第4話

「ファントム?」

「ああ。昨日、小耳に挟んだんだが」

「昨日? 複合娯楽施設でか?」

「ああ」


 複合娯楽施設とは、アミクスの所有者達が娯楽を享受するために各地に建設された公共施設だ。恐らく紀一郎は、そこに入り浸っている同年代の人間から話を聞いたのだろう。

 その施設に行く気の全くない連示達にとって、紀一郎から得られる情報こそが同年代の実情を知ることができる唯一のものだった。

 彼もそれを理解しているからか、よく複合娯楽施設での話を聞かせてくれる。


「それで、ファントム、だっけ? 俺は知らないけど……二人は?」


 問いながら鈴音、ユウカと順に顔を向ける。

 鈴音は、聞いたことがない、という感じで首を横に振り、ユウカは何やら深く考え込むように俯いていた。


「詳しいことは分からないが、どうやらAIの名らしい。突然アミクスの人格がそのファントムとかいうものによって上書きされ、暴走を引き起こすそうだ」

「コンピューターウイルスみたいなものか? 人間の作った」

「いや、そこまではっきりしたことは分からない。自然発生したとか、初期の頃に過激な反対派に破壊されたアミクスの怨念だとか、ほとんど都市伝説の域を出ない話しか聞けなかったからな」


 現実としてアミクスによる事件、事故はニュースでは一件たりとも報道されていない。

 そのことから考えても、自分のようにアミクスに対して余りいい感情を抱いていない人間がそんな噂を流したのだろう。連示はそう推測した。


「その噂によれば、暴走したアミクスはCEカンパニー内にある、特別処理班とかいう組織によって秘密裏に破棄されるらしい。そして、その所有者も姿を消してしまうとか」


 そういう微妙に怖い雰囲気でまとまったように見せかけて、突っ込みどころ満載な辺りが実に都市伝説らしい。

 秘密裏に破棄されたり、所有者が姿を消したりしているにもかかわらず、何故にその話が噂として出回るののだろうか。

 とは言え、まあ、火のないところに煙は立たないとも言うし、都市伝説として完成する前の元ネタがどんなものだったのかは少々気になるところだ。


「まあ、アミクス嫌いの世良には面白い話だと思ってな」

「別にアミクス自体が嫌いな訳じゃないけど……確かに、面白味はあるな」


 そう言いつつユウカを横目で見ると、彼女はどこか不安そうに俯いたままだった。


「どうした? ユウカ」

「え? う、ううん、何でもないよ」


 慌てたように彼女は顔の前で両手を勢いよく振った。どう考えても何かを誤魔化そうとしているようにしか見えない。

 つき合いは長いのでその程度は簡単に分かる。


「もしかして、怖いのか?」

「そ、そういう訳じゃ……」

「心配するな。そんなものは単なる噂だ。根も葉もない」

「でも、火のないところに煙は立たない、って言うよ?」


 似たようなことを考えていたらしいユウカの言葉とその瞳に、連示は違和感のようなものを抱いた。そこにはどこか確信が込められているような、そんな気がする。


「……と言うか、そもそもお前がどこか暴走してそうだけどな」

「むー、連示君、それ、どういうこと?」


 だが、その違和感も一瞬のことで、そうやってからかうように連示が言うと、ユウカは普段通りに無邪気で幼げな雰囲気に戻り、表情と口調で分かり易く不満を表していた。

 それからは全くいつも通りの気安く心休まる会話だけがあった。友人二人と例外一体との会話はこの学校生活における唯一の清涼剤だ。

 しかし、休み時間が終わってしまえば、空虚な授業を受けるだけとなる。


 この学校、私立倫定学院高等学校でも当然のように教師はアミクスであるため、生身の人間である連示が当てられることは基本的にない。

 生徒に答えさせる時は必ず日づけと出席番号で決める、などの強固なルールを持った人物のアミクスでもない限りは。

 そして、幸いと言うべきか、そんなタイプの教師は連示のクラスの担当にはいない。

 そのため、連示にとって授業とは授業風景の録画を眺めながら、黙々と自習しているようなものだった。当然、内職をしていても何一つ注意を受けるようなことはない。

 それは鈴音や紀一郎も同じだ。

 鈴音は基本的に真面目に授業を受けているようだが、どうも眠気には忠実らしく時折舟を漕いでいる姿を見かける。

 紀一郎の方はあからさまに内職しているが、それでもやはり何ら問題はない。

 体育の授業では、紀一郎自身が出席することはまずないため、班を作る必要がある種目では必ず鈴音と一緒に余る。

 そのため、二人で、加えて何故か同様に余っているユウカも一緒に適当に体を動かしているしかない。それはそれで楽しいのだが、連示は生徒として間違っているような気がして微妙に罪悪感も抱いていた。


 それが連示の学校での日常だった。

 現在の常識としての世界は全てが遥か彼方にある。いや、本当はすぐ傍にあるにはあるのだが、連示はそこから距離を取っていた。

 だから、連示にとって色の着いた確かな世界は、鈴音と時々紀一郎、そして、バグでも抱えていそうなユウカと共有するものだけだった。

 それは帰宅の途にあっても同じことで、彼女達と別れてしまった時点で視界に映る世界は虚ろなものへと変わってしまう。


 東北地方にあるこの街、いくつかの町や村が合併して生まれた央倫市は、一昔前までは比較的田舎に分類されていた場所だった。

 しかし、もう今の時代ではかつて程都会と田舎の間に差異はなく、何より、そこで営まれている人々の生活にさしたる違いはない。

 アミクスがアミクスと対話し、まるで歯車で動いているような世界。その中に時たま現れる生身の人間らしき人影。これでは、むしろ人間の方がこの世界ではイレギュラーな存在であるようにすら感じられてしまう。


 人間とアミクスを外見で区別するのは難しい。最初期のコンセプトが人間と見分けのつかない機械人形だったためだ。しかし、現在ではその区別は余りにも容易い。

 仕事をしているのがアミクス。娯楽に興じているのが人間。それだけだ。そして、それこそが現在の常識の全てであり、そのあり方が正しいと多くの人々が思っている。

 それでも連示には、それが酷く気味の悪いことのように感じられていた。


 だから、そんな奇妙な世界に反抗するように。

 下校途中、往来のど真ん中で突然立ち止まってみる。

 しかし、周囲のアミクス達は、連示の行動など最初からなかったかのように過ぎ去っていった。その様子に思わず溜息が出る。

 そして、連示はコミュニケーションモードに入っていない無表情なアミクス達を睨むように一瞥してから、十月中旬の微かな肌寒さを感じつつ再び家路を歩き出した。

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