第90話 夏の終わり

「また来てね、真理音ちゃん」


「はい。今度はお客として来たいです」


「ふふ、別の意味で来てくれても構わないからね?」


 母さんが何を言っているのかは分からなかったが赤くなった真理音を見る限り、詳しくは聞かない方がいいのだろう。


 こうして、真理音との小旅行を兼ねた帰省が幕を閉じた。



「真人くんのお母様とお父様はお料理が上手なのに真人くんは下手ってどうしてなんでしょう?」


 帰りの電車内で片頬に指を当てながら不思議そうに真理音が呟いた。


「そりゃ、センスがないからじゃないか? 何回か挑戦させられた時もすっごい顔されたし。その割にはひとり暮らしを決めた時に無駄に心配された」


「お母様の気持ちがなんだか分かるような気がします。真人くんは誰かがちゃんと見ていないと不安です」


「今は真理音がいるんだから大丈夫だろ。夏休みももう終わるけど、変わらず見ててくれると助かる」


「ふふ、当然ですよ。はぁ、こんなにも楽しかった夏休みは久しぶりでしたので終わってしまうと寂しいですね」


「そうだな……」


 車窓から見えるのどかな風景を眺める。

 もうすぐ夏休みも終わり秋学期が始まる。そうは言っても世間ではとっくに夏など終わりを迎え、秋へと突入している。大学生だけだろう。まだ、のんびりと夏を満喫しているのは。

 だからこそ、数日もすればまた忙しない日々が始まるのだと思うとこうしたのんびり夏休みが恋しくてたまらない。


 去年まではここまで思わなかったんだけどな……。


 そう思うのは楽しかったから。去年までのバイトと帰省だけのつまらない夏休みとは違っていたから。


 それもこれも、全部真理音のおかげ。彼女がいてくれたから夏休みがこんなにも楽しいものだと知ることが出来た。


「真理音。ありがとな」


「どうしたんですか?」


「いや、夏休みがこんなにも楽しいものって思えたからさ。去年までは楽だって思ってただけで楽しいとは思ってなかったから」


「私だって真人くんのおかげでとても楽しかったですよ。去年までも九々瑠ちゃんと過ごせて楽しかったですけど……どうしてもひとりで寂しかったですから」


「折角、向かいに住んでるんだしもっと早く仲良くなりたかったよ。そうすれば、一年早くこの楽しみを味わえてたのに」


「ふふ、真人くん随分とキャラが違いませんか?」


「そうか?」


「そうですよ」


「まあ、それは、真理音に変えられたからだろうな」


「私は嬉しいですよ。なんだか、輝いて見えます」


 普段から、輝いて見える真理音に言われるということは俺も少しは成長できたのだろうか。


「真人くんは何が一番楽しかったですか?」


「色々あって難しいな」


 花を見に行ったし、プールにも行った。短いけど、真理音と付き合いもした。花火をして、真理音の実家に泊まって、動物園に行って、カラオケにも行った。今は、泊まりにもきてもらって……本当に色々とありすぎた。


「私は断トツで動物園デートですね。それ以外ももちろん楽しかったですけど……あの日を忘れることはないと思います」


 あの日は、真理音のことを今まで以上に考えて行動した。だから、そう言ってもらえたとなると胸が温かくなる。


「真人くんが猿の真似を始めた時はどうしたのかと思って心配になりましたよ」


 思い出したのかクスクスと笑う真理音。


「うっ……あれは、一緒にいた真理音にも恥ずかしい思いさせたよな。悪い」


「でも、あれも私のためにやってくれたんだと思うと嬉しいですよ」


 それすらも知られていると余計に恥ずかしい。本当に俺はさりげなく、というのが出来ない。


「ほんと、色々とあったな」


「そうですね……来年もまたこういう楽しい夏休みが過ごせるといいですね。一緒に」


 真理音の中で、来年も俺と一緒にいてくれることが決まっていることが嬉しかった。


「大丈夫だろ。花火も見に行くし、そもそも、俺は楽しいと思えたことを簡単に手放そうとはしないからな」


 だからこそ、来年の今には真理音とちゃんと恋人という形になって過ごせるようになっていたい。


「真人くんの隣に座ってもいいですか?」


「どうぞ」


 向い合わせで座っていた状態から、真理音が隣に移動してくる。


「大学にもこういうふたり席があるといいと思いませんか?」


「あっても斑目にスッゲェ睨まれた挙げ句、何をされるか分からないから気が引ける」


「九々瑠ちゃんは良い子ですよ?」


「それは、知ってる。でも、真理音への嫉妬で八つ裂きにされたらたまらん」


「私が講義の度に真人くんと九々瑠ちゃんの隣を移動すれば大丈夫じゃないですか?」


 そうなった時を想像すると少し面白い。


 すると、こてんと真理音が肩にもたれかかってくる。


「ど、どうしたんだ?」


 肩が震えないように気をつけながら目だけを配らせる。真理音は目を閉じながらじっと動かない。


「眠たくなったので……」


「……昨日、早く寝ないから」


「誰のせいだと思ってるんですか」


「俺のせいなのか?」


「そうですよ。真人くんがき、綺麗とか言うから寝るに寝れなかったんです。なのに、真人くんはすぐに気持ち良さそうに寝てしまうし不公平です」


「だって、おやすみとか言うから……」


 そう言うと真理音は体勢を変えた。両手には握り拳を作られている。ポカポカと叩かれるのだろうか。


「あ、あれは……真人くんを見れなかったからで。と、とにかく。真人くんは肩を差し出してくれたらいいんです」


 叩かれることはなかったが拗ねてしまったようだ。


「分かったよ。着いたら起こすから寝とけ」


 機嫌を良くしてもらうためにも肩を差し出すと、


「はい」


 と、拗ねていたことが嘘だったように、元気良く返事をしてぴたっとくっついてきた。そして、すぐに小さな可愛らしい寝息を立てる。


 本当に俺のこと好きすぎるだろ……。


 気持ち良さそうに眠る真理音の頬に触れたくなって人差し指を軽く押す。ぷにぷにとする度に真理音は「んん……」と声を漏らす。可愛らしい。


「来年も……ううん、これからもよろしくな」


 そう囁くと真理音は寝たまま、


「まかせて、ください……」


 と答えた。


 真理音の口をじっと見ていると頬にキスされた時のことを思い出す。あれは、不意打ち過ぎて一瞬反応出来なかった。


 ……柔らかかったんだよな、唇。口と口ですればどうなってしまうんだろう。


 そういう興味はある。でも、流石に寝ている時に興味だけでするのも間違っている。邪な考えを消してもう一度真理音を見た。


 いったい、どんな夢を見ているのだろう。とても、幸せそうにしている。


 真理音を見ているだけでこっちまで幸せな気持ちになる。


 そんな幸せを崩さないためにも駅に着くまでひたすら身体を動かさないでじっと堪え続けた。

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