第9話 寂しがりがデコピンをしてきた。だから、可愛いと言った。すると、真っ赤になって逃げてった

 二条さんがお向かいさん、という衝撃の事実を知ってから二日経った月曜日。土日の間、二条さんのことだから「ひとりでいるのは寂しいです~」とか言って休日を邪魔しにくるんじゃないかと思ったが、拍子抜けするくらい平和だった。


 二条さん、なんかあったのか……って、違うだろ。それが、普通だろ。普通、お向かいさんだからって休日を一緒に過ごしたりしないんだから。


 平常になれ、星宮真人。お前はひとりでいることをなんとも思わない強い孤人。これまでも他人の心配なんてしてこなかっただろ。


 自分にそう言い聞かせ、いつものようにカップルを見て癒されようと周囲を見渡し始めた時だった。


「星宮くん」


 二条さんの声が聞こえ、案の定隣に二条さんが立っていた。

 顔を向けると優しく微笑む二条さん。

 その笑顔を見て、ほんの少し心が和らいだような感覚に陥った。だが、そんなことを悟られたくなくて俺は平常を装る。


「どした?」


「金曜日のお礼をと思いまして。お付き合いしてくれてありがとうございました」


 ペコリと綺麗に頭を下げる二条さん。


「いいよ、そんなことでいちいちお礼なんて言わなくて」


「でも、感謝してるので」


「律儀だなぁ」


「感謝しているならそれを伝えることが当然ですよ」


「あっそ。で、今日は何?」


「何、とは?」


 分からない、という風に首を傾げる二条さん。


「いや、声かけてきたらどうしたのかな~って」


「お礼を言いにきただけですよ?」


 さぞかし当然だという風に答える二条さんに拍子抜けしてしまった。そして、てっきり何か用があると思い込んでいた自分が急激に恥ずかしくなった。


「あ、もしかして、ひとりが寂しくなったから一緒にいてほしいんですか?」


「いや、ぜんぜん。俺は強い人間だからひとりとかぜんぜん寂しくないし」


「む……私のこと馬鹿にしましたか?」


「馬鹿にはしてない。小さい子どもみたいなハートしてるなとは思ってるけど」


「ふん。そんなこと言う星宮くんにはこうです」


「イテッ。何すんだよ」


「小さい子どもの反撃です。えい!」


 二条さんは俺のデコに二度目のデコピンを繰り出してきた。その行動が余計に子どもっぽいことに気付いていないのだろうか。


「反省しましたか?」


「反省するもなにも俺、悪くないし」


「む。悪い子ですね」


「つーかさ。周り、気にしようよ」


 俺は既に気付いていた。二条さんが喜びながらデコピンをし始めた辺りから俺達を見る目が好奇なものに変わっているのを。

 大勢の人が見ている訳ではないが近くにいる人は何事かと注目してきている。


「今の二条さん。この前、自分で言ってたことまんま自分でやってるからな」


 すると、途端に意識し始めたのか二条さんは真っ赤になって俯きだした。もじもじと指を忙しなく動かし、何やら混乱している様子だ。


 そんな二条さんを撃退するために俺はあの言葉を口にした。


「あーあー、二条さんは本当に可愛いなぁ」


 可愛い、と言われビクッと肩を震わせる二条さん。


「可愛い二条さん。どうしたのかな?」


 挑発するように言うとキッと涙目になりながら睨んできた。ぜんぜん怖くないけど。


「ん?」


 余裕ぶって問いかけると二条さんは悔しそうに「ううっ」と呟いた。そして、「友達の所へ戻ります。星宮くんの意地悪っ」と負け惜しみらしきのを残して去っていた。


「ばいばーい」


 小走りで去っていく二条さんに手を振りながら前を向く。ふっふっふ。俺にデコピンなんてするからこうなったんだ。反省したまえ。ん?


 と、ここでようやくあることに気付いた。数人の男子生徒の目が好奇なものから睨みに変わっていることに。きっと、二条さんにあんな仕打ちをしたせいで怒っているのだろう。何てったって、二条さんは可愛いんだからな。見てるだけなら、俺が悪人に見えて仕方ないのだろう。納得いかないけど。


 ほんと、二条さんと関わると面倒なことばかりだ。でも、少しだけ楽しいと思ってしまう自分がいるのも確かだ。


 後でからかい過ぎたお詫びにジュースでも奢っておこう。



 ◆◆◆◆


 はぁ。今日は惨敗した気がします。


 真理音はエレベーターの中でため息をついた。真人にからかわれ、真っ赤になったのを友達に慰めてもらうと少しだけ落ち着きを取り戻した。そして、冷静になると今度は真人に対する怒りが沸々と出てきたのだ。

 ただ、それは本気で怒っている訳ではなく。むしろ、怒りと言うよりももっと話していたかったのに、という後悔からくる八つ当たりのようなものだった。


 どうして彼はああも意地悪なのだろう?

 本当は優しいはずなのに。


 エレベーターを出て、真理音は家の前で振り返った。振り返った先にあるのは真人が住んでいる家。つまり、真理音にとってのお向かいさんとなる。


 きっと、もうあの中で私の知らないことをして過ごしているんですよね。文句という名前をつけてもう少し話そうと思い、探してみたけどどこにもいませんでしたし。


 もう少し話したいのならお向かいさんですし、会いに行けばいいのですけど流石にそれは迷惑ですよね。ほどほどで、と言われていますし。何より、男の方の家にほいほいと行ってしまう軽い女と思われたくないですし。

 彼は信用出来る方なのでそんなことないと思いますけど……もし、間違いがあってしまうと……。


 真理音の頭の中にもやもやとした霧状態からはっきりと幻影になって浮かび上がる真人に抱きしめられている自分の姿。


「……って、私は何を考えて!」


 熱くなってしまった頬を手で扇ぎながら前を向き直す真理音。破廉恥なことを勝手に想像してしまったと後悔した。


「はぁ……ん?」


 カバンから鍵を取り出して扉を開けようとした時、あることに気付いた。扉の取っ手に袋がかけられていたのだ。中にはジュースと紙切れが一枚入っていた。


「からかい過ぎたお詫び。悪かった……ですか」


 真人らしいぶっきらぼうな淡々とした言葉。きっと、これを書くのも嫌々仕方なく書いたのだろう。その姿が真理音の目には浮かび、思わず笑ってしまった。


「ふふ、怒っていませんよ」


 真理音はもう一度、彼の家を見る。もちろん、真人は出てこない。だが、突然な出来事に今日の所はこれで満足だった。


「これは、大切に頂きますね」


 そう呟き、真理音は家の中に入った。

 この紙切れは大切にメモ帳に挟んでおこうと決めた。


 だって、仲良くなりたい彼との思い出をなくしたくありませんから。

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