②人は見た目で判断するもの

    ***


 目の前から消え去った巨大な海蛇の如き怪物。

 過剰進化オーバーイヴォルヴしたと思しき超越人イヴォルヴァーがいなくなったことで、ようやくメルは僅かながら冷静に状況を見ることができるようになった。


(ここ、どこ? さっきのは何だったの?)


 半ば混乱しながら周りを見回すと、すぐ傍に一人の女性の姿。

 そこにいたのはメルの母親、カエナ・ストレイト・ブルークだった。


「お母さん?」


 だから、メルはそう声を出したつもりだったが、音にならない。

 どうやら先程の超越人イヴォルヴァーと同様、液体に満たされたシリンダーの中に入れられているようだ。


「話したいことがあるなら〈テレパス〉を使いなさい」


 メルが呼びかけようとしたのに気づいてか、カエナがこちらを向いて言う。


「ああ、それと……〈テレポート〉は使えないから無駄な真似はしないことね」


 続いて彼女は若干面倒そうにそうつけ加えた。

 それはまるで実際にそんな無駄な真似をした人物がいて、メルも同じことをすると予想しているかのようで――。


『っ! クリアちゃんはどこ!?』


 その意味に気づいたメルは、ハッとしてカエナに〈テレパス〉で尋ねた。


「貴方達は二言目にはそれね」

『答えて!! お母さん!!』


 呆れたように嘆息する母親に、さらに強い口調で問い質す。


「答えても何も、さっき貴方の目の前にいたじゃない」

『目の、前?』


 一瞬理解が追いつかない。

 しかし、即座に先程の超越人イヴォルヴァーのことを言っているのだと気づき、メルは愕然と目を見開いた。


「そう言えば、化物を見るような目で見ていたわね。妹に対して酷いんじゃない?」

『そ、そんな……』


 嘲笑うカエナの言葉に動揺し、視線を左右に揺らしてしまう。

 大切な妹に恐怖した挙句、そんな己の姿を彼女に見られた事実に心がかき乱される。


(わたし……クリアちゃん…………)


 メルは己の行動を深く悔い、目を固く瞑ると共に俯いた。

 だが、それよりも重大な事実を思い出し、すぐに頭を振って開いた目をカエナに向ける。


過剰進化オーバーイヴォルヴした超越人イヴォルヴァーはいずれ死んじゃうって……』

「そうね。結局肉体の崩壊を完全に止める術は発見できなかったわ」

『それをどうしてクリアちゃんに!?』

「だって、あの子。愚かなだけならまだしも生意気なんだもの。これまで私を否定し続けてきたあの馬鹿共と同じだわ」


 深く嘆息しながら、不機嫌そうに眉をひそめて首を横に振るカエナ。

 その様子はまるで、思い通りにいかない世の中の全てに苛立つ子供のようだ。


『そんな、そんな理由で……』


 爪が皮膚に食い込む程に拳を握り、奥歯を噛み締めて性根の幼い母親を睨みつける。


『貴方には親の情がないの!?』


 そして、メルは心の奥底から湧き起こる反感に従って叫んだ。


「勿論あるわよ。だからこそ、ある程度データが出揃ったこのタイミングで貴方達を使おうとしている訳だし」


 対してカエナは平然とした様子で答える。

 その返答は明らかにメルの意図とは根本から食い違っていた。だから――。


(お母さんにとって、わたし達はどこまでいっても道具なの?)


 理解できない存在を目の前にしたように、じわりと母親に対する恐れが心に湧く。

 その間にも、彼女は親とも思えない言葉をさらに続けていた。


「何より、あの子の過剰進化オーバーイヴォルヴは研究の成果を最大限使用して、一日は維持できるようにしてあるもの。そして、貴方には私が開発した過剰進化オーバーイヴォルヴの活用法を適用してあげるわ。これ以上ない愛情でしょう?」

『……え?』


 カエナが言い終わるとほぼ同時。

 躊躇いを感じさせるような間など欠片もなく、首筋に鋭い痛みが走る。


「あ、あああ……うう……」


(こ、これ……これ、が……超越人イヴォルヴァー、の……)


 それと共に全身が夥しい熱に包まれ、音にならずともメルは押し殺すように呻いた。


(ク、クリア、ちゃん……)


 体中を駆け巡るその感覚に浮かされて意識が薄れていく中、恐らく自分よりも先にこの苦しみと我が身に起こることに対する恐怖を味わった妹を思う。


(ごめん、ね……)


 そんな彼女に恐れの目を向けてしまったことに心の内で謝罪し――。


(お兄、ちゃん、クリアちゃん、を…………)


 必死に思考を繋ぎ止めんとするように頭の中で兄に懇願するも耐え切れず、そこでメルは完全に気を失ってしまったのだった。


「さあ、貴方はしっかりと私の役に立ってね。メル」


 最後の瞬間、歪な笑みと共に告げられた言葉を耳にしながら。


    ***


【ユウヤ、結果は?】


 フォーティアと共にラディア宅のポータルルームを出ると、すぐさまアイリスが焦りの色濃い表情を浮かべながら駆け寄ってきて、そう文字で問いかけてきた。

 その様子を見る限り、何ごともなくメルとクリアが帰ってきていた、というような甘く都合のいい展開はなかったようだ。

 だから、アイリスの問いとその事実を前にして、雄也は眉間にしわを寄せながら無言で首を横に振ることしかできなかった。


「……街という街から賞金稼ぎバウンティハンターの狩り場まで世界中巡ったけど――」


 そうして押し黙った雄也の代わりに、フォーティアが補足するように口を開く。


「魔力パターンはおろか、魔力の空白も見つけられなかったみたいだ」


 そう続けた彼女の表情は、内心忸怩たる思いを抱いているかのように酷く険しかった。

 しかし、彼女に落ち度は僅かたりともない。

 さすがに権限的に使用できないものは除くが、世界中に存在するポータルルームを彼女の〈テレポート〉で正に虱潰しに訪れたのだ。それも、この数時間全く休みなく。

 その労力たるや半端なものではない。

 故に、それを強いて尚何一つ成果を上げられなかった身としては、彼女に対しても申し訳ない気持ちを強く抱かざるを得ない。

 自然と視線がさらに下がってしまう。


「そんな……」


 そうした雄也達二人の様子に衝撃を受けたように、傍にいたイクティナが目を大きく見開いて愕然と呟く。

 あれから大分時間が経っているが、どうやら双子を心配して寮に戻らなかったらしい。


「このままですと二人は……」


 その隣では、最悪の展開を予想してしまったのか、プルトナが青ざめている。

 そうした彼女達の反応を見て、雄也は尚のこと自責の念を強め、俯いて唇を噛み締めた。


「皆、とりあえず中に入れ」


 最後に遅れて家から出てきたラディアが、全員の沈んだ感情を一旦落ち着かせようとしてか諭すような口調で告げる。

 しかし、当然と言うべきか、彼女の顔つきもまたどうしようもなく強張っており、冷静を装った声色はむしろ痛々しい。

 外見的には双子と同じ年齢ぐらいにしか見えないのだから尚のことだ。

 そんなラディアの指示に従わずにいることなどできる訳もなく、雄也達は一先ず家に入ることにした。いずれにせよ、この場で話をしていても仕方がない。


「……ラディアさん、戻ってたんですね」


 そうして廊下を歩きながら、先頭を行くラディアに言葉をかける。と、彼女は首だけで僅かに振り返って「ああ」と小さく頷いた。


「お前達が各地を巡っている間、二人の店を調べていたのだがな。何の手がかりも得られないまま、おめおめと引き下がってきたのだ」


 それからラディアは談話室の前で一度足を止めると、自嘲するように告げる。

 しかし、彼女はそんな自分の姿を雄也達に見せるべきではないと思い直してか、自身の鬱屈した感情を振り切るように部屋に入っていった。

 雄也達もその後に続き、それぞれ席に着く。

 それを確認するように全員を見回してから、ラディアは再び口を開いた。


「ユウヤの探知で見つけられなかった以上、騎士達の捜査に加わっても意味がない。もはや私達にできることはないだろう」


 今度は表向きしっかりと冷静を装いながらも、彼女は若干疲れたように首を横に振る。


【私が二人から目を離さなければ、こんなことには】


 そんなラディアの言葉を受け、アイリスが俯き加減になりながら弱々しく文字を作った。


「いや、オルタネイト程の魔力による魔法ですら通用しなかったのだ。犯人は古代の魔動器かそれに準ずる常識外の力を用いているとしか考えられん。酷な言い方だが、お前の力如何で状況が変わっていた可能性は低い」


 若干突き放すような物言いだが、悔いるアイリスを慰めることが目的だとは分かる。

 とは言え、状況が状況だけに、それで即座に立ち直れる程アイリスも切り替えが早くはない。彼女の表情は陰ったままだ。

 が、似たような悔恨の念を持つ雄也としては、かける言葉が見つからなかった。


「やっぱり、ドクター・ワイルドの仕業なんでしょうか」


 沈黙が続きそうになるのを嫌ってかフォーティアが問う。


「分からん」


 対してラディアは眉をひそめながら簡潔に答えた。


「可能性は高いだろうが、何とも言えん。いずれにせよ、連れ去られた時点で私達の負けだ。もはや、如何に最悪から少しでも遠ざかるかを考えるしかないだろう」


 彼女はそれからこちらを向いて言葉を続ける。


「こうなってしまった以上は、むやみやたらと探し回るのは得策ではない。少なくともユウヤはこの街から出るな」

「それは……つまり、二人が超越人イヴォルヴァーとして現れるのを待てってことですか?」


 ラディアも好きで言っている訳ではないと頭では理解しているものの、内容が内容だけにどうしても刺々しい口調になってしまう。

 しかし、だからと言って解決策がある訳でもない。

 鬱屈した感情を彼女にぶつけるのは不当だ。

 直接的な非難はせず、ただ耐えるように拳を握る。


「現状最悪の事態はお前が街にいない時に超越人イヴォルヴァーが現れることだ」


 そして、そのまま対策班に化物として処理されてしまうこと。

 それだけは確かに何が何でも避けなければならない。

〈ブレインクラッシュ〉の影響がなく、過剰進化オーバーイヴォルヴしていなければ生存の可能性は十分にあるのだから。


「もし……二人が過剰進化オーバーイヴォルヴ状態にあり、どう足掻いても命を守ることができないとしても、せめて心だけでも守ってやらねばならん。分かるな?」


 さらに、少し躊躇う素振りを見せてから、諭すように続けるラディア。


「………………はい」


 納得できるはずもないが、頷くしかない。

 歯痒い思いを抱きつつも、ラディアの言葉通りにするしか今の雄也には術はなかった。


    ***


 街の中、叫喚と共に人々が逃げ惑う。

 彼らがこちらを見る目は恐怖に染まり、自分の体が化物のように成り果ててしまったことを否応なしに突きつけられる。

 手足の感覚が完全に消え去ってしまったこともまた、クリアの心をかき乱していた。

 だから、どうしようもない感情をぶつけるように、巨大な蛇の如く変じてしまった体を暴れさせることしかできない。

 しかし、慣れない異形の体では、ただ単にのたうつようにしかならなかった。


(こんな、こんな体……)


 全身からはヘドロのような粘性の高い液体が流れ落ち、少しずつ地面を濡らす面積を広げていっている。

 そのおかげか体を徐々に動かし易くなってきているが、いずれにせよ人間の持つ機能ではないし、人間らしい動きではない。


(化物に、なったんだ。私)


 人外の感覚に気が狂いそうになる。


(い、嫌……姉さん、助けて! 兄さんっ!!)


 そうした気持ちを言葉にして吐き出すこともできない。


「キャアアアアアアアアアアアアッ!!」


 出てくるのは、それこそ怪物染みた叫び声だけ。

 人間として当たり前にできていたことができなくなり、底知れない恐怖心と悲しみ、そして絶望感が心を満たす。それでも涙を流すことすらできなかった。


「そこまでだ、化物め!」


 そこへ突然向けられた強い声にハッとして、その方向に意識の焦点を合わせる。

 視界に映ったのは、制服のような統一された服を着た人々。


超越人イヴォルヴァー、対策班……)


 その脅威から人々を守るために作られた組織。

 彼らの目には恐怖こそないが、ハッキリとした敵意が見て取れる。

 いっそ憎しみと言った方がいいような、射殺さんばかりの鋭い視線を向けてくる者もいるぐらいだった。


「あの粘液が気になる。一先ず、遠距離から攻撃すべきだ」


 その中の一人。漆黒と琥珀の装甲を纏った明らかに趣が違う存在が、仮面によってくぐもった声で告げる。

 表情こそ見えないが、その口調は他の班員と違って事務的だった。


(この人はもしかして――)


「鈍重そうな見た目からして、それが適切かもしれないな。そして、恐らく敵は水属性。火属性の魔法を中心に、遠距離から同時攻撃を仕かけるぞ」


 特異な彼がユウヤの友人たるアレスだと気づいた時には、全体の指揮を執っていると思しき一人の言葉を受けて対策班の龍人ドラクトロープ達が前面に並び立っていた。


「撃て!」

「「「「〈ハイフレイムシュート〉!」」」」


 直後、指揮官の合図と共に、無数の炎の弾丸が襲いかかってくる。

 慣れない巨大な体ではそれらを避けられる訳もなく――。


「キャアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 全身を焼く熱さと痛みに襲われて、クリアは悲鳴を上げた。

 しかし、口から出るのは怪物らしい叫び声でしかない。


「「「「〈ハイフレイムシュート〉!」」」」


 対策班はそれを威嚇としか捉えなかったらしく、警戒を強めるように半歩程後退しながらも再び魔法を放ってきた。

 体中に走る激痛のために尚のこと回避に意識を割くことができず、火球による攻撃を受けるがままとなる。

 結果、さらにダメージを負って動きが鈍る負の連鎖に陥ってしまう。

 体の表面を覆うヘドロのおかげで僅かながら緩和されているようだが、焼け石に水でしかない。

 粘液が激しく沸騰するような音と共に、嫌な臭いのする蒸気が発生している。


「アアア、アア、アアアアアアアアアッ!!」


 せめて声と共に痛みを吐き出して緩和しようと叫びを上げながら、その場でひたすらもがき続けることしかもはやクリアにはできなかった。

 だが、それによって図らずもヘドロ状の分泌液を周囲に撒き散らすこととなる。

 対策班の多くは咄嗟に回避したようだったが、一部避け切れずに粘液を浴びた者がいた。


「う、あ」


 彼らは苦しげに呻くと、全身を痙攣させてその場に倒れ伏す。


「どうした!? おい!!」


 傍にいた班員が駆け寄って体を起こそうとするが、そんな彼らもまたその際にヘドロに触れてしまったのか同じ症状を引き起こしてしまっていた。

 どうやら、この粘液には毒性があったらしい。

 そのおかげで幸い一時的に攻撃が止まったのだが――。


「この、化物がっ!!」


 あくまでも一時的なもので、逆に対策班の敵意を煽るだけの結果となってしまった。


「「「「〈ハイフレイムシュート〉!」」」」


 そして、さらに激しい火球の雨が降り注いでくる。


「キャアアアアア、アアア、ア……」


(痛い、苦しい……もう……もう、嫌だ)


 己の体が焼け焦げる匂いに精神が摩耗していく。

 そもそも、過剰進化オーバーイヴォルヴさせられた我が身に待つ未来は死以外にない。

 であれば、この苦痛から逃れようとする意味などない。

 諦観が心に満ち、目を閉じて全身の力を抜く。


(どうして、こんなことに)


 瞼の裏に映るのは、恐怖の目を向けてくる姉の姿。

 そして、憎悪にも似た敵意と共に攻撃を放ってくる対策班の人々。


(こんな、こんな姿の私を、人間じゃない私を助けてくれる人なんて、もう……)


 化物として死んでいかなければならないことに深く絶望したクリアには、己の命に終わりの時が訪れるのを静かに待つ以外選択肢が何一つ見えなかった。

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