幕間

第33話 閑話 その恋はとっくの昔に始まっている

 二条真理音が星宮真人に恋をしたのは高校一年生の時だった。


 その日、真理音は大切な絵を失くした。

 放課後になり、その絵が手元から消えていることに気づいた真理音は友達である斑目九々瑠と共に血眼になって探していた。

 しかし、学校のどこを探しても見つかることはなかった。


 所詮はただの紙切れだと言い聞かせ、九々瑠を心配させまいと泣くことを我慢して諦めることにした。


 それから、数日が経った日のことだった。

 九々瑠の委員会が終わるのを教室で待っていた真理音は目を丸くした。それは、失くしたはずの絵が戻ってきたからだった。

 いや、絵が戻ってきたからというより、絵を持ってきてくれた相手に驚いていた、という方が正しいだろう。


 真理音が失くしたはずの絵を持ってきてくれた相手こそが真人だった。


 これまで、クラスメートでありながら接点のなかった真人がどうして大切な絵を持っているのか。そんな疑問が真理音の頭に浮かぶ。


「これ、お前のだよな?」


 日頃から、話す相手が九々瑠しかいない真理音は上手く答えることが出来ず頷くことしか出来なかった。


「ごめんな、アイツら止められなくて」


 高校生になっても、自分が陰でどう言われているのかを真理音は分かっていた。だからこそ、今回のこともクラスの男子がイタズラでやったことくらいは予測がついていた。戻ってくるとは思ってもいなかったが。


「くっつけてみたけどこんなに汚くなっちまった」


 真人の言う通り、真理音の絵には沢山のテープが事細かに貼られていた。それは、ビリビリに破かれた紙を一枚の紙に修復しようと試みた形跡でもあった。


 真人が頑張ってくれたこと。

 そのことが真理音には堪らなく嬉しく感じた。


 普段から、男子は怖い存在。そう思ってきた真理音が真人のことは怖くない優しい男の子だと思えた。


「あ、りが、とう」


 胸が熱くなり、どうしてもそれだけは伝えたかった。


「別に、礼言われることなんてしてないし」


 真人はそっぽを向きながらぶっきらぼうに答える。そんな、彼の頬が僅かながらに赤く染まっているのを真理音は見逃さなかった。


「じゃあ、俺は帰るから。……あ、そうだ」


 教室を出ていく真人は何かを思い出したかのようにドアの手前で立ち止まり、真理音の方を振り返る。


「絵、描くの好きなんだな。凄い上手いからびっくりした。バイバイ」


 たったそれだけ。たったそれだけの言葉。けど、あまり褒められ慣れていない真理音にはそれが何よりも嬉しい言葉であり、優しくかけられた言葉だけで恋に落ちるには十分だった。


「バイ、バイ……」


 真人はいなかったが真理音は呟いた。

 胸が熱くなり、頬もさっきの真人よりも赤く染まっていた。


 それからというもの真理音は真人のことを目で追うようになった。どこにいても、真人がいないかを探してしまう。真人に会えるかもと思うと学校へいくのも楽しくなった。


 真理音の想いを聞いた九々瑠も協力して、真人と話せる機会を作ろうとしてくれたが、引っ込み思案な性格から話しかけることは出来なかった。


 話せなくてもいい。この恋は実らなくていい。片想いのまま終わっていい。そう思いながら時が流れた。


 三年生になり、今後の進路を決める時がやってきた。やりたいこともなく、どうすればいいのか分からなかった真理音はとりあえず大学へ進学することを選んだ。

 どうせなら、九々瑠が行く大学についていこう。そんな、理由だった。だが、偶然にも真人も同じ大学に進学することを決めていたことを九々瑠を通して知った。


 嬉しい……まだ、四年は星宮くんのことを眺めていられる。そう思うだけで真理音は辛い日々を乗り越えられた。


 そして、大学生になった。九々瑠と過ごしながら真人のことを見ていて、あることに気づいた。それは、真人がいつもひとりでいることだ。高校では常に誰かといた真人が大学ではひとり。きっと、それはあることが原因なのだろう。

 それは、分かっていた。だが、分かったところで真理音にはどうすることも出来なかった。ただ、見つめていることしか。


 そんなある日、真理音は真人がお向かいさんだということを知った。九々瑠に協力してもらい、選んだマンションで起きたまさかの奇跡だった。


 それでも、真人に声をかけるまでの一歩を踏み出すことは出来なかった。


 今更、私のことなど覚えていないだろう。

 そう考えると話しかけることが怖かったのだ。


 時間が流れ、一年が終わろうとしている時、来年のゼミで真人と一緒のことを知った。


 ここまで、偶然が重なるのはもう神様からの最後のチャンスだと思った。頑張ろう。頑張って変わろう。真人とどうなるかは分からないけど、話せるようになりたい。そう決意して、真理音は以前から九々瑠に言われていたように髪を伸ばした。


 どうせなら、うんと変わった自分で真人に出会いたい。ただそれだけの思いで真理音は努力し続けた。そして、自分でも思ってもいなかったくらいに変わることが出来た。


 後は、頑張って声をかけるだけ。


 緊張のし過ぎではち切れそうになるほどの鼓動のまま、あの日、タイミングを見計らって真理音は一歩を踏み出したのだ。




 遊園地から帰ってきた日の夜、真理音は真人から貰ったマナトぬいぐるみを抱きしめながらベッドの上でペタンと座っていた。


 真人に言ったことを思い返せば身体が熱くなる。


「ううっ……変に思われてないですよね?」


 真人が相手だと、どうしても気持ちが高ぶってしまいついつい積極的になってしまう。

 どうしてそうなってしまうのか。

 その疑問の答えを真理音は知っている。恋だ。あの日からずっと、真人に恋をしているからだ。


「好きです、真人くん……ずっとずっと好きなんです……」


 呟いてもマナトが返事をくれる訳ではない。でも、言わざるを得なかった。ふと気を抜けば、本人に言ってしまう言葉をひとりの時に放出し、本人の前では決して言わないようにしなければならないから。


 真人が誰と付き合っていたかも、どうして別れたかも知っている。だから、真人に想いを告げることはしない。さもないと今の関係を壊してしまうことになるから。


「だから、言わないって決めていたのに……私はこのまま、真人くんとただ一緒にいられるだけでよかったのに……」


 でも、悔しかった。遊園地で真理音といるのに元カノのことを考えられて悔しかったのだ。

 だから、言ってしまった。

 ちゃんと、真人に届いているかは分からない。でも、心の奥底にある振り向いてほしいという想いを伝えてしまった。


「好きだから辛い、とは本当のことです」


 好きだから真人と幸せになれるならなりたい。でも、好きだからこそ真人のことを思えば簡単に告白することも出来ない。それは、きっと真人のことを苦しめることだから。


「だから、私はこれからも真人くんにグイグイ近づきます。言った通り、真人くんの胸の中を私でいっぱいにしてみせます。元カノさんなんか、忘れさせてみせます。そして、好きになってもらえるよう努力します」


 幸い、一緒にいられる条件は揃っている。

 真人は真理音が同じ高校にいたことに気づいていない。二条真理音という存在と大学で初めて出会ったと思っている。


 覚えられていないことは悲しい。でも、そのおかげで気兼ねなく行動出来る。

 ならば、後は猛烈にアタックすればいいだけ。


「マンガにも書いてありました。恋は押して押して押すことが肝心だと」


 真理音はマナトぬいぐるみを持ち上げると向かい合った。


「覚悟、しといてくださいよ。真人くん。これからも、私はグイグイいきますからね」


 言いきると真理音はベッドに倒れ込んだ。

 そして、マナトぬいぐるみを抱きしめたまま眠りについた。これからの真人に対する力を蓄えるために。


 これは、とっくの昔から始まっている真理音の恋を叶える物語である。

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