第九話 断罪

①グラン・ギニョール

    ***


「腕……私の腕が……」


 閉ざされた祭祀場の中、両腕の肘から先を失ったルキアの弱々しい声が響く。

 彼女は力なく膝をつき、前腕のない手で床に転がる己の腕を掴もうと足掻いていた。

 しかし、欠損した手に慣れているはずもない彼女は器用に持つことができず、取り落としてしまう。その度に彼女の儀礼用と思しき白い法衣に赤の面積が増えていった。


「とうとう正体を現したか! オルタネイト!!」


 頭の中がお花畑ではないかと思うような制度の下、相談役を名乗っている存在の一人がこちらを見据えながら喚き立てた。が、全く見当違いも甚だしい。


「顔を見せろ!」


 襲撃者を前にして、余りに呑気な発言。

 平和ボケもここまで来ると笑えてくる。


「ああ。見せてやるとも」


 しかし、そんな愚かな相手を前にして彼、ワイルド・エクステンドは素直に了承し、己が身を覆う金色の装甲を排除した。無論、観念してのことではない。

 未だ右手は七星ヘプタステリ王国国王を貫いたままなのだから。


「なっ!? 貴様は――」

「ワイルド・エクステンド!? 何故ここに!?」

「さ、先の姿は一体どういう……」

「よくも陛下を!」


 次々と発せられる動揺まみれの言葉を取り合わず、ワイルドは「ふん」と鼻を鳴らした。

 そして躯と化した国王の体から腕を引き抜きながら、その亡骸を彼らの目前に放り捨ててやる。座り込んでいるルキアを除いた全員が怯んだように一歩後退りした。

 しかし、その内の一人が憤怒を原動力にしたように二歩前に出て――。


「大それた真似をしおって! ただで済むと思っているのか!?」


 そう彼はワイルドを鋭く睨みつけながら叫んだ。


「ただで済まなければ、どうすると言うんだ?」


 対してワイルドは嘲るでもなく、ただひたすら冷淡に問い返した。

 その様子が己の知るワイルドと余りにかけ離れていたのか、彼らは面食らったように戸惑いの表情を見せた。


「貴様、本当にワイルド・エクステンドか?」

「さて。そもそも、その存在自体、俺が作り上げた偽りの姿に過ぎないからな。本当に、と問われれば否としか言いようがない」

「訳の分からぬことを」

「要は、今日の俺は演技をする気になれないということだ。貴様らの愚行を前にしてはな」

「愚行だと!?」


 ワイルドの冷たい言葉に彼らは一様に怒りの形相を見せた。


「貴様が邪魔をしに来たということは、魔星サタナステリ王国の異変は貴様の仕業なのだろう! つまり発端は貴様の所業ではないか! その貴様が愚行と抜かすのか!!」


 その叫びを前にワイルドは不快げに眉をひそめた。その様子の変化に気づかないままに相談役の一人は糾弾の如き発言を続ける。


「貴様の目的の妨げとなるから泡を食って防ぎに来たのであろう!」

「黙れ。それとこれとは何ら関係のないことだ。俺の所業に他者の妨害などあって然るべき。むしろ、その方が俺としても楽しめる。だが――」


 視線を鋭くし、一歩前に出てワイルドは一段声を低くした。


「傀儡勇者などという悪行は何があろうとも許さない。それだけだ」

「国家に仇なす貴様が我らの行いを悪と呼ぶか! おこがましい!」

「…………美学なき悪程、穢らわしいものもないな。ましてや自覚すらないとあっては」

「貴様!!」

「人間の自由を奪う。悪以外の何だと言うんだ。下賤な人形如きが!!」


 そこまで言って自嘲するように鼻を鳴らし――。


「ふ。態々人形相手に講釈を垂れる意味もなかったな。馬鹿馬鹿しい。……もういい。早々にこの世を去るがいい」

《Hexasword Assault》


 そう続けたワイルドは作り出した剣を何の躊躇もなく投擲した。

 一瞬。その僅かな間に空間を翔け抜けた刃は、相談役六名に対して一人一本、その全てが対象の喉に正確に突き刺さった。


「か…………」


 同時に呆けたような声、と言うよりも空気が抜けるような音が鳴り、それに続いて倒れ込む音が都合六つ響く。


「モルモットにする程の価値もない」


 何一つ対抗できずに終わった彼らの姿に、興醒めしたように呟く。

 これでこの場で命を保っているのは、ワイルド自身と両腕を失ったルキアだけとなった。


「ドクター・ワイルド……!!」


 ルキアの鋭い視線がワイルドに向けられる。

 どうやら、ようやく錯乱状態を脱したらしい。

 一先ず全てを棚に上げて己の敵意を優先させたのだろう。あるいは、そうしなければ己の精神を保つことができないのかもしれない。


「人間の自由を奪うことを悪と断じておいて、貴様のやっていることは何だ!?」


 ルキアのその強い弾劾に、しかし、ワイルドは意味が分からないとばかりに首を傾げた。

 完全に思考から除外したロジックを聞かされたが如く。


「…………ああ」


 しばしの沈黙。その後、ワイルドはようやく彼女の言い分を理解し、だからこそ忌々しげに表情を歪めた。そして、己の理解が間違いであることを期待するように問いかける。


「よもや貴様、己が人間だとでも言いたい訳か?」

「当たり前だ!」


 返ってきた想定通りの言葉に、思わず一つ深く溜息をつく。


「笑わせてくれる。進化の因子を持たない貴様らが人間だと? 冗談も大概にしろ」


 ワイルドはそう忌々しげに言いながらルキアに近づくと、立ち上がろうと足掻く彼女の顔面を蹴り飛ばした。

 本気で蹴り抜いては首から千切れ飛んでしまうだろうから、極限まで手加減をして。


「あが、あ、ぐ……」


 それでも鼻の骨を圧し折る程度には衝撃があったようで、彼女は口元を鼻血で濡らしながら呻き声を上げた。一般的に美しいと評されるべき顔が台なしだが、どうでもいい。


「貴様らはいつもそうだ。自分達の手に負えないからとすぐに他者に頼る。意志薄弱たる人形風情がを束縛して戦わせようなど、それこそおこがましいっ!」


 再びルキアに接近したワイルドは、今度は彼女の右足を踏み潰した。

 飛び散った血肉が白衣の裾を赤く汚していく。


「ああああああああああっ!!」


 一呼吸遅れて、ルキアの絶叫が祭祀場に響き渡った。

 両腕の時とは違い、痛みを感じさせるために敢えて回復魔法をかけるタイミングを遅らせたのだ。全神経を駆け巡っただろう激痛に悲鳴を上げるのも当然のことだ。


「ああ、全く。人間の振りをした人形を前にするとどうも駄目だな。冷静でいられない」

「あ、ああ……」


 自戒の言葉の間に、意識が朦朧としているかのようにルキアの声が弱々しくなっていく。


「っと、このままでは失血死してしまうな。〈オーバーシャインヒーリング〉」


 直後ワイルドが使用した魔法によって、ひしゃげて潰れた断面が瞬時に綺麗に治癒された。勿論、切り離された膝から先の部位はグチャグチャになったままだ。


「ついでだ」


 ワイルドは倒れた相談役の一人の喉から剣を引き抜くと、もう一方の足を切断した。

 こちらは斬り落とすと同時に治療を行ったため、悲鳴はない。


「あ、う、あ……」


 四肢を失ったルキアは顔を絶望に染めていた。

 最も高い確率で訪れる結末は死。

 たとえ死を免れたとしても、碌な未来は待っていない。

 まともな思考を持つ者であれば、想像に容易いことだ。

 心が折れてしまっても全く不思議ではない。


「他者の人格を手段としてのみ扱う者に断罪を、と言いたいところだが……」


 ワイルドは両手足を失い、力なく床に転がるルキアの頭を掴み上げた。


「貴様には大切な役目がある」

「……や、くめ?」


 ぼんやりと問うルキアに、ワイルドは頷いて口を開いた。


「光属性に優れた妖精人テオトロープの中でも特に優れた素質を持つ者のみがなれる光の巫女。その中でも今代の巫女は歴代最高の魔力を持つと聞く」


 焦点の合わない彼女の目を覗き込むようにしながら続ける。


「生命力、いや、自然治癒力において他の追随を許さぬ貴様は、言わば生存力においては俺を除けば世界最高峰だ。少々ハードな実験にも耐えられるだろう」

「実験……」


 ワイルドはルキアの弱々しい呟きに「そうだ」と再度首を縦に振った。


「喜べ。下らない人形に過ぎん貴様が、モルモットとして俺の目的に貢献できるのだ。貴様の体は精々有効活用してやる。……オルタネイトの敵を生み出す母体としてな」


 耳元で囁いてやると、ルキアは僅かに残った恐怖と共に目を見開いた。


「ああ。心配するな。人格は消してやる。お前は痛みも苦しみも恐怖も、これ以上感じることはない。俺に嗜虐嗜好はないからな。……アサルトオン」

《Evolve High-Anthrope》

「〈オーバーブレインクラッシュ〉」


 黄金の装甲を纏うと共に、ワイルドは強大な魔力をルキアへと流れ込んだ。

 それに合わせて痙攣し出した彼女は僅かな呻き声を残し、その意思を全て手放した。目が完全に虚ろとなり、自我の消滅が確認できる。


「……もっとも、喜びや快楽も感じられなくなるがな。とは言え、元々全てが偽物なのだから、どうでもいいことだが」


 そう告げるとワイルドはルキアだったものを丁重に抱きかかえた。

 しかし、それは女性に対する優しさ故ではなく、単に大切な実験道具を大事に取り扱っているようなものでしかなかった。


「それにしても傀儡勇者召喚を行おうとするとはな。少々手順を早め過ぎたか?」


 独り言ちながら、古の魔動器に視線を向ける。そうしながら一つ舌打ちをする。


(これを破壊すれば未来永劫傀儡勇者召喚が試みられる危険性は排除できるが……)


 それからワイルドは一つ大きく嘆息した。


(残念なことに、こいつは後々必要になるからな)


 そうして古代文明の遺産に背を向け――。


「何にせよ。これ以上魔星サタナステリ王国の現状が隠蔽されては闘争ゲームが先に進まない。俺が手ずから明かしてやるしかないようだ」


 そのまま祭祀場を出ていったのだった。


「そう。全ては人類の自由のために。そうだろう? ウェーラ」


    ***


「あー、やだやだ。帰りたくないよ」


 酷い濁声で言いながら力なく項垂れたフォーティアに、雄也は内心同意しつつ苦笑した。

 時刻は夕暮れ。今日の魔力吸石回収ノルマは早々にクリアし、人数の増えた放課後訓練も終了時刻が迫っていた。


「そんなに嫌な人なんですか? そのルキアって人」

「嫌って言うか、如何にも頭の固い妖精人テオトロープって感じ? 改めて先生が特殊だって思い知らされたよ。先生のことも昔は頑固だって思ったけど、あれに比べりゃ天地程の差があるね」


 イクティナの問いに、あからさまな嘆息をしながらフォーティアが首を横に振る。


妖精人テオトロープは規範意識が無駄に高いと言いますものね」


 プルトナがうんうんと同意するように二度頷く。


(へえ。そういうものなのか。……まあ、でも、それはそれとして――)


「だからってアイリス一人に押しつける訳にもいかないだろ、ティア」


 雄也の言葉にフォーティアは「うぐ」と言葉を詰まらせた。

 昨日は何故か訓練場までついてきたアイリスだったが、今日は普段通りに先に家に帰っている。今は夕飯の準備をしてくれているはずだ。


「言っても、結局家事はアイリス頼りだけどねえ」

「それでも傍にいないとフォローのしようもないだろ」

「ま、そうね。……ほんじゃ、帰りますか。って、えっ!?」


 突如としてフォーティアが警戒するように空を見上げる。

 彼女にそんな反応をさせたもの。急激な魔力の高まりは雄也達もまた敏感に感じ取っており、三人共にフォーティアと同様に視線を上げた。

 その気配は、王都ガラクシアスの中央にある王城の上空から発せられていた。


「な、何だ?」


 視線の先が激しく揺らぐ。魔力がさらに濃くなっていく。

 次の瞬間、大空に巨大なドクター・ワイルドの姿が映し出された。

 色素が薄く透けていることを考慮に入れずとも、明らかに虚像だと分かる。

 これもまた〈イリュージョンフィギュア〉の応用なのだろう。しかし、これ程大きな映像を作り出すことは生半可な魔力では実現不可能だ。


『安穏と生きる愚鈍なる人形共よ。聞くがよい。吾輩の名はワイルド・エクステンド。即ちドクタアアアーッ・ワアアアイルドである!!』

「あ、あいつ……!!」


 相変わらずの人を馬鹿にしたような物言いに苛立ちと共に睨みつける。しかし、距離的に当然と言うべきか、彼がそれに反応することはなかった。


『吾輩は今日この場を以って宣言するのである! 世界に混沌をもたらす悪の組織エクセリクシス! その活動の開始をっ!!』

「これはまた……ふざけてるね」


 隣のフォーティアもまた不快げに視線を鋭くする。


『手始めに傀儡勇者召喚を画策せし愚者、国王と相談役及び光の巫女を殺害した。騎士団よ。王城地下祭祀場に向かうがよい。かの者達の亡骸はそこにある』

「国王様達を!?」


 イクティナが驚愕を声で表す。それは雄也も同じ気持ちだった。

 しかし、光の巫女、即ちルキアが殺された事実に関しては、心の内のどこかに言い知れぬ淀みの如き感情が生じていた。納得しつつも悔やむような――。


(この手で……いや)


 首を振って頭に過ぎった余計な思考を追い出し、再びドクター・ワイルドに視線を戻す。


『だが、そんなことはどうでもよい。それよりも吾輩は、かの者達が隠している魔星サタナステリ王国の現状について伝えねばならん』

魔星サタナステリ王国の現状?」


 不穏な気配を感じ取ってか、プルトナが不安げに呟く。

 彼女は問うような目を空に向けていた。


『見るがいい』


 そのドクター・ワイルドの言葉に従って彼の虚像が揺らいで消え去り、そこにどこかの街の映像が新たに現れた。


「王都メサニュクタ……」


 プルトナが目を見開き、空に浮かぶ像の隅々まで見逃さんとするように一歩前に出る。

 街を俯瞰していた映像は、やがて急激に高度を下げて王城らしき建物を囲う壁の内側にある広大な広場の様子を映し出した。

 そこには配置上は整然と、しかし、心神喪失したまま立っているかの如く、だらりとした体勢で並ぶ人々の不気味な姿があった。

 明らかに一般人らしき服装の者もいれば、兵士のように鎧を纏った者もいる。

 まるで人形劇の出番を待つ人形達のようだ。

 総勢何名いるかは映像からだけでは窺い知れない。


「これは……っ!?」


 さらに映像が切り替わり、プルトナが息を呑む。

 その広場を見下ろす塀の上には無数の異形の姿があった。

 蝙蝠の如き特徴を持ったそれは、いつか学院を襲撃した蝙蝠人バットロープに似ている。


『これが魔星サタナステリ王国の現状である。魔星サタナステリ王国は既に吾輩の手の中にある』

「お、お父様は、お父様は一体!?」


 国全体に発せらえた声に対し、プルトナが問いかける。それに応じた訳ではないだろうが、続く言葉でその答えは明かされることとなった。


魔星サタナステリ王国国王テュシウスは、〈ブレインクラッシュ〉により吾輩の傀儡となった』


 またもや映像が変わり、恐らく謁見の間と思しき空間が映し出される。

 その最奥、玉座にはどこかプルトナに似た雰囲気を持つ魔人サタナントロープの男性が、虚ろな様子で座っていた。彼の目もまた焦点が合っておらず、意思の光が感じられない。


「お、父様……」

《Change Vampirenthrope》


 と、次の瞬間、耳慣れた電子音が国中に響き渡り、彼の姿が変化した。一瞬、蝙蝠人バットロープよりも遥かに大きく歪んだ姿を見せ、その後、闇色の装甲がその全身を包み込む。

 その様子を見て、プルトナが力なく膝をついた。既に全ての事情を知っている彼女は、父親の人格が失われてしまったことに気づいてしまったのだろう。

 そんな彼女の様子を虚像に過ぎないドクター・ワイルドが気に留めるはずもなく――。


『新たな真超越人ハイイヴォルヴァー吸血ヴァンパイア鬼人ントロープ。この者を中心とした、意思を失いし死を恐れぬ兵団。吾輩はこれを以って残る六国に宣戦を布告するのである!』


 彼は全世界に向けて、そう告げたのだった。

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