③妨害と対立

「っ!! クリアの気配だ!」


 彼女の魔力パターンが街の中に出現するのを感知し、雄也は勢いよく立ち上がると共に律儀にも傍らに控えていたアイリスを振り返った。


「アイリス、皆に連絡を取ってくれ! それと、訓練場の確保を!」

【ん、分かった。ユウヤ、クリアをお願い】


 指示に応じてアイリスが返してきた文字に頷いてから、持ち運び用に双子の魔力パターンのみを写し取った小型の魔動器を懐に入れて即座に家を飛び出す。


「〈エアリアルライド〉!!」


 そのまま雄也はそう叫んで空へと翔け上がり、彼女がいるだろう場所へと急いだ。


(クリア……)


 魔動器が正しければ魔力の形は確かに彼女のもの。だが、その気配は桁外れに強大だった。それの意味するところを思って奥歯を強く噛み締める。

 メルとクリアが行方不明になって今日で丸二日。

 その間、ラディアの忠告を受けて常に翼人プテラントロープ形態で探知を続け、転移の瞬間を捕捉することができたのは不幸中の幸いと言うべきだろう。

 結局のところ後手に回らざるを得なかったことは、悔やんでも悔やみ切れないが。


(すぐに、行くからな)


 それでも今は過剰進化オーバーイヴォルヴした超越人イヴォルヴァーの結末は考えず、一刻一秒でも早く妹の傍に向かうことだけに意識を集中する。しかし――。


「何っ!?」


 突然、進行方向に魔力の高まりを感じ、雄也は急制動をかけて中空に留まった。

 間違いなく〈テレポート〉で何者かが出現する予兆。

 そのまま警戒を強めつつ、そこを見据える。

 すると、眼前に飛竜の如き特徴を持った超越人イヴォルヴァーが転移してきた。

 翼人プテラントロープとは異なる羽毛のない翼に、雄也の龍人ドラクトロープ形態のような容貌。どちらかと言えば、雄也よりも遥かに竜らしい印象を受ける。

 身体的な特徴から見て、元となったのは恐らく男性。

 意思を全く感じられない虚ろな瞳を見る限り、この超越人イヴォルヴァーは〈ブレインクラッシュ〉を受けていると見て間違いないだろう。


『フゥウーハハハハハッ!!』


 と、雄也が相手の様相を一通り把握するのを待っていたかのように、脳裏に馬鹿でかい高笑いが響いてきた。


『久し振りであるな!! ユウヤ・ロクマ!』


 さらに〈テレパス〉による言葉が続き、その芝居染みた口調に強烈な不快感を抱く。


「ドクター……ワイルドッ!」


 それ以上にこの状況で無駄な足止めをされたことに対する焦燥感と苛立ちを吐き出すように、雄也は一段低い声で彼の名を口にした。


「結局全てお前の仕業だった訳か!!」


 行方不明事件も、人格を保ったまま過剰進化オーバーイヴォルヴさせられたあの超越人イヴォルヴァーも。そして、何よりもメルとクリアを誘拐したのも。

 胸の奥底に溜まった様々な感情をぶつけるように、目の前の超越人イヴォルヴァーを厳しく見据える。


『いやいや。それらは吾輩が直接実行した訳ではないのである』

「つまり、間接的には関わってる訳だな!」

『まあ、そこは否定せんよ。切っかけを与えたという意味でなら確かに吾輩が発端なのだからな。もっとも、与えた力で何をなすかは当人次第。その者の自由であるが』


 責任逃れの身勝手な物言いとも思う。

 だが、認めたくはないが、雄也自身の力もまた彼から与えられたもの。

 故に、その言葉に関して即座に彼を糾弾するのは難しかった。

 力は所詮誰かに使われる道具でしかないのだから。

 しかし、いずれにせよ、今優先すべきことは彼との舌戦ではない。


「今回は、一体誰を巻き込んだ!?」


 だから一先ず彼の発言は流し、直球で核心を問い質す。


『さあて、なあ。吾輩が素直にそれを教えると思うか?』


 対するドクター・ワイルドは、愉悦に満ちた声色と共に歪な笑みを見せるばかりだった。


「答えるつもりがないなら、とっとと失せろ! 俺は急いでるんだ!」

『そうつれないことを言わないで欲しいのである。この超越人イヴォルヴァー飛竜人ワイバーントロープが間違って下のモルモット共を殺してしまうぞ?』

「ぐ、くっ、貴、様……」


 軽い口調で脅しをかけてくる彼を、拳を固く握り締めながら睨みつける。

 半ば分かっていたことだが、戦わずに済ませる気はないらしい。


闘争ゲームはドラマチックでなければならん。さあ、果たしてあの超越人イヴォルヴァーが対策班に殺されてしまう前に辿り着けるかな?』

「っ! 貴、様あああっ!!」


 明らかに時間稼ぎを意図していると分かり、雄也は憤怒と共に声を荒げた。


『精々頑張るがいい。フゥウーハハハハハッ!!』


 そんな雄也の姿がおかしくてたまらないとでも言いたげに、ドクター・ワイルドは愉快犯の如く高笑いを続け、しかし、その声は急激に遠ざかっていく。


「グガアアアアアアアアッ!!」


 代わりに正面の中空に佇んでいた超越人イヴォルヴァー飛竜人ワイバーントロープが戦闘開始を宣言するかのように正に竜の如き咆哮を上げた。

 その大音声を耳にして、怒りだけに染まりかけた思考を無理矢理抑え込む。

 眼前にいるのは、あくまでもドクター・ワイルドの道具にされた憐れな被害者だ。

 彼に怒りをぶつけるのは間違っている。

 勿論、だからと言って超越人イヴォルヴァーを放置していい訳ではないが、少なくとも敵意を以ってそれをなすのは誤りだろう。だから――。


「『……今、楽にして上げます』」


 相手に対する宣言と自戒を兼ね、念のために〈テレパス〉を重ねながら告げる。


《Twinsword Assault》《Convergence》


 そして、雄也は両手に武器を作り出して構えを取った。

 同時に魔力の収束を開始しつつ、彼の一挙手一投足に注意を払う。

 既に彼我の距離は近く、遠距離武器は不適当な間合いにある。

 かと言って、敏捷さが特徴のこの形態では重量武器もまた運用が難しい。

 そうした理由で、選んだのは二振りの片手剣だ。


「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 飛竜人ワイバーントロープは魔力の高まりに呼応したように、さらなる叫び声を上げる。しかし、雄也の言葉に対する反応は欠片も見られない。

 先日の過剰進化オーバーイヴォルヴさせられた超越人イヴォルヴァーの件もあって心情的に断定し辛かったが、やはり彼本来の人格が失われているのは確実だ。


「ガアアアッ!」


 それから飛竜人ワイバーントロープは攻撃を宣言するように短く叫ぶと、一気に突っ込んできた。

 真正面から肉薄する彼に、雄也はまず後方に下がって必要な僅かな時間を稼ぎ――。


《Final Twinsword Assault》

「ヴァーダントアサルトスラッシュ」


 その間隙を利用して魔力の収束を完了させ、直後、逆に前に出た。


「グガアッ!!」


 すると、飛竜人ワイバーントロープはそれに合わせるように鋭い竜の爪を振り下ろしてくる。


「っ! せいやあああああああっ!」


 雄也は迫る攻撃を一方の剣で弾き、交差する勢いを加えて残る一方の剣を叩き込んだ。

 超越人イヴォルヴァーとしては目を見張る敏捷さではあるものの、真超越人ハイイヴォルヴァーと比べてしまえばそれ程でもない。攻撃を回避してカウンターを当てるぐらい造作もないことだ。

 果たして、新緑色の魔力を纏った斬撃は超越人イヴォルヴァーの腹部に直撃する。


「グギャアアアアアアアッ!」


 剣の一撃を受けた彼は苦悶の声を上げたが、しかし、叫びの大きさとは裏腹にダメージを負っているようには見えない。

 飛行可能な超越人イヴォルヴァーだけあって、風属性たる翼人プテラントロープ形態の攻撃では相性が悪いようだ。


(くっ、時間をかける訳には、いかないのに)


 現在も発動している広域探知には、クリアを包囲している複数人の魔力が引っかかっていた。その中にある一際大きな気配は、真超越人ハイイヴォルヴァーへと変じたアレスのものだろう。

 既に対策班は現場に到着してしまっているのだ。

 だから、眼前の彼には申し訳ないが、できれば初手決め技で早々に終わらせたかった。


(そう甘くはない、か。なら、多少リスクを冒してでも有効な属性で戦うしかない)


 空中対応でない形態で戦うことに懸念はあるものの、今は仕方がない。

 そうして属性を変更して一気に片をつけようと考えた次の瞬間――。


「ガアアアアアアアアアッ!!」


 超越人イヴォルヴァーは咆哮すると一際高く飛翔した。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 そして苦悶に近い叫びを上げたかと思えば、その体が一瞬の内に肥大化していき、さらなる異形へと変わっていく。


過剰進化オーバーイヴォルヴか! こんな時に!」


 蜥蜴に似た巨大な体躯に、その倍はある手と一体化した爬虫類的な翼。

 正にファンタジーのワイバーンの如き姿となった彼は、上空で大きく羽ばたき始めた。


「な、くっ」


 それによって引き起こされた風は魔力を帯びて魔法的な効果を持っているのか、乱気流となって雄也の飛行を阻害する。

 さらに超越人イヴォルヴァーは動きを鈍った雄也目がけて、真紅の炎を口から吐き出してきた。

 それもまた強大な魔力を湛えており、直撃を受ければただでは済まないと直感できる。

 しかし、気流に妨げられて回避運動は取れないし、上からの攻撃故に雄也が避けてしまえば下手をすると街に被害が出かねない。


《Launcher Assault》


 だから、雄也は剣を重火器に変え、即座に新緑色の光球を解き放った。

 互いに魔力的な攻撃故に両者は衝突して鬩ぎ合い、結果――。


「うあっ!?」「グギャアアアッ!」


 相殺の余波によって互いに吹き飛ばされてしまう。


「っ! 〈オーバーファネルアロフト〉!!」


 その中で、雄也は咄嗟に強大な空中竜巻を飛竜人ワイバーントロープへと放った。

 オルタネイトの莫大な魔力を使用した魔法とは言え、所詮は風属性。

 大したダメージにはならないだろう。が、彼が体勢を立て直す時間を延ばすぐらいの効果はあるはずだ。


「アルターアサルト!」

《Change Therionthrope》《Convergence》


 その間に属性的に相性がいいと思われる土属性へと変じ、同時に魔力の収束を開始。


「〈チェインスツール〉!」


 それから、属性を変えたことで制御下から離れた〈オーバーファネルアロフト〉の効果がまだ僅かに残る内に、空中に複数作り出した足場の一つを踏んで無理矢理姿勢を整える。

 さらに空を駆け上がるように連続でそれらを蹴って、雄也は敵の頭上を取った。


「グガアアアアアアアッ!」


 その段階で飛竜人ワイバーントロープは弱まった風の檻を打ち破り、体全体をこちらに向けて怒りを装うように咆哮する。そして羽ばたきを再開すると共に、大きく息を吸い込んだ。


「〈グランストーンバックショット〉!」


 再び乱気流に囚われる前に、空中に浮かべた足場を利用して鋭角の軌道を描きながら相手の視界から脱し、そこから魔力を帯びた無数の石の刃を散弾の如く放つ。


「ギャアアアアアアアアアッ!!」


 それは比較的脆そうな薄い皮膜状の翼を貫き、飛竜人ワイバーントロープは一瞬姿勢を崩した。

 その隙に雄也は一気に間合いを詰めて――。


「アンバーアサルトクラッシュッ!!」


 蓄えた全魔力を右足に集め、そのまま過剰進化オーバーイヴォルヴした巨躯の中心を蹴り抜いた。


「グギャ、ア、アアア……」


 その威力は余すことなく超越人イヴォルヴァーの体内へと伝わり、やがて彼は叫ぶ力すら失って無防備に墜落を始める。それと共に体が崩れ、落下の空気抵抗で急激にバラバラになっていく。


《Change Phtheranthrope》

「〈エアリアルライド〉」


 雄也は翼人プテラントロープ形態に戻って滞空しながら、その様子を見届けた。


(どうか安らかに)


 心の中で簡潔に呟いてから、すぐに周囲を見回して警戒する。

 落ち着いて彼を悼みたいところだが、今はそうできる余裕がない。

 しかし、ドクター・ワイルドがさらに何かを仕かけてくる気配はなかった。


(本当に、ただ邪魔をしに来ただけか! くそっ!)


 正しく余計な時間を取られただけ。

 その上、そんなことのために恐らく罪のないどこかの誰かを捨て駒に使った。

 その事実に苛立ちを募らせ、その余り心の中で吐き捨てる。


(いや、今はあんな奴に気を取られてる暇はない)


 心を満たす怒りには一先ず蓋をして、雄也は本来の目的地の方角に向き直った。

 そちらから感じる気配は、先程までよりも徐々に弱々しくなってきている。


(早くクリアのところへ行かないと)


 だから、焦燥感を募らせながら再び彼女の元へと急いだ。

 そして、今度こそ、何に妨げられることなく目的地に辿り着く。


(これは……)


 雄也は、そこで目の当たりにした光景に思わず目を見開いた。

 崩れた街並みの中、水溜まりのように広がっている黒ずんだヘドロ。

 その中心に巨大な海蛇が力なく横たわっている。

 過剰進化オーバーイヴォルヴしたとしか言いようがない巨大な姿は、伝説上の怪物リヴァイアサンのようだ。


(本当に、クリアなのか?)


 完全に人型からすらかけ離れた姿故に性別や体格の特徴も見て取れず、尚のこと外見だけではそうとは判断できない。

 信じたくないという気持ちもあったかもしれない。

 だが、確かに今尚捕捉し続けている魔力はそこから感じられる。


(何にせよ、〈ブレインクラッシュ〉の影響を受けていない超越人イヴォルヴァーなのは間違いない)


 何故なら、その存在はもはや諦めたように足掻こうともしていないから。

 もしも人格を失ってしまっていたなら、逆にどのような状況でも指示を完遂しようとするはず。諦観など抱こうはずがない。


(だったら、俺がすべきことは一つだけだ)


 そうして僅かな戸惑いを振り切った次の瞬間――。


「「「「〈ハイフレイムシュート〉!!」」」」


 距離を取って超越人イヴォルヴァーの周囲に陣取っていた対策班から、一斉に炎の弾丸が放たれる。


「〈オーバートルネード〉!」


 それを前にして、雄也は一気に高度を下げると共に、リヴァイアサンの如き超越人イヴォルヴァーと対策班とを分断するように渦巻く風の壁を作り出して無数の火球を防いだ。


『大丈夫か!? クリア!』


 竜の如き顔の前に降り立って振り返り、それから彼女だと仮定して〈クローズテレパス〉によって呼びかける。


『……え? あ……兄、さん?』


 それに応じて返ってきたのは、正にクリアの声。その弱々しい言葉だった。

 やはり彼女で間違いなかったようだ。


「また我々の邪魔をするのか!? オルタネイト!」


 クリアと落ち着いて会話する間もなく、対策班のリーダーと思しき男が叫ぶ。

 それを口火に四方から罵詈雑言が飛んできた。


「そいつらは俺達の仲間を殺した怪物だぞ!」

「何故そんな化物の味方をする!?」


 どうやら前回のクラーケンの如き超越人イヴォルヴァーによる被害が尾を引いているようだ。

 周囲を見回すと、彼らは怒りに満ち満ちた顔で雄也達を見据えている。

 この場だけで説得できるようには思えない。クリアの声を〈テレパス〉で聞かせたところで、幻聴か罠に過ぎないと切り捨てられてしまいそうな勢いだ。


『あ、う……私……』


 その外見故に他の超越人イヴォルヴァー達と一緒くたにされ、クリアは悲嘆とも絶望とも取れる涙声を出す。幼い彼女のそんな声を耳にすると心が張り裂けそうになる。


『クリア。俺はお前の味方だ。絶対に殺させはしない』


 だから雄也は彼女に竜の如く変質した頭に手を置いた。表面に分泌されたヘドロ状の粘液が触れ、一瞬その手に痺れを感じるが気にせず慰めるように柔らかく撫でる。


『兄さん……』


 そして縋るように呟く彼女に一つ頷いた直後――。


『っ! 危ない!』


 クリアがそう叫び、雄也はハッとして振り返った。

 その時には既に、漆黒と琥珀に彩られた巨大な刃が眼前に迫っていた。

 奥には大剣と同じ配色の装甲を纏った存在。

 真超越人ハイイヴォルヴァーとしての姿を取ったアレスだ。

 クリアを慰撫することに気を取られる余り、彼の接近に気づくことができなかった。


(ま、まずい!)


 何とか迎撃をしようとするが、どうしてか体が思うように動かない。

 琥珀の煌きに視線を縫いつけられる。

 問答無用の鋭さを持つ一撃。

 翼人プテラントロープ形態を取っている今それが直撃すれば、間違いなくただでは済まないだろう。

 にもかかわらず、なす術がない。

 認識はできているのに、動きが追いつかないのだ。


『兄さん!』


 しかし、それが雄也に届くことはなかった。

 超越人イヴォルヴァー化したクリアの尾が間に割って入り、ギリギリで軌道を逸らしたからだ。

 だが、彼女が受けた攻撃は雄也と同種の存在たるアレスが振るった刃によるもの。

 当然と言うべきかクリアは無事では済まず――。


「ギ、キャアアアアアアアアアアッ!」


 彼女は激痛に耐えるように、超越人イヴォルヴァーの声で甲高い叫びを上げた。

 その尾は自身へのダメージを防ぎ切ることはできずに大きく切り裂かれ、粘液混じりの血を噴出していて見るも痛々しい。

 さらにクリアが苦痛にのたうったことで、それは辺り一面に撒き散らされていた。


『クリア!』


 雄也は全身粘液塗れになりながら呼びかけつつも、アレス達を警戒して周囲を見回した。

 不幸中の幸いとでも言うべきか、彼は飛散した粘液を浴びるのを嫌うように、追撃をせず一旦距離を取っているようだった。対策班も同様に警戒している。

 だから、もう一度彼女を振り返って傍に寄ろうとした。


(な、何だ?)


 が、さらに体の動きが鈍り、自分の体ではないかのようによろめいてしまう。


『クリア……クリア、大丈夫か?』


 それでも自分よりクリアを優先させて問いかける。


『う、う、ああ』


 だが、彼女も彼女で痛みの余り〈テレパス〉でさえ言葉を返すことができないようだ。


「アアアアアアアアアッ!」


 未だに苦悶の声を上げ、粘液を飛び散らせ続けている。


「ぐっ、く……」


 そうしたクリアの様子に胸が締めつけられ、争いの渦中にあって周囲への注意を怠った愚かな自分自身への怒りが湧き起こった。

 しかし、そんな己の感情とは裏腹に、体の重さが少しずつ増している気がする。


『その粘液は毒性がある。早くその超越人イヴォルヴァーから離れた方がいい』


 と、そこへ〈クローズテレパス〉によってそう言葉を伝えられ、雄也は粘液が届かない位置にいるアレスへと視線を向けた。そうしながら同じく魔法を用いて応じる。


『攻撃を仕かけてきておいて、よく言う』

『それが今の俺の役目だ。何より、その粘液毒で班員に被害が出ている。幸い死者はいないが、このまま放置しておく訳にはいかない』

『この子は人格を失ってないんだ。やらせはしない!』

『やはり守るつもりか。元に戻す術がない以上、徒に苦しませるだけだ。早々に介錯してやるのも優しさじゃないのか?』

『それは……』


 アレスの論に一瞬口を噤んでしまう。

 あるいは、そうした面もあって下っ端の対策班には事情が伝わっていないのかもしれない。一時の同情は過剰進化オーバーイヴォルヴした超越人イヴォルヴァーの苦しみを長引かせるばかりでなく、被害を増やす結果を作りかねないのだから。彼らの役目を考えれば、真っ当な考え方だ。

 雄也としても彼女を苦しめたい訳ではない。しかし――。


『……それはお前が決めることじゃない。勿論俺が決めることでもないだろうけど、俺はこの子に誰も味方がいない中で終わりを迎えて欲しくないし、猶予があるのなら最後の最後まで諦めたくないんだ!』


 クリアがそうと願わない限り、まずは己の自由な意思とやり方で自分と彼女のために行動する。今はそれだけでいい。


『……そうか。だったら』

『ああ、だから』


 全身に浴びた粘液によって鈍る体に鞭を打って構えを取り、アレスと対峙する。

 彼もまた雄也に応じて、その漆黒と琥珀に彩られた大剣の切っ先をこちらに向けた。

 互いに己の意思を絶対に曲げないというのなら、その結末は火を見るよりも明らか。

 なまじ力があるだけに、何よりも状況的に、それを解消する術は一つしかなかった。

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