第98話 強がりと寂しがりと元カノ

「マナくんと別れてからね寂しさを埋めるために色々な人と付き合ったの。でもね、全部あんまり楽しくなかった。付き合ってもすぐに別れてね……私、何をしてるんだろうって思った。そんな時にマナくんと再会したの」


 合コンのことを言っているのだろう。


「それでね、やっぱり、マナくんといると楽しいなって思ったの。だから、もう一度私と付き合ってほしい。今すぐにとは言わない。友達からでもいいの」


 しばらく何を言われているのか分からずただ呆然とそれを耳に入れていた。頭の中で一言一言を認識してようやく考えが巡ってくる。


 きっと、以前の俺なら喜んで了承した。でも、もう、それはない。今はもう、素直に喜べないようになっている。


「……なんでだよ?」


「マナくん?」


「なんで、そんなこと言えるんだって……琴夏さ、浮気してただろ? 俺のこと好きじゃなかっただろ?」


 絞り出して言えたことはそんな拗ねた子どものようなことだった。

 ようやく言えた、ずっと囚われていたことを口にすると琴夏は目を丸くした。俺がずっと知らないと思ったままだったのだろう。分かってはいた。けど、ずっとそれを隠そうとされたままもう一度付き合ってと言われたことが悲しく思えた。


「……知ってたの?」


「見たんだ……ここで、琴夏がキスしてるとこ」


「……そっか。ごめんね、マナくん。許してとは言わない。でもね、あの時もマナくんのこと好きだったんだよ?」


 それを聞いて怖いと反応してしまった。

 真理音と琴夏を比べたくない。真理音に申し訳ないから。それでも、どうしてもふたりが言ってくれる言葉は同じでも中に含まれているものが違うと感じた。


「嘘つくなよ。好きだったら浮気なんてしないだろ」


「嘘じゃないよ。それに、マナくんの方こそ私のこと好きじゃなかったでしょ?」


「好きだったよ。好きだったに決まってるだろ」


「じゃあ、どうして私に何もしてくれなかったの。抱きしめてくれたり、キスもしてくれなかった……手だって、全然握ってくれなかった」


「それは……」


 答えられず、口を閉じてしまう。


「ほら。やっぱり、マナくんは私のこと好きじゃなかったじゃん」


「分からなかったんだ……初めてだからどういう距離感で縮まればいいのか」


 俺がヘタレになってしまうのは相手に嫌われたくないと思うから。付き合ったら、いつからそういう恋人らしいことをしていけばいいのか分からなかった。何より、早すぎてそういうことをしたいだけなんだと思われたくなかった。だから、琴夏が望むような事を一回も出来なかった。


「家に呼んだ時も私は期待してた。でも、マナくんは何もしてくれなかった。それって、好きじゃないってことでしょ」


「あの時は……」


 確かに、家に呼ばれた時、そういう雰囲気にはなっていた。でも、いざその時を迎えそうになって俺は出来なかった。


「琴夏が泣きそうだったから」


 琴夏の身体が小刻みに震えていて怖がってるんだと思った。まだ、早いんだと思った。だから、結局何も出来なかった。


「そうだよ……怖かったよ。でも、それ以上に嬉しかったんだよ。やっと、マナくんと恋人らしいこと出来るんだって思ったんだよ。なのに、結局マナくんは何もしてくれなかった。あそこは、男の子のマナくんがリードしてくれる場面だったじゃん!」


 今まで、琴夏からそんなこと言われたことがなかった。それ以上に、そんなこと思っていたんだと気づけもしなかった。

 結局、どれだけ経っても俺は俺のままで何も変わっていない。琴夏がどうとか理由をつけて、本心は俺が嫌がられて傷つきたくなかっただけ。


「私はね、マナくんのことが好きだった」


 琴夏が歩み寄ってくる。切な気な表情で。


「でもね、マナくんから好かれてないんだって思ってスゴくショックだった。それを、部活で相談してたら真摯になって聞いてくれてね……ああ、この人なら私を本気で好きでいてくれるんじゃないかって思ったの。結局、長続きはしなかったけど」


 自分のために自分を守った結果、浮気――と言うよりも、浮気まがいなことをされた。……はは、馬鹿みてー。馬鹿みたい、だけど、当然の結果だと思った。全部自分が招いた結果なのだから。聞きたくない話しでも耳を閉じる権利さえなかった。


「あの人とキスしても全然嬉しくなかった。手を繋いでも楽しいと思わなかった。あの人だけじゃない。今まで付き合ってきた人、みんなとそういうことしても幸せじゃなかった。やっぱり、好きって気持ちがないとダメなんだよ。寂しさを埋めるだけの関係じゃダメなんだよ」


 世界が激しく回っている気がする。

 ぐるぐるぐるぐる気持ちが悪い。

 琴夏の声が俺を進んじゃいけない方へと連れていく。


「だからね、マナくん。マナくんが私のことまだ好きでいてくれるなら私とやりなおそ。今度こそ、幸せになれるから」


 琴夏がすっと手を差し出してくる。


 ああ、この手を掴めば琴夏と元の関係に戻れる。今までずっと抱えてきたことが報われる。


 悪魔が囁きかけてその手を掴みそうになった時、心の中で真理音の声が聞こえたような気がした。名前を呼ばれて動きが止まる。この手を掴むなと、引っ込める。

 そして、それは現実に起こった。聞き慣れた、それでいて、今まで聞いたことのない彼女の声が教室に響き渡った。


「いい加減にしてください!」


 真理音だった。どうして真理音がここにいるのかは分からないが酷く怒っていることが声から分かった。


「さっきから、ずっと聞いていました。あなたは自分勝手過ぎます。どうして、真人くんのことを考えないんですか!」


 琴夏も真理音の登場に驚いたのか少し固まっていたが、すぐに口を開き出す。


「考えてるよ。考えてるからもう一度やりなおそうって言ってるんだよ。今度こそ幸せになるために」


「あなたは真人くんのことを考えてなんていません。所詮は、自分のことしか考えていません。本気で真人くんのことを考えているなら浮気したことを真人くんだけのせいになんかしないはずです」


 真理音は啖呵を切るように丁寧でありながら、強い口調で言い放つ。


「……だって、いつまで経ってもマナくんは私に何もしてくれないから」


「そこが間違っています。真人くんのことをよく見ていれば分かるはずです。真人くんがどれだけ優しい人なのか。何もしてくれないのはそれだけ思いやってくれていることの証拠だと」


「……そんなの分からないよ。言ってくれなきゃ分からない」


「確かに、真人くんは口足らずです。真人くんが素直に気持ちを話しておけばお二人はこんなことになっていなかったはず。でも、あなたもそうだったんじゃないですか?」


 的を射抜かれたように琴夏は口を閉じた。


「あなたは真人くんが分からなかったのではなく、分かろうとしなかっただけです」


 真理音は優しいから、俺にはそれを言ってこない。でも。きっと、それは俺にも向けられている。

 琴夏に浮気されたとばかり思い、勝手に悪者にして自分を悲劇のヒロインみたいにしていた。最低な俺にも向けられた言葉なんだ。


「……じゃあ、そういうあなたはマナくんのこと全部分かってるって言うの?」


 琴夏の怒った声を初めて耳にした。もし、一度でもケンカしてもっと自分の気持ちを素直に言えていたら変わっていたのだろうか。拗れることなく、今もずっと真理音じゃなくて琴夏が隣にいたのだろうか。


「私にも残念ながら真人くんのことを全部は分かりません」


「なら、私と一緒だよ!」


「一緒にはしないでください。少なくとも、私は真人くんがどういう人なのかあなたよりも知っています。どれだけ優しくて思いやりがあって……そして、どれだけあなたを好きだっ――好きなのか、知っていますから」


「……なのに、マナくんと一緒にいるの?」


「はい。私は真人くんがあなたに向ける気持ちよりも強く彼を好きですから。もちろん、あなたが向ける気持ちよりもです」


 そう言われて顔を上げると真理音の背中がとても大きなものに見えた。

 そうだ。もう、隣には琴夏じゃなくて真理音なんだ。こんな俺から返事をもらうためにずっと待ってくれている真理音なんだ。自分に気持ちを向けられていないと知りながらも待ち続けてくれている真理音しかあり得ないんだ。


 振り返った真理音が腕を掴んで立ち上がらせる。


「だから、真人くんを譲る気なんて誰にもありません」


 強く言い切った真理音に琴夏は何も言わなかった。


「さ、行きましょう」


 俺はふたりが言い争っている間も真理音に手を引かれる今も何も言えず、何かが抜けた抜け殻のようにされるがままだった。

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