第四十九話 秩序

①円環の終わり

 死を宣告するように掲げられた女神アリュシーダの右手。

 その手が振り下ろされた瞬間、間違いなく全てが終わる。

 自分の命は勿論、アイリス達も皆殺しにされるだろう。

 ドクター・ワイルドがこれまで犠牲にしてきた全ても無駄になる。


「こ、のっ」


 そんなことは決して許してはならない。

 たとえ、どれだけ敵が強大であろうとも。

 ほんの僅かな攻防だけで圧倒的な力の差を実感させられようとも。

 諦めることは己の信条に、この異世界で歩んできた道にかけて許されない。


《魔力ノ急速収束ヲ開始シマス》

《Over Convergence》

(〈六重セクステット強襲アサルト過剰エクセス強化ブースト〉!)


 だから雄也はLinkageSystemデバイスを介してアテウスの塔にアクセスし、その魔力を過剰な身体強化のために用いて無理矢理その場から離脱した。

 女神アリュシーダの行動を見極めている余裕はない。

 捉えられるかどうかも分からないものに囚われている暇はない。

 今はとにかく距離を取って体勢を立て直すことが最優先だ。


「ぐうっ」


 急激な加速に折れた右手から激痛が生じるが、当然それも無視する。

 一々そんなことを気にしていては命はない。

 実際、つい一瞬前まで雄也が倒れていた場所で爆発的な破壊が生じているのだから。

 余りにも無造作に振るわれた女神アリュシーダの手が引き起こした結果。

 アテウスの塔から強引に奪い取るように供給させた魔力のおかげで大きく底上げした身体能力、強化された視覚のおかげで何とか認識はできたが……。

 挙動を見てから避けようとしていては、確実に間に合わなかった。


「まだそれ程の力を」


 直後、すぐ傍から聞こえてくる忌々しげな声。

 しかし、今度は巻き上がった砂塵を吹き飛ばして接近してくる様を視認できた。

 続いて、視界の端に女神アリュシーダが攻撃動作に移る姿を捉える。

 とは言え、これも認識できただけ。

 一撃でも直撃を貰えば致命となるだろう。たとえ身体能力が強化されようとも。

 それでも――。


(見えてさえいれば)


 回避は不可能ではない。

 現時点では、女神アリュシーダの徒手空拳における技量は極めて低い。

 無限色の光を束ねた六本の巨人の腕の扱いには慣れつつあったが、これはそれとは全く別の戦い方だ。つい先ほどまでの経験はほとんど役に立たない。

 勿論、器用な人間ならば異なる技術を応用して上手く適用することもできるかもしれないが、基本力任せなこの存在が即座にそのような真似をできるはずもない。

 だから、次に来たる大振りの拳を避けることは不可能ではないはずだったが……。


(あぶ――)


 しかし、結果としてギリギリ頬に掠らせながら避ける形となっていた。

 アテウスの塔に頼って限界以上の身体強化を施して尚、初めて喧嘩する人間が繰り出すパンチのような無駄しかない攻撃を簡単に避けることができない。

 未だ身体能力で遥かに劣る証だ。

 こと女神アリュシーダに限って言えば、その不器用さ、経験のなさこそ脅威の証。

 何故なら、工夫は悪く言えば弱者の足掻き。

 一度も不自由を感じたことのない者には不要なものであり、それ故に不器用さや経験のなさを改善する機会も意思も持たずにはあるのだろうから。

 だが、同時に――。


(っ! 好機!)


 同じ理由で攻撃後に反撃が可能なぐらい大きな隙ができる。

 実にアンバランスで気持ちが悪い強さだ。

 真っ当に一から積み重ねていって強くなった人間のそれではない。

 神なのだから、当たり前と言えば当たり前だが。

 全力を出すのも今回が初めてならば尚更だ。


「うおりゃあああっ!!」


 腕を伸ばし切って体のバランスを崩してしまい、即座に体勢を立て直せずに隙を晒している女神アリュシーダの首を刈り取るように、鋭く回し蹴りを放つ。

 相手の身体能力から考えて、反撃ができると言っても単発が精々。

 この一撃が有利に働くことを祈って力を込める。

 そして、それは間違いなく女神アリュシーダの後頭部に直撃した。


「なっ!?」


 にもかかわらず、雄也の蹴りは障壁もなしに受け止められてしまった。

 手で防いだ訳でもなく、ただただ無防備に。

 ダメージを受けた気配もない。


「ぐ、くっ」


 それどころか、反作用で返ってきた衝撃に右足から全身に痛みが駆け抜ける。

 折れた右手の痛みと合わさって涙が出そうだ。

 想定以上に生命力と魔力の格差が大きかったらしい。


「貴方もまた私の一部。どれ程の力を得ようと、貴方に勝ち目はありません」


 女神アリュシーダは静かに言い、ゆったりと体勢を立て直す。

 

 攻撃が無意味となれば、無防備であっても何ら問題はない。

 故に、が今正に口にしたことは間違いなく正しい。

 雄也に勝ち目はない。

 無論、アイリス達にも。


『ユウヤ、まだ足りない。今のアタシ達じゃ足りないんだ』


 フォーティアが〈テレパス〉で心底悔しげに告げる。

 彼女達の力を一つに束ねた雄也でこれだ。

 単体では勿論、束になってかかっても敵わないことなど彼女も重々理解しているだろう。

 それでもフォーティアの声にも諦めはない。

 勝ち目はなくとも、まだ全ての選択肢が失われた訳ではないのだから。


『時間跳躍すべきです! ユウヤさん!』


 続くイクティナの切迫した言葉の通り。

 まだ逃げることはできる。

 フォーティアの言う通り、今の雄也達ではどうしても力が足りない。

 いや、女神アリュシーダの発言を鑑みるに、そもそもの力を超えることなどこの世界アリュシーダに存在する者である限り、永久に不可能なのだろう。

 かつてウェーラは女神アリュシーダの力を全世界の総量と推測したが、雄也自身の力までもが含まれるか否かは仮説の域を出なかった。

 しかし、これで確定だ。

 女神アリュシーダの力は雄也をも含めたこの世界に存在する全ての総量。故に――。


(道は、一つだけだ)


 雄也達がそれ以外の全てを遥かに凌駕する力を得ること。

 雄也達が一、それ以外が一では女神アリュシーダの力は二だ。

 それでは敵は、単純計算で雄也達の二倍の力を持つことになる。

 だが、雄也達が百、それ以外が一ならば女神アリュシーダの力は百一。

 スペックで上回ることはできずとも、力以外で十分覆すことのできる差だ。

 技や魔動器で女神アリュシーダを抑え込む。

 たとえ、この世界とそこに生きる人間がある限り、復活してしまうのだとしても。

 まず、それができなければ話にならない。

 諦める以外の選択肢はそれしかない。


(やるべきことは変わらないな)


 その力を以って、数え切れない程に殺して心が折れてくれれば話が早いが、その辺りを考えるのは後だ。

 今の実力では取らぬ狸の何とやらでしかない。


『ユウヤ、躊躇は許されない。ここでの敗北は自由の死だ。勿論、私達はそれだけでなく命を失うことになる』

『分かってます』


 ラディアの言葉に心の中で頷く。

 時間跳躍は膨大な魔力を必要とする。

 向かう過去が遠ければ遠い程大きくなり、また質量が大きくなっても同様になる。

 別世界への転移ならば全員で行けただろうが……。


『ツナギを連れて過去へと向かうのですわ! 全てを変えるために!』


 メルとクリアがアテウスの塔の出力を改善し、雄也達自身の力が大幅に向上して尚、精々二人が限度だった。だから、そう皆で取り決めていた。

 勿論、かつてのウェーラと同じように彼女達の記憶も魔動器に封じて持っていく。

 目指すのは、この雄也が異世界を訪れた最初の日。

 かつてドクター・ワイルドが同様にしてこの雄也を弾き飛ばしたように、新たな雄也を弾き飛ばしてあの日からやり直す。

 それが最も確率の高い手段だろうから。

 この事態に備え、皆で考えた計画だ。躊躇はない。

 彼女達にはウェーラと同じだけの覚悟があり、そうでなくとも他に術はないのだから。


『まあ、別の可能性のお兄ちゃんとは言え』『正直ドクター・ワイルドを頼るのは、余り気分がいいものじゃないけどね』

『利用するだけだ。罪は必ず贖わせる』


 ドクター・ワイルドに全てを明かし、協力させる。

 これもまた話し合いの末に考えた手立ての一つ。

 女神アリュシーダ討伐のためなら不可能ではないだろう。元は自分自身なのだから。

 それが叶えば彼の計画は白紙となり、新たな道を作っていくことになる。

 当然、その場合、人の自由を奪うような真似をさせるつもりはない。

 だからこそ、光の巫女を犠牲にして生み出されたツナギだけは連れていく。

 新たな道では、彼女が生まれる可能性は摘まなければならなくなるから。

 人の自由を守る者として。


『……私はユウヤを信じる。現在も未来も過去も、私はユウヤの味方』


 最後に毅然とした声で告げるアイリスに頷き、そこでようやく態勢を整え終えた女神アリュシーダと改めて向かい合う。

 の視線は常にこちらを捉え、つけ込むことのできる隙はその間なかったもののそこまで時間をかけた意図は不明だ。

 身体能力を考えれば即座に立て直せたはずだが……。

 しかし、が無駄に時間を使ったおかげで右手の応急処置もできた。

 後はもう一度だけ。女神アリュシーダに隙を作り、アイリス達の記憶を宿した魔動器を持つツナギの下へと向かって過去への時間跳躍を行う。

 全てはそこからだ。

 …………だが、それは甘さだったのだろう。

 即座に時間跳躍せず、次の世界でもツナギの存在を保とうとすることは。


《魔力ノ急速収束ヲ開始シマス》

《Over Convergence》

「〈六重セクステット強襲アサルト過剰エクセス強化ブースト〉」


 時間跳躍後にぶっ倒れても構わないと、更に過剰な身体強化を重ねる。

 そして雄也は自ら女神アリュシーダに挑みかかった。

 この場においては眼前の存在を無視し、ツナギの元へと退避することはできない。

 この敵からは隙も作らずに逃げ切れるものではない。

 無防備を晒し、時間跳躍を発動させる前に致命傷を受けてしまうだろう。


「はあああっ!!」


 だから、見せかけだけの拳を放って隙を窺う。


「人の身に分不相応な力。そういうことでしたか」


 対して女神アリュシーダは静かに、納得したように意味深なことを呟いた。

 かと思えば、は視線に怒りを滲ませる。

 そのまま雄也の攻撃を軽く回避すると、女神アリュシーダは何を思ったか今更無限色の光で巨大な腕を一本のみ作り出し、無造作にも程がある大振りの一撃を繰り出してきた。

 恐らく障壁分の力も全て注ぎ込まれている。

 雄也を殺すには明らかに過剰な力だ。

 当たれば粉微塵もいいところだろう。

 完全にパワー一辺倒で、勿論破壊力相応のスピードもあるにはあるが、軌道が分かり易過ぎる。そして、間違いなく攻撃後には大きな隙が生じるだろう。


『ツナギ!』


 悪手にしか見えない手を打つ女神アリュシーダに言い知れぬ不気味さを感じながらも、このチャンスを逃す理由もないと彼女に呼びかけて後退を開始する。

 少なくとも時間跳躍という選択肢はの頭にはなく、いかなる行動も雄也を滅ぼすために行っているはずだから。


「愛すべき人間の力を利用してまで抗うなど、私は決して許しません」


 女神アリュシーダの攻撃を回避し、に背を向けた雄也の耳に届いた言葉。

 その内容に嫌な気配を感じて振り返ると、先程まで雄也を捉え続けていたはずの目はこちらを向いていなかった。そして――。


「まさかっ!?」


 振り下ろされた巨人の腕は地面に深々と突き立たった。

 最初からそれが目的だったかのように一切の躊躇なく。


「忌々しき塔の再来。姑息にも存在を隠そうとも、歪んだ魔力の流れによって明白です」


 その言葉で気づく。

 雄也を見据え、体勢の立て直しに時間を浪費していたのは、LinkageSystemデバイスを介してアテウスの塔から供給される魔力の流れを見ていたのだと。


「歪みは正し、秩序ある世界へと導きましょう」


 そう告げると女神アリュシーダは無限色の光を束ねた巨人の腕に、更なる輝きを込めた。

 それは急激に拡散していき、同時に大地が鳴動を始める。

 石畳が割れ、星にひびが入ったかのように大きな地割れが生じると共に、そこから無限色の光が柱の如く放たれていく。

 女神アリュシーダが大地に注入したエネルギーの余波だろう。


『ア、アテウスの塔の……』『本体全てが破壊された!?』


 愕然としたメルとクリアの言葉に、それが引き起こした事態を理解する。

 俄かには信じられない。

 だが、現実としてLinkageSystemデバイスとアテウスの塔との繋がりは完全に断たれている。

 全て。本体全てとクリアが言ったのは間違いではないのだろう。


「馬鹿な……」


 かつて一本の塔だったそれが破壊された時の教訓として、この星を包み込むように地中に建設された新たなアテウスの塔。

 それがただの一撃で消し飛ばされた。

 ドクター・ワイルドの記憶の中にある女神アリュシーダ。

 各地に現れて一々進化の因子を消していた姿を思い出す限り、いくら神とは言ってもそこまでの影響力を持つとは思えなかったが……。


(まさか、俺達が強くなったから?)


 だが今は、その原因を考えることに意味などない。

 過去への時間跳躍を完全に封じられてしまった事実。

 それ以上に重要なことなどない。


「これで後顧の憂いなく貴方を殺せます」


 一歩距離を詰めてくる女神アリュシーダに、同じだけ後退する。

 そうしながら雄也は、この事態を打開する術を混乱した思考のまま考え続けた。

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