第35話

 エネルゲイアは意図を持って移動しているようだった。

 その進行方向には住宅団地がある。恐らく、人が集まっている場所へと向かっているのだろう。

 デュナミスをより多く集め、この反定立宇宙を拡大するために。

 焦りを静めつつ、いつもの帰り道をできる限りの速さで駆け抜ける。

 反定立宇宙もまたアノミアに近い世界である以上、身体能力はアノミア準拠だ。

 力を使わずとも使徒であれば人間の限界を超えた速度は出せる。

 変身状態ならさらに速く走れるが、敵の強大さを考えれば力は少しでも温存すべきだろう。

 そのまま住宅街から避難してくる人々の合間を縫い、徐々にエネルゲイアとの距離を縮めていく。


「朔兄!」


 突然そう呼び止められ、しかし、陽菜の声だとすぐ分かったため、朔耶は立ち止まって振り返った。

 彼女の隣には和也がいたが、普段の彼とは違い、どこか虚ろな表情で両親に支えられていた。

 陽菜もいつもの明るさが鳴りを潜め、余裕がない様子だ。


「陽菜ちゃん、大丈夫?」

「う、うん。でも、お兄ちゃんが――」


 陽菜はそこまで言って、はっとしたように千影を見た。


「千影、先輩?」


 放心したように呟く陽菜に千影は困ったような表情をする。

 予想できたことだが、この反定立宇宙では使徒でなくとも千影の姿が見えるようだ。


「陽菜、先輩のことも……お姉ちゃんのことも……」

「そっか。陽菜ちゃん、思い出したのか」


 だとすれば、和也の様子もそのせいに違いない。

 彼は姉を慕い、とても尊敬していたらしいから。

 突然その事実を突きつけられれば、自失してしまうのも無理もないことだ。


「で、でも、先輩も何で? 一体、何がどうなって――」

「陽菜ちゃん。それよりも今は早く逃げるんだ。ここにいると危ない」


 陽菜の疑問を遮ってエネルゲイアを視線で示しながら告げる。

 そして、朔耶は彼女の背を押して両親と和也の傍に送った。


「さ、朔兄は?」

「俺はやらないといけないことがあるから」


 朔耶は陽菜の頭を軽く撫でてから、彼女達に背を向けて再び走り出した。

 その背に陽菜が何か言葉をかけてきたような気がしたが、今度は振り返らなかった。


『朔耶君。陽菜ちゃんが思い出してるってことは、お父さんやお母さんも……』

「思い出してる、だろうな」

『そう、だよね』


 和也と同じように家族を失った事実とそれを忘れていた衝撃で混乱し、突然の喪失感に苛まれていることだろう。

 それを思ってか千影は自分の一時の選択を悔いるように、辛そうに俯きながら、しかし、瞳には確かな決意を宿した。


『朔耶君』

「ああ。全てを取り戻そう。あいつを、何とかして」


 そして、いつぞやの戦いの場、再び千影と言葉を交わすことができるようになったあの場所で、エネルゲイアと真正面から向かい合う。

 とは言っても、相手は朔耶と千影の存在に気づいていないだろう。

 それが余りに巨大だから、既に対峙しているような錯覚を受けるだけだ。

 さらに近づくと、その大きさに改めて脅威を感じ、圧迫感に腰が砕けそうになる。


「これは、やっぱり時間稼ぎが関の山か」


 正直、これは巨大ヒーローや合体ロボにでも出張ってきて貰わないと困るスケールの相手だ。

 等身大のヒーローでは無茶だし、その格好を真似ただけの朔耶には対峙する資格もないかもしれない。

 しかし、それでもやらなければならない。

 今自分にできることをする。

 それこそはヒーロー達が示す、幾多の試練に打ち勝つ方法の初手なのだから。

 横目で千影を見る。と、彼女は気丈に微笑んで頷いてくれた。

 それに頷き返して、言葉を紡ぐ。弱い自分を鼓舞し、憧れた存在の強さを借りるために。


「止揚転身!」


 瞬間、白銀の衝撃波が周囲に広がり、同色に輝く装甲が全身を包む。

 と同時に朔耶はそれに向かって駆け出した。

 エネルゲイアの移動に伴い、相対的にその間合い、黒い槍が降り注ぐ範囲が急激に近づいてくる。


「千影」

『……うん』


 その間合いに入る直前に千影は朔耶を守るように前に立った。

 そして、宗則の力を打ち消した時と同じように彼女の体から銀色の輝きが放たれ始める。

 かの槍に貫かれた者は魂を砕かれる。しかし、それも当たらなければ意味がない。

 黒い槍は千影の手に阻まれ、朔耶には届かなかった。

 だが、自らの力への干渉を受け、ようやく敵の存在に気づいた様子のエネルゲイアはその槍を朔耶に対して集中させ始めた。

 即座に千影がそれを防ぐが、何分広域に放たれていたものが一点に集められたのだ。彼女の精神力がいつまでも持つと楽観的には考えられない。

 その力を過信して無理に突き抜けようとはできない。だから、続く攻撃は速さを以って回避する。

 晶との訓練の賜物か、朔耶は機関銃のように連続で、しかし、直線的に迫り来る槍を避け続けた。

 だが、相手も愚かではないようで、徐々に攻撃が変則的になってくる。

 それでも晶の嫌らしい攻めに比べればまだ容易い。

 アノミアでは肉体的な疲労がないようにこの反定立宇宙でも体力の低下はなく、あるのは精神力の消耗のみ。故に一先ず攻撃と回避の均衡が保たれる。

 だからこそ朔耶からは攻められずにいたが、時間稼ぎならばそれで十分だ。


『死の運命さだめを持つ者よ』


 人間のものとは思えない歪な声がエネルゲイアから発せられ、朔耶は思わず意識を取られてしまった。

 その隙を狙った訳ではないだろうが、槍が立ち止まった朔耶に殺到し、しかし、それは千影によって防がれる。


『お前達は正義を気取っているのかもしれないが、それは全く逆のことだ』

「何を、言っている?」

『これこそは宇宙の意思。世界の単なる要素に過ぎないお前達が、何故それに抗う。人そのものも、そして、あらゆる事物もまた死の欲動を抱いているというのに』


 根源的な恐怖を受けるような歪んだ口調でありながら、何故か同時に穏やかさまでもが感じられる。

 死こそが全ての苦難からの解放であると示すかのように。

 そこに敵対心のようなものは一切なく、あるのは抗う者への憐憫だけだった。

 しかし、その間も、さらに連続して四方八方から取り囲むようにして槍が襲いかかってくる。

 朔耶は何とか千影の力で一方向の槍を無力化し、そこから逃れ出た。


『全ての存在はいずれ滅びる。故に存在は根底で死を望んでいる。人の歴史を振り返ってみよ。誰もが戦争を忌避すべきものだと思いながら、それは繰り返されてきた。人の中には抗えない破壊衝動、死の欲動があるのだ』

「それは……」


 ホロコースト、人体実験などに見られる戦時中の狂気は、それを証明するものなのかもしれない。

 それだけではない。未だこの世界には、人類を何度も滅ぼせるだけの兵器が存在する事実もあるのだ。

 それは他国への抑止力として持つには、余りにも多過ぎる。

 自衛、牽制という理屈では説明できない何かが潜んでいるようにも感じる。


『お前達がアノミアと呼ぶ世界においても、人は誰しも死の欲動を具現化させ、自らのタナトスによって命を失う。力を得て生き残ったとして、その力は破壊衝動がその根源。死こそがありとあらゆるものの本質なのだ』

『それは違うよ!』


 分厚い壁のように面で追撃してくる槍を消し去りながら、千影が叫ぶ。


『そもそも、わたしと朔耶君の力は違う。これは純粋に生きたいと願ったから得た力。何かを壊すためのものじゃない!』

「そうだ。確かに人間は死の欲動を持つかもしれない。だけど、それは生の欲動と表裏一体のものだ。一方だけを見て、勝手に本質だなんて決めつけるな!」

『それに、力の根源、由来なんて関係ない! どんな力でも所詮は道具。使い道は人間次第。勿論、破壊衝動に任せて使うことだってあるかもしれないけど、それは本質がそうだからじゃない。人間が自由意志を持ってるからだよ!』


 有り触れている。

 誰かを助けるために生まれた道具が人を傷つけることも、人を傷つけるために生まれた道具が誰かの助けになることも。

 千影の言う通り、全て使い方次第。そして、どう使うかは全て人間の自由だ。

 今、世界にある全ての兵器もそうだ。たとえ破壊衝動に導かれるままにそこにあったとしても、それをどう扱うかはまた別の、これからの選択。

 確かに過去には破壊衝動と自由意志が合致し、引き起こされてしまった悲劇もあったのだろう。

 だが、それをなしたのも人間なら、それを教訓と考えられるのも人間。どちらも人間の姿だ。

 一方だけが人間の全てではない。


『成程お前達の力はそうなのかもしれない。人間の自由意志もまた認めよう。しかし、それらは全て一時の生という熱に浮かされて生じたものに過ぎない。事物には終わりがあり、死こそが全ての答えなのだ』


 疲れ果てたような諦観漂う言葉には人間味が残る。

 恐らく、取り込まれた人間、あるいは起端となった人間というフィルターを通して、死の欲動が出力されているのだろう。

 過去最大と言っても、この程度のデュナミスの量で世界の意思など名乗れるはずもない。


『死の運命を持つ者よ。諦め、そして、死を受け入れよ。それが救いとなる』


 次の瞬間、黒色の槍が倍の密度で押し寄せ、さらに巨大な氷の柱までもが同時に降り注いできた。

 上下左右逃げ場はなく、命を繋ぐには千影の力に頼るしかない。


『う、うくっ』


 連続的に力を使わざるを得なくなり、次第に千影の顔に苦悶の表情が浮かび始める。

 千影はこれがほとんど初めての実戦なのだ。

 自分の力がどれ程のものなのか把握しているはずもなく、精神力の配分も拙い。

 この場で絶え間ない攻撃を防ぎ続けることは、さすがに不可能だ。


「くっ、この場は一旦引いて体勢を立て直そう。千影、少しの間踏ん張ってくれ」


 周囲は絨毯爆撃を受けたように建物は崩れ去り、更地のようになっている。

 人の気配などあるはずもない。多少戦線を下げても問題はないはずだ。


『う、うん』


 朔耶は背中を千影に任せ、エネルゲイアに背を向けて一直線に走り出した。

 何とかしてその間合いから脱するために。


『無駄だ。全ては死に至る』


 しかし、朔耶がその範囲から出る直前、その言葉を合図に全ての攻撃が止んだ。

 不審に思いつつも退却を優先する。

 が、背後の千影が小さく悲鳴を上げたため、朔耶は思わず振り返った。

 そして、その理由を目の当たりにして息を呑む。

 そもそも高層ビル並みに巨大なエネルゲイアよりもさらに大きい黒色の何かが、空に生じていた。

 その色から推測するとそれも槍なのだろうが、対比的に余りにも矮小な朔耶達からは空が突然壁で覆われたかのように見えた。

 密度の高い攻撃を壁と表現したが、これは比喩ではなく正に壁そのものだった。

 やがて、それが地上目がけて落ちてくる。

 その巨大さと位置関係から考えて回避は不可能。破壊する以外に選択肢はない。


「千影!」


 千影はその意図を汲んだように頷き、己の力をより圧縮させるために朔耶の右手に宿った。

 それによって強烈な白銀の輝きが右の拳から放たれ始める。


「砕けろおおおおおおおっ!」


 まるで真夜中の空が落ちてくるような絶望的な圧迫感を振り払うように、朔耶は願いを言葉にして右手を全力で振るった。そして、それと交錯する。


「ぐ、あ、あああああああああっ!!」


 恐ろしいまでの圧力が右手一本にかけられ、押し潰されてしまうのではないか、という危惧が脳裏を過ぎる。しかし、そもそも見た目通りの重量を持つのなら、そんな思考をする間もなく圧殺されている。

 この世界において物理法則は思い込みに過ぎないのだから。

 一瞬でも気弱になったことを叱咤するように千影が宿る拳がさらに眩い光を発し、朔耶は限界以上の力をそこに込めた。


『ほう。やるものだな』


 感嘆するようなエネルゲイアの声が響くと同時に巨大な槍にひびが入る。

 そして、完全に砕け散った。

 しかし、朔耶も再び姿を現した千影も既に限界に近く、その場に片膝をついてしまった。


『だが、所詮そこまでだ。諦めろ』


 再び槍の雨が降り注ぐ。

 千影がそれを消そうとするが、精神力の消費が激しいのかその白銀の輝きも弱々しい。

 それでは防げないと直感的に悟る。


「だ、駄目だ、千影!」


 朔耶を守るように目の前に迫る攻撃に身を晒す千影。


『朔耶君は、わたしが、守る!』


 その姿にあの日のアノミアでの彼女がオーバーラップし、朔耶は叫んだ。


「千影えええっ!」


 黒き死の槍は、彼女の背に伸ばした朔耶の手よりも早く千影に到達する。

 緩慢な認識の中でその事実を突きつけられ、絶望に視界が歪む。

 しかし、その端を何かが過ぎっていった。


「そうは、させない!」


 次の瞬間、鬼気迫る声と共に金属が交錯する音が連続して響き渡った。

 そして、千影よりも前に見知った背中が立つ。


『お、己刃、先輩?』


 千影の驚愕したような言葉の通り、正しくそれは己刃だった。


「はああああっ!」


 彼女は体を蝕む痛みや恐れを消し去ろうとするかのように絶叫しながら、朔耶達を背にして、黒色の刀を手に襲い来る槍という槍を叩き落としていた。

 一切の無駄がない動きで刀を振るう姿は洗練された舞を見ているかのようで、彼女が剣道を嗜んでいたことを思い出す。使徒として身体能力が解放されているとはいえ、相当の腕だと素人目にも分かる。

 本来、近距離こそが彼女の得意の間合い。

 しかし、使徒の力の特性からこれまでその実力を十分に発揮できていなかったのだ。


「朔耶、千影、大丈夫か?」


 背後からかけられた、微かに無理をしているように感じられるその声の主が誰かは、振り向かなくても分かる。


「あ、晶先輩、体は大丈夫なんですか?」

「少々辛いが、心頭滅却すれば火もまた涼し、と言うだろう? 要は気持ちの問題だ。使徒として覚悟を決めれば、この程度は……まだ軽い!!」


 それは明らかな痩せ我慢。それでも彼女は巨大な火球を複数生み出し、それをエネルゲイアに放った。

 だが、降り注ぐ槍に貫かれ、火球は霧散してしまう。


「で、ですけど――」

「それに、破壊衝動にベクトルを持たせれば、多少はコントロールできるようだ。つまり奴への怒りで流れを作ってやる訳だ。行き場のない破壊衝動にな」


 さらに連続して火球がエネルゲイアに向かう。

 それは撃ち出される度に大きくなり、力強い輝きを放つようになってゆく。

 内から生じる破壊衝動を力に変えているかのようだ。


「先は降りかかった異変の理由も分からず、動揺し、無様な姿を見せてしまった。訳の分からん痛みに思わず気弱になってしまっていた。だが、やはり使徒として、私はただ待っていることなどできん」


 再び火球は槍に貫かれる。しかし、今度は複数に分裂し、エネルゲイアに届いた。

 それを皮切りに連続して火球が命中し始める。


「二人の勇気は確かに感じたし、信頼もしている。だが、この場ではそれも結果として蛮勇にされかねん。それに何よりも、私はお前達と一緒に戦いたいのだ!」


 そんな晶の言葉を体現するかのように、己刃はひたすらに正面から迫り来る黒色の槍を一本も残さず弾き落としていた。

 加えて晶の攻撃が爆鳴と共にエネルゲイアを打ち、ついにはそれをよろめかせた。


『死の欲動をも利用する精神力、見事だ』


 しかし、エネルゲイアはどこまでも敵意がなく、ただ穏やかに言葉を紡ぐ。

 さすがの二人もそれには不気味さを感じたようで警戒を強めるように視線を鋭くする。


『だが、死は全ての存在が至るもの。即ち、摂理』


 再び発せられた、諦観に満ちた言葉。その様子は、まるで望んでいないにもかかわらず世界の真実を一方的に告げられ、無理矢理に悟らされた者のようだ。


『……生を望みし者。命の結末を見よ』


 次の瞬間、降り注いでいた槍が再度消滅した。

 またあの巨大な槍を落とすつもりか、と空を見上げるが、そこには何もない。

 一見しただけでは異変は感じられなかった。


「な、く、これ、は――」

「か、体が……」


 一体何が、と疑問を抱いていると、すぐ傍から戸惑うような声が聞こえてきた。

 彼女達はぎこちない動きで朔耶達の前へと歩き出していた。

 その不自然な挙動は、二人の意思でなされているものとは思えない。

 まるで何者かに操られ、しかし、それに抗っているかのようだ。


『死の欲動を利用したことは称賛しよう。だが、その具現たる私の前では無意味なこと。どれ程強大な使徒であれ、その力が死の欲動に由来する限り、私に優越性があるのだから。操ることもまた容易い』

「せ、先輩!」

「く、そ」

「こんな、この、ままじゃ――」


 まだ完全にエネルゲイアの思い通りになっている訳ではないようだが、それでも僅かな動きの鈍化は戦場において絶対の隙となる。


『死という答えを解するがいい』


 空中に二本の槍が生成される。

 僅か二本。

 しかし、現状では絶望的な数だった。


「千影!」

『だ、駄目。まだ力が……』

『もう遅い』


 無情にも槍は放たれ、呆気なく己刃と晶の胸を貫く。

 ただ、エネルゲイアが告げた言葉が全ての答えであると示すように、それを朔耶に見せつけるように、音もなく二人は砕け散ってしまった。

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