ラスプーチン、頑張る

増田朋美

第一章

ラスプーチン、頑張る

第一章

その日、道子はなぜか涼さんを呼び出していた。

二人は、電話で話し合って、駅前の小さなカフェで、語り合うことにした。駅で待ち合わせして、涼さんを誘導するように、中に入れる。そういう時に涼さんは、何も言わない人であったが、道子はまず初めに、涼さんに謝らなければならないと思った。

「ごめんなさいね、だまして呼び出したりして。でもどうしても、お尋ねしたいことがあって。其れで、どうしてもお礼がしたいなんて言って、呼び出したんです。」

まあ、頭を下げても、涼さんには見えないことは知っているが、涼さんは道子の顔は見ないものの、うんと頷いてくれた。

「いいえ、そういうこじつけを使って、呼び出す人は結構いますからね。まあ、よくあることという事で、気にしないでください。そういうことは、慣れてますから。」

そう言ってくれる涼さんは、本当にありがたい存在である。

「じゃあ、私の話を聞いてもらえないでしょうか。どうしても、お話したいことがありまして。」

道子がそういうと、

「あ、はいドウゾ、いいですよ。僕はそういう事が商売ですからね、いくらでも話してください。僕が

聞くことで、少しでも楽になることができたら、嬉しいことですから。」

と、涼はそういってくれた。道子は、ふっとため息をついて、よし、と口の中でいい、こう話を切り出した。

「ええ、あたし、あたしもしかして、人を殺してしまったかもしれないんです。なんの罪のない人を、殺してしまったんですよ。」

「殺した?つまり事件のなるようなことをしたという事ですか?」

道子の話に、涼は、そう聞き返した。道子は、

「あ、あの、事件になるようなことじゃありません。ですが、その患者さんの遺族の方から、人殺し!と罵られて、、、。」

「人殺しと罵られた?」

と、涼さんは聞き返した。

「ええ、患者さんの奥様からそう言われました。あたしは、別の患者さんを一生懸命診ていて、それをし過ぎちゃった、、、。」

ここまで道子は言って、泣き出した。どうもまだ順序立てて、話すという事ができないようだ。そこで、涼は、こうアドバイスした。

「わかりました。では、話をするために、三人称で話してみて下さい。こういう重い話を語るとき、私はという主語にしてしまうと、感情が混ざってしまって話にくくなるんです。だからそれを、三人称に変えるんですよ。私はではなく、彼女はとか、一人の女性がとか、そういう風に変えてください。つまり、小説のように語るのです。そのほうがより客観的に自分を語ることができますので、話しやすいと思います。」

「は、は、はい、えーと、まず、ある総合病院に、研究医がいました、その医師は、名前を小杉道子と言いました、、、。」

道子は、一寸頭をかじりながら、こういう話を始めた。


今日も道子は、医師として、病院に勤務していた。その日も、患者さんや、その家族、彼らや彼女たちを取り巻く看護師や、病院の斡旋をする医療コーディネーターのような人が、病院の中を歩き回っていた。

道子は、今日も患者さんの診察をしていた。道子が診療する科目は、膠原病内科。そういう訳であるから、普通の風邪なんかとは違い、結構高度な症状を出す患者さんが多いし、また医者としての責任も非常によく問われるので、慎重にやらなければならない診療科でもあった。

その日は、一人の中年の男性患者を診察していた。患者は、道子と顔を合わせると、いきなりこう切り出した。

「先生、新しい薬の実験台は、もうやめさせてもらえないでしょうか。」

「な、なにを言うの?やっと軌道に乗ってきたばっかりじゃないの!」

道子は何度このセリフを聞いたら、気が済むのだろうという顔をした。

「副作用が、つらいんだったら、適切な処置を取りますよ。あの、具体的にどのような副作用が出たのか、教えていただけませんか?」

「いや、そういう事じゃないんです。」

と、患者は言った。

「先生、わかってますよ。この病気にかかったらもう、助かる道何て、何もないんでしょう。そういう事なら、もう覚悟はできています。だから、あとはもう静かに、余生を過ごさせてもらえないでしょうか。そんな、新しい薬の実験台にさせられて、何が何だかどうなるかわからない、中途半端な時間を過ごすよりは、それよりは、なるべく安全な薬で、しずかに過ごさせてもらいたいんです。」

「ちょっと待ってよ。ご家族とか、其れについてどういってるの?だって、娘さんだって、まだ小さいと、おっしゃっていたじゃありませんか。其れを、考えないで、逝くのを速めるという訳ですか?娘さんだって、お父様が亡くなってしまうのは、悲しいんじゃないですか?」

道子は、急いでそういうと、

「そうですけどね。娘も妻も、もうあきらめてます。パパがくるしんで死ぬよりも、楽にしずかに終わってほしい、と娘は言いました。だから、新しい薬の実験台から外してもらえませんか。」

と言い張る患者。

「待ってよ。そんなこと言って、あなたはまた時間があるのよ。それを病気に盗られるよりも、出来る限り、ながくこっちに居たいと思わないの?あたらしい薬の実験台になれば、そういう可能性だってできるかも知れないのよ。そのほうが、うれしいと思わない?」

「先生、それは医療関係者がよくいうセリフですけど、僕はですね、長くこっちに居て、薬の何かに左右されて、くるしむようなさまを、娘に見せたくないんですよ。其れよりも、これは自然なことですから、仕方ないんだってことも教えていくことも、必要なんじゃないですか。まだやれる、まだやれるって、医者にそういわれながら、無理して生きていく姿を、娘に見せてしまうのは、いけないんじゃないかって、思うんですよね。だから、もう実験台は嫌になったんです。」

と、患者はそういうのだった。道子は、そういう患者さんに自分は負けてしまったような気がした。

「もう、実験台にするんだったら、もうちょっと高齢の患者さんにしてくれませんか、そのほうが、先生方も、実験しやすいのでは?」

と言われて、道子は、仕方ありませんね、それでは、薬をいつもの免疫抑制剤にしますね、と言って、処方箋を描き直すことになった。

次の患者は、やや高齢の男性だ。この男性だったら、話しやすいかなと道子は思っていた。男性は、よいしょと疲れた顔をして、患者椅子に座った。

「今日は調子はいかがですか?」

道子が言うと、

「ええ、先生、診察前にちょっとお願いがあるんですがね。わしを、新薬の実験台から、外してもらえないでしょうかね。」

と、彼もそういうことを言った。

「何でですか?」

「ええ、わしも、こんな重い病気になって、もう、無理だという事は知っていますから、もう、新しい薬を使って、なにかするという事はしたくないんですよ。昨日、女房と話をしましたが、もう息子たちも独立して、新しい家庭をもっていることだし。その息子たちに、こんな病気のおやじのことを、心配ばかりしているのでは、かえって息子たちは、しあわせになれないんじゃないかって。そういう訳ですから、わしの事はもう、普通の免疫抑制剤で結構です。それではどうしても、症状を改善できないと言っても、それはそれでいいです。わしを、しずかに死なせてくださいませ。」

道子は、先ほどの患者にも、今の患者にも同じことを言われて、みんななんでそういう風に、生きる希望というかそういうモノを、持っていないのか、がっくりとため息をついてしまった。

「皆さん、どうして、生きようという気がないのかな。」

と、道子はそういうと、

「先生、先生は医者だから、こんな病気、たいした事ないんでしょうね。でも、患者にとっては、人生一度しかないですから、そういう所から、あきらめることも必要なんですよ。先生。先生は、何度も患者さんを見ているから、そういう事になっちゃうんでしょうけど、患者にとってはね、こういう病気になるってことは、人生で一番危険な賭けと言えるかもしれない。普通の人は、そういう賭けを楽しめるほど、偉くはありませんって。」

と、患者さんに、そんなことを言われてしまう始末だ。あーあ、こうなったら、誰か、生きようとする患者さんを、探しに行けと言われているようなものだ。大体の人は、大きな賭けに出ると言われて、引き下がってしまう。

「そんなわけですから先生、普通の免疫抑制剤っていうんですか?それをだして下さい。もう、つらい人生は、歩きたくありません。よろしくお願いします。」

と、頭を下げる患者さんに、全く誰が、実験台になってくれるんだろうと、あーあ、とため息をつく。

「お願いしますよ、先生。わしらは、しずかに、死んでいけるのが一番いいんです。薬を飲まされて、病状がどうのこうのと、医者に観察されるのを、家族にみせびらかしたりしたら、家族だって落ち着かないでしょう。そういうことはわしらはしたくないんです。そうじゃなくて、自然に病気になって、その通りに悪化して、その通りに死んでいけるのが、一番いいんですよ。」

という患者さん。逆に道子のほうが、説教をされているようだ。

「道子先生。そういう事ですから、処方箋を書き直してください。」

そう言われて道子は、心の中で泣きながら、また処方箋を書き直した。

午前の診察が終わって、昼休み、食堂でお昼を食べている時である。

「道子先生。」

掃除のおばさんが、そんなことを言った。

「どうしたんですか、そんなに落ち込んで。」

「い、いやね、患者さんが相次いで、治験から外してくれというものだから。みんな、やる気がないのかなあと思ってさあ。」

と、道子は、あーあ溜息をつく。

「ま、しょうがないじゃないの。大体の人は、子どもも孫も、必要な人はみんな揃ってるんだし、その人たちに、自分がくるしんでいる姿なんか見せたくないって気持ちが生じてしまうのも、仕方ないんじゃないの。」

という掃除のおばちゃん。

「そうじゃなくて、自分が生きようという気にならないのかしらね。」

道子が言うと、

「だって道子先生。道子先生は、病気何ていろんな人の例を見ているんだから、それで慣れっこになっちゃってるのよ。もう、患者さんにとっては、こういう病気何て、もう絶望のどん底に突き落とされたようなものでしょう。そんな中で、道子先生が、ぶっきらぼうな顔して、この薬を試しているんだけど、実験してみないか何て言っても、ついていこうという気になれる?なれないわよ。道子先生は、熱心だけど、そういう所が、足りないのよ。わかる?」

と掃除のおばちゃんは、そういうのだった。

「足りないって具体的に何が足りないのよ。」

という道子に、おばちゃんは、

「ほらほら、具体的にとかそういうことを言わない。具体的なことなんて、ほんの一握りよ。ほとんどのものは、実態がないんだから。」

と言って笑うのだった。

「なんでそう肝心なことを、うやむやにするかなあ。」

「だってそうだもん。そういうものよ。医療なんてそういうもんだって、どこかの偉い人が、そういう事を言ってました。」

と、いう掃除のおばちゃん。

「ちょっと、ずるいわ!ちゃんと答えを言って。」

道子がちょっと語勢を強くして言うと、

「そうだなあ、先ず第一歩として、患者さんに笑顔を見せることから始めてみては?」

と、おばちゃんは言った。

「道子先生。医者はね、椅子に座って診察して、薬を出していればいいかっていうもんじゃないんですよ。笑顔を見せるっていう、基本的な態度が、患者さんを安心させてやれるという事もあるのよ。」

「はああ、そうですかあ。」

道子は、また大きなため息をついた。

「頑張ってね。」

と、おばちゃんは、道子の肩をたたいて、掃除を再開する。道子は、もう、どいつもこいつも!と思いながら、食事を食べ始めた。


「そうですか、それが、人を殺してしまったという事ですか?」

と、涼が聞くと、

「違います。ここで、大きな事件が起こったんです。この病院の名誉にかかわるような、大きな事件です。」

と、道子は答えた。

「大きな事件?それはどんな事件でしょう。」

涼が聞くと、

「ええ、こういう事なんです。」

道子はまた話し始めた。


お昼を食べてから、道子が診察室に戻ろうとしたところ、

「道子先生!急患が運ばれて来ました!すぐに来てください!」

と、看護師が救急入り口から走ってきた。道子は、急いでコーヒーを飲み込んで、はいはいと救急入り口へ行く。

「患者さんは、どんな人?」

と看護師に尋ねると、

「ええ、何でも、山下哲夫さんという方で。」

「山下哲夫?」

どこかで聞いたことがある名前だった。ただ其れは、実際の人物であるかという、確証がなかった。

「山下哲夫ってさ、確か、テレビに出てたよね?あの、もしかして同姓同名?漢字が違うとか?ちょっと待って。」

道子はそういうことを言うと、

「先生が自分で確かめてみれば!」

と、看護師はちょっと強く言った。

とりあえず、道子は、救急入り口に行って、隊員が運んできた男性を確認した。

「あ、先生、患者は山下哲夫さん。あの、有名な映画俳優です。何でも、今日もテレビドラマの撮影があったそうなんですが、楽屋の中で、急に咳き込んで倒れたという事です。」

と、いう事は、間違いなく、この男性は山下哲夫なのだ。確か山下哲夫って、本名で活動していたんだった。実は、道子も彼の出演していたテレビドラマとか、見ていたことがあった。ひそかに、あの俳優はいいなあと思っていたのだが、まあ、今はそういうことを言ってはいけない。今は医者として、使命を全うしなくちゃ。道子はそう考えなおした。

山下の検査は手っ取り早く終わった。採血やら、レントゲンやらそういうことをやった結果、思ったよりかなり重度であることが分かった。先ず初めに、誰が担当医になるかという話し合いがもたれたが、

他の医師たちは立候補に躊躇した。というのは、山下が著名人であるゆえに、失敗したら許されないという、重度な責任を負わされることになるからである。院長は、大学病院から、有能な医師を連れてこようかと考えているらしい。確認するように、院長は、再度、誰か担当医になってもらえないかといった。他の医師たちが、無理ですよ、とぶつぶつ呟いていると、

「はい、あたしがなります!」

と、道子は張り切っていった。他の医師たちは、小杉先生は、まだ経験が浅いんじゃないの、なんて嫌味をいってきたが、かといって、自分が立候補という事はしない。まあ、大方、一般的に生きている人間なんてそういうものだけど。

「それでは、小杉先生、山下哲夫さんの担当医になってもらえますかな?」

と、院長先生が言った。

「はい!自信はありませんが、精いっぱい山下さんの治療にあたらせていただきます!」

道子は、そういった。院長は、彼女の意思の強さを信じてみますと言い、道子を担当医に指名した。

他の医師たちは、あんな若い女が、あれだけ著名な俳優の担当医になれるもんかと、陰口をたたいたが、道子はそれをばねにしてしまおうと思った。もし、彼の治療に専念することができたら、医師として、地位も名誉も手に入れられるかも知れない!

とりあえず、有名になるための第一歩を、自分は踏み出したことになった。

道子が、ほかの医者の陰口を背にして、会議室を出て行った直後、看護師が、小杉先生、と、彼女を呼び止める。

「今、連絡がありました。山下さんの意識が戻ったそうです。」

道子は、急いで、自己紹介するため、山下さんのいる病室へ直行していく。

「こんにちは。」

山下さんは、男としては比較的小柄な方なのだが、其れでも映画俳優というだけあって、随分整った端正な顔立ちをしていた。歳はまだ30代だと聞いている。そんな若さで、ここまで重度の病気になるのか、と道子はかわいそうな気持ちがしたが、なったものはしょうがない。そういう人はいないわけではない。

「山下さん。」

と、道子は山下に語り掛けた。礼儀正しい山下は、すぐに起き上がろうと試みたが、

「ええ、そのままで結構です。何よりも安静にしているのが、患者さんの務めですよ。」

と、道子はにこやかに言った。

「今日から、担当医になりました。小杉道子です。よろしくお願いします。」

と言って、道子は軽くお辞儀をした。山下も、もし立つことができていたら、それではすぐに、お辞儀をし直すような仕草をした。

「ああ、無理しなくて結構です。頼りない医師ではありますけれども、精一杯治療にあたらせていただきますから。どうぞよろしく。」

と、道子は、そうする山下さんを制止した。山下さんは、一寸何か不安そうな顔をしてみている。

「あら、どうしたんですか。何をそんなに不安になっているんです?」

道子が聞くと、

「いや、一寸。もう少し、お年を召していらっしゃるのかと。」

と、答える山下さん。道子はちょっと嫌な気もしたが、患者さんになれば、一寸の事で不安になるだろうなと思って、そのままにしておいた。

「じゃあ、これからの治療方針についてですが。」

と、道子は話はじめる。山下さんは、それを真剣に聞いていた。それを、道子は、必ず、やり遂げてみせるという気持ちと同時に、何だかこの人の担当になれてうれしいなあと思うのだった。


「そうですか。急に、そういう事が舞い込んできたんですか。」

と、涼が、もう一度それを確認するように言う。

「しかしなぜ、あなたはそれを、酷く後悔しているようなことをいうのですか。其れは、また、何か悪いことでも起こったのでしょうか?」

道子は、ちょっと遠くを眺めるような目つきをした。

「ええ、そのままにしておけばよかったんです。そう、だけどあたしは、それができなかったんです。」

と、道子は、申し訳なさそうに言った。

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