第81話 沢山の愛に報いる少しづつの出来ること

「もう、すっかり夕方ですね」


 時刻は夕方。と言っても九月の夕方はまだ明るい。

 俺は橙色に輝く夕日に早く沈めと思った。


「満喫しましたし、そろそろ帰りますか?」


「いや、俺はもう少しここにいたい」


「でも、何をしますか?」


「そうだな……」


 ご飯も食べたし、お土産も買った。もう帰ってもいい頃だ。でも、俺の本当の目的まではまだ少し時間がかかる。


「し、しりとりでもするか」


「真人くん……」


「いや、すまん忘れてくれ。真理音が帰りたいなら帰ろう。無理に付き合ってくれる必要はない」


「リンゴ」


「え?」


「だから、リンゴ、です」


「いいのか?」


「はい。真人くんがああ言うってことは何かあるんだと思いますし……私は真人くんと一緒なら何をしていても楽しいですから」


「……ありがとな。じゃあ、ゴリラ」


「鉄板できましたね。では、ラッパで」


「真理音だって鉄板じゃないか。パンダ」


 この年にもなってしりとりなんて馬鹿げてる。それでも、真理音は付き合ってくれる。きっと、真理音以外の女の子ならつまらないと言われて帰られる所だ。

 真理音に感謝しつつ、目的の時間がくるまで待ち続けた。


 少し早めに移動して、真理音をある場所へと連れていく。


「真人くん、もしかして……」


「そう。最後に観覧車に乗りたかったんだ」


 着いたのは、動物園のすぐ近くに置いてある観覧車の前。何故、観覧車だけが置かれているのかは知らないがここで真理音に見せたい景色があったのだ。


「で、では、今すぐ乗りましょう!」


「まだ、もう少し待ってくれ。もう少しで――今だ」


 その瞬間、一つ一つのゴンドラに光が灯り始める。

 完全に沈んでくれた夕日のおかげでその光が何を表しているかは真理音にも分かるだろう。


「ま、真人くん……あれって、もしかして」


「そう。全部、何かしらの動物だ」


 動物の形に繋がり合った豆電球が輝き、まるでその動物達がゆっくりと空中を駆けているように錯覚できる光景。


「これを、真理音に見せたかったんだ」


 真理音に何かしてあげられないかと考えていた時、たまたまネットの情報でコレを見つけた。期間限定のコレを見たら少しは元気になってくれるだろう思ったのだ。


「す、凄いです……凄く、幻想的で綺麗で」


「一時間限定らしいから乗りにいこう」


「はい」


 ゴンドラの中でも真理音はうっとりとしっぱなしだった。窓ガラスに手をつきながら外の景色を眺めている姿には少し笑ってしまいそうになる。


「ちょっとは気分転換になったか?」


 そう聞くと向かい合う形になって真理音は満足気に笑った。


 よかった。でも、俺にはまだ真理音に伝えたいことがある。


「……俺には真理音とお父さんとの関係をどうにか出来るような大きいことは出来ない」


「真人くん……」


「それどころか、大したこともほとんど出来ないやつなんだ」


「そんなことないです。あの時も今も真人くんは私のために頑張ってくれました。それだけで、私はとても救われています」


「けど、物足りないんだ。真理音は俺に言葉では言えない沢山のものをくれてる。でも、俺は全然返せてない。真理音のために何かしたいって思うんだ。だから――」


 胸ポケットから小さな袋を取り出し真理音に差し出した。


「これ、受け取ってくれないか?」


 受け取った真理音は袋を開けて、中から出てきたものを見ては俺の方を見る行為を数回繰り返した。

 そして、ようやく声を絞り出したように震えながら確認のために首を傾げた。本当にいいんですか、と言いながら。


「今の俺に大したことは出来ない……でも、真理音の話を聞くことくらいは出来る。楽しいこと、悲しいこと。嬉しいこと、辛いこと。全部、真理音が言いたくなった時にすぐ直接聞けるようになりたいんだ。だから、合鍵、受け取ってくれないか?」


「……も、もしかしたら、夜遅くにも朝早くにも真人くんに会いたくて勝手に家に侵入しちゃうかもしれませんよ?」


「常識的な範囲でなら」


「常識と非常識はちゃんと考えます。……でも、どうしてもという時は――」


「そん時は迷わず甘えてくれたらいい。俺に遠慮なんかするな」


 俺は託されたんだ。真理音のことを。


 真理音に元気がない時、いつも頭の片隅には彼女を一瞬で元気にはさせてあげられる言葉が存在していた。でも、多分その選択は間違っていると思った。何より、ソレをその場しのぎのためなんかで言いたくなかった。


「真人くん!」


 ゴンドラが大きく揺れて、首の後ろに真理音の腕が回される。彼女は俺に抱きつきながらそのまま動かなくなった。


「……ぎゅっとしてください」


 言われるがまま、真理音の背中に腕を回して彼女を抱き寄せる。彼女の確かな温もりと静かに流れ落ちる涙が一際身近に感じた。


「……今日はずっとお父さんのことを忘れていました。全部、真人くんのおかげです。それなのに、最後にはこんな素敵なプレゼントまで頂いて罰が下ったりしませんかね?」


「そんなことあるわけないだろ。真理音は今まで頑張ってきたんだ。だから、大丈夫」


 離れようとごそごそ動く真理音の背中から腕を退けると距離をとられる。俯いたまま、動かない。


「よく、頑張ったな」


 そんな、真理音の頭に手を置くと彼女は顔を上げてぎこちなく笑った。

 その笑顔はこの前、真理音の家で見た家族写真の中にいた本当の彼女のものだった。


 やっぱり、真理音は笑っている時が一番素敵だ。明るい笑顔もこうやってぎこちなく笑っている時もずっと見ていたくなるような気持ちになる。


「あの、真人くん。コレ、ずっと大切にします。肌身離さず、ずっと持っています。絶対に失くしたりしないです」


「そのままだと寂しいからちょっと貸してくれ」


 鍵を渡してもらい、穴の部分にさっき真理音には内緒で買っておいたストラップをくくりつける。もちろん、ウサギの形をした。


「はい、これでいい」


「ありがとうございます」


 胸の前でしっかりと鍵を握りながら笑う真理音。観覧車も終わりに近づき、外の光が射し込みとても美しく目に届いた。


 その笑顔を見ているだけで思わず腕を伸ばしそうになるのを堪えた。今はそんなことしなくていい。ただ、彼女の笑顔を見ているだけで――。


 ふっと頭の中に声が響いた気がした。


『よくやった!』


 この前、俺を真理音へと導いてくれた声。

 短いけれど、それが託してよかったと言ってくれているように思えた。勝手で都合のいい解釈だとしてもそう思った。


 きっと、この選択で間違いはなかった。

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