最終章 混沌の秩序
第四十六話 混沌
①ネメシス対策と恐怖心
女神アリュシーダの尖兵たるネメシス。
人間の認識を歪ませ、生命力や魔力に乏しい人間に至っては完全に正気を失わせる。
それだけでも厄介な特性だが、討伐する上で最大の障害となる部分は別にある。
それは何度倒しても復活する上、倒した人間と同等の力を持つようになることだ。
対応を誤れば、ネメシスと対峙可能な人間の数は一気に減少してしまう。
そうなると生命力や魔力において上位の者が出張らなければならなくなり、最終的には雄也達自身の手でネメシスを倒さなければならなくなる。
その結果、女神アリュシーダの顕現は早まってしまうことだろう。
与えられたドクター・ワイルドの記憶を参照する限り、逆に彼は積極的に自らネメシスを倒すことによって意図的にそうしていたようだから。
勿論いずれ女神アリュシーダの顕現は避けられなくなるだろうが、折角の猶予を無為に減らしてしまうメリットは、少なくともこの時間軸の雄也にはない。
そういう訳で――。
「オヤッさん、ネメシス封じ込め策の状況はどうなってます?」
現在、
「今のところは計画通りだな」
現状確認のためにラディアと共に
とは言え、この時間軸において最初のネメシスが発生してからまだ一週間。
さすがに現時点で早々に、策に乱れが生じて貰っては困るが。
「ま、ドクター・ワイルドやら六大英雄やらに比べりゃ数で何とかなる分、楽なもんだ」
「……ですね」
件のネメシス封じ込め。
その具体的な内容は、千年前にドクター・ワイルドとウェーラが取った方法そのままだ。
ネメシスは己に止めを刺した
つまり、ネメシスと同等かそれ以下の力しか持たない人間が集団で連携して倒すようにすれば、対象が強化されることはなくなる訳だ。
この作戦ならば時間を稼ぐことも可能だろう。とは言え――。
「つっても、双子の嬢ちゃん達の魔動器のおかげだがな」
人間の認識を歪ませる特性もまた十分に厄介な能力。
ネメシスを討伐するのに際し、被害なく、という条件をつけると、それもまた途端に大きな障害になってしまう。
互いに認識を乱された状態では連携もままならない。
下手をすると同士討ちしてしまう危険性もある。
そこで、それを解決するためにメルとクリアに新たな魔動器を作って貰ったのだ。
「あれは俺としてもかなり有用だと思います。ただ、それだけにくれぐれも……」
「ああ。分かってるさ。管理は厳重に、だろ?」
雄也の忠告に軽く頷きながら、重々しく言葉を引き継ぐオヤングレン。
求められるのは認識歪曲の緩和。
だが、女神アリュシーダの眷属たるネメシスが持つある種の人間に対する特効染みた性質故に、個々の生命力や魔力を強化して抵抗することは難しい。
特に、ネメシスの力を向上させないように力の差を最小限にしている現状では。
ならば、人間の知覚に頼らず無機的に魔動器のよって認識すればいい。
その考えの下、メルとクリアは雄也から聞いた色々な家電製品を参考にして、ラジコンとビデオカメラを合わせたような魔動器を完成させていた。
もっとも、その部分には懸念が必要な新規性はないが。
「遠隔操作で操縦して移動させることができ、状況を映像で伝達する。そこまでは通常の魔動器でも不可能ではありませんが――」
「確か、電波、だったか」
「はい。魔力とは別の伝達手段が用いられています。そのおかげで魔力の断絶に左右されることがなく、情報を伝えられるという特徴があります」
オヤングレンの確認の言葉に雄也は頷き、補足を続けた。
これもまた双子に語って聞かせた元の世界の話を基に、彼女達が再現したものだ。
もっとも、文化の話の中で少し触れただけで原理の説明まで求められなかったため、雄也の手柄となる部分はほとんどないと言っていい。
メルとクリアの二人でいつの間にか観測し、原理も突き止めていたのだから。
完全に彼女達の功績だ。
対象さえ明確に定まってしまえば、魔法の力を用いることによって元の世界からは考えられないレベルの超高精度な観測実験を行えるとは言え、正直末恐ろしい。
前回のように彼女達自身は満足していないから尚のこと。
「これは極めて革新的な技術なので、仕組みが知れ渡れば社会が一変しかねません。進化の因子を得た魔法技師であれば、解明も不可能ではないでしょうし」
と、ラディアもまた雄也の懸念に同調するように固い声色でつけ加える。
勿論、雄也としては自由を信条とする身である以上、仕組みを解き明かして広く発展させることそれ自体を否定するつもりは全くない。
そもそも進化の因子さえあれば、いずれは誰かが辿り着いていたはずだし。
ただ単に、女神アリュシーダを討つまでの間は、無作為な変化が生じて不確定要素を増やして欲しくないだけのことだ。
「まあ、でも、そこは躍起になっても仕方ないですよ」
人の口に戸は立てられないし、完全に制御することなど不可能だ。
他のことを疎かにしてまで優先すべきことではない。
実際、現状一つ解決した方がいい問題が別に発生しているのだから。
「何にせよ、事故がないようにネメシスを討つには、あの魔動器は不可欠です」
「魔動器で遠隔地から敵の状態を把握。認識歪曲の効果範囲外から複数による遠距離攻撃で即座に倒す。敵が完全な人外だからいいようなものの、ちと卑怯な気もするがな」
オヤングレンの言い分は分かるが、非常事態だ。
何より相手は、互いに意思を尊重し合うべき存在ではない。
人間の自由を否定する一種のプログラムのようなものに過ぎないのだから。
効率的に倒せるに越したことはない。
「まあ、今のところ問題は生じてないようでよかったです」
とりあえず状況の確認はできたので纏めに入る。
それだけのためにこれ以上無駄に時間をかけても仕方がない。
オヤングレンも忙しいだろうし。
「引き続き、よろしくお願いします」
「ああ」
そして雄也はラディアと共に、ツナギ達のいる訓練場に戻った。
ポータルルームから出ると早速アイリスが駆け寄ってくる。
「……何か変化はあった?」
「いや、今のところ特には。問題なさそうだった」
その問いにそう答え、それからフォーティアと組手をしているツナギに視線を移す。
彼女は楽しげにフォーティアに挑んでいるが――。
「やはり身内と手合わせする分には大丈夫なようだな。あの後も変わらず」
同じくツナギの様子を見守りながらラディアが呟く。
「まあ、ある意味信頼してくれている証とも言えるでしょうけれど」
それを受けて複雑そうに続いたのはプルトナ。
ツナギとフォーティアの組手を遠巻きに眺めているイクティナやメルとクリアもまた、プルトナと似たような表情を浮かべている。
既に何度も繰り返し、変わり映えなどないはずの鍛錬。
それを前にしてそのような反応を見せている原因は、ネメシスが発生し始めてから今までの間に起きた出来事にある。
数日前のとある日、近場にネメシスが出現した情報を得た雄也達は、その姿をツナギに見せるために彼女を連れて現場の近くまで赴いた。
万が一それと対峙することになった時に備え、その歪な気配と認識を経験させるために。
それより前に
その結果――。
「しかし、あそこまで怯えるとはな」
「一度敵対したことのある俺としても、ビックリでしたよ」
ラディアの言う通り、顕現したネメシスの気配を察知した瞬間、ツナギは見るも哀れな程に怯えてしまい、震えて雄也に縋りつくような有様だった。
強さで言えば、雄也達が倒して強化されていないネメシスなど彼女の足元にも及ばないものであるにもかかわらず。
(そう考えると、気配の歪みそのものが原因じゃないんだろうな)
切っかけはそれにせよ。
アテウスの塔で対峙した時の彼女なら、そんな状態にはならなかったはずだから。
あの時、拳を交えざるを得なかった者としてそれは断言できる。
まず間違いなく、ドクター・ワイルドが彼女にした仕打ちが原因に違いない。
根深いトラウマが、そうした形で発現してしまった訳だ。
「そこらの魔物にすら怯える始末ですものね」
と、プルトナが困ったようにつけ足す。
現状、正に彼女の言葉通りで、それもまた一つの証拠と言える。
ネメシスから感じ取った歪で目立つ空白が根本原因ではないことに関する。
「多分、人間に対する敵意とか悪意とかに敏感なんじゃないかな」
『私達の中に、今のあの子に対してそんな感情を抱く人なんていないしね。鍛錬では大丈夫なことも含めると正しい答えだと思うわ』
「そうだな」
メルとクリアの考察に頷いて肯定の意を示し、雄也は再びツナギに視線を向けた。
彼女とフォーティアの組手は相変わらず、どこかお遊戯染みた雰囲気が残っている。
勿論、ツナギも
行使している力も並大抵のものではない。
しかし、敵意、悪意、殺意に至るものなど雄也達の間にある訳もなく、この鍛錬の中で問題の状態になるようなことはない。
逆に、僅かたりともそうした気配があればツナギは怯えてしまうのだ。
それこそ最下級の魔物に対してさえ。まるで条件反射のように。
「どうしたものやら」
常に彼女を守っていられるなら、それも構わないかもしれない。
だが、状況的に、それこそ彼女単独でネメシスと対峙しなければならない時が来るかもしれない。女神アリュシーダの出方次第では、十分あり得る話だ。
「さすがにショック療法をするのもな……」
「……むしろ悪化するかも」
確実に改善する保証があればいいが、アイリスの言う通りになる可能性も十二分にある。
それこそ折角信頼関係が固まってきているのに、全てぶち壊す結果になりかねない。
弱い魔物から徐々に慣らしていくぐらいしかないだろう。
「うーん……」
『困ったわね』
様々な魔動器を短期間に作り上げたメルとクリアも、こと人の心に関わる部分では特効薬のような解決策は思いつかないようだ。
「あれ? これって」
そんな中、ふと何かに気づいたようにイクティナが首を傾げる。
ほぼ同時に雄也もまた違和感を抱き――。
「ネメシスですわ!」
直後、プルトナがその感覚の正体を口にする。
どうやら割と近い位置に発生し、こちらの方に移動してきているようだ。
運が悪いと言うべきか、何と言うべきか。
ドクター・ワイルド亡き今となっては、世界最強の集団と言って過言ではない面々が揃う場所に近づいてくるなど愚かにも程がある。
相手の強さを計る機能は全くないのだろう。
「お、お父様っ!」
と、その気配にツナギも気づいたようで、彼女はフォーティアとの組手を放り出して雄也の背中に縋りついてきた。
その体は可哀想なぐらいに震えていて、思わず強く抱き締めてしまう。
「こ、怖い……怖い、です」
目をギュッと瞑り、弱々しく縮こまるツナギ。
そんな彼女の背中をさすってやるが、尚も全身を押しつけるようにしてくるばかりだ。
「ユウヤ」
そこへ彼女に置き去りにされたフォーティアが駆け寄ってきて、それからネメシスの気配が近づいてくる方向へと視線を向けながら言葉を続ける。
「どうやらアタシ達を標的に選んだみたいだねえ。全く馬鹿なもんだ」
「そも、真っ当な知性がないのだろう。そんなことよりも、ここを離れるぞ。私達自身が策を乱しては敵わん」
侮蔑するように言うフォーティアに淡々と返し、全員に指示を出すラディア。
この場に留まり、ネメシスと交戦状態に入る訳にはいかない。
「今の状態の敵なら簡単に倒せるのに、私達が倒す訳にはいかないってのは面倒ですね」
嘆息して転移の準備に入るイクティナ。
実際問題、ネメシスの特性はこの上なく面倒で迷惑な敵の代表例とも言えるものだ。
だから雄也は彼女の言葉に内心この上なく同意しながら、引っつくツナギを抱きかかえた。ともかく、今の状態では彼女単独で退避できなさそうだから。
それからラディアを振り返って口を開く。
「ラディアさん、オヤッさんに――」
「既に連絡した。私達も退くぞ」
雄也の要請を先回りして行ったことを告げ、ラディアもまた転移を開始する。
そんな彼女に頷き、雄也は腕の中のツナギに視線を落とした。
「うぅ……」
雄也達の会話も届いていないようで、体を強張らせたままの周囲の状況も把握できていない様子の彼女に、改めてどう対処すればいいものかと頭を捻る。
「……ユウヤ」
と、最後まで待っていてくれたアイリスに呼ばれ、雄也はハッとして思考を止めた。
「っと、この場を離れないとな」
改めてネメシスへと意識を向けると、それは既に視認できる位置まで迫ってきていた。
気持ちの悪い歪な認識の侵食が強まり、一層ツナギが怯えてしまう。
とは言え、現在の雄也達からすればネメシスなど恐れるに足りない存在でしかない。
雄也はアイリスと共に一気に跳躍して訓練場を離れ、そこから転移を行った。
駆けつけた
そして転移の直前に雄也の〈テレポート〉に相乗りしたアイリスと一緒に自宅のポータルルームから出て、雄也は玄関へと向かった。
「……ツナギ、もう大丈夫」
「…………はい、アイリスお母様」
アイリスの言葉に弱々しく答えるツナギのこれからを案じながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます