性的な部分に、極大化された本能が加わり、独立した状態。まあ、本能のままに元の人格が暴走したと考えた方が分かり易いかもしれません」
私達でも詳細まで理解している訳ではないんです、とつけ加えて、阿頼耶はきまりが悪そうな笑みを見せた。
「所有者の人格、その理性を含んでいるため、ファントム全てがそうだとは一概に言えないと思いますが、物事の判断を本能によって行う傾向が強いため、ファントムは身勝手な思考を持ち易いようです」
そして、それによってなされた行為が噂にあったようにアミクスの暴走として捉えられていたということか。
話としては面白いが、しかし、一つ大きな疑問がある。
「いや、でも、確かに噂は聞いたけど別に事件は起きてないんじゃ……」
実際、紀一郎から聞くまで連示はそんな話を聞いたことがなかった。本当に何かしら被害が出ているのであれば、全くニュースで取り上げられていないのはおかしい。
「それは当然、揉み消されているから起きていないように見えるだけです」
「揉み消されている?」
「はい。CEカンパニーのAMICUSサポートセンターに特別処理班というものが存在していて事件を秘密裏に。それに、そもそもニュースなどの原稿を書くのも、取材をするのも現在では全てアミクスですからね。そんな現状で、アミクスに都合の悪い情報を態々伝えると思いますか?」
確かに、所有者の人格とは全く別の部分で、CEカンパニーに不利になる情報を隠すように設定されている可能性は考えられなくもない。
CEカンパニーはアミクスが主要な商品である以上、そのイメージが悪くなれば経営に支障が出かねないのだから。
とは言え、今となっては多少評判が悪くなったところで、人々はそれを手放さない、いや、手放せないに違いないが。
「話を戻しますが、ファントムは共通に、己の体としたアミクスの所有者に憎悪を抱く傾向にあり、所有者に直接危害を加えようとします」
「所有者に……」
その阿頼耶の言葉から連示は、ドッペルゲンガーをイメージした。
自分と瓜二つの存在と出会った者は死んでしまうとかいう都市伝説だ。己の人格を模したアミクスが殺しに来るのだから、そのイメージは存外に合っているかもしれない。
「また、ファントムの発生から所有者が睡眠状態に入り、人格と記憶の共有を始めるまでの間にそのアミクスを完全に破壊できなければ、所有者は精神的なダメージを受けてしまうことが予想されます」
暴走した状態の人格と記憶が共有されるのであれば、それは想像に容易い。
成程、ファントムという存在は噂以上に危険な存在のようだ。
「まあ、ファントムについては大体理解した。けど、それで何のために、どうして君は俺のところに来たんだ?」
そう質問すると阿頼耶は一瞬躊躇ったように視線を下げた。
「それは……ご主人様にファントムから人々を守る手伝いをして頂きたいからです」
「手伝い、ね。でも、さっきの話だとCEカンパニーの特別処理班とかいうのが処理してくれるようだし、問題ないんじゃないか?」
「いえ、ファントムの発生件数は増大し続けているので、間もなく彼等だけでは抑えられなくなるでしょう。既に私よりも先に生まれた同胞達は各地で人間と協力し、ファントムが宿った危険なアミクスを秘密裏に破壊しています」
そんな状況が現実として起こっているのか、と内心で驚く。しかし――。
「態々人間の手伝いが必要な理由が分からないんだけどな」
別に彼女達が勝手にそうしてくれるだけでも何の問題もなさそうなのだが。
「それは、ですね。私達は人間やアミクスに直接危害を加えられないんです。良識を核としているためか、疑似超自我の部分で規制されているためだと思われます。ですから、人間の、ご主人様の協力が必要不可欠なんです」
阿頼耶の表情は必死なものだったが、そのエメラルドグリーンの瞳には不安のような感情が見え隠れしていた。
話を信じて貰えるかどうか不安がっているようだ。
「それはつまり、俺が君に何をしても、君は俺を傷つけられない、ってことか?」
連示は話の信憑性を確かめるために、阿頼耶を試すようにそう言って、同時に厳しく睨むように彼女の瞳を見据えた。
「はい。私は決してご主人様に危害を加えたりしません。それに私はアミクスとして非合法な存在ですから、たとえご主人様が私を破壊してもAMICUS法には触れません。通報機能もありませんし」
目を全く逸らさずに阿頼耶が真剣な口調で答える。
AMICUS法はアミクスの普及と共に制定された法律で、人間によるアミクスに対する犯罪と、アミクスによる人間とアミクスに対する犯罪の罰則などが定められている。
人格と記憶の共有機能のためにアミクスを単なる器物として扱うことも難しく、このような法律が新たに制定された訳だ。
これにはその他、アミクスの用途の制限なども含まれているのだが、それはこの場では関係ない話だ。まあ、一般に考えつくような卑俗な使用方法は基本的に禁止されているとだけ言えば十分だろう。
数秒の間阿頼耶と見詰め合い、瞬きすらしない彼女に連示は大きく溜息をついた。
彼女は嘘をついているようには思えないし、その覚悟もまた本物のようだ。
「……まあ、そんなことはしないけどな」
「はい、そうですよね」
阿頼耶は、最初から分かっていた、という感じで真剣な表情を崩し、満面の笑みを浮かべて言った。そんな彼女の信頼し切った様子に自分の人格の全てを見透かされているような気分になり、連示は気恥ずかしさを感じて顔を少し背けた。
「それで、結局のところ何で俺なんだ?」
「それは――」
連示にとっては最も重要な質問に、阿頼耶は何故か折角の笑顔を曇らせてしまった。
「ご主人様がアミクスを嫌っているからです」
彼女の口調と瞳の奥には寂しさのような感情があるのが見て取れる。
余りにも人間らし過ぎるその表情に、連示は胸が締めつけられるような感覚を抱いた。
「……いや、それは間違っている」
だから、自然と否定の言葉を口に出していた。
「え?」
「アミクスが嫌いなんじゃない。俺は人間の仮面だけが一人歩きしているような今の状況が好きじゃないんだ。さっき聞いた話の限りじゃ、君達のような存在は対象外だ」
連示の言葉に阿頼耶は一瞬驚いたような表情をして、しかし、すぐに両手をささやかな胸の前で合わせて心底嬉しそうに破顔した。
「で、それがどうしたんだ?」
恥ずかしいことを言ってしまった気がして、それを誤魔化すために声色を僅かに不満で染めて早口で尋ねる。
「あ、はい。ご主人様は最近では非常に珍しくアミクスを所有していませんよね?」
「そうだな」
「それは私達の使命を果たすのに、都合がいいんです」
確かに、傍にファントム化する可能性のあるアミクスなどいない方がいい。
しかし、それを条件として考えると、該当者は極めて少ない。
ならば、遅かれ早かれこうなる運命にあった、とも言えるかもしれない。
「――それに事前の調査でご主人様の人となりもある程度分かっていましたし、今の言葉で確信できました。ご主人様に私のご主人様になって頂きたいです」
先程までの寂しさの感情は完全に消えた、きらきらと輝く瞳で見詰めてくる阿頼耶。
「あ、でも、勿論ご主人様の意思を尊重しますから、このようなことに関わりたくないとおっしゃるのであれば、私はここを去ります」
しかし、そう言うと再び瞳の奥にじわじわと不安の色が見え始める。
連示はそんな彼女の様子を見ながら、自分の心に問いかけた。
これはアミクスを拒絶し続ける道とも、妥協してアミクスを許容する道とも違う、予想だにしなかった全く先の見えない道だろう。
しかし、だからこそ、あるいはこれこそが自分が望んでいた切っかけなのかもしれない。
そうだとすれば、答えは決まっていた。
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